第2話 夕張メロン

 ガソリンスタンドの石油の匂いが立ち込める角を曲がって公園の方へ歩いて行く。そこを抜けると小さな橋がある。川と呼ぶにはあまりに人工的な作りの、しかし用水路と呼ぶには少々大きな人工河川の上を渡ると、桜並木の道に出る。

 新緑に色づいた葉から漏れる光は、今は茜色をしていた。

 青と茜のコントラストを新緑のモザイクが覆う。

 西日射すレンガ調のコンクリの上を歩いていた。先の事を考えながら。

 いや、考えとは言っても、まともな思考は出来ていなかった。

 神と名乗る猫。

 転生して魔王を倒す使命があるはずの自分。

 先程得た情報と言えばこれくらいのものだ。

 これが絵空事でなければなんだ。

 この世界に魔王はいないし、俺は勇者でもない。

 ただ間違いなく確かに猫は喋っていたし、あれは幻聴の類ではなかった。

 家の扉を開けると母さんが出迎えてくれた。

「おかえりなさい、燈瓏ひいろうちゃん。今日も学校大変だった?」

 ニコニコと笑顔を湛えている。いつもの光景。

「いや、大変な事はないよ。いつも通り。あ、いいよ。自分で鞄くらい持つから。サラリーマンの旦那を出迎えるみたいな事しなくていいから」

「あらそう? 燈瓏ちゃんがお疲れだといけないと思って。今日は燈瓏ちゃんが大好きなピーマンの肉詰めだからね。あ、でも先にシャワー浴びてくる?」

「ああ、うん」

 家、とは言ってもアパートの二階。3DKの間取りに母親と二人暮らしをしている。

 窮屈だと思った事は無い。母さんが、いつも掃除をしてくれるし、不必要なものを一切置かないミニマリストだから。

 母の収入のみが生活費に充てられている現状だが、一度も貧乏を実感したことはない。朝昼晩とご飯は豪華だし、俺がバイトをしているにも拘らず、必需品に関しては全て母親が支払ってくれる。

 寂しいと思った事もない。高校生にもなって親が居ない寂しいと思う事もないのだが、幼い頃から母親は俺に時間を割くことを蔑ろにしたことが無い。

 それが高校生になってからもだと言うのだから、我が母親ながら流石に甘やかし過ぎなのではと思う。

 これが当たり前の事だとは思ってはいない。

 世の中には自分の子供を鬱陶しいと思う人も居る。自分の子供にお金を掛けるのを嫌がる人も居る。自分の子供の部屋までもゴミで汚す人も居る。

 俺はまだ若いから、世の中の仕組みなんかが良くわからなくて、不満に思う事は数えたらきりがない程ある。しかしながら一般的な親子が抱える問題は、少なくとも俺からは無い。でもまあ、母さんからはあるだろうなと思う。仕事と家事を両立させて一生懸命俺を育てていると言うのに、まあまあ平々凡々と育ってしまって。もっと優秀な人間であれば母も育てた甲斐があるだろうに。とは言っても、それをおくびにも出さない事を良い事に、俺は自堕落な高校生活を続けている。

 シャワーから上がると、母親が角張った包みを重たそうに持っていた。

「燈瓏ちゃん、お友達から贈り物が届いたわよ」

「なに?」

「夕張メロンって書いてあるわ」

「おー、やった。夕張メロンって事は、楽典足志縞がくてんそくしじまかな」

「あー、小学校の頃に北海道に転校したあの子?」

「良く覚えてるね」

「燈瓏ちゃんのお友達だもの。ちゃんと覚えているわ。一緒に手紙も入っているようだから、はい」

 母さんは冷蔵庫には入れず、手紙ごとメロンを俺に渡した。

 自分の部屋に入り、手紙の封を切った。中から出てきた紙切れに一言。

「決して刃物で切らないように」

 圧潰あっかいして食えと?

 何だこれは。

 なぞなぞか? 楽典足はそんななぞなぞを仕掛けてくるような人物だったか?

 もしかして夕張メロンというのは嘘で、中には別物が――入ってない。メロンだ。

 俺は箱から見事な夕張メロンを手に取る。

 夕張メロン型の貯金箱?

 しかしどこを見てもそれらしい穴などないし、穴を探している最中に気付いたが、青果特有の甘さと青臭さを配合した香りがしたので、どうやら本物の夕張メロンであるらしい。

「どうも、初めまして」

 とても耳に心地のいい声がした。アニメ声優のような、透き通った聞き取りやすい女性の声だ。リビングでアニメでもやっているのかなと思ったが、それにしては声がやけに近かった気がする。

 じゃあ気のせいか。

 俺は引き続き、先の紙に書かれた言葉の真意を探るため、メロンを撫でた。

「くすぐったいです」

 何やら聞こえてはいけない場所から声が聞こえた。

 今、この手に持っている、夕張メロンから、声が聞こえた様な気がした。

「あの、聞こえています?」

 ナウ、聞こえた。

「メロンか……? メロンが喋っているのか……?」

「はい」

「ぎゃあああああああああああああああ!」

 情けない雄叫びをあげながらメロンを放り投げる。

 ――ボスッ。

 と運よく布団の上に着地する。

「どうしたの!? 燈瓏ちゃん!」

 俺の叫び声を聞きつけた母さんが扉を勢いよく開けて入ってきた。

「あ、いや、なんでもない」

 なぜだか咄嗟とっさに俺は嘘を吐いてしまった。

 突然の事にパニックに陥り、かくこのバロックに母親を巻き込んではいけないと言う使命感に駆られての事だろう、と数瞬後には理解していた。

「でも、叫んでいたじゃない?」

「ああ、それは楽典足が送ってきたメロンがあまりに美しくて、びっくりしたんだ」

「なぁんだ。そうなの。ふふ、燈瓏ちゃん夕張メロン大好きだもんね。あ、でも隣の部屋の方にご迷惑になるから、あんまり大声は出しちゃダメよ? それから、メロンもいいけどご飯も出来ているから、なるべくすぐに来てね」

「わかった」

 母さんがキッチンに戻って行くのを見送り、恐る恐るメロンに近づく。

 どこで喋っているのか解らないメロンに語りかける。

「もしかして、いや、間違いであってほしいと言う願いが9割以上あるんだけど、お前が天使なのか?」

「はい、天界からやって参りました天使にございます」

「いや、いやいやいやいや、いや! なんでメロン!?」

「形はどのようでも良かったのですが、天界にある私の概念を魂魄こんぱく化して移すには、現世にあるものでなくてはいけなくて、どうせ移すなら勇者様がお好きなものがよろしかろうと言う配慮です」

「いらないだろそんな配慮! だいたいなんで食べ物の好きな方で来るんだよ! 動物とかいろいろ他にもあるだろ! 誰も反対しなかったのか!?」

「なんなら満場一致でしたよ」

 ――神よ……。

 あ。その神が送ってきたのかこれ。

「取り扱いが面倒過ぎるな。せめて同じ食べ物でもイチゴとかサクランボとか、小さい物の方が良かったのになあ」

「そんなの勇者様が夕張メロンをお好きなのがいけないのですよ」

 相変わらずの可愛い声だ。もしも本物の女の子なら口をすぼめて可愛らしく怒っているに違いない。あれ?

「そう言えばお前の性別ってどっちなんだ? 天使って性別あるのか?」

「多分勇者様が想像しているような天使ではないので、それに対してお答えすることはできかねますが、私そのものの性別は特に決まっていませんので、好きなように捉えてください」

「好きなようにって言われてもな」

「あ、でも、中にたくさんの子種を内包しているという点で考えると、オスなのですかね?」

「気持ちの悪い下ネタをぶっこんでくるなよ」

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