第21話 魔王と勇者とその一行が魔界の姫君を見ている

「いや……それはその……」

 ランバールは返答に窮しながらも、短刀で斬りかかる魔族を裏拳一発で張り倒す。そこへ、まだ立ち上がることもままならないマルグリッドが詰問する。

「お答えください、勇者様!」

「いや、どの女か、心当たりがない……」

 答えにくいことを、魔族を叩き伏せながらぼそぼそ答えられる辺りは人間業ではない。だが、過去の所業が人間として恥ずべき行為であるのは、一度は付き従おうとした女3人の冷ややかな視線からも明らかであった。

 魔王もいささか呆れたように話を続ける。だが、茫然とするソフィエンを見上げもしないのはそれだけが理由ではあるまい。

「そのひとりが死ぬ間際に、ソフィエンをワシに託したのだ」

「そんな……」

 ようやくのことで口を開いたソフィエンはぶるぶるとかぶりを振った。

「そんな、信じられません、私が、父を殺した男の娘……何が何だか分かりません!」

 それは女戦士も同じことだったらしい。

「オレも分かんねえよ! どっちについたらいいんだよ」

 サンディは入り組んだ人間関係にヤケを起こしたらしく、ランバールに迫る魔族を大斧で吹き飛ばし始めた。それでも刃の部分を使わないのは、まだモードレに未練があるからなのだろう。胸甲も消えかかって、豊かな谷間がもう、露わに見える。

 メルスはというと、魔王の剣で魔族たちの武器を薙ぎ払っていた。

「とりあえず、勇者様に死なれたらボクの修行にならないので」

 それでもしつこく絡んでくる魔族の槍やら棒やらをメルスの剣で打ち落とせるようになったランバールは、正面に現れた1人に向かって斬りかかる。金切り声に近い悲鳴が、それを止めた。

「やめてください!」

 ソフィエンだった。大粒の涙を魔王の背中に落として、泣きじゃくっている。

「まだ……どういうことなのかよく分かりません。信じられません。でも……本当に人間の勇者が私の父なら、私が一緒に暮らしてきた魔族を殺すところなんて見たくありません。こんなの……こんなのもう、たくさんです!」

 モードレに操られた意識のない魔族たちに包囲されながら、勇者たちは、魔王とその孫娘……いや、勇者の娘を囲んで沈黙するしかなかった。もちろん、魔族の攻撃を凌ぎながらである。床に寝そべったままのマルグリッドも、錫杖でどうにか魔族たちの武器を右へ左へ弾いている。

 魔王は孫娘として育ててきたソフィエンの背中を撫でてやることもできない。秘密を語るために、最後の力を振り絞っているのであろう。

「本当なら、ワシは息子エイボニエルに魔王の位を譲ったとき、先王に倣い、高次元の存在アストラルとなって消えなくてはならなかった。位を譲った魔王は、死ぬのでない限り威光を残すことになるからな。だが、ワシは魔王のうちに、アストラルになるのをやめた」

「俺の……娘のためか?」

 ソフィエンを自分の娘ではないかと思えばこそなのだろう、その望みどおりに、魔族は片刃の剣の峰で打ち倒されていく。その長たる魔王が語る言葉は、むしろ感謝の意を表すようでもあった。

「ワシの落胤の落胤ということにしておけば、誰もソフィエンに手は出せまいよ……二度とアストラルにはなれなくなるが、それでもよい。アストラルでは、自然や魔力の動きを操ることしかできんのだ」

「処女狩りなんぞというご乱行をやってれば、隠し子の1人や2人……」

 自分のことは棚に上げてからかうランバールに、魔王は微かな笑い声を立てながら真実を告げた。それは、僭王モードレに遮られた言葉でもあった。

「あれは、そのようなものではない……魔族が人と争わぬための知恵よ」

「知恵?」

 峰打ちに倒れる魔族はなかなか減らない。尋ねる勇者にも、その後ろで相手を傷つけないように武器を振るうメルスにもサンディにも、疲れが見えてきた。それでもヴィルハーレンは語り続ける。

「魔族の王は、人間の中から妻を迎え、子を成す。ワシもそうして生まれた。人間の中に母とつながる者がいるかもしれぬと思えば、滅多なことはできん」

 重さに任せて振り下ろされる戦槌ウォーハンマーを錫杖で払ったマルグリッドは、魔族の鳩尾を突いて床に転がす。そこで一息ついて、魔王に尋ねた。

「では、あのモードレは?」

「王家の傍系でな。ふた親とも魔族で、魔王の苦労を知らん。だから……こんな真似ができる」

 魔王が吐き捨てるように言ったモードレの術に操られた魔族たちは、うつむいて魔王を見つめるソフィエンにまで迫った。マルグリッドは魔族よりも険しい表情で立ち上がると、錫杖を投げた。

「戦神よ、守り給え!」

 錫杖が閃光を放って、魔族の額をしたたかに打つ。マルグリッドは呆然としたまま、その場に崩れ落ちた。

「戻っている……神のご加護が!」

 その場にうずくまったまま、両手を固く組んで祈りはじめる。

「慈しみ深き我らが戦神よご照覧あれ、我ら無勢にて多勢に挑むなり、これ私欲にあらずして一命を投げうちたる戦いなれば、守り給え力を与え給え勝利への道を示したまえ……」 

 マルグリッドの長い祈りの中、ランバールは迫りくる魔族を打ちのめし、蹴たぐり、傷を負わせまいと防戦一方の戦いを続ける。だが、いかなる神の奇跡も現れはしなかった。

 とうとう、サンディが癇癪を起こして喚き出した。斧の柄で魔族たちを突き伏せ、斧の刃を当てないように、不安定ながらも背で叩く。

「お祈りはいいんだよ、何かしてくれよ、こいつら遠ざけるとか傷治すとか体力回復してくれるとか!」

「ボクは別に期待してないんだけどね」

 冷ややかな軽口を叩くのも、メルスが疲れていることの裏返しであった。ただし、武者修行中の不満は口を突いて出る。

「せめて、慣れた武器と取り換えさせてくれれば」

 それと同じ口調で、ランバールが今にも倒れそうなほど荒い息の中から尋ねた。

「納得いかねえのはよお……何を証拠に俺の娘だっていうのかってことだよ」

 身体を丸めて祈り続けるマルグリッドを、己を失った魔族たちが打ちのめす。それはまるで、戦神が試練を与えているかのようであった。

 メルスが先に力尽きた。魔王の剣を杖に膝を突く。続いてサンディが、床に立てた斧にもたれかかった。禍々しく曲がった偃月刀の、しかし夢の中のような緩い一撃が、消えかかっているサンディの鎧を再び切り裂く。豊かな胸乳がこぼれて、揺れた。

 魔王の答えは単純だった。

「ソフィエンには、お前と同じ形の痣がある……母親が言うにはな」

 ランバールは息を呑んだ。心当たりがあるのか、尻をさする。確かに、その痣を女たちの前に晒したことがある。

「目の……形をした?」 

「そういえば……」

 つぶやいたのはサンディである。確かに、その痣を「可愛い」とからかったことがある。

 身体を確実に傷つけていく刃を押しの払いのけ、女たちは視線をランバールの尻に注ぐ。その全員が、生まれたままの姿で、生まれたときから10年ほど経った姿のランバールと同じ湯に浸かっていたのだった。

 続いて、抵抗及ばず魔族に打ちのめされる一同の目は、ソフィエンに注がれる。血染めの白衣を羽織った魔王の姫君は、恥ずかし気にうつむいたまま、魔王を乗せた膝を開いた。

 女たちの目は遠慮呵責ない。姿をくらました僭王に操られた魔族はともかく、好色なはずのランバールだけが、ガラにもなく目を背けていた。

 マルグリッドもまた、目を固く閉じたまま、低い声ひとつで尻を叩く。

「逃げずに、ご覧ください。ご自分の過ちを、よく」

 ソフィエンは、開いた足のうち、一方の膝を立てた。頬に羞恥が赤く溜まる。それでも微かな声がはっきりと、父かもしれない男に告げた。

「お確かめ……ください」

 白い太腿の内側の秘部近く、青い闇の中にも黒々と浮かぶしるしがあった。

 勇者ランバールの娘たることを証す、目の形をした痣が。

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