5-キリンと大家
大家をしていて多くのトラブルに直面した。しかし、これほど厄介な問題は初めてだ。
701号室の住人がキリンを飼い始めたという相談だ。最初に耳を疑った。そして、地上からキリンを確認し、目を疑った。非日常的過ぎる。
満を持して、701号室の住人に詰め寄った。すると、返ってきた答えは「キリンは防犯グッズです」だ。見事にキリンは泥棒を捕まえたわけだが、どうしたものか。ここでキリンの存在を私が容認してはならない。大型動物を防犯対策に使うという前例を作ってしまうことになってしまう。次はゾウを飼う住人が現れるかもしれない。ペット禁止でも、番犬(キリン)はオッケーなんてあってはならない。これからのことを考え、私は大きく溜息をついた。
――お手柄!キリンが泥棒を捕まえる!
なんて胡散臭い記事だろう。
――マンションの人気者!ベランダキリンのベラちゃん!
なんて変な愛称を付けられ、住民票まで取得してしまったら……
引くに引けなくなる。
「どうしたら」
またひとつ大きな溜息を零したとき、がらがらと玄関戸が開く音がした。
「こんにちはー!」
愛しい娘と、孫娘の声である。
「おじいちゃん!」
駆け寄る足音はどたばたと騒がしい。
「こら、走らないの!」
娘、優子の注意を孫娘、サヤちゃんはどこ吹く風のようだ。
「ねぇねぇ!おじいちゃん、聞いて聞いて!」
五歳のサヤちゃんは最近あった出来事を大袈裟に身振りを交えて教えてくれる。優子は話を盛りすぎだと渋い顔をするが、私はサヤちゃんの冒険譚を聞くのが大きな楽しみだ。自然と頬が緩んでしまう。
「どうしたんだい?」
「あのね、キリンさんがいたの!」
私の顔が固まったことに、二人はまだ気付いていない。
「サヤったら、あんたまた言ってるの」
「本当だよ!キリンさんね、窓から顔を出してたの!手も振ってくれた!」
「何かの見間違いだったら。ほら、おじいちゃんも困った顔してるでしょう」
優子の声が遠くに聞こえる。
「あのキリン、前脚まで上げられるのか……」
「おじいちゃん、乗らなくていいったら」
優しく肩に触れようとした優子の腕を突っぱねる。
「キリンはいる」
「おじいちゃんも見たのね!」
「ああ、そうだ」
「首が長いでしょう」
「ああ、長かったな」
礼儀正しくお辞儀をしてきたキリンのことを思い出す。
私が信じたことに、サヤちゃんもぴょんぴょん跳ね大喜びだ。
「おじいちゃんはおてて、振ってもらった?」
「いいや、泥棒を差し出された」
二人の顔に疑問符が浮かんでいるが、私はさらに続ける。
「あと、映画も観るらしい」
「そうなの?おじいちゃん、すごーい」
言葉を素直に受け取るサヤちゃんと、私の額に手を当てる優子がいた。
「まだボケとらん」
「もう、キテるわよ……」
深刻な表情の優子は放っておき、サヤちゃんに問いかけた。
「サヤちゃんはキリンが好きなんだな」
「うん、サヤね、キリンさんだーいすき!」
その元気な返事に先ほどの問題が些末な事に思えてきた。
「今度、キリンさんとお話しような」
「やったー!サヤね、おじいちゃんもだいすきー!」
もう問題は先送りにしよう。
ゾウでも、パンダでも来てみろ。孫が喜ぶならそれでいい。
「おじいちゃんはキリンさんより、サヤちゃんが好きだぞ」
「サヤはみーんな、だいすき!」
頭を抱える優子をよそに、私はサヤちゃんとキリンとの再会を勝手に取り付けたのだった。
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