第二十一話 馬車旅、一時の平穏

 王都アールストの西門を出発した二台の箱馬車と三台の荷馬車を、五十名もの騎馬兵が護衛を勤めながら一路西へと街道を優雅に走って行く。


 その中でも先頭で一際目立つ黒色の軍馬に跨るのは、この車列の指揮官であるアドルファス=スチューベント男爵である。剣の腕はもちろんの事、馬上においては槍捌きで右に出る者無しと言われる程の腕前を有している。


 彼の後ろには、少し頼りない次男のデリック=スチューベントと十騎の騎馬が続き、そして二台の箱馬車が続く。

 一台目の箱馬車にはアドルファス男爵の次男の婚約者、コレット=オレンジ嬢と次男以上に頼りない、三男のラング=スチューベント達が乗り込んでいる。

 そして、二台目の箱馬車には護衛を引き受けたスイール達四人が目を光らせている。


「スイールよ。ワシ達が同行するのはブールの街までで良いと聞いたが、それで大丈夫なのか?ブールからルストも三日は掛かるはずだが……」


 カルロ将軍から頼まれたのはブールまでの護衛である。馬車列は一路、王都より西のベリル市に向かっているが、それ以降はサイウン、【アンドラ】の両街を経由する南回りでブールへ向かうルートである。

 その後ブールでスイール達は別れ、彼らだけでルストの街へと向かう予定になっている。


 そこで、スイールは地図を開き、ヴルフ達の前で一つの可能性を示唆すのであった。


「今回の道中で気になる場所が幾つかあるのです。カルロ将軍も同じように考えているようです。一つ目がアンドラの街へと入る手前のラルナ長河沿い。もう一つが高地に入ったアンドラからブールへと続く街道沿い、この二か所です」

「でもスイール。地図で見るとブールからルストに向かう道沿いもウチは危険だと思うけど……」


 向かっているベリル市まで、とその次の街サイウンは王都から比較的近く、人々の往来も多い。それにベリル河沿いのひらけた平坦路を進むために比較的遠くまで見渡せて対策が取りやすい。歩いた時に受けた印象なので、これは間違いないだろう。


 サイウンから見て西にあるアンドラの街だが、街の西側をラルナ長河が堀変わりに流れ、街に入るには川に掛かる橋を渡らなければならない。百数十メートルにわたる長大な橋の上となれば逃げ場も無く、襲われればひとたまりも無いだろう。

 だが、ここで実行するには一つ問題点がある。それはアンドラの守備隊が当然ながら王国軍に与している事だろう。

 河を遡上しながら海賊の様に襲い掛かったとしても、防壁上から巨大投石機カタパルト据置巨大弩バリスタで狙われたら、ちっぽけな遡上船などひとたまりも無いだろう。


 で、あるから、スイールはここは狙い目ではないと予想していた。


 そして、アイリーンが指摘したブールからルストへと向かう街道であるが、こここそ人々の往来が激しく逆に安全であると言うのだ。ブールから船で河を下り、直接海の街アニパレへ向かう事も多いが、陸路ルストを経由してアニパレへ向かう、もしくはその逆でブールへ向かう方が実は一般的なのだ。

 客船も運航されているのだが、その数は鉱石や鉄製品を運ぶ輸送船の十分の一以下で乗るにはその時の運に左右されることが多い。


 では昔、スイールがエゼルバルドとヒルダを連れてアニパレへ旅行した事があり、その時はどうして乗れたのかと言えば、夏の一か月は涼しい高地への行き来が盛んになるために輸送船がお休みになるのだ。それを全て客船に切り替えるので、悠々とアニパレへ旅行に向かえたのだ。


 そんな人の目が多い場所で襲撃を掛けるなど、どう考えても無理があるだろと告げる。


「だとすれば、アンドラの街からブールへと向かう道中が一番危険って事か?」

「ええ。それが一番、教科書に載る事例に近いです。高地に入り、人の手が入りにくい山林が多く存在する事が一番の理由ですね」


 アンドラの街からブールへ向かう高地をブール高原と呼称し、昔から人の手が入りにくい山林なのである。

 とは言いながらも、良質の木材を産出するだけあり度々大掛かりな伐採が入る事もある。特に中間地点は輸送に向かないために道を通しただけで見通しも悪く伏兵を配置するにはもってこいの場所でもある。


「エゼルバルドがここにいれば、ブール高原での争いが幾度も起こったと、資料を出してくれるかもしれませんよ」


 少数の伏兵で通りがかった敵の大将の首級を上げる大金星を挙げた事が幾度も起こった場所でもある。それだけに、教科書に載るほどの事例があるが、それだけ守りに適さない場所とでも言う事が出来るだろう。


「でも、一ついいかしら?五十人しか護衛がいないのなら、大勢を使って草原で仕掛けて来る方が効率的じゃないの?」


 教科書に載る事例であっても、草原で襲ってくれば住んでしまうのではないかとエルザが指摘して来たが、それに反論を口にしたのはスイールではなくヴルフであった。


「それはまずありえん。五十騎と言えども一人一人が一騎当千のルスト兵だ。ワシが指揮官でも早々に彼らと事を起こそうなど思えんよ。ん~、そうだな、五十の騎馬に対し、千の兵士を貰えれば戦う気も起ころうものかな?」

「そんなに!!」


 それだけの兵力を集めなければ楽に勝つことなど不可能だとヴルフは告げた。

 ルストの兵士が精鋭揃いなのもあるが、それよりもアドルファス男爵の指揮能力が高く、同数や二倍までの敵であれば未だに負け無しと言われている。


「だが、一対一だったらワシが出てってもいいがな」


 指揮して戦うよりも、自ら獲物ポールアックスを振りかざして勝負を挑むのであれば、負ける要素は一つも無いと自信満々にニヤケ顔をしながら口にした。そして、そう言うだろうと思っていたアイリーンは言葉を向けるのだった。


「やっぱり、アンタは昔から戦闘狂よね」

「ふん、ほっとけ!」


 ヴルフの一言が壺に入ったのか、馬車からはスイールを始めとする三人の笑い声が溢れんばかりに漏れて聞こえたのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「あの二人は上手くやっていると思うか?」

「どうでしょうね?貴族相手の依頼は受けている筈ですから、案外仲良く案外仲良くやっているのではないでしょうかね」


 宿のベッドに寝転がり暇を持て余しているヴルフが、貴族のお嬢様に同行して行ったアイリーンとエルザの二人を心配していた。お嬢様と言うだけあり、世話焼きの付き人は付き添っているのだが、これがまた年齢が遥か上で祖母と孫娘と見える年齢差だった。


 それに比べれば十歳程しか違わないアイリーンの方が余程話しやすいのではと、次男のデリック=スチューベントからお願いされ、仕方なく付いていったのだ。当然護衛を兼任してである。

 姿で言えば、アイリーンと同じ頃にしか見えぬエルザも同様にお願いされていたが、実のところ、付き人の数倍も年齢を重ねているのであるが、珍しいエルフだとパトリシア姫から聞いていたらしく是非ともとお嬢様から嘆願があったのである。


「あの二人の事ですから、大丈夫ですよ」


 スイールはその二人が慣れぬ格好をして外出していった後姿を思い出し、”ふふふ”と思い出し笑いをしていた。




 その、慣れぬ格好をした二人を従えたスチューベント男爵の次男の婚約者、コレット=オレンジ嬢は貴族御用達の服飾店で、あ~でもない、こ~でもない、と陳列されているドレスに見入っていた。


 お金持ちや見栄を張る貴族であれば、屋敷に商人を呼び寄せ一品物を作るのであるが、一地方の治安維持の責任者の地位にしかないスチューベント男爵家はそれほど裕福ではない。

 何より、コレット嬢が”必要以上の贅沢は悪だ”と育った事もあり、それがデリックの婚約者へとなる切っ掛けにもなっていた。何が切っ掛けで人生が変わるのかと言う見本みたいだと誰もが思っただろう。


 そんなコレット嬢は、普通の女の子のようである。異なる点があるとすれば陳列されているドレスの値段が、庶民のお店の数倍することだろう。


「お嬢様って聞いたから、もっと高飛車な態度を取るかと思ってたけど、全然違うのね?」

「そうね~。私達にドレスを着せるのも何か嫌がらせかと思ったけど、これなら納得だわ」


 身長はともかく、腰まわりが変わらぬサイズと見たコレット嬢がアイリーンとエルザの二人に自らのドレスを着るように命じてきた。買い物に向かうので用意した、それを着て付き合うようにと。

 アイリーンは身長が足りずに腰あたりでスカートの長さを詰めていたし、エルザはその逆で、中途半端な長さとなるのでこれまた腰で長さを詰めて膝下の長さへとしていた。


「二人とも~。よく似合ってるわよ」


 着慣れぬドレスに苦笑するアイリーンとエルザに”にっこり”と笑顔を向けるのは、着せた張本人のコレット嬢だけだった。丈は直したが、アイリーンは胸を押さえつけられ、エルザは逆に盛られていれば、笑われて当然と虚しく思うが、コレット嬢はその逆で、これほどの素材が目の前にあるのに”勿体無い”とさえ思っていた。


「お二人はドレスはお持ちじゃないんですか?安いので一着くらい買っても損は無いですよ。今だったら馬車でお運びできますし……」


 その様に告げて来るコレット嬢の後ろでは、ドレスの入った箱がうず高く持たされた付き人が今にも泣きそうな表情をしていた。そのコレット嬢からしてみれば、ここベルリ市は王都に比べて服飾品が安く、護衛を兼ねる二人にもすすめてみるのである。


 二人からしてみれば、移動に邪魔な荷物が増え、パーティーとも無縁な生活をしていれば無用の長物と思える。

 身に着けてみて必要ない思ったのだったが、よくよく考えたら、近々着なければならぬ予定を思い出していた。


「そ、そういえば!エゼルとヒルダの結婚式はどうする?」

「そうか。借りればいいと思ってたけど、ウチに合うドレスって無いかもしれないわ」


 コレット嬢のドレスを借りて身に着けて初めてそう思った。

 とは言え、貴族でもない二人にはコレット嬢が買い物をしたこのお店でも、一度しか着ぬと思えば手が出せないと難色を示すのである。


「それだったら、いいお店がありますわ」


 コレット嬢が手を”パンッ!”と打ち鳴らし、”安心して向かいましょう”と嫌がる二人を強引に馬車に押し込めると、別の店へと向かっていった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「はぁ~、疲れたわ~」


 夕方近くになり、アイリーンとエルザは無事に護衛の役目を果たして戻って来た。いつものラフな服装に身を包んで部屋に入って来た第一声がそれだったのだ。


「お疲れさまです。いったい何が疲れたのですか?」


 ”何事も無かったように見えますが”とスイールが首を傾げるのだが、ブーツを脱いでベッドに飛び込んだアイリーンが足をバタバタさせながら”聞いてよ~”と子供が駄々をこねる様に口を開いた。


「護衛は良かったんだけどさぁ、お嬢様の買い物に疲れちゃったのよ。ドレスにヒールでしょ、慣れないから足が疲れちゃって……。それに、私達のドレスも見るって何軒も梯子されたら疲れるわよ」

「それは災難でしたね。ですが、貴族の護衛なのですから、顔はともかく、見てくれが悪ければ彼女の品格を疑われますからね」

「それはそうだけどさぁ……。でも、顔はともかくは余計よ!!」


 今日一日だけですから我慢が必要ですよと言いたげのスイールであったが、それよりもアイリーンとエルザのドレスを見たと耳に入って来た方が気になった。


「それよりも二人共、ドレスを買ったのですか?」

「ええ、そうよ。だって、エゼルはともかく、ヒルダの結婚式でしょ。いつもの格好じゃ、格好がつかないでしょ。目出度いんだから!」

「そう言えばそうでした、護衛の件ですっかりと忘れてました」


 アイリーンもエルザも何のためにブールの街に向かっているのかと呆れ顔で見返すのだが、その二人も陳列されたドレスを見るまで忘れていたので強く言い返せなかった。


「呆れた。自分の息子の結婚式を忘れてたって?」

「ですが、正装は用意してありますから大丈夫なのですが」

「ワシはすっかりと忘れてたわい。どこかで借りれるか?」


 結局、ブールの街へと戻る当初の目的を忘れていた四人は、お互いの顔を見て苦笑するしかなかっただ。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 もう一日、ベルリ市に滞在したスイール達は、翌日にはベルリ市を出発し、一路ベリル河沿いを上流へと向かいサイウンの街を目指す。

 そして、何事もなく、サイウンを経由して西のアンドラへと入ると、道程はすでに半分以上を消化したことになるのである……が。


「やはり……ここまでは何事も無かったか……」


 アドルファス男爵はスイール達や部下達を集めて、アンドラの街から出発前の打ち合わせで、そのように告げるのであった。スイールが予想した通りに襲撃はその影さえ見せなかった。

 アンドラの街を出てブールまでは山林地帯を街道が貫き、伏兵を配置するには適した地形が続く。特に二つの街の中間あたりは人の手が入らぬ深い山林で、何時襲われても不思議ではない。


 だが、確実にその場所で襲われるかと言えば、何も起こらない可能性もある。


「何も起こらない可能性もあるが、周囲の警戒だけは厳とせよ。では出発!」


 アドルファス男爵が号令を掛けると、スイール達は馬車に乗り込んで行った。

 一抹の不安を残して……である。




※平穏な馬車旅。このまま何もなければいいのですけど……。

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