わたしのことになって申し訳ないのですけれども、わたしがいじめに遭っていた頃、「もし自分が世に認められるような難病ならば周囲から同情され許してもらえるのに」という感覚を恥ずかしながら持っていました。難病を別の言葉に置き換えても同じです。でもこれは多分「差別」という物事の事実だと思っています。『美談』にしやすいものは世の共感を得やすいということなのだろうと思います。いじめられている子たちのその瞬間の姿は『美談』にはできないおぞましいものであることがほとんどです。今回のエピソードではとても繊細な問題を扱っておられるのでコメントは難しいのですけれども、わたし自身も「差別」にランク付けをすることそのものが「差別」であるという感覚をいじめに遭っていた頃からずっと持っていました。長文、失礼いたしました。
作者からの返信
naka-motooさん
コメントありがとうございます。
人は多かれ少なかれコンプレックスを持っており、自分も多分に漏れません。なのに皆はコンプレックスを「いじる」のを良しとしていて、自分は「いじめ」られないように必死に「いじられ」ていました。笑顔を張り付けて、このラインを超えさせちゃいけないって、ずっと焦っていました。
しかし、散々自分を「いじり」倒した人たちは、同じ「いじり」の対象であるはずの「障碍者」を見ると「差別はいけない」「守らなければ」などと言い始めます。自分から見れば背が低いのと脚が無いのは同じ「コンプレックス」です。勿論、生活のし辛さに大小があるからわざわざ「障碍者手帳」というものが発行されるわけですが。
そうしたコンプレックスを同質に扱わないと言う事こそが「差別」であり、「障碍者だけは特別扱い」と言うのも差別だと思います。だいたいその特別扱いは障碍者を根っから馬鹿にしているとしか思えません。健常者の傲慢です。
そう言う世間の当たり前が「憎い」のです。
誰もそれに気付かないし、気付こうという努力をしない。
naka-motooさんは分別のある方であり、作品に対して誠実に触れてくださるので、とてもありがたいです。仰る通り、自分は「差別」をしたいのではなく、世の「差別」の認識がおかしいと言う事を言いたいだけなのですが、勘違いされないだろうかという恐怖が書いている間中ずっとありました。心臓と頭が燃える様に熱く、筆の自分らしさを保つ以前に、そもそも書けない状態が続きました。何度も何度も推敲をしました。言葉選び一つで自分の作家人生が終わるので。
ただそのリスクを冒しても誰かが書かなければいけないと言う思いがありました。この世のモラリストを余すことなく敵に回そうとも、結果それで死んでもいい。それが作品に対しての誠実さだし、己の生き様だと思い、投稿しました。
いくらなんでも大袈裟過ぎるだろ、と今読み返して思いましたが、当時はそんな感覚でした。
ともあれ、歪んで伝わらなくて良かったです。
naka-moooさんのコメントによって、自分の数日間の懊悩の全てが救われました。
自分の楽しくない過去を語るのは辛いでしょうし、コメントを残した事で良くない事に巻き込まれる危険性もあると言うのに、それでもお話して頂けた事に、ただただ感謝の念が溢れます。
本当にありがとうございます。
「同じレールの上でも、乗っかっている車両が違うのだから」という文とその後の描写がいいですね。なんだかハッとしました。
ところで、「車両は時速1320キロで」というのはあえてその速度ですか? エピソードタイトルとの関連性は? すみません、ふと疑問に思ったもので。
作者からの返信
譜田明人さん
コメントありがとうございます!
お褒めの言葉嬉しく思います。
あえてその速度です。
地球の自転の速度が1700km/hで、赤道から離れた日本が1400km/hになるので、自転する方向とは反対に80km/h進むと燈瓏たちは1320km/hで後退していることになるなと思って。80km/hで進んでいるんじゃなくて1320km/hで後退していると考えると、捉え方で何もかも変わってくるなあと思いまして。
陽織の不調は良いことではないですが、それが無ければ二人は出会う事は無かったので、捉えようによってそれは好転しているとも言えるわけで。
なんて、ただの屁理屈みたいですね(笑)
エピソードタイトルまで気にかけて頂いて、嬉しいです。