第八話 図書室の少女(二〇〇〇年八月二五日 一九時四五分頃)

 だれもいなくなると、公民館の中は思った以上にひっそりとしていた。時折ガラス窓を打つ雨の音がやけにくっきりと感じられた。

 それからようやく重いショルダーバッグを肩にかけたままであることを思い出し、小便をしたくなっていることに気づいた。

 トイレは探すまでもなく、受付のすぐ横にあった。弱々しい白熱灯が天井からぶら下がる、いかにも〝出そうな〟トイレだったから、できるだけ早い時間に最後のトイレを済ませてしまおうと思った。

 利用者記入帳に名前と連絡先を記入し、いつのまにかシャツの胸ポケットに入れていた森野さんの電話番号をお守り代わりのように確認すると、何とも言えない暗い気持ちで宿直室に向かった。たぶん夜が更けたらもっと怖く感じるに違いない。とにかく早く寝てしまうしかない。新幹線の中で熟睡してしまったものの、遅く寝て早起きをしたし、短い距離だが山も登ったし、結構疲れているはずだから、すぐに眠れる、はずだ。森野さんが少しの間でも戻ってきてくれることが唯一の慰めだった。

 森野さんは少なくともこの村の出身という感じではなかった。着ているものはそうでもなかったが、どこか都会の匂いがした。頭は良さそうだが、大学院生や助教という感じもしなかったし、大学の職員という雰囲気でもなかった。一体何をしている人なんだろう。なんか不思議な女性だ。それにもしかすると、ちゃんとした格好をしたら、結構美人かもしれない。

 宿直室に戻り、荷物を置いて、靴を履いたまま畳の上に腰を下ろすと、ひとつため息をついた。落ち着いたのか不安に思っているのか自分でも判断がつかないような少々複雑なため息だった。

〝幽霊なんて本当にいるわけがないのだから怖がることはないさ〟と頭の中で自分に言い聞かせたが、そんなことを考えること自体、そのことを強く意識している証だった。雨の中を森野さんと岩山の市街地までドライブしたほうがずっと素敵だと思ったが、戻ったところで宿が取れるかどうかわからないし、やはり今更そこまで面倒をかけるわけにもいかなかった。

 いつ電話がかかってきても困らないように、畳の上に寝そべって手を伸ばし、古びた電話機を手元に引き寄せた。念のため、受話器を取って、回線が通じているかを確認した。気が紛れるかもしれないと思って、もう一度手を伸ばしてテレビのスイッチを入れてみたが、アンテナが接続されておらず、まともに映るチャンネルはないようだった。

 風呂には入れそうもないので、バッグからタオルを出して、流しで手と顔を洗い、首や脇の下を拭いた。そうすると少しは気分が持ち直し、何かをしようという気になった。

 さっきから隣の部屋が気になっていた。

 子供の頃から図書館や図書室が好きだったのだ。通っていた小学校の図書室に似ていたというだけだが、子供向けの本が多そうな気がして、昔好きだった本があれば、この機会にもう一度読んでみたいとひそかに考えていたのだ。独り身なので、本屋でも児童書のコーナーに寄る機会がない。ここで楽しみが見つけられるとすれば、そのくらいだろう。もうこの10年くらい図書館といえば大学の図書館であり、製本された学術誌のバックナンバーを読んだり、複写をしたり、専門書を調べたり借りたりするだけだった。ついでにコンピュータ用の電源がうまくとれるかどうかも見ておこうと思った。

 廊下から回って入るかどうか少し迷った。どうでもいいことのようだが図書室に入るのにはそのほうが正しいような気がした。だが、結局、鍵をはずして隣の部屋に通じるドアを開けた。どのみち、何度か出たり入ったりすることになると思ったからだ。

 ドアを開けると目の前に本棚があり、長いこと閉じられたままになっている本の放つ独特の匂いが鼻を突いた。

 目の前に並ぶ本の列をさっと眺めてみたが、目に入るのはどれも興味の湧かない実用書や少し前に流行った小説のタイトルばかりだった。建物の外観から勝手に自分の小学生時代、つまり20年以上前の本を期待していたのだが、それよりはずっと新しそうな本が多かった。

 思い返してみると、今日駅を降りてから、ひとりも子供を見ていないし、若いといえるのも、森野さんだけだった。その次はもうここのおばさんだ。その森野さんは子供がいてもおかしくはないくらいの年齢、20代の半ばあたりに見受けられたが、話をした感じでは、子供を持つ母親にみられる独特の緊張感は感じなかった。ほかに私の見た数少ない人間といえば、家の庭先にいたおじいさんがひとりと畑で作業をしていたおばあさんがふたりだけだ。それと駅にいたおばあさんと教授だ。バスの乗客もお年寄りだった。まあまだ夏休みだろうから、もしかすると田舎に遊びに来ている子供はいるかもしれないが、児童書はないのかもしれないし、あったとしても多くはないと想像できた。児童書があるとすればさっきちらりと見えた机の側の低い棚の方のはずだが、数が少なくて新しいとすると、求めている本の見つかる可能性は低そうだ。

 あまり期待できないか、とぼんやり考えながら、もう一列ある背の高い本棚との間に入ろうとしたときだった。

 少女が、机に座った少女が、こちらを振り向いた。

 え?

 予期せぬ情景を脳が認識するまでにタイムラグがあったせいで、すでに私の体は本棚と本棚の間に移動していた。少女の振り向いた残像だけが目に焼き付いていた。

 打ち捨てられた市松人形の映像が脳裏に浮かび、心臓がキュッとした。頭から血の気が引いた。

 見間違いではないかと思いながらその場から一歩だけ後ろに戻り、背を反らせるようにして恐る恐る本棚の間から顔だけを出し、机のほうを見た。

 少女はきょとんとした顔でこちらを見ていたが、すぐに人なつこい笑顔でにこりとした。

 氷のような緊張が少し解けた。

 半ば反り返ったようなそのままの姿勢でいることもおかしいし、無視するのも変だろう。体勢を立て直し、動揺していたことを知られないようにゆっくりと本棚の間から出た。

 とはいえまだ頭の中は整理されていなかった。もう閉館しているはずなのになんで人がいるんだ? しかもこんな時間に子供が? だからといってその少女が幽霊という気もしなかった。恐ろしいものであるとは感じられなかった。

「おじさんも勉強をしに来たの?」

 少女の問いかけに、私の混乱は急速に収束していった。

「まあ、そんなところかな」

 落ち着いたそぶりをして歩いて行き、少女の向かい側に立った。あとで昼間に入力したデータをチェックして、念のためもう1枚のフロッピーディスクにコピーをしようと思っていたから、嘘にはなるまい。

 少女の前には、夏休みの宿題だろうか、懐かしい勉強ドリルが広げられていて、右隣の椅子には赤いランドセルが置いてあった。東京の子供のように大人びてはいなかったが、かといって、この村の子にしては着ている服が都会ぽかった。薄紫ともピンクともいえるようなきれいな色のポロシャツを着ていた。今晩泊まるはずだった岩山市から来ている子供と考えるのが妥当だった。祭りは好きではないのかもしれないし、親の事情かなにかで今年は行けないのかもしれない。だとしたら、私たちは同じような状況に置かれていると言えなくもない。

 少女は私を見上げるともう一度愛らしい笑顔を見せ、それから鉛筆をしっかりと握り直してドリルに向かった。

 話しかけられると思っていた私は宙ぶらりんにされた感じで、どうも居心地が悪く、普段は子供とはできるだけ関わり合いになりたくないと思っているのに、なにか話しかけずにはいられなかった。

「何の勉強をしているの?」

 どうでもいい質問を私はした。どうみても算数のドリルだった。

「夏休みの宿題の算数よ」

 少女はすでに集中し始めていたのか、少し間を開けて顔を上げると、嫌な顔ひとつせずに答えてくれた。やっぱり話し方もちょっと都会っぽかった。

「どこから来たの」

「あっちの方」と言って、少女は窓の方を指差した。たぶん岩山市ではなく森の方向だ。森の方にも何軒かあるようだったから、夏休みを親の実家で過ごしているのかもしれないし、単に方向音痴なのかもしれない。

「もうすぐ閉館の時間だけど、ずいぶん遅くに来たんだね。勉強はおもしろい?」

 われながら、相変わらずつまらなくて余計なことを口にすると思うのだが、そういうことしか私の口からは出てこないのだ。

「あたし、勉強したり、本を読んだりするのは好きなんだけど、宿題はきらいなの。だって、したくないことをしないといけないし、つまらないのがおおいんだもん」

「ま、そうだよな、宿題は。おじさんも、宿題は嫌いだったな。とくに夏休みの宿題はね。いつも最後の日にまとめてやっていたっけ」

「へえ、そうなんだ。あたしもそうしよっかなぁ」

「いや、でも、早く終わらせたほうがいいよ。最後の日に泣きたくなるから」

「おじさん、泣いたの?」

 そういうと少女はさっきよりも親しげな笑顔を見せた。私にしては上出来だ。

「そうだな……」

 思わせぶりに間を開けた。

「おじさん、正直に言ってね」

 少女は心を見透かしたように、姿勢を正したくなるほどの強い目で私を見た。

「うん、泣いたな。でも毎回じゃないよ。たぶん、一度か二度、ね」

 正直に答えた。ここで正直に白状したところでだれに聞かれる心配もないだろう。

「そうか。じゃあ、あたしは泣かなくてすむように、早く終わらせようと」

「それがいいよ。ごめん、じゃましたね」

 少女が思い直してくれてほっとした。子供に変なことをいうものじゃない。

「うんうん」少女が首を横に振ると、お下げにしている髪がかわいらしく揺れた。

「それより、おじさん、勉強が得意だったら、教えてほしいところがあるんだけど」

「ああ、いいよ」

 ドリルの内容をちらっと見た限りでは、小学校の2年生か、3年生といったところだ。中学受験の問題ならともかく、そのくらい学年の夏休みの宿題くらいなら簡単だ。しかしそんなことより快諾してしまった自分が妙だった。なぜ断らないのだ?

「じゃあ、おじさん、こっちにきて」と少女は言って、待ちかねるという様子で机の自分の隣をぽんぽんと軽く叩いた。

 少女は振り向いてランドセルの中から別の冊子を取り出した。

 すばやく開かれてしまったので、科目もなにも分からなかった。

 隣に座って、少女が差し出したページをみると、算数の応用問題らしかった。それも高学年向けの問題集のようだ。さっと問題に目を走らせると、これはこまったぞ、もしかすると大人には手強いかもしれない。

「ねえ、ところで君は何年生?」

 窮状を打開すべく、すこし話をそらすことにした。

「小学3年生だよ」

「へえ、そう。ところでこれは3年生の問題ではないみたいだけど」

「うん。学校の勉強は退屈だから、近くのお兄さんからいらなくなった問題集をもらったんだ」

「そう。いつもこんなのやっているの?」

「うん、ときどきね。おじさんにもむずかしい? でもおじさん、研究をする人でしょ?」

 あれ? この子にそんなこと、言っていないはずだ。おばさんがしゃべっているのを聞いたのだろうか? でもさっき覗いた時はいなかったよな? まあ、死角に入っていたのかもしれない。

「なんでおじさんが研究者だって、しっているの?」

「そんなの見ればわかるよ」

「そんなもんかな?」

「うん、そんなもんだよ」

 まいったな。問題よりも手強いのはこの子の方かもしれない。問題のほうはなんとか解けそうな気がしてきた。

「じゃあ、ちょっと問題を読んでみるね」

 あらためて問題の文章を黙読した。少女は真剣な表情で、私の横顔をじいっと見ている。私をからかっているのではないらしい。大人をからかうようなすれた小学生にもみえなかった。

「ちょっと、なにか書くものを貸してくれる?」

 しばらく考えて、ようやく解答への道筋の見えてきた。

 少女は裏紙をひもで束ねたお手製ノートの新しいページを開き、カチャカチャと音を立てて筆箱から新しい鉛筆をとると、可愛らしい手で差し出した。

 問題を式に置き換え、解きほぐしていった。算数はわりと得意だったのだ。むしろ思わぬ楽しみを与えられたようなかたちで、少女がいることも忘れるくらい問題に没頭した。

 計算を始めると、少女の顔が明るくなった。尊敬のまなざしのようなものが向けられているのは見なくてもわかった。

 ところがあと少しというところで宿直室の電話が鳴り出した。

「おじさんに電話だから、ちょっと出てくるね」

 立ち上がりながらそう言って、不満げに見上げている少女に笑いかけた。少女に笑顔を返してもらってから、急いで宿直室にもどり、電話を取った。

「もしもし、森野です」

「あ、私です。太田です。どうも」

「あの、夕飯なんですけど、そこのおばさんが煮物を少し分けてくれたのと、私の家にある豚肉と野菜で炒め物をしようと思うのですけど、そんなものでいいですか? というかそんなものしか材料がないんですけど」

「もちろん。十分です。そんなに気を遣っていただかなくても結構ですから。泊まるところを確保できただけでじゅうぶん助かりました」

「よかった。じゃあ、いそいで作って持って行きますね」

「いや、もうわざわざ、そんな。カップラーメンでもなんでもいいんですから」

「いえ、どうせ自分が食べる分もつくりますし。それともおなかがすごくすいているのでしたら、冷凍したご飯とたしかカップ麺もあったと思いますから、それと煮物を持ってすぐに出ますけど」

「いや、まあそれほど、おなかが空いたというほどでもないですから、ご心配なく。それにちょうどいい時間つぶしというか、隣の図書室に小学生の女の子がいて、考えてみればこんな時間に一人で来るなんて不用心といえば不用心ですけど、まあそれはともかく、勉強を教えてくれというから、教えていたところなんですよ」

 そう言ったとたん、電話の向こうに深い沈黙を感じた。まるですべての音が何かに吸い込まれてしまったような沈黙だった。

 それは、ほんの短い時間だった。

 自分の耳がおかしくなったのかと思った。だが、すぐに普通の無音にもどった。

 まだ時々鳴っている雷の影響で、たんに電話回線にちょっとした不都合が起きただけに違いない。でもそれにしては手触りを感じるような無音感だった。おまけに森野さんの反応がなかったので、ほんとうに回線が通じているのか不安になって、「もしもし」と話しかけてみた。

「えっ? ああ、そうなんですか、こんな時間に。あっ、お酒は? お酒は飲まれます?」

 声は届いていたようだが、森野さんの反応は鈍く、素っ気なかった。段取りでも考えていたのかもしれない。

「まあ、とりたてて好きというわけではないので、なくてもべつに困りませんよ」

「駅に行けば缶ビールの販売機があるんですけど。うちにはもらいもののワインが1本あるだけで」

「いえ、どうかもうほんとうにお気遣いなく」

「……わかりました。それと食器はちゃんとありますか?」

「ちょっと待ってください」

 首を伸ばして、食器棚を見た。皿が数枚とご飯茶碗と湯飲み茶碗とコーヒーカップが2つずつ、それにグラスが5つに、箸が数組。食器はどれもきれいに洗ってあるようだと森野さんに伝えた。

「そうですか、よかった。うちは食器が必要最低限しかなくて」

 どうやら森野さんにはなにか事情のある生活をしているらしかった。興味がなくはなかったが、もちろんそんなことを詮索するほど不作法ではない。

「じゃあ、3、40分ほどでそちらにいけると思いますから」

 森野さんは少し考えたような間をとってからそういった。

 思ったよりも時間がかかるのだなと、親切にしてもらっているのに失礼なことを思ったがさすがに口には出さず、礼を言って電話を切った。あと20分ほどで正規の閉館時間だから、それまで少女の相手でもしていれば長い時間ではない。

 早く答えを出して、少女に「すごい!」と言ってもらいたかった。あの女の子なら間違いなくそう言ってくれるはずだ。たまにはだれかに素直にほめてもらいたかったのだ。


 だが宿直室のドアを開けて図書室に入ったとたん、少女はいないことがわかった。部屋の片側の明かりが消されているという事実だけではなく、不在そのものを感じたのだ。

 焦って本棚から抜け出たが、図書室の机にはやはりもうだれもいなかった。少女の荷物もなかった。机の上に紙が1枚残っているだけだった。

 電話はほんの2分くらいしかかかっていなかった。まだすぐそこにいるはずだから追いかければ追いつくだろうが、追いかけるのも変だと考え直した。幼女連続誘拐事件なんかがあるご時世だ。こんな田舎とはいえ、もし親が迎えに来たのであれば、あらぬ疑いをかけられないとも限らない。

 デートをすっぽかされた日に帰宅するような気持ちで少女の座っていた席にたどりつくと、薄暗い明かりのもとで、残された紙を見た。


   おじさん、ありがとう


 大きくて元気な字でそれだけ書いてあった。

 念のために裏返してもみたが、少し前の「議会からのお知らせ」が印刷されているだけだった。思ったよりもずっと失望感が大きかったらしく、椅子を引いてへたるように座り込んだ。1、2分、何もできずにいた。

 変なもんだな、と心の中でつぶやいた。少女を相手にしたことも変だったし、いなくなっていたことにこんなにがっかりしている自分も変だった。そのうえ、もし娘がいたらあんな感じなのかもしれないな、などという今までにはありえないような想像をしている自分に気がついて、びっくりした。

 しばらく机の上の紙を眺めていると、まるで一瞬、少女が目の前に戻ったような気がして、自然と顔がほころんだ。それからそれを丁寧に畳んで胸のポケットに入れた。

 立ち上がって消えていた側の電気を点け、図書室に来た目的を遂行することにした。

 児童書は思っていたとおり、机の側の、私の胸くらいの低い書棚に収められていた。書架は2段だけで、その下は引き戸になっていた。

 背表紙に図書分類コードのシールは貼られておらず、本の並べ方も図書館的な基準からみるとひどくいいかげんで、たんに本の高さと厚みでわけられているようだった。左側から背の高い順に棒グラフのようにならんでいた。同じ高さなら厚いほうが左側だった。そういう意味では厳密にわけられていたから、ある種の美しさは感じることはできた。

 私が探していたのは、伝統的な鯨漁を描いた絵本と、異星人が草食動物の平和に暮らす美しい星を開発して、汚れて住めなくなると別の星を探して去っていくという環境問題を指摘した翻訳絵本、それと世界初の大西洋単独飛行を達成したリンドバーグの『翼よ、あれが巴里の灯だ』の3冊だ。最初の2つは幼稚園くらいのときに愛読していた本だったからはっきりとしたタイトルを覚えていなかったが、絵を見ればすぐに分かる自信はあった。リンドバーグの本は、小学校2年生の時に教室の本棚にあった本と記憶している。これも何度も読み返した。

 左から順にタイトルを目で追っていくと、驚いたことに、2冊目の絵本がみつかった。タイトルを目にしたとたん、すぐにそれとわかった。これだけしかない本の中で見つかるとは奇跡的だ。わりと新しく、奥付を見ると、どうやら出版社が変わって、再度出版されたらしい。

 手近な椅子に座り、顔の四角い大きなネズミのような愛らしい動物が幸せそうに草を食べている表紙を、懐かしい思いで眺めた。

 これだよ、これこれ、と思いながら、ゆっくりとページをめくっていく。異星人の名前こそ記憶とは違っていたが、絵と内容はむかし読んだそのままだった。その当たり前のことがなんだか妙に嬉しかった。

 その話の最後は希望のあるものだ。地下に逃げ込んでいた動物たちが地上が静かになったので覗いてみると、そこには異星人たちがいなくなったあとの、コンクリートで固められ無残に荒れ果てたかれらの楽園があった。でもコンクリートの割れ目からは草が生えはじめていて、動物たちは生きる気力を取り戻すのだ。道路の亀裂から草が生えているのをみると、いまでもこのラストシーンを思い出す。

 私は本を閉じて目をつぶり、その絵本が思い起こさせる子供の頃やその後の人生の波間をしばらく漂った。

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