3-b キリンと泥棒
気付いたときにはもう遅い。泥棒の男は器用に壁をよじ登っていた。
「大変ですね」
話しかけると、大抵の人間と同じように目を見開いた。これで落っこちないとはなかなかの強者だ。といっても、この街の住人は皆肝が据わっている。キリンがベランダから首を出していても、明日世界が終わっても驚きは小さいものだ。
「私は乗ったことがありませんが、エレベータを知っていますか?」
「おう」
ぶっきらぼうな男にも私は丁寧に、慎重に伝える。
「それに乗ると早いですよ」
「乗りたくないんだ」
でしょうね、という言葉を飲み込み、私は続ける。
「そうなんですか。私は乗ってみたいです」
泥棒の男は憐れむように、こちらを見た。こそ泥に憐れに思われるのは、キリンにとっても心外である。無礼な顔をやめろというように、私は男の顔を舐め上げた。これで落下してもいい。淡い期待を込めた攻撃だ。
「急に舐めるのはやめてくれ」
「悲しげな目をされたもので」
「落ちてしまうだろう」
「本当ですね。失礼しました」
男は踏ん張った。それもそうか。七階から落ちたら、人もキリンも無事では済まない。
どうしたものかと下を向いて考える。この男は泥棒だが、まだ何も盗んでいない。たとえ正当防衛でも、キリンに人間の法律が優しいとも限らない。ここは話を変えて、穏便に帰っていただこう。
「ところで、こんなところまで何をしにいらっしゃったのですか?」
「それは、お前もだろう」
そういえば、そうだった。自分も他人(キリンにとっては誰もが他人だが)の家に居座っている。優しい家主に世話になっている。
自分を恥じて、顔を背けていると、泥棒の男はもうひとつ上の階によじ登っていくようだった。
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