第20話 退屈な幸福

 陽織さんと別れ、家に帰った。

 メロンは今夜も真実を携えて鎮座していた。この果実がこの世の全てを知っているとは。ただ善と悪の判断はできないし、正義もない。それらは全て人間が作り出したものだから。彼女、声色的に彼女が知っているのは、真実だけだ。

 俺は一つの疑問を口にした。

「なあメロン。今日カラオケに行ってきたんだが、魔王を討伐した後の未来に歌はあるんだろうか」

「ないですよ」

 やっぱりな。

 なんとなく想像はしていたんだ。

 歌ってのは辛い、苦しい、報われたい、生きたい、認められたいって言う感情から生まれ来るものだ。本当の世界に苦しみ一つないのなら、歌なんて必要ないからな。特に絶望の淵から立ち上がる為の歌なんて、絶望が無い世界には必要ないに決まっている。

 それでも前向きで何にも考えてないような歌くらいはあるかなと思ったけど、それもなくなるのか。

「中身の無い歌もなくなるのか?」

「それは残るかも知れませんが、果たしてそれをわざわざ作成して唄う人が居るでしょうか」

「居るんじゃないか? 今も居るんだから」

「彼らがその中身の無い歌を唄う理由はなんでしょうか?」

 なんだろうか。

 考えた事もなかったな。

「彼らが中身の無い歌を唄い続けられる理由は様々にあると思いますが、まずは一つ。お金になるからです」

 なるほど。

「それと皆様に褒めて頂ける。つまり承認欲求が満たされると言うのも理由になりますね」

 ふむふむ。

「人間が行動を起こすのには様々な理由が有りますので、それら二つだけではないのですが、大きな割合を占めるのは確かです。ですから、本当の世界に置いて彼らが唄い続ける理由はなくなるのです。お金も承認欲求も必要ないですから」

 承認されたいと言う欲求以前に幸福に包まれているから、という事なのだろう。

「本当は彼らももっと自分が唄いたい歌があったのかも知れません。しかしそれでは商業的な称賛が得られないと知り、自らを捻じ曲げた。或いは彼らを雇う方々が捻じ曲げたのかも知れません。生まれてから死ぬまで祈り続けていればそれで良いと言う国は在りません。全ての国が商業主義と言う訳ではないにしろ、国として成立している以上、経済は存在します。経済が存在する以上、お金は価値観の絶対です。絶対性を持った価値の収束点であるお金を必要とする人は、人間の価値観に置いて正しい人間です。それを手にする事が人生においての誉れであるとする事もまた、正しいのかでしょう。その集積した大金は、皆の承認の塊でもあるのですから」

 でも、という否定の言葉が思い浮かばない。

 儲けたお金や誰かからの称賛よりも優先されるべき事があるはずなのに、今この場でそれを言葉にはできない。

「そうではなく人の為に尽くそうと言う方々も居て、それをボランティアと呼ぶのですよね」

「ああ、あるな。ボランティア」

「その方々がボランティアを行う為にもやはり道具や食べ物が必要で、それはお金が無いとできない事なのです。つまり、国中の全ての人間がボランティアをしてしまったら、救える命も救えなくなってしまう。ボランティアをする人々は皆、守銭奴の働きによって生かされているのです」

 えげつない話だが、真実かも知れない。

「この世界で最も高尚で俗世とは縁遠いとされるローマ法皇ですら、自分を生かす為のお金は必要でしょう。彼自身はお金の為に祈りを捧げているわけではありませんが、それが結果お金を集めていると言うその認識はあるはずです。だからこそ彼は斯くあるべきと言う姿を全うできるのでしょうね」

「というのは?」

「祈りが結果的にお金を生み、それが自分を生かしている。それを認識する事は一見して世俗的で浅ましい事の様に思えますが、認識していない人間は横暴になり祈りが独善的なものになるはずです。そうならず、人々の為に祈れると言うのは、己の不足を知っているからです。全能ではない、人に生かされているという事を知っているからです」

 なるほどな。

 ローマ法皇ですらお金が無ければ死ぬと言うのを自覚しているのであれば、アーティストもまた然りか。

「人間の事ですから、今お話しした程の正確さはありませんけれど」

「正確じゃあないってのは? 人によって考え方が違うとかそう言う事か?」

「いえ。同一の人間でも思考にズレやブレが出来るという事です。勇者様もお有りなのでは? 刹那的な感情に囚われて、大好きな人を憎む事が」

 一時的なものなら、あるな。

 母さんにあれだけお世話になっておきながら、それでもなおうるさいなあと思う事が有るのだ。感謝の気持ちがあると思いながら、それを忘れる時がある。

「これもバグの所為なので、魔王を討伐すれば直りますが、現状の人間の思考と言うのは統一されていないのですよ。だから、大好きな人に罵詈雑言浴びせてしまう事もあります。現世でそれは間違いと称されるものでしょうが、仕方の無い事とも言えます。バグっているのですから」

 最終的にはそこに居行き着くのか。

「我が主が統一するバグ無き本当の世界では、誰しもが幸福に満たされています。ですから歌もボランティアもローマ法皇も必要ないのです。国境すら意味を持たず、経済も必要ありません。人は使命感に囚われる事もなく、不幸を認識する事もありません。その本当の世界を手に入れる為にも、勇者様には尽力して頂きたいのです」

 どうあれ、歌の無い世界ってのは嫌だな。きっと小説も漫画もないんだろうなあ。メロンの言っている事が確かなら、働く必要が無いわけだから、労働によって完成されるドラマやアニメや映画もないし、当然不幸が無ければニュースもワイドショーもないだろうな。

 本当の世界の前に、その退屈な幸福を俺は受け入れられるんだろうか。

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