第二十二話 ブール高原の戦い
アドルファス男爵指揮する馬車列がアンドラの街を出発し、ブール高原の山林地帯へと向かっていた。一時間も馬を進めれば深い山林が見え始め、それを貫く街道が見える。不気味で薄暗い街道を進むと知れ渡ると、コレット嬢達非戦闘員は身を寄せ合い、不安な表情を浮かべていた。
「ここで隊列を変えるぞ!」
アドルファス男爵が号令を掛けると箱馬車の位置が変わりスイール達の馬車がすっと前に出た。細い街道で前後からの挟撃を受けたときに守りを固めるためであった。
そしてもう一つ、不安な表情を浮かべているコレット嬢達の心労を軽くさせる役目も担っていた。自分達の馬車の前に盾があれば少なからず安心するだろうと配慮をしたのである。
その馬車列のまま、薄暗い街道を進んで行くのであるが、時折すれ違う商隊と挨拶を交わすくらいで襲撃を受ける事も無く、街道の中間地点の広場へと馬車列を進めさせることが出来たのである。
「スイールよ、襲撃など無いのぉ……。取り越し苦労ではないのか?」
木々の向こうに太陽がすでに見えなくなり早い夕暮れが訪れた野営地で、凝り固まった体を伸ばしながらヴルフが楽観的な言葉を口にした。いくら帝国からの魔術師が密かに入国したとわかっていても、アドルファス男爵を狙ったとは思えぬのではと頭に浮かんでいた。
確かに、魔術師の情報をわざと流していたとすれば、この馬車列が狙いではなくもっと別の事を計画しているのではないかと想像出来る。例えば、兵士が少なくなった王城を直接攻撃するなど考えられるが……。
「その懸念も尤もですね。ですが、アイリーンが手に入れた情報に魔術師の事はありませんでした。わざと流していたのであれば、彼女経由からも噂を聞いているはずです。それが無かったと思えば、狙いは王都では無いでしょう」
それに、”何もなければ、それに越したことはありませんし”と付け足し、野営地に到着する寸前に馬車から飛び出して見回りに向かったアイリーンが戻って来るのを待つ事にするのであった。
「エルザは酔ったりはしてませんか?」
「私は大丈夫。馬車で酔った事はないのよ」
薄い胸を張りながら答えるのだが、”自慢にもならぬのだが……”と滑稽に見えて仕方がない。だが、酔いもせずにいるのは、馬車から降りてすぐに戦力として計算に入れられると、有難く思う。
「それにしても、遅くない?どこで道草を食ってるのかしら?」
「で、誰が道草を食ってるって?」
スイール達が
「もう、びっくりさせないでよ」
「ウチの悪口言うからよ」
「お疲れ様です。誰も、悪口など口にしていませんよ。遅いと心配していたのです。お土産ありがとう」
冷静に言い訳を口にしていたが、本当かしらと懐疑の視線を向けるが、悪気は無いのでしょうねと思うと溜息を吐いて見回りの結果を告げるのであった。
そして、スイールはアイリーンの髪に何本も刺さっている木の枝を手を伸ばして取り去った。
「そうね、この森の中に人の気配は無かったわ。あくまで、活動している人の気配ね」
「その口ぶりですと、何か見つけて来たようですね」
”へへへ”と含み笑いを見せながら、鞄から小さな包みを出すとスイールへ手渡した。手の平に納まる包みを見て、その中に何が隠されているのかとドキドキしながら慎重に開いてみた。
「……?動物の抜け毛、ですか?」
「うん、まぁ。……正解と言っておくわ」
包みから現れたのは白っぽい動物の抜け毛に似たものだった。指先程の大きさしかなく見つけるのは困難を極めるのだが、アイリーンはそれを難なく見つけてしまった。気配を感知するだけでなく、異物を発見する能力はトレジャーハンターとして鍛えていただけありかなり高かった。
だが、動物の抜け毛があるのは不思議ではないと思う、とアイリーンを見るのだが、首を横に振ってそんなことは無いと否定した。
「幾ら抜け毛があったからって、もう生え変わってても良い頃でしょ。それに、この毛は身に着ける服飾品に使われる、高級素材の一部よ」
標高が高くなり始めるブール高原とは言え、ここは比較的低いとされる場所だ。周りを見渡しても雪全て溶けきり茶色い地面が露出し、季節は春に移り変わっている。そんな場所で季節外れの冬毛のままであれば、他の動物に襲われてしまっているだろう。自然と共に暮らす獣達には、考えられないと言うのだ。
「なるほど……。人知れず誰かが持ち込んだと言いたいのですね。ちなみに、これは何処で見つけたのですか?」
「んっと……ここから森の奥に入ったところ。ウチの足でも五分くらいは離れてたかな?」
アイリーンは馬車列の進行方向から見て右側を”あれ?どこだっけ”と注意深く見ながら指で指示した。それから、包みを受け取ると種明かしをするように、言葉を付け加えるのであった。
そして、もう一つ。アイリーンにはそれが何処に使われていたのか見覚えがあった。
「この毛は、防寒に使うのよ。ところで、エルザ。ここは寒いかしら?」
突然何を言い出すのかと不思議に思うが、真剣な視線を向けて来ているので冗談を言ってるとは思えず、”そうね”と
「ここは私には少し寒いわね。風が吹くと襟元を押さえてしまうわね」
「そう、それよ!」
”ビシッ!”とエルザに指を向けて声を荒げた。勢いに任せての行動で、誰もが無礼な行動だと思わず、続けて話すアイリーンに耳を向けた。
「これは、ここよりずっと北で生きる小動物の体毛よ、大陸が違うけどね。それを細長くして襟巻に使うの。トルニア王国じゃ見ないけど、別の国の貴族はそれがステータスだって冬にはよく身に着けてるのを見たわ」
「それじゃ、私みたいな寒がりが襟巻を身に着けていたというの?」
「そうね。南方に住んでいて寒がり。お金持ちで、こんな所にまで高級襟巻を持ち込む程の無頓着者……。そんな人がいるのかしら?」
彼女は”ニヤリ”と口角を歪に上げて嫌味な笑みを浮かべる。
そんなアイリーンを見れば、脳裏に浮かぶのはただ一人しかいないと、その解をスイールは溜息交じりに口にした。
「アイリーンも人が悪い。そんなの、帝国から密かに入国した魔術師ラザレスしか思い浮かばないですよ。もし、北部三都市の偵察兵がこの場にいたとしても、寒さに慣れていますからもっと軽装で動くでしょうね」
「そう。それにスイールが言ってたじゃない、研究者だって。研究者と言えば服装に無頓着じゃない?ウチが思い描いた人物像にピッタリでしょ」
研究者が服装に無頓着と言うのは語弊があるのではないかとスイールは怪訝に思うが、ラザレスについて言えば、魔法を追い求めて研究に没頭していると聞くだけにあながち間違ってはいないと思えてくる。
「だとすれば、この後、襲われる可能性があるんじゃな?」
「そう考えていいわ。ただ、今は気配を感じないから寝静まった後か、明日の移動中かしらね?」
顎に人差し指を当てて、空へ視線を流しながら予想を口にした。
それならば早い方が良いと、ヴルフはこの馬車列の責任者であるアドルファス男爵の下へと相談に向かって言った。
「相手がそれだけの数を揃えてくるのか、それだけでも情報が欲しい所ですね」
「そうね。今は影も形も無いから想像もできないけど……。でも数は揃えてくると思うわ」
アイリーンは、”あ~ぁ”と残念そうな声を漏らすと覚悟を決めたのか、背負っていた弓を抱えるように座り、手入れを始めるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一夜明けると、空はくすんだ銀色の低い雲が空一面に広がる生憎の曇天模様だった。真っ黒い雲は見えず天候が崩れる事は無いと思われるが、その空を一瞥して脳裏に思い描くのは誰も同じで、恐ろしい予感だけだった。
何時、襲撃を受けるかと見張りを厳にしていただけに、一部の兵士に寝不足気味に
そして、昨日と同じ車列を作ると、アドルファス男爵の号令一下、薄暗い街道をゆっくりと進み始めるのであった。
馬車列が進み、二時間ほど経った頃だろうか?
アドルファス男爵が急に”止まれ”の号令を掛けると、馬車列が止まったのである。
”何事か?”と馬車の窓を開けて前方を覗くと、街道の中央で旅人が倒れている姿をヴルフはその目に捉えた。
「何じゃ行き倒れか?こんな所で珍しいな。ワシ等が通りかからなかったら助からんかったかもしれんのに……」
「ヴルフ、今なんて言いました?」
膝上の書物に視線を落としていたスイールがふと顔を上げてヴルフへと聞き直した。
「行き倒れの事か?」
「そうです。それです!」
書物を”パタン”と勢いよく畳むと同時に、アイリーンが”ハッ!”とした表情で勢いよく立ち上がり馬車の天井に頭をぶつけて悶える。
それから、馬車列の前方から、それだけではなく後方からも騒ぎ出す声がスイール達の耳に飛び込んで来た。
「遅かったです。さっさと降りて戦闘準備を!」
「お、おう?」
馬車のドアを勢いよく開け放つと、スイールとヴルフ、そして、エルザの三人は急いで降り、声の下へ視線を向けるのである。
アイリーンはと言えば、ぶつけた頭を押さえながら、弓と矢筒を抱え馬車の天井の上へと上り、結んであったヴルフの
「前後挟撃ですか……。敵ながらあっぱれですね」
「馬鹿者!感心している場合か」
馬車列が止まったところに、前後から騎馬の襲撃を掛けて来たのである。立ち止まった騎馬には効果的だとスイールが感心しているが、自らの
「そうです、感心している場合ではありません。とりあえず、アイリーンとエルザには馬車の護衛を頼みましょう。エルザはアイリーンの補佐をお願いします」
「ええ、わかったわ」
自らの役割を言い渡されたエルザは、アイリーンの補佐をするべく馬車の荷物入れを開け放ち、矢がぎっしりと詰まった矢筒を一つ、彼女へと投げ渡した。
「ねぇ、魔術師は見えないみたいだけど、どうするの?」
馬車の上で目を凝らしているアイリーンが特徴ある襟巻をした男を見つけようとするが、彼女の目に入って来ないと告げて来た。
確かに、スイールやヴルフにはそれを肯定するだけの金属が打ち合う甲高い音が聞こえるだけで、魔法を放った特徴ある爆発音や空気を切り裂くつんざくような音は耳に入って来ないでいる。
「仕方ありませんね。私達はここで馬車の護衛をしておくとしましょう」
「そうじゃな、木々の間から飛び出し
ヴルフの目の前、鬱蒼と茂る木々の間から、茶色で染まった外套を身に着けた集団が飛び出して来た。気配はすれど視界には写り難いと彼らは迷彩色を施していたのである。その為に接近するまで気付かずに対応が遅れ気味になってしまった。
「えい!えーい!」
逆からも数人の迷彩色を施した敵が飛び出そうとするが、既にヴルフが相手を始めようとする敵をアイリーンはその目で見ていたので、木々の間から顔を出した特徴ある敵を職人技で瞬時に仕留めるのであった。
それでヴルフが有利になったとは言え、手ごたえの無さに思わず愚痴を吐き出して仕舞うのである。
「もっと、骨のある奴はおらんのかあ!!」
鬼神の如き働きで革鎧ごと袈裟切りに両断する姿を見れば敵う筈も無いと及び腰になるのは当然であろう。
しかもヴルフの後方に、馬車を守る様に頭上に赤く燃える火の玉を現した不気味な笑顔を見せる魔術師の姿を視界に入れてしまえば、実力を発揮する間もなくヴルフが打ち下ろす
「何処からっ!湧いてっ!出てくるのよっ!!」
一方、馬車の上では次々と矢を射かけるアイリーンが愚痴を吐き出しながら敵を退けていた。一射だけで退く敵とは違い、二射、三射とその身に矢を受けてようやく引いて行く敵にうんざりし始めていた。
エルザから受け取った一つ目の矢筒はすでに空となり、二つ目の半分ほども消費が進んでいた。さすがにこのままでは拙いと思い始めたところで、攻めよせていた敵が急に引き始め、ほっと息を吐くのであった。
アイリーンが後ろへと視線を移せば、ヴルフも同じように引く敵に牽制を掛けるだけで、深追いは拙いだろうと森の境界まで足を進ませるだけだった。
「後ろの馬車に敵が向かわなくてよかったですね」
「アイツら、この馬車に重要人物が乗ってると思ったのかしら?」
「アイリーンの言う通りかもしれんの」
エルザとアイリーンが自分達の馬車を守るために、その場にいただけなのにと話をしていると敵を撃退したヴルフが周囲を警戒しながら二人の下へとやって来た。
実際、スイール達が乗っていた馬車と、アドルファス男爵の次男の婚約者のコレット嬢が乗る馬車には違いが無くなく、どちらに重要人物が乗り合わせていたかなど中で身を伏せていればわかる筈も無かった。
「剣戟の音は
頭上に赤々とした火の玉を現していたスイールであったが、戦闘が終わったとみるとそれを消し去っていた。そして、”経験から”と一言添えて敵の動静を気にする発言をした。
その場で武器を振るっていた誰もが同じような思考をしており、スイール達が周囲に目を向けてみれば、未だに剣を構えて敵に備える兵士達が視界に入って来た。
「さて、次は何を仕掛けてくるのでしょう……」
スイールは杖を握り直し、周囲をぐるっと見渡すのであった。
※やっぱり現れた敵。
敵の奇襲は失敗したが、次はどのような手で来るのでしょうか?
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