第三十九話 皇帝の罠

 ”アォーーン”


 日付替わり、暗闇の中で草原に伏せ、夜露に濡れながら遠くにオオカミの遠吠えを耳にする。

 十二月に入っても餌を探すオオカミ達は草原を我が物顔で歩き回っている。


 ミルカ達は危険と隣り合わせの草原を、六人が一丸となってヒタヒタと皇帝がすやすやと眠る寝所へと足を進める。

 目的は皇帝の殺害では無く、前の皇帝の血を引くクリフが話し合えること。それを第一の目的としている。


 だがスイールはそれだけを良しとはせず、あわよくば皇帝を殺してしまおうかと、考えているのである。

 あと五十メートルほどに接近している今、魔力をつぎ込んで魔法を放てば確実に皇帝を殺せる距離まで来ているのだが、それが出来ず歯痒い思いを感じざるを得ないのだ。


「鳴子を解除する。しばし待っててくれ」


 予想通り、幾重にも鳴子が仕掛けられており、陣の後方を守っていた。

 陣を中心として警戒をしているが全てには目を配らせられない。その為に手薄な場所に張り巡らされた鳴子である。


「所で何で鳴子があるとわかっているんだ?」


 先頭で鳴子の仕掛けを解除するファニーに視線を向けながらスイールは傍のミルカへと疑問を投げかけた。


「簡単な事だ。我々は元々帝国の兵士だからな。しかも、その教育を受けている。尤も、その教育を受けていても配属先は全くの別の場所さ」

「とは言っても、他の国も同じではないか?」


 鳴子はトルニア王国でもよく用いられる侵入者除け、もしくは、侵入者探知の仕掛けだ。本来は簡易陣に仕掛けるべきものではないのがこの世界の常識でもある。

 夜間の見張りを全方位に向けて、立たせておけば事足りるからだ。


「確かに他の国でもそうするだろう。だが今回は、皇帝の護衛が少ないからな。そうなると鳴子を仕掛けておいた方がいいのさ」

「出発するときに片付けるのが大変じゃないのか?」

「そうとも言うな」


 ミルカは”クククッ”と小さく苦笑した。


 鳴子を仕掛けて置くと、回収に時間が掛かる。それが、簡易的な陣では使われない理由でもある。

 戦争中に陣を構築しなければならぬ場合は、後方からの侵入者に気を配る必要があるためにすぐにでも設置するのだが……。


「さて、鳴子を解除したみたいだ。だが、道から外れるなよ」


 通り道だけ鳴子を解除したために、少しでも道を外れると鳴子の縄に接触してけたたましい音を立ててしまうだろう。

 それに注意しながらミルカ達は皇帝の寝所の真後ろに到着する。


 それから、木組みの柵を数本外して人の通り道を開けるとゆっくりと陣の中へと入って行った。


「この天幕がそうだな」


 侵入した目の前の華美な模様が付いた天幕が皇帝の寝所となっている筈だ。

 ほかの天幕は模様が付けられておらず、一目でそれとわかる。


「見張りが来る前に片付けてしまおう」


 ミルカはファニーに合図を送ると、このために用意したよく研がれたナイフを取り出し、天幕へゆっくりと押し付け始めた。

 すると、ナイフの切っ先が力を籠めるでもなく、すっと切れ込みを入れてしまう。そのまま下へゆっくりと動かすとかすかな音を立てながら一本の筋が天幕に刻まれて行った。


 その動作をもう一度行うと、人が通れるほどの開口部を作り出した。


「さて、行こう!」


 街道沿いの見張りを厳として後方を鳴子に頼った皇帝の寝所に、ミルカ達は進入したのである。


「容易いものだな……」


 クリフを連れて寝所に入った彼の従者兼護衛のヘルマンがぼそりと呟いた。

 本来ならこんなにも易々と入り込めるはずもないのだ。


 その証拠に、皇帝の寝所に入った六人は思わず目を見開いて暗がりを凝視せざるを得なかったのである。


「待っていたぞ……。殺戮者の血を引きし者。そして……」


 簡易的なベッドに横たわっていた塊がゆっくりと上体を起こし、彼らの方へとその体を向けて小さな声で言葉を吐いた。


「そして、我が神に仇なす魔術師殿よ」


 皇帝の口から聞こえた二人の人物の事に誰もが耳を疑った。

 殺戮者の血を引く者、すなわち、前皇帝の血を引くクリフと神に仇なす魔術師、スイールがである。


「そう驚く事もあるまい。朕に会いに来たのはわかっている。神から導きがあったのだよ、哀れな者達よ」


 神と口にした皇帝はゆっくりと立ち上がり、その六人を見据えた。


「なるほど。新しく玉座に付いたのは貴方でしたか、ゴードン=フォルトナー宰相」

「朕の事を知るとはお主も元は帝国で働いていたか」

「ええ、あなたの顔は何度か見た事がありますのでね」


 ミルカはディスポラ帝国出身であり、皇帝の顔は出奔前に何度か見かけた事があった。何年も経ってはいるが、特徴が消えたわけでもなくすぐに誰か理解したのである。

 新しく皇帝が即位したとはいえ、出自を露にしていたわけもなく、ミルカ達は初めて皇帝が誰かをここで知る事となった。


「まぁ良い。早速、用事を済ませて置こう。このベルを鳴らせば即座に兵士が雪崩れ込んでくる。それでなくとも不明瞭な会話が漏れれば……まぁ、それはどうでも良いか」


 皇帝は護衛の兵士を邪魔物扱いにした。

 六人が一足飛びにとびかかって来れば、皇帝と言えども瞬時に命を失うだろう。

 だが、その時は皇帝の身に付けられたベルが鳴らされ、一斉に護衛の兵士が飛び込んでくる合図でもある。

 そこまで命を張るのも馬鹿馬鹿しいだろうと、皇帝は暗に示したのだ。


 そして、クリフに視線を向けると息を吐いた。


「で、何が聞きたい?」

「……何故」

「ん?」


 クリフは口を開きかけた。

 皇帝の何かに怯えたのか、唾をごくりと飲み込んだ。

 それから勇気を振り絞り、もう一度口を開いた。


「……何故。……何故、僕の兄達を殺したのですか?そして、皇帝の位に興味を示さず、異国の地で骨をうずめる覚悟をした僕まで亡き者としようとしたのか?」


 皇帝は”何だそんな事か?”と口に手を当てて、声が漏れないように苦笑した。

 この世で独裁者の地位を奪えば、取り返さない様に手を打つことは当然ではないかと。


「やはり甘いな。そんなだから、お前は父親に殺されもせずに異国の地に追いやられるのだよ。要は手に掛けるほど期待されていなかったって事だ」

「え?」

「そうだろう。他の兄弟は手元に置き、お前だけはたった一人の護衛を付けただけで遠くの地に追いやったんだ。自らの手を汚す事が面倒だったのだよ。よく考えても見ろ、他で有力だった、もしくは、実力があった者達は全て、お前の父親は処刑している。あれが親子の情があったとは思えんからな」


 極悪非道で怒りに任せて幾人も処刑してきたクリフの父親に人としての顔を皇帝は見出していなかった。それが言葉の節々に現れていた。


「それにだ。お前が邪魔になるから殺すか遠くへ遠ざけるかと、誰が進言したと思う」

「誰……?もしかして……」


 父親が将来的に国家の運営に邪魔になるからと、自分を遠くに追いやったのだとクリフは思っていた。だが、その考えを否定する言葉が目の前の皇帝から告げられたのだ。


「それは朕だ。本来なら殺しておくべきであったが、何を思ったのかアイツはお前を殺すなど面倒だと言い放った。大変だな、親の情などない者は」


 再び手を口に当てて苦笑する皇帝。

 その言葉にショックを受けるクリフ。だが、クリフは気付いていない、親の情が無ければ今頃はこの世にすら存在していない事を。

 これ以上、クリフに会話は無理と考えたスイールは彼の前にスッと出ると溜息を吐きながら言葉を選んで声に出した。


「えっと、皇帝陛下。お初にお目にかかります」

「おっと、その格好は魔術師だな。話しぐらい聞いてやろう」


 言葉は丁寧であるが、頭を下げる気にならぬスイールは皇帝を睨みつける。


「皇帝はご子息、ご息女はいらっしゃるのですか?」

「ふん、あんな物はいらん。まぁ、めかけくらいはいるがな、暇つぶしの」

「なるほど、よくわかりました」


 その答えを聞き、クリフの横に移動すると彼の耳にそっと耳打ちした。


「あなたの父親は決して情が無かったのではないですよ。それだけは知っておいてください」


 スイールの言葉を耳にして、クリフの顔がパァッ!と明るくなった。

 あとの事はもうどうでも良くなった。父親に愛されていたからこそ、あの地に流されていたのだとわかったのだ。

 兄弟達は無念はあるが、これ以上聞いても目の前の男は答えてくれないだろうと、すべての質問を胸の内に仕舞い込むことにした。

 ……永遠に。


「さて、皇帝陛下。彼の父親は、やはり父親でしたね」

「なんだと?」

「そして、彼を殺そうとしたのは貴方の地位を脅かす者が現れない様にとは簡単に想像がつきます。多分、誰もがそう感じる多でしょう」


 皇帝の言葉を耳にすれば、容易に答えにたどり着く。クリフに対して”邪魔で殺しておくべきだった”と彼の口から発した言葉通りに捉えれば。


「ですが、一つだけ腑に落ちない事があります。皇帝陛下が先程申しましたよね、”我が神に仇なす魔術師”と。それはどういう意味か教えていただきたい」


 スイールにはクリフの質問の答えは予想が付いていた。

 前の皇帝の血を引いているとわかれば、邪魔だったから殺したのだと告げる事が。

 そして、保身に走っていた事もだ。


 だが、どうしても彼が口にした”神”とはスイールでも想像出来なかった。

 ”神”と称する存在がいたとしても、皇帝の寝所に入り込むことまで告げられないだろうと。

 だから、その”神”が実在している筈で、何処からか見ている筈であると感じたのだ。


「”神”か……。確かに、”神”と朕も呼んでいるが、夢でお告げをくれる存在であるとだけ伝えておこう」

「夢?お告げ?それは一体?」

「時間切れだ」


 その答えを皇帝の口から聞く前に、皇帝が身に着けているベルが鳴り響いた。


「くっ!逃げろ!」


 皇帝が鳴らしたベルを聞いた兵士が五秒もしないうちに皇帝の寝所に流れ込んで来た。


 ミルカ達もベルが音を出したのを耳にした途端に天幕から逃げ出した。

 だが、人一人が通れる穴をたった五秒で全員通れる筈も無く、瞬時に通り抜けられたのはクリフとその従者兼護衛のヘルマン、そしてヴェラの三人だった。

 そして、それに続けとミルカが潜り抜ける。


 最後は逃げ遅れたファニーとスイールの二人が残った。

 だが……。


「先に行ってください。物理防御シールド!」


 その五秒の間にスイールは魔力を集め、魔法を展開した。細身剣レイピアの柄頭に付けた黒い魔石が青く変色しスイールの膨大な魔力から必要なだけの魔力が引き抜かれると彼の前に半円状の透明な防壁が現れた。


「では、皇帝陛下。ごきげんよう」


 ファニーが抜け出たのを確認すると、スイールも天幕に開けた穴を通って外へと飛び出した。

 木の柵に開けた隙間を通り抜けると、先に逃げだした四人は既に走り始めていた。

 スイールを待っていたのはファニーただ一人であった。

 それも、剣を抜き放って。


「逃げてくれても良かったんですよ」

「置いて行くなんて出来ると思っているのか?」


 スイールに目で合図を送るとファニーは反転して彼の手を取って駆け出した。

 手を取られて少しこそばゆい気持ちになるが、今は逃げの一手だとその気持ちを捨てる。


 彼等が逃げきるには、速度の出る馬に乗らなくてはならない。

 馬の隠し場所までは、多少距離がある。

 馬の嘶きが聞こえてしまうと考えたのだ。


 それまでに追っ手が来ないとも限らず、一秒が惜しいと感じる。

 だが、皇帝を護衛する精鋭から簡単に逃げられるなど、誰も思わないだろう。

 そう、スイールとファニーの後ろには十数秒しか離れずに敵が追いかけて来ていた。


「仕方ありませんね。絶対に振り向かないでくださいよ」

「え、何をやるの?」

「いいですから、手を引っ張っててください」


 そういうと、スイールは魔力を集め始める。それに気を向けてしまうとスイールの足が遅くなるのだが、それはファニーに任せる事にする。

 そして、一秒ほど魔力を集めた後、細身剣レイピアと高く掲げて魔法を発動させる。


「行きますよ、閃光フラッシュ!」


 杖代わりに振り上げた細身剣レイピアの切っ先に魔力が集まると、それが太陽のように真っ白い光を放った。

 生活魔法の灯火ライトの様な人の目に優しい光では無く、それを見続けた人の目の奥にある網膜を焼き、失明させるほどの強い光だ。


 その太陽の様な強い光を直接見てしまった皇帝の護衛達は思わず目を覆い、その光に対応した。だが、一瞬でも目に入ってしまったために、しばらくの間彼等の視力は使い物にならず、スイール達は無事に逃げおおせられた……。







 ……かに見えた


 ”ヒュンッ!”


 スイールが発動した閃光フラッシュが終わりを告げようとした時、一本の矢が彼等を襲った。

 二人が逃げる先に向けて適当に放った矢である。


 だが、運が悪い事に動かし続ける足を貫いたのである。

 ファニーの脹脛ふくらはぎを。


「がはっ!」


 突然の痛みにファニーは足が止まり、駆けていた勢いのまま地面を転がった。

 さらに貫いた矢は転倒し転がった拍子に折れて短くなってしまい、てを掛ける長さを失い抜く事が出来なくなってしまった。


「だ、大丈夫ですか?」

「くそっ!次の追っ手か?」


 スイールは地面に転がっているファニーに肩を貸して引き起こそうとする。

 一応、剣を振る訓練を続けているために、女性一人を起こすくらいの力は備わっていたので簡単だった。

 だが、女性とは言え、軽鎧を身に着けた人の重量を抱えたまま逃げられるかと言われればスイールには、いや、誰にだって不可能だろう。


 ヨタヨタと二人で逃げようとする所に蹄の音が近づいて来る。


「私の事はいい、魔術師殿逃げてくれ」


 スイールは諦めようとせず、振り向いて魔法を発動させる。


「折角待ってくれた人を置いて逃げるなんて出来ませんよ。風の刀ウィンドカッター!」


 迫りくる一騎にスイールの風の刀ウィンドカッターが吸い寄せられて行った。




※ピンチ!!

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