第54話 魔王の息子
俺は身支度を済ませて、アパートを出た。
夏が、青空に積もった雲の大きさに比例して進んで行くこの季節。いつだって陽射しは暖かく、風は生温い。吹いた風が、日陰に溜まった涼しい風を吐き出させ、
俺は駅まで向かって歩いていた。
道すがら強烈な草の匂いに呼ばれ、ふと道路から離れた空き地を見つめた。
一匹の三毛猫が空き地に入って行く。彼は胴体に薄っぺらく引き伸ばされた振り子付きの掛け時計を巻きつけていた。
呼ばれたわけではないが、その奇妙な猫の姿をした、恐らく神様であろうものに付いて行く。
猫が振り返ると同時に、俺は頭を下げた。
「すみません! 貴方の大事な天使を盾にしてしまって!」
あれ以来、メロンは喋らなくなった。
天使だから人間に刺されたくらいでは死なないだろうと思っていたが、実際の所どうなのかは解らない。
「だから決して刃物で切らないようにと注意を添えたと言うのにの」
猫から聞こえてきたのは、あの時と変わらない、威厳に満ちた神様の声だった。
「メロンは、死んだんですか?」
「お前の解釈で言うところの死であるなら、奴は死んでおらん」
「喋らなくなりましたが?」
「もうあれは
「じゃあ、生きているんですね」
「生きている、となると、また違うがの。存在はしている。まあ、好きに解釈すると良い」
俺はホッと胸を撫で下ろす。
「ところで、お前は結局
「いけませんか?」
神様は一瞬呆気に取られたように止まった。
「いけませんかと問うか。奴に聞いておっただろう。お前でなければ魔王を倒せぬと」
「聞いています。でも、やりたくありません」
「そうか」
「そもそもどうして異世界転生者じゃなければいけないんですか? この世に居る人に魔王の魂を滅する能力を持たせればいいじゃあないですか」
「奴は、バグ、と言う言い方もしておったろう?」
「はい」
「お前が解りやすいように説明するなら、ゲームのバグはゲーム内のキャラクターが直すことはできぬ。カセットやディスクやゲーム機本体が自己修復をする事も無い。それを直すには、外部の手が必要となる。それが異世界転生者でなければならぬ理由よ」
「なるほど。解りやすい説明、ありがとうございます」
だからラノベの主人公は
「しかし、その修復を、やらぬと言うのだな」
「はい」
「誰か一人の覚悟を犠牲にして、世界が平和になると言う話は飽きるぐらい聞いたであろう?」
漫画、アニメ、小説、特撮、映画。あらゆるものの主人公が背負わされる宿命って奴だ。彼らは世界を滅ぼす悪を倒す為、極めて少数で世界を背負って戦う。
「お前が幼き頃から憧れたヒーローと言うものだ。許せぬ悪を倒し正義の
「それこそ世界の
「もしもそうでないとすれば? 人々がそれを欲した結果、産み出されたもので、お前の宿命とは関係の無いものだとしたら?」
「それでもやりたくありません。誰が世界の犠牲になんかなってやるものかよ、と思います」
神様は空を見上げる。
「解せぬな。やはりバグに長く
「でしょうね。俺自身バグったのかも。……それに何より」
俺は一呼吸付き、笑った。
「俺は魔王の子です」
神様はその言葉を聞いて豪快に笑った。神様も笑う事があるんだな。
「なるほどの。罰を与えたいところだが、このバグった世界では儂の力も使えぬからの。意思が変わらぬと言うのであれば、好きに生きるが良い」
「良いんですか?」
「良いも何も、儂にはもう何もやりようがない。お前に危害を加える事も、魔王に直接手を下す事も出来ぬ故、お前が成し遂げるのをただ待つしかなかったのだから。お前が死んだら、その時新たに異世界より人を差し向けよう。もっとも、その頃には魔王も別の個体に魂を移しておるだろうから、見つける事も困難だろうがの。だから、せいぜい長生きをする事だ。お前が母より長生きすれば、お前の望み通り世界は救われぬ」
世界不平和が俺の望みと改めて言われると、罪悪感があるな。
「俺はこうして神様に逆らっているわけですが、そうじゃない人たちの願いだけでも神様に届くって事はないんですか?」
「届かぬよ。だから直したいと言うのに、お前はやらぬと言う。そう、お前は世界を裏切った。言わばこの世界の敵だ」
俺の個人的な都合で、世界中で苦しんでいる人が救われない。
でも、
「そんなの知るかよ、ボケ」
これが本音だ。
魔王の息子の言葉だ。
メロンが言っていた虚無のような幸せを全員が
「悪びれるどころか、ボケ、とはの」
神に逆らった。
当たり前だ。
この神は俺の母さんを救わないのだから。
そう考えたら、
「神よ。俺はメロンが言う本当の世界ってのが、いまいち納得できなかった。平和で平等で
「ほう」
「バグってのは、心なんじゃあないか? それを失えば、確かに人は幸せかも知れない。だって不幸だって思うのは心が悲鳴を上げるからだ。そいつが無ければ、不幸を感じようがない。心が無ければ欲もないから、諍いもなくなって平和で平等だ。違うか?」
「当たらずとも遠からず、と言うところか。勇者、いや、人間よ。その愚鈍な頭でせいぜい考えるが良い。儂はお前に罰を与えられないが、それが正解ではないと言う真実を与えよう。バグったお前の思考回路では
あ、タイムリミット来た。
俺は薄っぺらな掛け時計から解放された猫の頭を撫ぜる。
「神よ。俺はお前を信じない。俺はこのバグった世界を信じて生きて往く。バグったままで結果良かったと思えるように」
つまり俺は、この世界で唯一神様に出会った事のある無神論者って事になるわけだ。
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