第一章 魔術師と血の繋がらぬ子供

プロローグ 駆け落ちた先に訪れる破滅、そして、残される命

※2020/01/03 第1章 零話追加。




 真っ黒な分厚い雲が垂れ込め、特徴ある二つの月や煌めく星々を覆い隠す真っ暗な闇夜。

 一台の小さな幌馬車が最低限の灯りを頼りに申し訳程度に整備された細い道を疾走している。


 何も見えぬ暗闇を何故、そんな自殺まがいの速度を出して疾走させているのだろうかと誰もが疑問に思うだろう。

 御者の男は馬車馬に”もっと早くもっと早く”と馬が嫌がるのも構わずに鞭を振るい続け、何かから逃げているのだ。


「早く、早く!急いで……」


 小さな幌馬車の荷台では、御者の男の後ろから真っ暗な前方を眺める女性が冷や汗を流しながら呟き続ける。御者の男も女性の呟きが耳に入っているのか、さらに鞭を振るい馬車の速度を上げ続ける。


 女性の腕の中にはこわばった表情をして目を瞑っている、まだ年端も行かぬ子供を抱きかかえている。速度を上げる馬車に自らの死を想像しているのか、また、女性の心の内を覗き見て震えているのか、それはわからぬが、恐怖を抱いている事だけは確かであろう。

 何も出来ぬ子供はただじっと耐えている事しか出来ない。


 そのくらいの子供であれば、恐怖を感じただけで泣き叫ぶ事だろう。

 だか、女性の胸元の子供はそうすることはしていなかった。


「あ、後どのくらい?」

「わからん。だが、一時間もすれば人のいる集落くらいは見えるのではないか?」


 幌馬車の荷台から問いかけてきた女性にそう答える御者の男。

 道なりにどれだけ走らせたのか見当もつかない。

 月も星も見えなければ、方角も時間も感覚で掴むしかないが、慌てている今は正確に把握など出来る筈もない。


 実際、彼らの幌馬車はこのままの速度を維持すれば、あと十数分もすれば辺境一の街に到着するのだが、黒く垂れこめた厚い雲が彼らの感覚を狂わせていた。

 それに、今にも雨が降り出しそうなもやががった天候も影響していただろう。


 辺境一の街ともなれば防壁でぐるりと囲まれ、その上部では煌々と灯りが点き見張りの兵士が夜間でも目を光らせている。

 それも、こんな天気でなければ疾走させる馬車を見つける事は容易いはずだ。


 この日の天候が彼らに不幸をもたらしていた事だけは確かだった。


「しまった、奴らだ!」


 御者の男の耳に馬蹄が地を蹴る音が微かに聞こえてきた。

 馬車を自殺まがいの速度を出して走らせていたにもかかわらず、逃げきれないと臍を噛んだ。


「逃げられないの?」

「出来るだけ頑張ってみるが……。馬もそろそろ限界に近いから」


 御者の男はさらに鞭を振るい馬車馬の速度を保とうとさせるが彼が口にした通り、馬車馬は体力の限界を迎えようとしており、速度を急激に落としつつあった。

 無理もない。馬車馬は小さいながらも馬車を引きながら全力を出し続けていたのだから。


 それに対して馬車を追い掛ける者達は、整備されていないとはいえ草原を一直線に走らせてきた。大きく迂回している道を馬車で逃げていても追いつかれてしまうのは当然であろう。


 だが、馬車を走らせる彼らにはまだ逃げる手立てが残されている。

 それは諸刃の剣であり、成功するかは半々の確率でしかない。

 万全の体勢であったなら確率も上がるが、馬車を走らせて体力を消耗しており更にもやがかった天候の闇夜では、彼らの能力を十全に発揮できる保証もない。


「仕方ない……。ここで戦おう!」


 このまま馬車を走らせても追いつかれ不利な状況に陥る可能性が高いと見て御者の男は道の脇に広場を見つけて急制動を掛けて馬車を止めさせた。


「すまない。ここまでかもしれない」


 御者の男は不安そうに見つめる女性に申し訳ないと口を開いた。

 そして、御者席の後ろに大事にしまってあった杖を手に取ると、そのまま馬車を降りて、来た道を見据える。


 馬車の中では女性が腕に抱いていた子供を毛布に包み、荷物の陰に隠した。

 子供は何かを言いたそうな目を女性、--子供の母親である--に向けるのだが、女性の有無を言わさぬ雰囲気に気圧されたのか口を開く事さえしなかった。

 子供心に、良からぬ事が襲い掛かってくる、そう感じていたのだろう。


「ここに置いていく私を恨んでもいいからね。……睡眠誘導スリープ


 女性は子供の額に手を当てて、魔法で子供を強制的に眠らせる。

 これから起こるであろう血生臭い出来事の外に、自らの子供を置いておきたかったのだろう。

 念のためにと事前にしたためておいた手紙を子供の側に置くと、彼女も杖を手にして馬車を降り、御者の男の傍へと急いだ。


「眠らせたのか?」

「ええ。殺し合いを見せるのは酷だもの。私達の手ですくすくと育てたかったけど、それもお終いかもね」

「まだ諦めるのは早いさ。返り討ちにして何としても逃げるんだ」

「ええ、そうね。まだ、諦めるのは早いわね」


 二人はそろそろ追い付くであろう追っ手の方角に杖を構える。

 諦めるのは早い。

 自分達には抵抗する手段が残されているのだから、と暗闇を見据える。


 やがて、蹄の音が大きく聞こえ出したところで、二人同時に魔法を放ったのである。


「「火球ファイヤーボール!!」」


 前に伸ばした手の平の先に火球が生み出され、それが暗闇に向かって一直線に飛んで行った。

 二人の視界から火球が消えると同時に男の叫び声と人が燃える姿が暗闇に浮かび上がってきた。


「よし!これで何とかなりそうだ!」

「まだ、安心するのは早いわ」


 追っ手の一人を火達磨にして悦に入る御者の男だったが、女性は追っ手を倒すには簡単すぎると内心で警戒していた。


 確かに追っ手を火達磨にして倒したは良いが、二人は決定的な過ちを犯していた。女性は内心で気付いていたが、御者の男はそれすら気付いていなかった。


「うぐっ!」

「きゃっ!」


 決定的な過ちとは、月も星々も見えぬ暗闇で煌々と辺りを照らし出す炎の魔法を使ってしまった事だ。光源を付けなくても標的の場所が一目でわかってしまうのだ。


 そのおかげで、追っ手は目標の居場所をしっかりと視認する事ができ、易々と攻撃の手段を得る事が出来た。当然、攻撃準備をすぐに終えると火球ファイヤーボールの発射起点へ弓矢を射かけたのである。


 追っ手が放った複数の矢は殆どが外れたが、数本が二人に命中して体を貫いていた。


「こ、ここまでか……うぐっ!」


 御者の男は、飛来した矢に自ら過ちを冒していた事に気付き毒を吐く。

 左の肩口に刺さった矢に手を添えて抜こうと試みるが、もともと戦闘職でもない彼には痛みに耐える事が出来ず、ただくぐもった声を漏らすだけであった。

 背にしていた馬車にもたれ掛かり、真っ黒な雲が垂れ込める天を仰ぐのであった。


 御者の男の傍にいた女性は男よりも酷く、右胸と腹を矢で貫かれていた。

 彼女はここで命が費えると感じ取り、最後に一目子供の顔を見ようと痛みを堪えながら馬車の後部へと回り込んだ。


「裏切者には”死”あるのみだ。それを忘れた訳ではあるまい」


 ほんの数刻前まで生きるために足掻き続けると息巻いていた二人の耳に、死神と思える声が入ってきた。

 二人を追って来た死刑執行人とでも呼ぶべきであろうか?


 暗闇から声を発した男と付き従う数人の部下が、暗闇に溶け込む紺色の外套を羽織り姿を現した。


「ふっ!俺達二人をよくもまぁ、見つけてくれたな。その執念に脱帽だ」

「我らの元から逃げて四年か……。よくもまぁ、身を隠せたものよ」


 鋭い目つきの男は自らの仕事をいつでも果たせるようと右手に剣を握り締めている。

 そして、真っ黒な雲が垂れ込めている暗闇に彼の剣が不気味に光りを放ったと誰もが認識すると同時に、真っ赤な鮮血が飛び散った。


 御者の男の目には、血に染まり切り上げられた剣が入った。

 その光景のすぐ後に、胸元が熱を持ったかと思うと始めて切られたとわかり、遅れて痛みを感じ始める。

 そして、意識を手放しながら”ズズズ”と馬車に背を預けながら地面へと倒れ込んでいった。


「あとか……」


 鋭い目つきの男は視線だけを動かしてもう一人を探そうとしたが、すでに部下の一人が痛みに悶える女性を確保していた。

 殺すだけの相手だけに扱いは悪く、長い髪の毛をがっしりと掴み引きずって目の前に連れて来た。


 放った矢が体に刺さり、血を滲ませている。

 すでに青色吐息で息を引き取るのも時間の問題だと思えた。


「もう虫の息か……。お前達はどうする?」


 鋭い目つきの男が部下に目配せをするのだが、彼らは一様に首を振るだけだった。

 女の体を求めるまでもないのだと。

 それならもう、女に用は無いと手にした剣を女性の左胸に一気に突き刺して命を奪い去ったのである。


「これで、あのお方に逆らう者はもういないだろう……な?」

「当然でしょう。それで親分。これからどうするんで?馬車もありますし……」


 鋭い目つきの男は部下の言葉を聞き、どうするかと暫く考えてから指示を出した。


「こんな小さい馬車が何の役に立つ?どうせ生活用品しかないだろう。馬車馬だけ連れて帰るとしよう」

「へい、わかりました」

「ちょうど、その先が崖になっている。馬車をあそこから落としてしまえ」


 その指示を聞き数人の男達が馬車馬を引き離し、幌馬車の中を見るまでも無く崖から滑り落とす。

 その他の男達は切り殺した二人と燃やされた仲間一人の遺体を革袋に無造作に収めて、馬車馬へと乗せて帰還の準備を始める。


「でも親分、なんで殺した奴らを持って帰らないといけないんですかね?」

「俺が知ると思うか!まぁ、ここに残しておけば騒ぎになるって、たいした理由じゃないだろう」


 ひいひいと文句を言いながら指示された作業をこなした部下達の働きにより短時間で準備を終える事が出来た。


「よし、撤収するぞ。矢も回収したな?」

「「へい!」」


 鋭い目つきの男は部下達に声を掛けるとさっそうと騎馬に跨った。

 そして、部下達を引きつれて馬を進ませるのであった。


 それからすぐに黒く垂れこめた厚い雲から大きな雨粒が降り出し、彼らを容赦なく濡らす。

 その雨は命を失った三人が流そうとした涙を天が代わりに流している、誰もがそう感じたのである。

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