第十章 誰がための結婚式?

第一話 春の冷たい風の吹く海上を行く

※だいぶ開きましたが、アーラス神聖教国での内乱が終わり、世界暦二三二四年四月の春に話が進みます。冒頭はこの章の終わりに近づいてからのお話です。




 ”リンゴーン、リンゴーン”


 教会の厳かな鐘の音が響き渡る。

 肩を大胆に出した真っ白なドレスに身を包み、履き慣れぬ真っ白なヒールを足に通して真っ赤な絨毯の上で待つ。目の前には薄いベールが下ろされ、薄く化粧をして真っ赤な紅を引いた口元までを隠している。


(この日をどれほど待ったんだっけ?)


 出合ったその日から今までを思い出すと、目元から涙がこぼれそうになり上を向いた。


「まだ泣くところじゃないよ。アンタは何をやってんだい、せっかくの化粧が台無しだよ!」


 横にいる口の悪い老齢の女性がハンカチを出して目元に当ててくれる。

 ブーケを真っ白な手袋越しに持つだけの彼女は申し訳ない気持ちになってしまう。


「さぁ、思いの人を待たせちゃ悪いからね、そろそろ行くとするか」


 教会のドアがゆっくりと開かれると中から割れんばかりの拍手の嵐が彼女を包み込む。

 真っ赤な絨毯の先には思いの人がベール越しに見えていた。


 その中を老齢の女性と共にゆっくりと歩き始めた。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 まだ北からの冷たい風が吹きつける四月。

 エゼルバルドとヒルダの二人はスイール、ヴルフ、そしてアイリーンより先に故郷であるトルニア王国のブールの街へ向かう為に出発した。


 乗合馬車でベルグホルム連合公国のライチェンベルグまで進み、今はトルニア王国の王都アールストへ向かう船上にその姿があった。


 ほぼ西に向かう客船だが、北からの風に直進できず蛇行を繰り返し、六日程の日程が必要となる。逆にライチェンベルグへ向かうには、風向きの関係で三日程度で到着するのだが……。


「さすがに寒いなぁ~」

「当り前じゃない。外に出ようって言ったのエゼルじゃない!」


 ”船室で暇を持て余していたのはそっちだろう”、と反論しようとしたが肩をすくめてその言葉を受け流すだけにした。

 春になったとは言え、海上を進む客船の甲板で身をさらしていれば、風邪をひきそうなほどなのは当然だろう。たとえ、厚手の外套を羽織っていたとしても、である。


「ほんっと、暇ねぇ」

「ヒルダも本を読んでればいいのに」

「駄目よ。本を読むのが苦手ですもの」


 手を”ひらひら”させながらエゼルバルドの言葉を否定する。ヒルダは大人しくしているのが苦手で、客船の図書室があっても入ろうとしない。

 その分、手先を動かしている方が性に合っているのだそうだ。

 だが、その暇を潰せるだけの道具も無く、今は暇を持て余していた。


「それなら、船に乗る前に買っておけばよかったじゃないか~」

「ぶーぶーぶー。その通りだけどさぁ」


 唇を尖らせ、頬を膨らませて文句を口にするが、言われた通りなのでそれ以上は言い返せなかった。

 こんな時はお約束の事件でも起きてくれれば体も温まって暇を潰せるのになぁ、と思うのだがそうそう上手くいくはずもない。


「本を読む習慣を身につけた方がいいぞ」

「それはわかるけどねぇ。でも、エゼルはよく下を向いていられるよねぇ」

「知らない知識を得る機会だからね。それは大切にしないと」


 エゼルバルドの言葉に”カチン”と来たのか、腕を組んで一段低い声を出す。


「あのね、エゼル」

「なに?」

「それって、わたしがって言ってるようなものよ。謝りなさい!」


 今流行りの言葉を口にしたヒルダに、”これは失敗したな”と、頭をかいて胡麻化そうとしたが、吊り上がったヒルダの視線を向けられて仕方ないと、”ゴメン”と頭を下げる。

 それで溜飲が降りたのか、”許してやろう”と上から目線で笑顔を見せていた。


「おやおや、お奇麗な人には貴方など不釣り合いですよ」


 エゼルバルドとヒルダからすれば、いつものじゃれ合いだった。それが気に食わないのか数人の男女が二人の側にやって来た。


「えっと、どちら様で?」

「ふん、”痴話喧嘩は食あたりを起こす”って言いますでしょ~」

「それを言うなら、”夫婦喧嘩は犬も食わぬ”、じゃないか?」


 扇子で口元を隠しながら自信満々で言い切ったが、エゼルバルドは恥ずかしい奴と思いながら違うだろうと溜息を吐いた。

 無駄に自尊心が高いその彼は”そうとも言う”と急いで訂正するが、恥をかかされたと思い込み扇子に顔の大半が隠れているにもかかわらず、顔を真っ赤にしていた。

 今にも頭のてっぺんから湯気が出そうな程に、である。


「ゆ、茹でダコ?……っぷ!」


 彼の顔色が変わったのがツボに入ったのか、ヒルダがボソッと呟くと、”ぷ!ククク”と口を押えて笑っていた。

 この大陸では食さないが、東の島国ではタコを湯にくぐらせて食べる習慣があるという。まぁ、一部の港町でも同じように食されていると聞いたことがあった。


「こ、こらぁ!何が面白い。失礼じゃないか?この私がせっかく声を掛けたってのに!」

「そうだそうだ。お前達なんか、目じゃないぞ!」


 その彼の言葉のどこかがさらにツボに入ったようで、微苦笑で済んでいたのが片手で腹を抑え、エゼルバルドの背中をバンバンと叩き我慢できないようであった。


「おいおい、ヒルダ。相手に失礼じゃないか。それに、そっちのも!ヒルダを笑い死にさせるつもりかぁ?」


 背中を叩かれ”痛い痛い!”と口に出しながらその彼に文句を投げつける。そして、”いい加減に叩くのを止めろ”とヒルダを止めようとするのだが……。


「ちょっとまて、この、スチューベント男爵家三男、【ラング】を愚弄するとは許さんぞ!」

「そうだそうだ!」


 エゼルバルドの言葉に反応するラングと取り巻きの一人。

 ただ、彼の後ろにいるドレスを纏った女性は口元を扇子で隠して笑いを堪えていた。


 真っ赤だった彼、ラングの顔にさらに赤が足されどす黒い顔色になるまで彼は怒りを内包し始めた。確かに、怒らせるような言葉を選んだが、これほど効果があるとはエゼルバルド達も思ってもみなかった。

 こんなに効果があるのは何か、後ろめたい事があるのか、それとも劣等感を感じているのか?直ぐにでもわかる事だろう。


「愚弄?笑わしたのはそちらだろう。愚弄も何もないんじゃないか?」

「ラング様を馬鹿にしやがって!!」


 何時もの通り、権力を笠を着て自分の力だと勘違いしている取り巻きの男は腕捲りをして、さぁ、殴ってやろうと腕を”ぶんぶん”と回し始めた。

 その男爵の沸点が低いのもそうだが、取り巻きも前後見境なしに暴力を振るおうとしているのは何とかした方が良いのではないかとエゼルバルドは呆れる。

 それに、取り巻きの男の腕が細すぎるのだ。中等学校に進む前の子供のような腕の細さでは、エゼルバルドはともかく、ヒルダにも敵うまい。逆に自らの腕を折ってしまうかもしれない。


「そりゃぁ!!」


 取り巻きの男が”ぶんぶん”と回していた腕を一旦引き、足を一歩踏み出すとともに体の捻りを加えながら右腕を殴りつけて来た。


「ほいっ、と!」


 ”パシンッ!”とエゼルバルドの前に出て来たヒルダが、左手で取り巻きの男の拳を受け止めた。腕が伸び切っておらず、力が乗り切っていない拳を易々と受け取った。

 男爵の三男はともかく、取り巻きの男も軽く受け止められた事に目を白黒させる。


「う~ん、いまいち……?」

「はぁ?ひぃ?」


 横から出て来たヒルダに拳を受け止められて間抜けな声を漏らす。

 今まで幾人もの人を殴って来て自信を持っていたのだろう。だが、貴族などと鼻に掛けてもエゼルバルドやヒルダには余りにも弱すぎた。


 二人からすれば、頭を下げる相手とはパトリシア姫やその近親者、そして国を有益に引っ張る貴族などであろう。

 それに比べれて、目の前の男はそれよりも一段も二段も落ち、頭を下げる存在などとはどうしても思えなかった。


「貴族だからって、力で屈服させるのは良くないんじゃない?」

「き、貴様達に何がわかるっていうんだ」

「ええ、わかりませんわ。いつだったか、国を乗っ取ろうと帝国の先兵になっていた某公爵もいらっしゃいましたわね~、確か」

「ど、どうしてそれを!」


 自らの地位と暴力で従わせようとしたが、そのどちらも効果が無く途方に暮れようとしていた。男爵の三男が”何がわかるのか”と口にしていたが如何にも努力しています、と言いたげなのだが、努力をするのは貴族だけではなく誰でも一緒だろう。

 貴族と言うだけで人を従える立場にあると勘違いしている、この男爵三男の何をわかれと言うのかと呆れるばかりである。


 そこに追い打ちとばかりに、公式な見解を出されていない帝国の先兵として、トルニア王国を裏から牛耳ろうとした某公爵の事を口にすれば、貴族など吹けば散って仕舞う華の如くであろう、と暗に示したのだ。


「それに、ここはトルニア王国でもベルグホルム連合公国でも無い。この船上では貴族などの地位は無いに等しいと肝に銘じておくべきですよ」

「な、なんだとぉ!!」


 基本的に貴族などの地位を保障するのはその国の内部のみであり、他国には本来関係がない。だが、貴族という地位についているは、その国の重要な地位に就いていることが多く、それが他国で何かがあれば国家間の問題になるので、手に掛けないだけである。


 とは言え、同国に籍を置くのであれば貴族に頭を垂れるべきであろうが、今の相手は男爵の三男という当人は何の地位にもついていない。まぁ、男爵の三男と言うだけで一応の地位はあるのだが、本来はそれを背後に置くべきではないのである。


「ああっと!ヒルダ、そこまで。相手してる暇がないぞ」


 男爵の三男達に気を取られていたために気が付くのが遅れたと、エゼルバルドは船の左舷の手すりを掴んで海を凝視する。ヒルダも取り巻きの手を放して同じように海へと視線を移した。


「何だか知らないけどこっちに来るようだな」

「どうするの?」

「何が来てるかわかんないからなぁ、どうするも何も……。船長が気が付いていたらいいけどな」


 二人の視線の先には白波が立ち、水中をかき分け何かが接近してくる。かなりの大きさの水中生物であろうと思われる。

 この客船を餌と思い込んだのか、はたまた縄張りに入り込んだ敵と認識したのか……。


「おい、お前達だけで話してないでこっちにも説明しろ!」

「なんだぁ!まだいたのか、ここにいないで食堂にでも行ってろ!!」

「わ、私に向かってその口の利き方は何だ!」

「今は時間がない!……っち!」


 ラングとその取り巻きは現状を何もわかっていないようでエゼルバルドに突っかかってくる。一瞬だけラングに顔を向けるがが直ぐに水中を接近するそれに視線を戻した。


「エゼル!!来るよ」

「ヒルダ!」


 考えるよりも先に腕が、足が動く。エゼルバルドは隣で海を凝視しているヒルダの腰を強引に掴み、手すりから甲板中央に向かって体を投げ出した。

 それと同時に船体に振動が走り、立っていることも不可能な状態に陥る。


 水中から来た何かが船体にぶつかり、”ミシミシ”と船体がきしむ。

 そして、帆柱マストが”ゆっさゆっさ”と大きく揺れ、上部で見張りをしていた船員が落ちそうになり、手すりに掴まって何とか体を固定している姿を見ていた。


 エゼルバルド達の側にいたラング達は、船体が揺れたことにより足をすくわれ、三人共が甲板に倒れ体のどこかを打ち付けていたようだ。その中でもラングは背中を打ち付けたらしく”ヒューヒュー”と苦しそうな呼吸をしていた。


「見張りは何をしていたんだ!!」


 立ち上がりながら帆柱マストの天辺を見上げながら毒づくエゼルバルド。

 今更叫んでも始まらない。そう何度もあの揺れを起こされれば冷たい海に投げ出されてしまい、餌にされてしまう。


 このままでは船を破壊されてしまうと海を進む何かを迎撃しようと海面を”キョロキョロ”と見わたす。その何かは客船にダメージを与えて通り過ぎ、右舷を三角波を立てながらゆっくりと旋回を掛けている。

 そのコースを見れば再度体当たりを仕掛けてくる事は疑いようもない。


 水中にあれば炎の魔法は効きにくい。電撃の魔法を食らわせたいが海に浮かんでいる客船の上からでは自らに降ってくるかもしれない。


「氷の魔法を練習しておくんだった……」


 水の魔法の上位版と言えば良いのだろうか?水や氷の魔法はエゼルバルドは得意としていなかった。いつもは炎の魔法と風の魔法を主に使っているため、その二つの魔法は得意であるのだが……。


 仕方ないと旋回するその何かを睨みながら魔力を右手の前に集め出す。一秒、二秒、いや、まだまだだ。魔石の付いたブロードソードは船室へ置いてきてしまったために魔力を集めるのに時間がかかる。だが、エゼルバルドの魔力の半分程を集めることに成功する。


「ヒルダ!何があるかわからん、防御しておいてくれ」

「うん、わかった!!」


 ヒルダはエゼルバルドの前方に物理防御シールドを張ろうと魔力を集め始める。

 水面を見ればまもなくエゼルバルドの射程範囲に入ろうかとしている。しかし、まだ水面下のかなりの場所だ。水面が波立っているが水面に上がってこようとしない。


 ちょうどその時、海賊船対策で甲板から一段上がった食堂の上と後部遊技場の上に設置してある二機の据置巨大弩バリスタの攻撃が始まった。

 海賊船の船体に大穴を空けるほどに強力な据置巨大弩バリスタだが水面下に身を隠している何かには届くはずもなかった。


 その攻撃が呼び水となったのか、水面に向かってその何かが浮き上がって来る。


「ヒルダ!!」

「はい!物理防御シールド!!」


 エゼルバルド達の前に透明の盾が出現する。

 そして、海面に視線を向ければ海面の影が段々と大きくなってくる。


「……!!」


 客船手前十メートル程でその何かが姿を現し空中へと飛び跳ねた。

 全長が十メートルでは効かない巨体が宙に浮いたのだ。それを見ていた皆が出かかった言葉を飲み込んだ。


 わずか一秒に過ぎないが、巨体が宙を舞い見事さにあっけに取られてしまい、魔法を放つのを忘れてしまった。

 誰もがそれに見入ってしまっているうちに、巨体が”サバーン”と水面に打ち付けられる。その勢いが暴れる波を作り出し客船に襲い掛かって来た。


「ちょ、ちょっと待てぇ!」

「う、わ、きゃ!!」


 集めていた魔力が霧散してしまったがそんなことはどうでもいい。揺れる船体に四肢でしっかりと踏ん張り転がるのを防ぐ。

 ヒルダに視線を向ければ、同じように踏ん張っている。


 ヒルダが唱えた物理防御シールドのおかげでエゼルバルド達の場所に水飛沫が掛からなかったのは僥倖であった。


「ヒルダ、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫。あのおっきいのは?」


 揺れが収まり”キョロキョロ”と海面を見渡せば波を立てる姿は何処にも無く、危機は去ったのかと思いたかった。

 帆柱マストの見張りを見上げてみたが、あの巨体を見失ったようであちこちを見渡してる。


「た、助かったのか?」

「そうみたいね」


 エゼルバルドとヒルダは手を取り合い、お互いの無事を確かめ合っていた、のだが……。




※章題にもありますが、この章は結婚式がメインです。

 というか、それがゴールなのですが……。

 ちょっとあっちにフラフラ、こっちにフラフラしますが、ご容赦ください。

 一応、第11章に続くネタも入っています。

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