エピローグ

エピローグ 第一話

 黄金色に輝く穀物の穂が風にたなびき、波を立てる金色の大海の如くどこまでも続いている。

 時は収穫間際の九月の上旬、穀物畑の一角ではすでに収穫が始まっている区画もちらほらと見え始める。


 ブールの街近郊の穀倉地帯ではこの時期になると山々から、零れ落ちた穀物の種を目当てに小さな草食の獣が下りてくる。

 そして、その草食の獣を目当てに小さな肉食の獣が。さらにそれを目当てに大型の肉食の獣が、と。

 そして、今……。


「王子!【ハンナ】!そっち行ったぞ!」


 金色の大海から上半身を出しながらエゼルバルドとヒルダの第一子、エレクが叫び声を上げる。振り上げた短槍ショートスピアの先がうっすらと赤く染まっている。

 追い詰めた小動物を一突きと行きたかったのだろうが、上手く躱されてしまったのだろう。


「こっちだな!」

「おにーちゃん!ハンナに任せて!」


 任された二人はそれぞれに武器を構える。

 一人は長槍ロングスピアを両手で構える黄色い髪を短く切りそろえた目鼻立ちが凛々しい美丈夫。王子と言われた通り、彼は王族に連なる一人。

 パトリシア姫の第一子、【レオン】である。


 そしてもう一人。短弓ショートボウに矢を番え始める、明るい茶色の髪が目立つ女の子。”おにーちゃん”と答えて通りエレクの妹でエゼルバルドとヒルダの娘のハンナだ。


 黄金色の穂が不規則に揺れ始め、それが端にまで達すると小さな獣が飛び出してくる。

 小さな角を額に生やすウサギの仲間、子供相手では強気に攻撃してくる角兎ホーンラビットだ。

 胴体左に赤い傷がある事からエレクが仕留めそこなったのだろう。


「ていっ!」


 胴体に傷を負って注意が散漫になっていたのだろう。追っ手を気にするあまり無防備に穀物畑から飛び出してしまった。そこをハンナの短弓ショートボウで狙いを定めて番えた矢を絞りに絞った弦を開放して飛翔させた。


「やった!」

「なんだ。僕の出番はないじゃないか」

「王子様なんだからいいのよ~」


 レオン王子とハンナは矢を胴体に受け虫の息の角兎ホーンラビットへと近づく。

 そこへもう一人、穀物畑を掛けてきたエレクが合流した。


「ハンナ、凄いな~。手負いとは言え、一発で仕留めるとか」

「へへへ~。おにーちゃん、褒めて褒めて~」


 合流したエレクにすり寄り撫でて欲しそうに表情を崩す。エレクはご褒美だと言うように、優しくハンナの頭を撫で回す。

 そして、ハンナの頭を撫で終わったエレクは腰からナイフを引き抜き、角兎ホーンラビットの首に切れ目を入れて、止めと血抜きの傷を付ける。


「これで何匹?」

「そうだな、十匹近くになるかな?」


 ほんの一時間ほどで十匹の角兎ホーンラビットを仕留められた。成果としては十分と言えよう。草食の獣を仕留めるのもいいが減らしすぎても駄目なのだ。

 肉食の獣が余り過ぎて人を、収穫作業をしている人を襲いかねない。


「ハンナ。お父さんと合流して帰ろうか」

「うん!」


 エレクはハンナの手をぎゅっと掴むと逆の手で角兎ホーンラビットを掴み上げ歩き始めた。


「ちょっと動き足りないけど、いい気分転換が出来たよ。ありがとう」

「そう、良かった。でも、怪我が無くて幸いだよ」

「皆、僕に遠慮しすぎだよ」


 エレクとハンナの後に続くレオン王子。

 王族だからと気にされ過ぎて、居心地が悪いと肩を竦めて見せる。

 そして、十分ほど歩き馬車が置かれた広場が見えてきたとき……。


 ”ブモォォォーーー!!”


「ちっ、ハンナ、王子、走って!」

「えっ?」

「この声!」


 三人の耳に届いた雄叫び。

 エレクにはよく知る声だがハンナとレオン王子には耳慣れぬ声。

 雑食性で巨体を持ち、自分の大きさと同じくらいであれば構わず突進してくる危険な獣。


「あれは巨頭猪ビッグボアだ!」


 エレクは後ろを振り向くことなくハンナの手を握り締めて駆け出した。

 自分一人なら撃退するのは難しくない。倒す事も難しくないだろう。

 妹のハンナもいるし、レオン王子もいる。二人を危険に晒したくない、その一心でこの場から離れようと駆け出したのだ。


 それにもう一つ。もう少しで合流地点だ。近くまで行けば何とかしてくれる頼もしい人が待っている。

 あの雄叫びを耳にしている筈だから大丈夫、そう思いながら足を一生懸命に動かす。







「ん?今の鳴き声は」

「あぁ、巨頭猪ビッグボアだろう。あいつら、大丈夫か?おお、見えたな……って、追いかけられてるじゃんか」


 馬車が置かれている広場にたたずむ二人の男女。


 一人は中性的な凛々しい顔立ちに銀髪のショートボブ。軍服に似た服に身を包んだ美麗な立ち姿。そして、軽量な細身剣レイピアを腰にぶら下げる。

 姿は男装の麗人だが中身はちゃんとした女性である。そう、彼女はトルニア王国第一王女パトリシアその人である。


 もう一人は黒目黒髪で腰にブロードソードをぶら下げているがっしりとした体形の男。

 右手には、先端の魔石に纏わりつくように植物が巻き付いている装飾を施された特徴ある杖を握り締めている。

 かつてはブールの街で”変り者”と揶揄されながらも愛された魔術師が養子として引き取った息子、エゼルバルドだ。


「ちゃんと避けろよー!!」


 エゼルバルドは杖を高々と頭上に掲げ魔力を集め始める。杖の先端に埋め込まれた黒い魔石が魔力を吸い出し始め青く変色する。

 そして、十分に魔力が集まったところでエゼルバルドはそれを魔法へ変換させる。


 駆けてくる三人が大急ぎで道の脇に飛び退くと同時に発現させた魔法を巨頭猪ビッグボアへと放つ。


風の刀ウィンドカッター!」


 杖を振り下ろすと同時に目に見えぬ真空の刃が巨頭猪ビッグボアへ一直線に飛翔してゆく。横一文字に飛んで行く魔法、一瞥しただけではわからぬ空気の揺らぎと速度に対処は出来ないだろう。それに人の三倍もの速度で駆けてくる巨頭猪ビッグボアには躱す手段は持ち合わせていない。


「ぶもぉ?」


 突進してきた巨頭猪ビッグボアは異変を感じ取りその場から飛び退こうとしたが、それよりも早く魔法に接触し体を真っ二つにして巨体を地面へ投げ出され、一瞬にして命を失った。


「ふっ。こんなもんかな?」

「いつ見ても見事ね」

「そうか?」


 振り下ろした杖を肩に担ぎながら傍でたたずむ男装の麗人に振り向く。

 胸元にペンダントトップにしてぶら下げてある硝子の入れ物、--中には砂粒の様に細かくなった真っ赤な石が入ってる--が、揺れ動く。


 二人がその首飾りペンダントに視線を奪われるがすぐに何かを思い出し、屍となった巨頭猪ビッグボアへと視線を向けなおす。


「お父さーん!」

「おとーさーん!」

「母上!」


 二人の視線の先から、道の脇に飛び退き枯草まみれになった三人が体を払いながら息を切らせながら走ってくる。


「おう、無事だったか?」


 エゼルバルドの手前でピタリと止まり無事を報告するエレク。

 そしてそのままの速度で嬉しそうに飛びみ甘えるハンナ。


「はい、無事です」

「おとーさん!すごーい!」

「ははは。軽い軽い!」


 無事な声を聞き安堵の表情を見せるエゼルバルド。

 その横ではパトリシア王女とレオン王子が無事を喜び合い抱き合っている。

 王城ではそんな姿を見せることが無い二人はここぞとばかりに互いの体温を確かめ合っているようだ。


「うん、無事ね」

「母上、ご迷惑をお掛けしました」

「いいわよ、このくらい。貴方と同じ年齢の時にはお転婆おてんばだったってよく言われたのよ」


 パトリシア王女はレオン王子と同じ年齢の時、よく部屋を抜け出しては王城を隅々まで探検し小言を言われていたのを思い出した。

 あの時の将軍、カルロはどうしているだろうかと、ふと脳裏に浮かんだのは内緒である。


「それじゃ、あれを回収して帰ろうか?レオン王子、お手伝いをお願いできるかな?」

「はい、畏まりました」

「そんな言葉づかいは必要ないさ。もっと気楽でいいよ」

「そーそー!」


 無事を確かめ合った五人はこの日最大の成果である巨頭猪ビッグボアを回収しようと、革袋や板を手にして歩き始めた。

 真っ二つになった巨頭猪ビッグボアはすでに流れ出る血が無くなり、血抜きが終了しているとみられる。それを見ながら”今日は焼肉だ”とか、”お肉お肉~”と夕食を楽しみにするのであった。







 馬車の荷台にはエレク、ハンナとレオン王子の三人と共に、この日最大の成果である巨頭猪ビッグボアや十匹近い角兎ホーンラビットと一緒に乗り込んで楽しそうに談笑している。年が近いせいか、話に花が咲きいつ終わるのかと思うほどである。

 そして、御者席には手綱を引くエゼルバルドと優雅に座る男装の麗人と化したパトリシア王女が乗り込む。


 馬車はゴロゴロと心地よい音を規則正しく刻む。

 そして、馬車はとある分岐に差し掛かった。


「ちょっと寄りたいところがあるんだけどいいかな?」

「いいわよ。貴方達もいいわよね」

「いいよ~」

「はい!大丈夫です」

「承知しました、母上」


 御者席の二人に言葉を掛けられ、荷台の三人は銘々で返事を返した。

 その返事を聞き、エゼルバルドは手綱を操り道を逸れ、小高い丘へと向かうのである。


 ちょっと談笑していれば到着してしまう距離、ゆっくりと進んだ馬車は丘の裾野で動きを止めた。


「よっと。パティはどうする?一緒に行く?」

「そうね、挨拶くらいはしておこうかしら?」


 御者席のエゼルバルドとパトリシア王女は馬車を降りて小高い丘をゆっくりと登って行く。それに遅れるものかと荷台の三人の子供たちも急いで降りてエゼルバルドとパトリシア王女を追い掛ける。


 小高い丘の上、ブールの街や遠くにエゼルバルドが住む屋敷が見える。

 そこに銘も文も書かれていない、小さな石碑がたたずむ。

 まるでブールの街を見下ろすかのように。


「間もなく十年……。いや、もう十年か?」

「そんなに経つのね」


 ここはある人のお墓。

 遺体や骨は埋まっていない。

 真っ赤に輝く石が埋まっているだけ。


「スイール……。今年も命日が来るよ」


 エゼルバルドは跪き、手で石碑を撫でる。

 積もった砂を払うと、風が吹いていないにもかかわらず砂ぼこりが舞い上がる。

 そんな光景を目の当たりにすると未だにどこかで見守っているんじゃないかと辺りを見渡したくなる。


「ようやく来れたわ。スイール、お久しぶりです」


 パトリシア王女も腰を下ろして石碑に手を当て、ぼそりと呟いた。


「不思議なものね。人が魔石になっちゃうなんて」

「スイールが赤く輝く魔石になったのはヴルフとアイリーンの二人が見ていたから間違いないよ」


 エゼルバルドはあの時を思い出す。

 スイールが最後の頼みとしてエゼルバルドとヒルダを遠ざけたことを。

 それにより看取れなかったと少しだけ恨んだりもした。


「だけどあの時、スイールが背中を押してくれなかったら、オレもヒルダも、ヴルフもアイリーンも生きてなかったかもしれないもんな。今は感謝してるよ」


 もし、スイールを看取ろうとエゼルバルドがその場に残っていたら、違った未来が待っていた可能性が高い。それも、最悪の未来が。

 だから、今はそうならずに感謝していると呟いた。


「それにしても十年よ。ほんと……みんな頭が固いんだから!」

「いいじゃないか。やっと、ブールの領主が回ってきたんだから。それに、ちゃんと挨拶にこれたじゃん」

「う~ん、そう思えば、よくできた結果って思ってもいいのかしらね?」


 男装の麗人に似つかわしくなく、額を押さえて肩を落とすパトリシア王女。

 それがあったからこそ回ってきた幸運に感謝するべきとエゼルバルドが王女を励ます。


 エゼルバルド達が屋敷を構えるブールの街はトルニア王国の直轄地。王族に連なる者が派遣されてくるのが慣例となっている。

 今まではアンドリュー=トルニア国王の弟、アビゲイル=トルニア公が派遣されていた。だが、ここにきて病気が見つかったとかで急遽王都へ帰還し、代わりにパトリシア王女が派遣されてきた。


 それに、パトリシア王女と仲の良かったカルロ将軍が辞めてしまったことも大きい。

 彼女が悪だくみをする相手がいなくなると途端に王城での居心地が悪くなり、悶々とした日々が続いていた。


「今となってはいい思い出よね。スイールに守られたあの戦いも……」

「それは余り思い出したくないなぁ……」

「そうね、あの時は貴方が死んでしまうかと思ったわ」


 パトリシア王女をまだパトリシア姫と呼んでいた時、初めて郊外で獣退治に向かった先で暗殺者集団”黒の霧殺士”に襲われ、エゼルバルドの命が危機に陥った遥か昔を思い出していた。二人にとって、いや、その場にいた全ての者達に苦い経験となったのは言うまでもない。


 エゼルバルドはそれを聞き、胸を押さえて苦笑いをするのであった。


「その後、自分の手で雪辱を果たしたからもう言わないでくれよ」

「わかったわ。そうする」


 ”黒の霧殺士”には何度か苦汁を味わっていたのだから、あの時が一番胸がホッとしていたのは事実だ。

 ちなみに、わかったそぶりをするパトリシア王女であるが、目を細めて何やら良からぬことを脳裏に浮かべているのであるが……。


「そう、スイールが逝ったのは王城で聞かされたけど、あれからどうなったか聞かせて貰っても良いかしら?」

「話してなかったか?それなら領主館に着いたら話すよ。ヒルダも一緒なら思い出しやすいしね」


 エゼルバルドとパトリシア王女はスイールが眠る石碑に一度視線を向けてから立ち上がり、子供達を連れて馬車へと向かうのであった。




 エゼルバルドが操る馬車が彼の屋敷に立ち寄り、何故か綺麗に着飾って待ち構えていたヒルダを乗せてブールの領主館へと向かった。

 ヒルダ曰く、”そんな予感がした”と、領主館へ向かうだろうとピンと来たのだとか。まるで予知能力でもあるのではないかと勘繰ってしまうが、ただの勘がいいだけだろうとヒルダは否定していた。

 そして馬車は一人の着飾った美人と狩りを終えた汚れた姿の五人と今日の成果を乗せた、何とも纏まりのないまま、ブールの門を潜り領主館へと入っていった。


 埃にまみれた体を綺麗にし、領主館の好意で湯あみを終え、その後、パトリシア王女の主催と称してエゼルバルド達の晩餐会が始まった。

 この日の成果である、角兎ホーンラビット巨頭猪ビッグボアが早速姿を変えてテーブルに上がるあたり、料理人の手腕が素晴らしいと感じる。


 そして最期のデザートが配られる直前、何気ない雑談がひと段落すると、部屋の空気がピリッと引き締まりこの日の本題であるスイールが逝った後の話となった。


「スイールがオレ達に”最後のお願い”ってのを言ってから、の話になるが……」

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