第三十二話 潜入!敵が闊歩するミンデンへ

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 太陽が西の地平線に沈む行く中で、わずかな光が辺りを照らしている。

 茶色く枯れた草むらの陰から、胸のふくらみを持つ鎧を身に着けた女性を先頭にして目を光らせていた。

 彼女達はパトリシア王女が指揮を手中に収めた三千の別動隊の一部。

 ゼレノエ少将が率いる僅か八百の部隊である。


 僅かな音もさせまいと、誰もが口を噤み金属鎧の擦れ音すら出すまいとジッと身を潜めていた。


「来たぞ!」


 彼女達の目の前に敵が現れ、ゆっくりと進んで行く。

 先頭を数十騎の馬が進み後方から疲れた足で身を進ませる歩兵が続く。

 彼等はもつれたように足を運び、これから死地に赴くかのようであった。


「それにしても、ここまで敵の動きを当てるとはもやるな。カルロ将軍が王女の傍に置かせる訳だ」

「全くです。敵に回したらどれだけ恐ろしいか……」


 ゼレノエ少将は隣の兵士にそっと囁いた。

 僅か三千の兵士を細切れのように配置し、効果的に敵を誘導する手腕は流石と言っていいだろう。

 それに、が背負う武器も羨ましいと武人の彼女は思うのだ。


「そろそろだ、用意をさせろ」


 再び隣の兵士にそっと囁き、攻撃準備をさせる。

 ゼレノエ少将率いる部隊は中程より後ろを短時間だけ足止めする事が役目である。

 敵の殲滅は指示されてはいない。


 尤も、半数の敵を足止めする指示を受けているのだが、八百では敵の半数にも届かず殲滅など無理である。


 そして、三分の二が通り過ぎようとした所へ、ゼレノエ少将率いる八百の兵士が一斉に襲い掛かる。


「今だ!突撃を掛けろ」


 僅か八百の兵士であるが、全てが長槍ロングスピアを構えて錐の陣形で敵に突っ込む。後ろを振り向かず、決して足を止めずに。

 虚を突かれた敵は浮足立つ。

 武器を構える者、素手で戦おうとする者、逃げようとする者、千差万別である。


 一つだけ言える事は、その全てがミンデンに逃げ込もうとしている事だ。


 細長い隊列を八百の兵士が蹂躙して行く。

 蛇のように細長い隊列は細切れのように小さくなり、逃げ惑っている者達で溢れかえった。

 それでも先頭を行く騎馬は戻らすに、ミンデンへ逃げ込もうと速度を上げていた。


「そろそろいいだろう。引き上げるぞ!」


 二度ほど敵を通り抜けたゼレノエ少将の部隊は、戦果を気にするでもなくさっさと何処かへと引き上げて行った。

 無傷とはいかず、わずかにだが戦死者を出してだが……。




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 ゼレノエ少将の突撃が済んで、すでに夜の帳が降り始めた頃、ミンデンの北門から入りゆく一軍の姿があった。

 ここまでくれば、味方の援護も期待できるだろうと足取りも軽やかになっている。


 先頭の騎馬が門を潜る。

 それに続けと、次々に兵士が門を潜る。

 数人に一人は、既に暗いと思ったのか魔法の光を武器の先に点灯させて灯りを確保している。


「そろそろ頃合いです」


 敵の兵士が点ける魔法の白い光を頼りに馬上からエゼルバルドが呟く。

 この距離から馬の速度であればギリギリ敵に接敵しないであろう距離となっていた。


「では、騎馬部隊、妾に続け!各個に魔法の光を掲げるのだ!」


 闇夜に溶け込む灰色の鎧を身に着けたパトリシア王女が声を上げると、百騎の兵士は一斉に武器の先端に魔法の白い光を灯して馬の腹を蹴った。


 暗くなり始めた所に馬のいななきと無数の魔法の光が突如と現れれば誰でも驚くだろう。

 ミンデンに入り込もうとした兵士達は、それを見て我先にとミンデンへと逃げ込もうと駆け出した


 当然、防壁の上では見張りが立ち、魔法の光を掲げた騎馬が迫り来るのが良く見えた。


「早く逃げ込め!!」


 防壁の上から牽制の矢が射かけられると同時に、逃げ込もうとする兵士に声を掛け始める。

 こうなればパトリシア王女率いる百騎だけでは如何する事も出来ず、指をくわえて敵がミンデンの街へ逃げ込むのを見ているしかなかった。


「仕方無い、引き上げる!」


 危険を冒す事は無いとさっさとパトリシア王女は馬を反転させて何処かへと引き上げるのであった。




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「さて、エゼルよ。これで良いのだな」


 魔法の光を消して月明かりを頼りにミンデンから北へと向かう街道を進んでいた。


「ええ、上手く行きました。あとはジムズ達が上手くやる事でしょう。あとはこちらも仕掛けを作っておかなければなりませんからね」

「仕掛け、ったって、案山子かかしじゃあなぁ……」


 パカリパカリと馬を進める後ろでパトリシア王女とエゼルバルドの会話に割って入るヴルフは不満だった。

 ここへ布陣する前に沢山作った麦藁の等身大の人形を思い出していた。


 麦藁の束で作ると言えば、武器の試し切りに使うとヴルフの中では決まっていた。

 だが、案山子を無数に作ったとなれば、不満しか残らない。


「大丈夫。今夜は暴れられるはずだから。上手く行けばね」

「そう願いたいもんだ」


 ヴルフはエゼルバルドから告げられた事が上手く行くようにと、鼻でふっと息を吐く。


 それから案山子を隠した場所に到着すると、すでにある程度の兵士が集まり作業を始めていた。

 街道の左右に無数の案山子を立てているのだ。

 その数、約千。五百の兵士が布陣している様に密集させて。


「いいですね」


 暗がりに立つ案山子は一見すると兵士が布陣していると見紛みまがうだろう。

 エゼルバルドはそれに満足していた。


「確かに、案山子なら兵士の数を増やせるけど……」

「ちゃんと五百の兵士が三倍になったじゃないですか?」

「エゼルの事だ。計算しているのだろう。妾は信じているぞ」

「ありがとうございます」


 エゼルバルドは恭しく頭を下げた。


「では、オレ達も敵が来るのを迎えに行きましょうか」

「わかった。皆の者、移動するぞ」


 パトリシアがそう告げると、僅かな兵士をその場に残して、その場から西へと行くりと向かうのであった。




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「まんまと敵の策略に乗せられて……」

「面目御座いません」


 何とかミンデンに帰還したダンクマールを前に、ボルクム伯爵は頭を抱えながら重い溜息を吐いた。

 五千の遊軍が出撃して行ったが、被害が多くなかったのが幸いしていた。

 だが、敵に知恵者がいる限り、ミンデンから打って出ようと思う気持ちはこれっぽっちも残らなかった。

 それが頭痛の種となっていたのであるが……。


 敵はその遊軍がミンデンに逃げ込んだと同時に各陣へと引き上げて、今は静寂が訪れている。


「とりあえず、敵に知恵者がいるとわかっただけでも儲け物と考えるしかないな」


 頼みの綱の遊軍の殆どが残ったのは幸いと言えよう。

 損耗率を考えれば数パーセント、許容範囲である。

 だが、気軽に使えないとなれば何時までも籠城を決め込む訳にも行かない。


「いつかは打って出なければならんのだが、それを早めるしかないか……」

「ですが、敵は勝ちに乗じて戦いを仕掛けてきます。しばらくは立て籠もるしかないでしょう」


 立て籠もると意見したダンクマールをボルクム伯爵はギラリと睨んで溜息交じりに言葉を吐いた。


「ミンデンを奪う作戦に参加もしなかったくせに偉そうに口を開くな。案だけを出していればいいのではないのだぞ。帝国からの協力は感謝しているが、お前が作戦に参加しない言い訳にはならない。それにあの魔術師はどうした?腕を失ったと言って前線に出て来ないとは……」


 ダンクマールはミンデンへは出向いたが、アニパレでの作戦が上手く行かず引き上げるのに時間が掛かりミンデン奪取作戦には間に合わなかったと伝えた筈だ。

 その時は何も言われなかったが、今更言われるとはダンクマールも思わず拳に力が入った。もしかしたら手の平に無数の傷がつき始めていたのかもしれないが今はそれどころでは無い。反論しなければこの先、何を要求されるかわからないと口を開くのであるが……。


「ですが!」

「もういい。明日からの働きに期待する。今日の所は休んでいいぞ」


 反論も出来ずにダンクマールは指揮所から追い出されてしまった、邪魔な虫を追い出すかのように。


 元々、全ての作戦はディスポラ帝国の作戦が滞りなく行えるようにとの陽動作戦として考えられている。表で良い顔をしても、最終的には全ての援助を打ち切りディスポラ帝国へ引き上げるのだから、ここで言い訳をしても変わりは無いだろうとダンクマールは頭を切り替えた。


 それに、ミンデン奪取作戦は成功率三割だったものを八割と偽って実施させた作戦である。作戦終了間際にちょろっと顔をだしてお茶を濁すつもりであったが、作戦が上手く行きすぎて間に合わなかったのだ。

 今更、言い訳をしてもダンクマールの地位が変わる訳でも、そのうち姿を消すことも変わらぬのであれば、このままでも支障はない。


「とりあえず、今日の所は寝てしまおうか。さすがに疲れた」


 敵が二度も出撃したとなれば兵を休ませるために夜間の攻撃は無いだろうと、ダンクマールは寝所へと入り込み、鎧を脱ぎ捨て早々にベッドに潜り込むのであった。







 ダンクマールが寝所に戻り寝息を立てていると、ドアをけたたましく叩かれ目を覚ました。働かない頭で上体を起こし、上着を肩にかけてドアを開けると息を切らせた兵士から報告を聞かされた。


「報告します。街内で火事が起きた模様です」

「火事?何処で火事だ」


 こんな夜更けに火事が起こるなど何かの理由がある筈だと、一応兵士に尋ねるのだが彼の受け答えは余りにも普通だった。

 それに時間を聞けば今は丁度日付が変わった辺りだと告げられる。


「はい、兵士の食堂付近です」

「それなら不審火でもあるまいに。火の不始末を起こした者を見つけて明朝出頭させよ」

「畏まりました。そのように伝えます」


 建物が一棟燃えたくらいで大げさに騒ぐものだなと思いながら、報告の兵士を見送り再びベッドに戻った。




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「ジムズ様、重要施設を焼かなくて宜しいのですか?」


 建物の屋根の上に上り、火事の様子を眺めていると傍の兵士が囁いてきた。


「俺達の目的を忘れたのか?内部から手引きをして街の門を開けて味方を誘い込む事だろうが」


 思わず”馬鹿者が!”と叫びそうになったが、すんでの所で口を噤み言葉を飲み込んだ。

 その代わりに兵士の頭を軽くポカンと叩く。


 夕方の作戦でミンデンに逃げ込む敵兵に混ざり、街の中に潜入したジムズ達に与えられた作戦は日付が変わった後に門を開いてトルニア王国軍を街の内部に引き入れる事だ。

 ジムズも、たった百人で五千の敵兵に混ざってミンデンへ潜入など、死にに行くようなものと思っていただけに、成功した後で驚いていた。

 しかも一人も掛ける事無く潜入出来たのだ。


 元々、味方の街だけあり地図も手元にあったので何処へ行けば良いか、既にわかっていた事も大きいだろう。

 敵は役所を占領して指揮所として使い、大きめの建物を兵士の寝所としていた。


 そして、食料貯蔵庫の近くの建物が食堂として使われていると知ると、火を点けて火事騒ぎを起こしたのだ。


「敵将は全て役所か?」

「恐らくそうでしょう。ですが、現場に出て来ないところを見ると報告をされても不始末と思ったのでしょう」

「それなら結構」


 ジムズ達は屋根の上からするすると降りると、その場で待機している何人かの兵士に指示を出し始める。


「これから作戦を開始する。第一隊は南の門を、第二隊は西の門を開けるのだ。跳ね橋を下ろしたら、巻き上げの機械を壊してしまえ」


 四十人に分けられた第一隊と第二隊を率いる隊長はコクンと頷くと、隊を率いて門へと向かった。


 夜中にミンデンの門を開けて、待機しているトルニア王国軍を引き入れる。

 最初にジムズ達に告げられた作戦である。


「残りは俺と来い、敵の将を捕らえるぞ。一人くらいは捕らえたいと思わんか?」


 たった二十人で出来る作戦など五本の指で数える程しかないだろう。

 火事騒ぎに乗じてミンデンの街中を縦横無尽に動きながら、敵将を見つける、これがジムズにこっそりと与えられた作戦の二つ目だった。


 夜中にこっそりと動くのであれば火事騒ぎなど起こすべきでは無いが、ジムズ達はあくまでも兵士として訓練を受けており、諜報員ではない。

 だからこそ、大勢が動き出さなければならぬ状況を作り出して、敵の目を欺こうとしたのだ。


「では、向かうとしよう。堂々と、な」


 ジムズ達は数人に分かれて、火事騒ぎを聞きつけ野次馬の如く道々に立つ市民の間を抜けて占拠された役所へと向かう。

 この人数で制圧できるのは逃げ遅れた敵将くらいであろうと思いながら。




※これが作戦の要です。

 敵の撤退にあわせて一軍で追撃し、慌てて逃げ込むところに味方を潜入させる。

 上手く行ってよかったです。

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