第二十二話 魔術師、高山を行く
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早朝にブールの街を出発した馬車が街道の石畳を心地よい旋律を奏でながら進んで行く。
その車内でミルカが対面に座る魔術師に向かって頭を下げる。
「改めて。道中、よろしく頼む」
それに対し、スイールも道中に迷惑を掛けてしまうかもしれないと同じく頭を下げる。
「こちらこそ、よろしく。迷惑を掛けるかも知れないけど」
二人は改めて頭を下げたのだが、それが何となく可笑しかったのか思わず笑みを零してしまうのである。
スイール達を乗せた馬車、借り物であるが側面にはブールの街の紋章が描かれ、領主アビゲイルが持ち主だと一目でわかる。しかし、この馬車には持ち主の領主たるアビゲイルの姿は無く、スイールを始めとしたミルカ、ヴェラ、ファニー、そして、クリフとその従者兼護衛のヘルマンが乗車している。
その他には御者が二名、吹きさらしの御者席に座っているだけでブールの街の役人、しかも階位持ちは誰一人として派遣されていない不思議な顔合わせになっていた。
何故、この面々となっているかと言えば、ジムズの働きによるものが大きい。
ミルカ達の実情を知り、それに同行するとしたスイールを最大限補助しようとしたのだ。それが、数台ある領主専用馬車の中から一台の手配と食料の提供であった。
その他にも中継地での宿泊やオグリーンでの補給の手配など、早々に手を打ってきていた。
本来はジムズ自身が同行して力になりたいと考えたが、領主館での業務があるので好き勝手に動ける筈も無く、涙を飲んで協力だけに留めた。
実際、ジムズの選択は正解であり、過酷な道中でで脱落してしまう可能性があった。
「ブールからは馬車だが、それは途中までで降りる事になる。その後は馬も使えぬ場所だから覚悟だけはしておいて欲しい」
「最初に聞いた時には巫山戯てるのかと思ったが、大真面目に向かうんだな」
「当然!正攻法で進めないのだから、こんな裏道を進むしかないのさ」
呆れたように声を掛けて来たのは顔の半分がただれた痕のあるヴェラだった。
彼女を筆頭に、帝国に向かうだけなのにこんな過酷な道程を提案されるとは思ってもみなかったのだ。
「標高は高くなりますが、オグリーンまでは馬車で進みます。そこで一日過ごし、その後、アミーリア大山脈を東に向かって横に移動し、国境を抜けます」
ブールの街も比較的標高が高い高原にあるが、今向かっている場所はトルニア王国、ディスポラ帝国、どちらの国からでも未踏破の山々が連なるアミーリア大山脈の中腹だ。標高三千から四千メートルの場所を進もうと言うのである、まともな神経の持ち主では誰も思いつかないだろう。
「だが、クリフ様が耐えられぬのではないかと思われるが?」
「それなら心配いりません」
そう言うと、スイールは膝の上に乗せていた鞄から小さな包みを出してヘルマンに渡した。それを開けると、サラダを取り分ける小さなボールの様な道具が出て来た。
「寒さ対策はお願いしましたが、それでも標高の高い場所では息が苦しくなるはずです。息が苦しくなったら、それを口に当てて呼吸すると楽になるはずです」
「これは一体何なのでしょう?」
ヘルマンもクリフも見た事のない道具を手にして不思議な眼差しを向けている。
実際、スイールも一度作ったきりで、そこまで必要になるとは思ってもいなかった。
そのために、ヘルマンが手にした一個限りなのである。
「最近、
「ああ、それなら知ってるぞ」
そう口にしたのはミルカだった。
ヘルマンとクリフは言葉だけは知っているが、それが何なのか頭に浮かばなかったので首を傾げていた。
「その
研究の結果、製作したと告げたが、実のところベルグホルム連合公国の地下迷宮で見つけた資料にあった
それを身振り手振りを使い、説明して機器を動作させてみる。
「なるほど。こうやって使うのですね。でも、あんまりつけてる意味が無いと思うのですが……」
口元に取り付けてクリフが感想を漏らすのだが、機器の能力に疑問を感じているようである。
「その機器は空気が薄いところで効果を発揮する様にしてあります。ですから、息苦しくないここでは、まだ実感できないのですよ」
そんなものか?と、口にしながらその機器を取り外してスイールへ戻した。
「準備も出来ていますし先は長いですから、少し眠らせて頂きますね」
そう言うと、フードを深く被り、幾分も経たぬうちにスースーと寝息を立て始めた。
「全く、肝が据わっているのか、信頼しているのか、心の中を読ませない奴だな」
「確かにそうですね。ですが、彼が提案してくれなかったら帝国への道などいまだに見つけられてませんでしょうからね」
「確かにな」
目の前でスースーと気持ちよさそうに寝息を立てている魔術師に、ミルカは不思議な気持ちで視線を送る。
ミルカは帝国へと進入するには困難を極めるだろうと予想していた。
帝国に向かわなければクリフとの約束を破る事になってしまう。それを実現させるには帝国へ侵入をしなければならないが、陸路にしろ、海路にしろ、入国できる場所が限られてしまっているのだ。
それを、人の気配が殆どしない高山の道程に着目して、瞬時に実行に移すなど並みの思考回路では提案できぬであろう。
ミルカであったとしても、高山と言う未知数な場所を最初に諦めた、いや、思考から外したくらいである。
それがどうだ。目の前で寝息を立てている魔術師は平気で高山の道を提案してきたのだ。
「なるほどね、我々が勝てぬはずだ」
「え、どうしたの?」
「いや、何でもない」
ほんの僅か漏らした呟きにヴェラが気になって声を掛けてきたが、ミルカはたいした事無いと告げ、魔術師と同じように瞼を閉じて寝息を立て始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
スイール達を乗せた馬車は獣達の襲撃を受ける事無く、無事にトルニア王国最南端の村、オグリーンへと到着した。
昼間だけの移動とは言え、七日間も馬車を引いていれば体力や精神、そして、高山で空気も薄いとあって馬車馬達は疲弊して今にも倒れて眠ってしまうかと思うほどに衰弱していた。
御者達は”よく頑張った”と体力が回復するまでこの地でしばらく休憩する事にしている。
そして翌日、一日だけ休息を挟んで、アミーリア大山脈を東方面へ一気に抜けてしまおうと算段している。とは言いながらも、帝国との国境まで十二日も掛かる予定であるので一気にと言うと語弊があるかもしれない。抜けるにも食料の補給と案内人を用意する必要があるのだから……。
「よくぞ、こんな最果ての村へいらっしゃいました。お客様方を歓迎いたします」
「最果ての村なんて、そんな……。一日ですが、よろしくお願いします」
馬車から降りて背伸びをしているスイール達の前に一人の男が現れ、頭を下げながら挨拶をして来る。彼等にしてみればこれから冬に向かうこの地に好き好んで足を運ぶ旅行客などいる筈も無いと高を括っていたのであろう。
それが、王国直轄地のブールから直接の依頼を受けたとなれば低姿勢になるだろう。遊びに来る旅行客ではなく、密命を受けてと聞けば依頼料金も期待できるのだから。
短い夏の稼ぎ時を過ぎての来客はそれだけ儲けを運んでくれる良客でもあるのだ。
「しっかりとブールの領主からは聞いてますよ。食料の補給と案内人ですよね。明日にでもお引き合わせいたしますよ」
「感謝いたします」
「こちらもそれが仕事ですので、礼には及びませんよ」
守銭奴であろうと見られても、依頼料を貰えば仕事に手を抜く事はないと答える。それが、仕事に対するこだわりでもある。そして、自分達にしか出来ぬ事となれば、否応なしに力が入るのだ。
それに、この村で暮らす人達は自給自足の生活をしている。
夏場はともかく、外出さえままならぬ冬場の食糧確保は特に気を使っている。
若干下った場所に、食料に適した獣達が現れるので、それを干し物として溜め込むのである。
そして、野菜関連も夏場に取れる特殊な高山野菜が彼らの保存食として長く伝えられてきている。
それとは別に、狩猟の道具、登山道具等はどうしても村外からの買い入れとなってしまう。特に、夏場の観光客が訪れる場合には、近隣で登山を楽しむオプションが好まれ、村の人達にも道具が必要となる。
外からの観光客が落とす金銭で村は潤うが、登山などの道具を買ってしまえば、残るのは僅かなのだ。
村を存続させるためには、どうしても村外から来る客にお金を落としてもらう必要があるのだ。守銭奴と呼ばれようとも、それは仕方のない事であるのだ。
そして、一夜明けた次の日の夕方。
食料を補給しているスイール達の前に一人の男が姿を現した。
「えっと、お前さん達だな」
「何か御用ですか?」
「おっと、すまんな。おいらは【ドロティーノ】、お前さん達の案内役を命じられた」
ドロティーノは申し訳なさそうに左手で頭を掻きながら、右手を差し出した。
「私はスイールと申します。山道を行くのは随分と久しぶりなので案内を引き受けてくれて助かります」
スイールは差し出された手を力強く握り返した。
「こちらは一緒に行く、ミルカ殿です」
「ミルカと言います。こっちはヴェラとファニー。ここにはいませんが、クリフとヘルマンと言う二人も一緒になります」
ミルカも同じようにドロティーノへ握手を返した。
「山道は任せてくれて大丈夫だよ。でも、山道が久しぶりって、三十年も案内してるけどお前さんは見た事ないな」
「そうですか?たまたま、私が登った時に案内に出ていなかったんじゃないですかね?」
「そうかもしんねぇな。つまらねぇ事聞いちまって悪いな」
「いえいえ」
ドロティーノは不思議に思いながら記憶を掘り起こして行くが、スイールと名乗った男の記憶はやはり思い出せなかった。
記憶に残っていないだけなら、問題にもならないだろうとそれ以上の考えを止めるのだった。
尤も、ドロティーノ自身、山道の案内以外での深慮は得意では無いのだ。
「それじゃ、明日はよろしく頼むな」
「ええ、こちらこそ」
そう言うとドロティーノはスイール達に手を振りながらその場を離れるのだった。
さらに一夜明けると、太陽がまだ見えもしない時間と言うのに、村の東の門には案内人のドロティーノを始めとしてスイールやミルカなど山道を行く装備を整えた七人の姿があった。
女性はともかく、成人してもない子供が混ざっている事に驚きを隠せなかったが、顔つきを見たドロティーノは二十日程の厳しい道程を走破してしまうだろうと確信を持つに至りこの時以降、子供だとの認識は捨て去り一人前の大人として扱うのである。
「岩肌が見えている筈だが、足元には十分注意してくれ。あと、無理しすぎないで、無理だったらちゃんと言ってくれるとありがたい。変に頑張って貰うとそれだけ遅れる事になるからな。あとは、おいらの指示に従ってくれ。山道は危険がいっぱいだからな」
ドロティーノが告げると、スイールを始め皆は強く頷いて返事を返した。
「それじゃ、早いが出発するぞ」
誰の見送りも無い村の門を、ドロティーノを先頭にして山道を進んで行く。
それから間もなく太陽も昇るだろうが、まだ顔を出してもおらず真っ暗な中を僅かな月と星の明かりを頼りに進み始める。
足元が見えにくいと生活魔法の
人一人が歩けるほどの狭い道を踏みしめるが、一歩間違えば奈落の底へと滑落して行きそうな気分になる。
比較的標高が低いとドロティーノが説明していたが、背の高い木々などありもしない高山では巨木になれなず、地面を這うように生える草の様な木が見えるだけ。緊張した面持ちで誰もが足を一歩ずつ進ませて行く。
しばらく歩けば体がぽかぽかと暖かくなる。
それに呼応して辺りがうっすらと明るくなり暗闇が薄くなる。
正面の東の空に太陽が顔を出し始めたのだ。
だが、夜明けの光は眩い光を放つことなく、眼下一面に広がる綿雪のように真っ白な雲に遮らている。
だが、しばらく歩き続ければ、雲の上に太陽が顔を出し、道行く者達を照らし始めるだろう。
それからが本番だ。
進み行く皆は徐々に息を切らせて行く。
ドロティーノはともかく、きつい訓練で体を鍛えているミルカでさえも高山ではすぐに息が上がってしまう。
「ま、こんな所だろうな。ちと休憩するか」
ドロティーノは疲れを見せ始めたスイール達に配慮し広場を見つけて休憩に入るように指示を出す。
それから、やっと休憩だと腰を下ろした誰もが、あらかじめ用意してあった水袋を開けて喉に流し込む。体は暖かいが息が上がってしまい、どうにも足が進まないのだから仕方が無い。
「ここいらは三千メートルを越えてるからな。一日、村で過ごしたからって体が慣れる筈も無いさ。もう数日は厳しいと思ってくれ。でも、鍛えてるみたいだから、急にきてこれだけ歩けるのは感心したわい」
「そうか?これ程キツイとは思わなかった。まだまだ訓練が足りんのかな」
息を切らせず歩くドロティーノを驚愕の視線で眺めるミルカ。自分達は無様な姿を見せているのだが平気な顔をしているとうらやむ。
そのドロティーノは首を横に振って”そうではない”と答える。
「ここは空気が薄いから、体が慣れてないんだよ。おいら達はここで生まれてずっと住んでたから慣れてるだけさ。でも、ここに体が慣れると、下に降りた時に呼吸が楽だと感じると思うぞ」
「そうなのか?今はそれを期待しておくとしよう」
ミルカ達はドロティーノの言葉を胸に刻み込む。
そして、休憩を取り終え息を整整えると再び僅かに踏み固められた道を歩み始めるのであった。
※三千メートルから四千メートル。富士山の山頂付近を強行軍。
高山病に掛かりそうですが、はて、どうなる事やら……。
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