第三十一話 ミンデンから遊軍出撃!
ミンデンの街の防衛を指揮するボルクム伯爵と補佐役のディスポラ帝国から派遣されているダンクマールが守備についたのは昼食を終えてしばらくたってからであった。
それは、白い雲が浮かぶ青い空の真上よりほんの少し太陽が進んだ時間だった。
両名共が望遠鏡で敵陣を覗き込んでみたが忙しく動き回る姿を見るだけで、まだ次の攻撃体制を整えていなかった。
未だに炊事の煙すら出ておらず、何のために厳しい訓練を行っているのかと今からでも説教をしてやりたい気持ちになる。
とは思いながらも、兵士に休息を与えるには十分な時間を取れると、敵の訓練不足に感謝を向けるのであった。
そう思いながらしばらく敵陣を観察していれば炊事の煙が上がり始め、間も無く攻撃が再開されるだろうと予想された。
午前中にブメーレンへ出発した部隊から緊急の連絡もなく、順調に街道を進んでいると見られ、今は目の前の敵の攻撃を跳ね返すだけに注力できると、ホッと胸を撫で下ろしている。
「報告します。敵は準備を終え攻撃の準備を始めました」
しばらく来ないだろうと、防壁の広い場所にロッキングチェアを出してうとうととしていたボルクム伯爵に報告が入った。
気持ちよく寝ていたところを起こされれば気分が害されたと憤慨するのだろうが、今はミンデンに迫ろうとする敵を撃退せねばならず、そんな事は一言も口にせずキリッとした表情をしながらロッキングチェアから勢いよく立ち上がる。
報告の兵士と共に防壁の先端に立ち敵の陣容を確認して行くのだが……。
「随分と数が少なくなったな?」
午前中に攻撃してきた南側のトルニア王国軍は五千を投入していたのだが、今目の前で隊列を組んでいるのは四千程と報告を受けた。
「もしかしましたら、敵は我らからの攻撃を受けてかなりの被害を出していたのではないでしょうか?」
五千から四千になったとすれば二十パーセントもの損耗率だ。それだけの被害を出しているのであればすぐに戦争など出来なくなるのは確かであろう。
逆にミンデンの兵士の被害は死者も無く怪我人が少し出た程度である。
「だが、一万の兵力からすれば半数を出して来たんだ。明日以降の戦いを考えれば出してこない五千を無傷のままにしておきたいのもわかるがな」
南のトルニア王国軍は今朝方には一万もの兵士を有していた筈。
そこから半数を出してきているのだから、明日以降の戦いを見据えていると思っても不思議ではない。
それもあるが、守備側が有利になるであろう報告が入ってきたのであるが……。
「報告します。ダンクマール様からの連絡によりますと、西側の敵、出陣準備中。ですが、敵の数は午前中の半数と見られるとの事です」
「半数……だと?」
西側のアニパレ、ルスト合同軍の隊列を組んでいる数が午前中の五千だと報告して来た。
損耗率を考慮すれば五十パーセントであり、考えが及ばない数字である。
それだけの数を亡くしたとは考えられず、何か策を
「はい、そのように伝える様にと……」
「わかった。一度、西の敵の様子を見てまいれ。それから決める。ダンクマールの事だからわかっているだろうが、気を付ける様にと伝えてくれ」
「畏まりました」
怒りを買ったかとビクビクして跪き足元を見ていた連絡の兵士に伝言をしてダンクマールの元へと戻した。
カタツムリのように、防壁に守られたミンデンの街に籠っていれば敵が策を弄しても何とかなるだろうと考えていた、四方の門を破られぬ限り。
「気になると言えば、我らの本拠地に敵が向かった事だけだろう。それも援軍を送ってあるから何事も無いはずだが……」
ミンデンを無視してブメーレンへと向かった一万の敵が引き返して、送り出した援軍を何処かで迎撃していれば考えを改めねばならぬが、そうなる筈も無いと口角を上げてその考えを捨て去る。
今は目の前の敵に注力するだけだと。
それからしばらくしてトルニア王国軍の攻撃が始まった。
午前中と同じ攻撃方法であった。
だが、決定的に異なったのは、攻撃開始の時間があまりにも遅かった事だろう。
あと二時間も経てば西の空に太陽が沈み始め、夜戦なりかねない。
それでも太陽が沈むまでの一時間くらいは西日が照らしミンデンの守備隊に不利な時間が訪れる事になる。
トルニア王国軍が攻撃を開始した早々、ボルクム伯爵の元へダンクマールへ向かわせた連絡の兵士が息を切らせて戻って来た。
何やら急いでいるようであったが……。
「報告します。ダンクマール様が遊軍の出撃許可を求めています」
「うむ……、なんだと?何故打って出ると言うのだ?」
余りにも唐突な報告に動揺するボルクム伯爵。
敵が出してきた兵力が半分になったとは言え、後ろにはまだ無傷の兵力五千が控えている筈だと。こちらの遊軍は半分を援軍に出してしまい、今は五千が残るのみでそれを出しても決定的な打撃を与えられぬだろう、と。
「馬鹿な事を口にする前に、矢の一本も自ら射掛けろと伝えるのだ!」
「ですが、敵の足並みが乱れ、敵左翼は今にも崩壊寸前だと言われていますし、西日が当たる前に少しでも有利に進めたいとも仰ってますが?」
「ダンクマールがそう言ったのか?」
時折、突拍子も無い案を口にするダンクマールだったが、そのどれも一か八かの博打に似た案を口にしたことは一度も聞いたことが無かった。
それならば任せてもいいのではないかと考えるのだが……。
「はい。私も見ましたが、明らかに敵は浮足立っている様にも感じました。そのせいか、行進する敵の隊列がばらばらなのは確かです。」
連絡の兵士の見立てもダンクマールと同じであれば、反対するよりも出撃させてしまえば良いのでは、と思うのである。
そして……。
「わかった、許可しよう。ただし、遊軍はダンクマール自身で率いろとな。西の守りは遊軍で待機しているエルゼデッド子爵と交代だ」
「畏まりました。そのように伝えます」
一礼して連絡の兵士がその場を後にすると、すぐにトルニア王国軍を睨みつけてぼそりと呟いた。
「地方軍はそれほど訓練が行き届いていないのか……?」
ミンデンの西側を守る守備隊に西日が容赦なく射す直前になり、ミンデンで待機していた遊軍を率いてダンクマールが北門より出撃して行った。ギリギリの時間であり、手柄を立てられるかも彼の技量に掛かっていると言っても良かった。
南から攻めるトルニア王国軍は兵力を減らしていたが、さすが精鋭と言わしめるほどに被害を少なくして南の防壁に近づきつつあった。
それでも南側は
ボルクム伯爵はこの場よりも、出撃して行ったダンクマールが気になるのであった。
西日が射し込み、防壁上から戦況が見難くなるこの時間に出撃を許可したことに若干の不安を覚え始めていた……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ダンクマールはボルクム伯爵が心配している事も考えず、ただ敵を撃滅せんと五千の兵士を連れてミンデンの北門より出撃して行った。
狙うは西側で一万の兵力を要するアニパレ、ルスト連合軍。
その中でも浮足立っている出撃中の五千の敵だ。
ダンクマールは速度を旨とする軽装にさせ、敵左翼、こちらから見れば右側の横っ腹を攻めんと急いでいた。
ミンデンの街に攻撃を仕掛けているのだから近づいているのは当然。直径三キロほどの円形の防壁を有するミンデンの北門から出ても敵にはあっという間に到着すると見ていた。
だが、ダンクマールの攻撃は半分成功し、半分失敗してしまった。
「敵が引き始めたぞ。急げ!!」
ダンクマールが北門を出て隊列を組み走り始めた直後に西の敵軍が引き始めた。
浮足立った敵が我先にと武器を捨てて逃げる様を見れば、”こんな敵に何を怯えていたのか”と思う。
ダンクマール率いる遊軍は、逃げる敵にあっという間に追い付き、最後尾を逃げている敵を切り殺し始めた。
撤退しながらの防衛は不利であるのだが、伸び切った隊列では接敵した場所がわずかであり被害は思った以上に多く上げられなかった。
先頭のダンクマールが声を上げながら敵を切り殺して行くが、遊軍の大部分が自らの足で走るとなれば戦果を挙げるのは難しい。ダンクマールを追い越して敵に切り込む兵士の数はほとんどいないと言っても良かった。
「クソッ!早くに見つかり過ぎたか」
追撃は成功したが、思った以上の戦果を挙げられず、焦る気持ちが募るばかりである。
仕方ないと先頭の速度を緩め、後方の部隊の到着を待つことにする。
これが南のトルニア王国軍であればすでに陣へとたどり着かれていたが、西のアニパレ、ルスト連合軍はさらに遠くに陣を構築しており、いまだにダンクマールの少し先を敵が敗走している光景を見る事が出来る。
ダンクマールには長い時間に感じられたが、わずかな時間で後方の部隊がダンクマールに追い付くと、即座に追撃を開始する。
もうすぐ敵陣との中間地点に達しようとするときに、再び敵に追い付き再び敵を切り殺して行く。
ダンクマールの視界には西日が射して来ており、敵中に馬を走らせながら顔を背けたり、目を細めたりと手の動き以上に顔を忙しそうに動かす。
それは遊軍の兵士も同じであり、追い付いて攻撃を仕掛けているがそれが足かせになって戦果が落ちていた。
それも仕方ないと思いながらも馬上から武器を振るうのだが、ダンクマールの耳に聞きなれぬ声が後方より届いてきた。
「ダンクマール様!大変です」
「どうした?」
西日が邪魔な存在だと目を細める態度で示しながら、声を掛けてきた兵士へ振り向く。
すると、遊軍の右方向より攻撃を受けて応戦する味方がそこに見えた。
「いったい何処から来た。いや、何処の部隊だ?」
西の陣から出陣した部隊はいない筈だ。
遊軍出撃前に敵の陣地を望遠鏡で覗いても、数えた兵士は減ってはいなかった。
であれば何処の部隊だと?
確かにダンクマールが遊軍を進めた場所には隠れる場所が少しだけ残っている。
しかし、見つからずに兵を伏せておくなど出来る筈も無い。
「あの旗印は王国軍の旗だな。北に向かった別動隊が戻って来たのか?……いや、違うな」
北部三都市に向かったとされるトルニア王国軍は一万だと諜報員から連絡を聞いた。
それにしては兵士の数が少なすぎた。
見たところ、千から二千程だろう。
ダンクマールが見た部隊はパトリシア王女が指揮を手中に収めた三千の別動隊の一部。
ボセローグ中将率いる二千の部隊である。
さすがに隊長の旗印まではわからず、出所を知る事は無かった。
「それなら、後方の二千で何とかなるだろう。まだこちらには三千もいるのだからな」
右からの敵を後方の部隊に任せて追撃を続行しようかと前を向いたダンクマールはハッと息を飲んだ。
追い掛けていた筈の敵が何故か部隊を整列させていたのである。
「まさか、こんな事が……。しまった、嵌められた。あの動きは我々をおびき寄せるための罠だったか!」
馬首を返して退却しようと声を掛けようとするも、さらに別の兵士の叫び声が耳に届いた。
「左後方から、敵です!」
前方を塞がれ、右より千から二千程の敵、そして、左後方からも敵が迫る。
隊列を考えれば引き返すなど出来よう筈も無い。そうすればむざむざと敵に討たれるだけだ。
それであれば敵の包囲の隙をついて逃げるしかない、とすぐに行動に移す。
「撤退する!敵を突破してミンデンまで帰るぞ!」
声を荒げて兵に指示を送る。
密集した部隊を反転して進める事は出来ない。それに前方を塞がれ、右からと左後方から敵の攻撃を受けていれば進める方向は一つしかない。
馬首を右前方四十五度に向けて走らせる。
そこが唯一、敵の包囲の穴となっている場所だ。
ミンデンから出撃した五千の遊軍は右や左後方からの攻撃を受けて数を減らしつつあった。この時点で百近くの兵士が敵の凶刃に倒れている。
それでも生き残った兵士を一人でも多くミンデンに帰還させる事がダンクマールの任務となりつつあった。
「敵を蹴散らし、活路を自ら作り出すのだ!」
前へと部隊を進ませながらぐるりと戦場を大きく迂回して馬首をミンデンへと向ける。
トルニア王国軍はそこまで兵力をこの場にあてがっておらず、馬首を向けるまでは奇襲どころか追撃すらなかった。
「敵も頭の良い奴がいたみたいだが、ここに伏兵を置かなかったことを後悔するべきだな」
進む速度を緩めながらダンクマールはぼそりと呟いた。
太陽は西の地にすでに沈み、わずかな光が彼等を照らしているだけだった。
遊軍を纏めてミンデンの北門より戻れば今日の所は戦闘が終わるだろう、そう思いつつ早足で部隊を進めるのであった。
※ほくそ笑むダンクマール。伏兵を見ないのは何故でしょうか?
※出撃、出陣、一応分けています。トルニア王国軍:陣を構築しているので出陣。ミンデン:街からの出撃。
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