第四十二話 連合軍、帝国の一都市バスハーケンを囲む
「ほほう」
「誰が来たのですか?」
受け取った封筒を眺めながらカルロ将軍は顔をニヤケさせた。
封印された蝋に押されたその印が、誰が付けたかわかったからである。
「誰かはわからん。ただ、パトリシアが持たせた事だけは確かだな」
「王城からの使いですか?」
表を見ればカルロ将軍へ、としっかりと記されている。
そして、嬉しそうに封筒を開きながら首を横に振ってそれを否定した。
「恐らく、北部三都市の攻略か、それが終わって論功行賞か治安維持に努めてるはずだ、今は……っと、なるほど、スイールよ、喜べ」
「はい?」
視線だけスイールに向けたカルロ将軍が言葉を続けた。
「お前の息子が来たぞ」
それからしばらくの後、中軍に位置するカルロ将軍の下へ良く知る四人が姿を現した。
「お久しぶりです、カルロ将軍」
「はっはっは。エゼルよ、この前会ったばかりではないか。久しぶりとはこれ如何にだな」
そう、エゼルバルドはパトリシア王女の下に付いた時にカルロ将軍と会って話しまでしていた。その前はエゼルバルドはの結婚式に会っただけなので、それまでの期間から比べればつい最近の出来事であると言えよう。
それより、久しぶりと口にした方が良いのは、エゼルバルドの傍で
「エゼルに久しぶりと言われれば、お前は今生の別れでもした後になってしまいそうだな、ヴルフよ」
「確かに久しぶりだが、お主にそう言われる筋合いはないわ!」
「ホントにお前は真面目だなぁ」
”ワシの事はほっとけ!”とヴルフはそっぽを向いた。
「で、ウチも久しぶりだけど……。カルロ、老けたんじゃない?」
周りで聞き耳を立てていた兵士が、赤毛の女性が放った言葉に顔をしかめた。それは不敬罪で首を刎ねられるぞ、と。
だが、カルロ将軍は”はっはっは!”と機嫌よく高笑いしてひらひらと手を振った。
「アイリーン、お前らしいな。確かに老けたよ、お前が結婚する位にはな」
「それはどうも~!」
それからカルロ将軍は、アイリーンの横で顔を青くして”不敬罪だ”とボソボソと呟きながら跪いている男に視線を向ける。
彼からしてみれば、トルニア王国の軍事の最高責任者を前にして、ため口をきくアイリーンが常識を持っていないのだと思っても仕方ない。彼よりもカルロ将軍の方が早く知り合ったのだから当然と言えば当然なのだが……。
ため口になるのは、剣で打ち合ったパトリシア王女の影響でもあるのだが。
「で、”これ”がアイリーンの結婚相手か?」
「あのね、いくら将軍だからと言って、人の
「いやいや、失礼。それは失言だったな」
アイリーンは頬を膨らませて”ぷりぷり”と怒って見せた。
この程度のやり取りはあの時から日常茶飯事なので、カルロ将軍もアイリーンも本気にはしていない。
「まぁ、いいわ。彼が私の婚約者のフレデリック=ハンプシャー。ルストの街ではかなりに実力者よ。剣の腕だけだけどね」
「アイリーン、私にはそれしか能がないみたいじゃないか!」
「御免遊ばせ」
アイリーンは良く知るカルロ将軍の手前、婚約者のフレデリックを茶化す。二人共本気でやり合っていない事は笑顔を浮かべている所を見ればだれでもわかるだろう
「そういえば聞いた事あるな。スチューベント男爵家に使えるハンプシャーに息子ありって。それを射止めたのもお前の弓の腕のせいか?」
「ホントに口が悪いわね」
カルロ将軍は口が悪い事を自覚している。王城にいる時は気を付けているが、気を許せる人の前ではどうしても巣の口の悪さが表に出て来る。
「ほっといて貰おう。それよりも、ほれ、気付かんか?探し人がそこにいるぞ」
エゼルバルド達はカルロ将軍の向こう側、外套のフードを深く被って椅子に座り腕を組んでいる男に視線を集めた。
その男が誰なのかわかると、エゼルバルドは嬉しそうな声を上げて飛び付いて行った。
「スイール!無事だったんだね」
「エゼルを置いてまだ死ねませんよ。まだまだしなくてはならない事が沢山ありますからね」
さすがに図体の大きい子供が飛び込んできたら躊躇してしまうだろうが、そこは自重を知るエゼルバルド、勢いを殺してスイールに抱き着いた。
その様子は何年も会っていない恋人のようであった。
「さて、スイールとも会えたしな!」
「すぐトルニアに帰る?」
「何の事ですか?」
スイールと会えたことで嬉しく体で表現したエゼルバルドとは違い、ヴルフとアイリーンはこれで目的を達成できたと早速トルニア王国へ引き返す算段を話し合おうとした。
だが、それを聞きスイールは不思議な顔をしたのである。
「何の事って、ワシ等はお前を迎えに来たんだよ。ワシ等だけで帰ったらヒルダの奴が五月蠅いだろうと思ってな」
「なるほど、ここへ来たのはそれが理由ですか……」
スイールを探し出す。
そして一緒にトルニア王国へ、ブールの街に五体満足で一緒に帰る、それがエゼルバルド達の目的だった。
だが、スイールにはそれを蹴ってまでやり遂げなければならぬ事が出来てしまったと告げる……。
「ですが、今は帰る事は出来ません」
「何故じゃ?」
「仇を……そう、同行した彼女の仇を討たねばなりません……」
「そう言えば一緒のあいつらはどうした?それが仇だと言うのか?」
スイールが誰と同行していたか、それを唯一知るヴルフが尋ねたが彼はそれ以上言葉を発しなかった。それから無言で立ち上がると、最高責任者のカルロ将軍へ頭を下げてゆっくりとその場を離れて行く。
カルロ将軍はスイールの表情におどろおどろしい感情を見た気がして、ヴルフ達に目くばせをする。彼を、スイールを追いかけろ、と。
先程、スイールからこんなところにいる
そして、エゼルバルド達はカルロ将軍に頭を下げるとその場を離れてスイールを追いかけるのであった。
エゼルバルド達は騎乗してきた馬を引き取り、スイールの下へと急いだ。
そして、トボトボと足を運ぶスイールに追いつくと、ちょうど彼も目的の場所へとたどり着いたところだったらしく、仲間へと挨拶していた。
「スイール!」
エゼルバルドの声にスイールが振り向き、そして、挨拶をした四人も声の主に視線を向けて驚いていた。
ヴルフには面識のある四人だったが、あの特徴ある黄色の髪の女、ファニーが見えない事に気が付いた。早計かもしれないが、カルロ将軍の前でスイールが語った言葉と欠けた一人が同調して仕方がなかった。
「おや?なぜ、ヴルフがここへ」
視線を向けたうちの一人、ミルカが疑問を口にした。
トルニア王国のブールの街で別れたはずのヴルフがトルニア王国軍と同じ場所で出会うなど考えられないのは当然だろう。
「ワシ等はスイールを迎えに来たんじゃが……」
ヴルフはここにいる理由を口にしたが、自分の横で殺気を放ち始めたエゼルバルドに気を取られて途中で言葉を飲み込んでしまう。
エゼルバルドは背中の両手剣を固定する鞘の仕掛けを外し、柄を掴んで臨戦態勢を取った。あの、アーラス神聖教国で目にしたヴルフと対戦した男の顔がそこにあったからだ。
数年も経って幾分か老けたかもしれないが、その顔を見れば当時の出来事がまるで昨日のことのように思い出されて来たのである。
「これ!止めんか」
「いや、こいつら敵だ」
「待てと言うに。もう、あの時の戦争は終わったんじゃ!」
「ヴルフはいいのか?あの時は味方が沢山殺されたんだぞ」
ヴルフはエゼルバルドの肩を力の限りに掴んで耳元で叫んだ。
「馬鹿者が!お前だって敵を殺しているだろうが!戦争はそういう場だ。過ぎたことは忘れろとは言わん。察しろ!!」
その言葉でハッと我に返ったエゼルバルドはミルカの後ろで老齢な男に隠れる少年の姿を見つける。
ヴルフが察しろと叫んだのは、一つが戦争は過去のもので戦っていた農民達は既に解放されている事。そして、もう一つは後ろで隠れている少年の事である。
それからエゼルバルドは自らが短絡的に行動してしまったと怒りを収めてミルカ達に頭を下げた。怖がらせて涙目になってしまったクリフには特に深くである。
さすがに大人げないとエゼルバルドも思ったのだ。
エゼルバルドが落ちいたところで、お互いを名乗り自己紹介をした。
そのころ、進軍が再開されて、スイール達の状況をエゼルバルド達に細かく説明をするのであるが……。
「やはりそうか。あの、黄色い髪のあいつが死んだか」
「残念ながら。命を奪った直接の敵は既に倒したから一応の仇は取っているんだが、それでも皇帝は許せんのでな。私の友人の仇でもあるし」
ヴルフも、一目見て忘れられぬ美しい黄色い髪を持ったファニーが倒れたと聞き残念そうに肩を落としていた。その美しい髪に惹かれていたと気づいた時にはすでに遅しであった。
「だが、しんみりもしていられなくてね。それでカルロ将軍に力を貸して貰おうとしたんだ、皇帝、いや、帝国自体を潰してしまおうとね」
「また、大胆な事を口にして。大丈夫か?」
「ああ、心配いらない。カルロ将軍から魔術師を借りる算段はつけたんだけど、その必要は無くなった。エゼルが来たから絶対に成功できるさ」
何をするのか、そこにいる誰もがさっぱり思いつかなかった。たった一人、スイールの力だけで広大な土地を支配する帝国をこの世から消し去るなど不可能だと。
力強く言葉を口にするスイールを皆はただ、怪訝そうに眺めるだけだった。
スイールやエゼルバルド達がカルロ将軍率いるトルニア、スフミ連合軍と合流した十数日後。
十二月も終わりの足音が聞こえ始め、世界暦二三二八年が終わりを迎えようとした時に十万の連合軍はディスポラ帝国の奥深く、バスハーケンの街を囲み始めていた。
バスハーケンはディスポラ帝国の東部、そこ流れる河川の下流にほど近い場所の東側に存在する。
この地域はその昔、スフミ王国が支配していた地域であったが、ディスポラ帝国成立から三十数年後の世界歴二一四一年、スフミ王国と間で起こった五年戦争の休戦協定を含む講和により南の海岸線からバスハーケン付近までを帝国領土とした。
さらに、その百年後、ディスポラ帝国は再びスフミ王国を攻め、現在の国境線までを帝国の領土として奪ったのである。
その二回の大きな戦争により、最盛期の四分の一まで国土を失ったスフミ王国は国力を大幅に失い、トルニア王国の庇護下に入る事になった。
それからもディスポラ帝国は執拗にスフミ王国を親の仇の様に攻め続けるのだが、トルニア王国の庇護下に入った事もあり、スフミ王国を攻め滅ぼすまでは行かなかった。
「って言うのが、今の状況だね」
トルニア、スフミ連合軍の本陣が構えてあるバスハーケンの街の東側から少し離れた小高い丘でそう説明したのはエゼルバルドだ。
彼は自らを鍛えると同時に興味のあった戦史研究をすることで各国の状況、特に数百年前からの状況を詳しく暗記していた。そのために、先程の様な説明が立て板に水の如くスラスラと口から流れ出る。
そして、戦史研究の傍ら、役に立つ戦争の形式、つまりは兵法学にまで踏み込んでいたのであるが、それが国家戦術局からお呼びが掛かる程なのは殆ど知られていない。
「成程ね。それにしても、ここからはバスハーケンが良く見えるな」
「良く見えるのは良いが、如何やって帝国を滅ぼすつもり、いや、皇帝を殺すつもりだ?忍び込んで暗殺など出来まい」
その小高い丘から見えるバスハーケンの街に皇帝は存在している事は確認している。
ヴルフがスイールに告げた様に、高い城壁、そして閉ざされた城門に阻まれて場内へと進入は難しいだろう。一時期、バスハーケンを帝都にしようと計画していた事もあり、街の中央に堅牢な城塞がそびえ立っている。
街を網目の様に流れる下水道はどうかと言えば、下水の出口全てに人を拒む格子が最低でも二重に設けられている。
まさに鉄壁の要塞とでも言えるような、巨大建築物がスイール達の前に立ちふさがっているのだ。
常識的な思考の持ち主であれば、あの堅牢な要塞を攻め落とすなど一朝一夕では無理だと結論づけている。常識的な思考であれば……。
さらに言えば、エゼルバルドが思いつく過去の戦史の事例に照らし合わせても、トルニア、スフミ連合軍の十万で廃墟に出来るほどの力はない。
あくまでも、常識的な思考であったなら、だ。
スイールはその常識外れの事をたった一人で行おうと言うのだ。
だが、エゼルバルドにはたった一人で都市を破壊する、その手がかりの記録を過去に何回も目にした事があった。
最後にその現象が記録されてから約五百年。
戦争中にだけ起こりえない不思議な現象が現れていた。
それも戦史に残るだけで十回程。
「まさかね……」
下見は済んだとばかりに小高い丘を下って行くスイール達を急いで追い掛けながらエゼルバルドはぼそりと呟くのであった。
伝説上のその事象を脳裏に描きながら……。
※章の終盤に差し掛かりました。
あとちょっとです。
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