第二十一話 つかの間の平穏。旅の準備
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「ただいま~。あれ?エゼルは留守ですか」
「お帰りなさい。えっと、領主様に呼び出されて、それからすぐに王都までお使いだって出て行ったきり。彼も大変なのよ」
アニパレでの襲撃事件の事情聴取等、現場調査の全てが終わりジムズを始めとしてスイールやヴルフ、そして、ミルカ達はブールの街へ帰還した。八月が過ぎて九月の上旬も終わりを告げようとしていた。
ジムズは領主館へ帰着の報告に向かい、同行予定のミルカ達は一時の安寧を求めてジムズおすすめの宿へ、そしてスイールは自らの屋敷へヴルフと共に帰って来た。
オレンジ色に色づく西の空を見ながら玄関を潜るとエプロン姿のヒルダが夕食の準備で慌ただしく動いていた。台所からはコポコポとスープを煮込む音が聞こえてくる。
とは言え、スープを煮込む鍋の大きさを見れば、先程までこの屋敷にいた人数分しか作られていなかった。
この屋敷の留守を預かるとは言え、主人の帰りを知らぬのであれば当然そうなるだろう。
スイール達もそれを見越して、夕食に食べようとサンドイッチの入った紙袋を小脇に抱えていた。
「そうですか……。領主もなかなかのタヌキですからね」
「スイールは顔が怖いわ。そんなんじゃ、エレクに泣かれちゃいますよ」
ぼそりと呟くスイールの表情は何かを察していたが、小さなエレクに見せたら怖がられる様な気味の悪い表情をしていた。
そのエレクはと言えば、ワンパクぶりを発揮して疲れ果てるまで小さな庭を走り回り、夕食時までベッドで遅い昼寝を取るのが日課になっていた。
ベッドから起きてきたらスイール達が帰って来たと喜び飛び付いて来るだろうが、気味の悪い顔を見たら泣き叫んでしまうと聞けば、さすがのスイールも顔に両手を当てて、こわばった表情を解そうとする。
「そんなに怖いですか?」
「お前さんは深く何かを考えると不気味な表情をするからな。エレクに怖いって言われて当然だ」
それが、さも当然だと鼻から息を吐き出しながらヴルフが注意喚起の言葉を告げた。
「まぁいいです。エレクに見つからなければ」
ヴルフとヒルダは”やれやれ”と首を
「
テーブルに夕食の準備が整う頃になって、昼寝から覚めたエゼルバルドとヒルダの息子のエレクが起きてきて、久しぶりに見たスイールとヴルフの名前を叫びながら飛び込んできた。いまだになおらぬ舌足らずの言葉づかいで。
「ただいま、エレク。ちょっと見てない間に大きくなったか?」
飛び込んできたエレクをスイールがしっかりと受け止めてそのまま持ち上げてみると、ズシリとその体重がスイールの両腕に圧し掛かり思わず潰れそうになってしまった。
一か月も経っていないはずなのに、子供の成長は早いとしみじみと感じてしまった。
「子供は大きくなるのが早いからな。それはともかく、今は腹が減ったわい」
エレクも大事だが、今は腹を満たす事が最重要だとヴルフはテーブルに乗った食事にチラチラと視線を向け続けている。
「ほら、エレクもこっち来て食事にするわよ」
ヒルダがテーブルに付くと同時にエレクを呼び、夕食が始まった。
「なるほど、大変だったのね」
ほのぼのとした食卓を囲いながら、スイールとヴルフの殺伐とした説明が始まった。
それをエレクの食事の世話をしながら、話に耳を傾けるヒルダ。
何時も見る夕食時の光景だが、エレクの世話をしながらよく会話が出来るなと、二人共が感心する。
「エゼルもヒルダも付いて来てくれたらどんなに楽だったかと思うとなぁ」
「仕方ありません。依頼の報酬を出すにも、潤沢な予算などないはずですから」
ヒルダはまだ頼りにされていると嬉しく思った。
だが、エレクがまだ小さく、ここから離れる訳には行かないと残念な気持ちを抱く。
それとは別に、ジムズが出せる予算、つまりは護衛の依頼料として払える金額は有限であり、エゼルバルドとヒルダまで連れて行ってしまうと予算を圧迫してしまうと嘆いていた。
それでいて、護衛の兵士に死者を出してしまった事で、さらに予算を圧迫してしまうのだった。
「亡くなった兵士は気の毒だけど、スイールとヴルフがいて他の六人が助かったのだから不幸中の幸いってところかしらね」
食後の紅茶を淹れ、しみじみとした気持ちを落ち着けたところでスイールは再び口を開いた。
「それで、私は帝国へと行こうと思う」
アニパレの襲撃時に、力になってくれた人達と共にディスポラ帝国へと向かうとスイールは告げた。
すでに耳にしていたヴルフは当然の様に何の反応も示さなかった。
それはヒルダも同じで、食事が終わったエレクの口を拭きながらスイールの言葉に耳を貸しただけだった。
「それで?」
「多分、エゼルにもヒルダにも一度も話したことが無かったが、私の無二の親友を帝国に殺されているのです。それも、民衆の目の前で惨たらしく……」
アニパレでは部外者が大勢耳を立てていたので詳細までは語らなかったが、スイールはそれが忘れられずに、何時までも脳裏に浮かび上がって来るのだと語った。
「彼が処刑場で私を見つけて、民衆に向けて高らかに言ったのです。”ここで俺は終わるが、何時かオレの怨念が帝国を滅ぼす”と。それからです、何時かは帝国を滅ぼす、それが難しいなら皇帝に一矢報いる……と、思い続けているのは」
帝国を滅ぼすとスイールの口から告げられても、ヒルダはあまりのスケールの大きさに正確な情景を思い描けなかった。それに、皇帝に一矢報いるとも聞いたが、どのような手法でそれが成せるのか、それすらも脳裏に描けないでいた。
「止めても行くんでしょ?」
眠そうなエレクを抱きかかえながらヒルダが告げると、ゆっくりと頷いて返事を返した。
「でも、一つ約束してくれる?」
「出来るだけ約束するよ」
にっこりと笑みを見せるスイールに不安を覚えながらヒルダは告げる。
「ここは貴方の家よ。家主はちゃんと戻ってきてくれないと困るわ」
「なるほどな。家主は家賃を取らねばならぬからな、わっはっはっ!」
今まではそうでも無かったが、自ら行動を起こそうとしているスイールが無茶をしないと言い切れないとヒルダは思った。彼を止めるストッパーが同行できぬと思えば言葉で押さえるしかないだろう、と。
それも完全に出来るかと言えば自信が無いのだが、言わないよりはまだマシだろうと告げた後には溜息を漏らしてしまった。
場を和ませようとヴルフは言葉を遊ばせたが、重い雰囲気に飲まれ、虚しく時間が過ぎるだけだった。
「悪いがワシは今回はここに残る」
「あら珍しい。ヴルフが行かないなんて、嵐でも来るのかしら」
”茶化すなよ”と目を細めながらヒルダの言葉をさらりと受け流す。
「どうもワシは有名人らしいからな。この間の襲撃でもワシを一目見ただけで名前を言い当てやがった」
ヴルフ自身は名前を知られてても、顔は知られていない筈だと思っていた。
実際、トルニア王国や海を渡ったベルグホルム連合公国では名前や二つ名を知ってたとしても顔を一目見て言い当てるなどなかった。
それが、アニパレでの襲撃時に一目で見抜かれてしまい、隠密行動について行けば正体を知られて二進も三進も出来ぬ状況になるかもしれないと思ったのだ。
「それにだ。ブールだけでなく、アニパレも、ルストも兵士を徴募する命令が下ったのが気になる」
そしてもう一つ。アニパレでジムズ達を護衛していた時に耳にした三都市での徴募の事実がある。
根無し草のヴルフには徴募の報が届く事は無いだろうが、争いの火種が燻り始めたと見ればブールも戦場になっても不思議ではない。
公にされていないが、全ての事象が帝国につながっていると会合の参加者は口々に叫んでいた筈だ。不安定な状況でスイールの、魔術師の力が欠けてしまおうとしている今、ここを離れたくなかった。
たった一人の力で戦争を終結するなど無理であろうが、負傷したとは言え帝国との戦争に参加し、アーラス神聖教国との内戦でも生き残って見せた。
それを少しでも役に立てたいとも感じていたのだ。
ヴルフとて、戦争には反対の姿勢を取る。
だが、皆が笑顔で手を取り合って生きる術を奪い取ろうとする相手には断固として牙を向けねばと、ヒルダの腕の中で眠りに落ちそうなエレクを見ればその気持ちが強くなってくる。
「私としては、ヴルフにも一緒に来て欲しかったのですが、誰かとすぐにわかってしまうのは都合が悪いですね。仕方ありませんが、諦めるとしますか」
「気にせんでも大丈夫だろう。あのミルカだったら、今のワシと引けを取らんだろう。それにあの老紳士もなかなかの腕前と見ていいしな」
スイールが同行を願い出た帝国行きのクリフを護衛する二人はヴルフが口にしたように剣の腕前は標準を大きく上回り、達人の域に達している。
それに、女二人もそこそこの腕前で近接戦闘に対しては何の不安も持ち合わせていない。
だが、信用できるかと言えば、旧知の仲となったヴルフに及ぶまでも無く不安は残らざるを得ない。
「返ってきた早々、長話で疲れたでしょう。先に休んだら?」
「そうですね。数日中には出発しなければならないでしょうからね」
”そんな急ぎなの?”とヒルダは驚いて体をピクリと跳ねてしまった。
帝国の内部事情は刻一刻と変化を続け、徐々に体制も整いつつある。そんな中で秘密裏に進入しようとするのだから、時間の余裕は全くなかった。むしろ、遅いと感じてしまうほどだった。
ブールの街で泊まるクリフの体力を考えれば、ここで十分に休みを取っておかなければ、次にゆっくりと休める時間は作りにくいと感じていた事も一つの理由として上げられる。
それに、ミルカ達には過酷な環境のルートを通って進むとすでに伝えており、準備に最低でも二日は時間を取らねばならなかった。
「私も明日は準備がありますからエレクと遊ぶ時間も取れませんしね。こればっかりは仕方ありません」
「それなら、明日はワシがエレクと遊んでやろう。それにエレクも、魔法を習っても良い年齢じゃないか?」
ヴルフの提案に、そういえばと二人してヒルダに視線を向けるが、ぶんぶんと首を横に振って返してきた。
「まだ三歳よ。あと一、二年は無理よ」
「そうか、まだ三歳か……。エゼルとヒルダの子供だから教えがいがありそうだな」
こっくりこっくりと船を漕ぎ出したエレクに言葉を掛けるが、すでに夢の中へと入っているからか何の返事も返ってこなかった。
だが、それが可愛いと、ヴルフはニッコリと笑顔を見せていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「この外套は必要ですね。それに杖も無ければ大変ですね」
スイールの書斎のドアが開けられ、部屋の外にまでこまごまとした道具が広げられていた。
「おい、朝っぱらからこれは何なんだ?ここまで店を広げて、これが準備だってのか?」
「あぁ、おはようございます。そうですよ、山を登って帝国に侵入するんですから、準備万端にしておかなければなりませんからね」
ごそごそと朝っぱらから探し物の音が聞こえて何かと顔を出せば、スイールが登山道具を出して点検していたのだ。太陽が顔を出したばかりで薄い光が差し込めるだけの時間によくやるなとヴルフは感心している。
中には個人で持つには珍しい望遠鏡まであった。
「それにして、ホントにこんな大げさな防寒着とか手袋とか必要か?」
明るい鼠色の手袋をちょいと摘まみ上げて、まじまじと見つめるヴルフ。
その手袋の他にも、表が深緑で裏が茶色の薄手の外套や、手袋と同じ明るい鼠色の外套も用意されていたりと、溜息が出て来る。
「標高が高いですからね。あと二か月もしたら、これでも寒いくらいですよ。これ以上寒くなるとあのルートも使えなくなりますからね」
「お前は何処から進むつもりだ?」
「あれ?伝えてませんでしたか?」
散らかしてある道具の数々を見ながら呆れた口調で”聞いてないぞ”と答える。
「ここからさらに南、アミーリア大山脈の中腹にあるオグリーンを経由します」
「ちょっとまてよ、オグリーンて言ったら、トルニア王国最南端にして最高地の村じゃないか!」
ヴルフが驚くのも無理はない。
すでに冠雪のあるアミーリア大山脈の中腹に位置するオグリーンの村はトルニア王国の中でも隔離された村と言われている。
標高は三千メートルから四千メートルに位置し、自生する高山植物とそれらを食する草食動物を狩って自活するなど、昔ながらの文化を守っている。
中腹からは山林も無く身を隠す場所も無く、そして空気が薄く呼吸も難しい。
「だから、その装備なのです。岩肌がむき出しになっていれば鼠色の外套で、高山植物が自生していれば深緑の外套で身を守る。それに、雪が積もってそうですから
嬉しそうに道具をそろえて行くスイールを見ながら、いったい何処に向かおうとしているのかと、ヴルフは一抹の不安を覚えるのであった。
※
アイゼンの事。雪山に登るときにブーツの底に取り付ける
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