第25話 勇者たちが生死のカギを握る魔王を見ている
浸食した通路を運河のように満たしていく光が、波打ちながら魔王たちの足元にも向かってくる。城をここまでに荒らされたヴィルハーレンも、呻かずにはいられないようだった。
「モードレめ……ワシの留守に好き放題しおってからに」
光は十字状に床を侵食して、通路の奥を照らし出している。そこには、廊下に沿って扉だけがある。鎧はサンディが着てしまったのだろうから、メルスの防具は扉の奥から引っ張り出してきたのだ。すると、そこには武器庫があると見ることができる。ランバールも気づいたのか、子供のように愚図った。
「ああ、俺にも何か武器よこしてくれ!」
言うが早いか、正面から飛んでくるものがある。武器庫から持ち出したものをメルスが投げたのだ。魔王も勇者も戦神の尼僧も紙一重でかわしたところで、よこせと言った張本人が喚いた。
「危ねえだろ!」
「危ないったら!」
メルスも同時に叫びはしたが、それは意味することが違う。獣の咆哮が通路にこだましたことで、メルスがそれを狙ったことが分かった。
振り向いた魔王ヴィルハーレンがつぶやく。
「淫魔獣……こんなモノまで」
ときどき山岳地帯に出る大山羊のものに似た頭を持った人型の獣が、メルスが投げた
「女と見れば襲いかかる、下層次元のケダモノだ。わが城を徘徊するなど、許しがたい」
勇者が十文字槍を引き抜くか引き抜かないかのうちに、魔王が逆さにした長剣で獣の首を刎ねる。だが、それでは終わらなかった。
武器庫の扉を開けて、2頭の淫魔獣が現れる。メルスとサンディの背後に迫るモノたちは、着替えのとき脱ぎ捨てられたと思しきドレスをくわえている。マルグリッドが叫んだ。
「後ろ! あなたがたの後ろに!」
毛むくじゃらの下半身を高ぶらせて忍び寄る淫魔獣を見た女戦士と少女は、声を失った。ランバールも苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「興奮してやがる……匂いで」
「いや、色だ」
低い声で誤りを正した魔王は、さらに詳しく言い直した。
「匂いよりも、衣服の色に反応して飛びついてくる。だから……」
振り向いた先には、鮮やかな青色のドレスをまとったマルグリッドがいる。魔王の言わんとしていることに気付いたのか、露骨にうろたえた。
「次は、私……ですか?」
暗がりでも分かるほど大きい、淫魔獣の下半身から突き出たものについ目が行ったらしく、慌てて目をそらした。
しかも、「それ」は暗がりの中からいくつも現れる。
メルスとサンディはというと、武器を構えて後ずさりはしたが、足下まで浸食してきたフロアイーターに立ち往生している。
勇者ランバールが唸り声を上げた。
「あんなケダモノ共に、俺の女を……」
どっこいどっこいと言われても仕方がない男が、そのとき、ふと何かを思いついたようであった。嫌な予感がしたのか、マルグリッドは身体を強張らせていた。野太い声が、真面目くさって告げる。
「脱げ」
「な……何を?」
十文字槍が、たじろぐ尼僧のふくらんだ胸元に突きつけられる。魔王がマルグリッドを押しのけて、壁になった。
「どういうつもりだ、勇者よ」
名前では呼ばない。好色なランバール本人よりも、勇者としての自尊心に訴えたのだろう。だが、好色な勇者ランバールはそれなりに物事を考えていた。
「このままじゃあ、あいつら下に呑まれるか、下に……」
「それ以上言うな」
マルグリッドに卑猥な言葉を聞かせまいとするかのように、魔王が言葉を遮る。だが、尼僧はもう、覚悟を決めていた。魔王の頭越しに、脱いだドレスが十文字槍の穂先を覆うと、勇者は柄をしごくだけでその襟元をきれいに持ち上げる。それが床を溶かしていく光の上に掲げられると、本当に宙に浮いているように見えた。
咆哮と共に、淫魔獣が狭い通路を押し合いへし合いしなが、サンディとメルスに向かって突進してくる。女戦士が斧を振り上げ、少女剣士が抜き打ちの構えを取ると、勇者は増殖をやめない発光生物の向こうから叫んだ。
「どけ! ヤられるぞ!」
身体をすくめて壁にぴったり張り付いた2人の対照的な体形の女性の間を、毛むくじゃらの暑苦しい魔獣たちが走りぬける。足下を光が溶かした瞬間、その中に燦然と輝く色鮮やかなドレスに向かって飛びついた。
その結果は、いうまでもない。
「こんなチャチな手に引っかかってんじゃねえ助平野郎!」
ランバールの叫びと共に突き出されたドレスに飛びついた1体は、そのまま溢れかえる光の中に落ちると、消えてなくなった。時間差で飛びついてきた1体は、いったん引いて繰り出された十文字槍に身体を貫かれ、もんどりうって、やはり光の中に呑み込まれていった。
魔王ヴィルハーレンは、その光にマルグリッドが1人だけ裸身を晒されるのを避けるように、背後に隠して仁王立ちする。コートを脱ぐと後ろ手に突き出して、再び羽織るように促した。だが、その顔はランバールを向いている。
「お前と言い争っている場合ではなかったな」
勇者もまた、にかっと笑った。いたずら小僧が何か悪さを思いついたときは、こんな顔をするものだ。
「いざっていうときは、俺も連れて行ってくれんと」
逃げる時は一緒だというのである。それだけならまだ聞こえはいいのだが、よく聞けば「助けてくれるのがお前で、助けられるのは俺」と言っているにも等しい。魔王もそれが分かったようだったが、冗談とは受け取らなかったらしい。大真面目に答えた。
「ワシの力にも限度がある」
それだけ絶体絶命の状態だということである。軽口を叩いていたランバールさえも、溶けた光が足下にまで迫っていては笑ってもいられないらしい。それまでごまかしていた、最も恐れていることを口にしないわけにはいかないようだった。
「全員死ぬぞ」
溶けて流れる通路の向こうでは、サンディとメルスが壁にもたれてしゃがみ込んだまま、奥の袋小路へと尻でにじり寄っていく。通路の浸食は速くなっていて、立ち上がっている間に2人の足は光の中に呑み込まれてしまうだろう。
魔王は深く息をついてつぶやいた、
「やむを得んか」
歯を食いしばると目を見開き、呪文を詠唱し始める。魔王を中心に、真っ青な光が広がる。ランバールが「
「おい! あいつらを……」
そう言っている間に、魔法の及ぶ空間は、溶けた床ごと女2人を包む。サンディとメルスもそれに気づいたらしい。
「ヴィル!」
「魔王!」
それぞれのやり方で呼びかけたときには、魔王の足元の方が先に溶けてなくなっていた。隣にいたランバールが、両手両足を宙に泳がせながら喚き散らす。
「うわああああ! 落ちる落ちる落ちる!」
マルグリッドはというと、露わになった胸を魔王の背中に押し付けて、その身体を抱きしめた。じたばたするランバールと違って、落ちそうになったところで手近なものにすがったという様子ではなかった。
「ヴィルハーレン……」
そうつぶやいて、最後に「殿」を申し訳程度にくっつける。どちかといえば、どこまでも一緒に落ちて行こうとしている者の姿勢である。
だが、魔王ヴィルハーレンはそんな悲壮な覚悟をしていたわけではなかった。魔王と勇者と勇敢な女たちの姿は消え、床と壁と不定形の怪物がその一部をごっそりとむしり取られた空間に、光の奔流がどっとあふれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます