第五十一話 魔術師、帰路につく
昼食を食べながら、その横に開いたノートに魔術師は目を通し始めた。
『僕は文字を習った。文章が書けるようになった。だから、僕の思ってる事を書こうと思う』
一行目には
『僕は怖い。直ぐにでも死んじゃうかもしれない。僕の命は吹けば飛んで行ってしまうような、弱々しい命だ』
日記の様に書かれた最初には悲観的な文章がこれでもか、と見て取れた。ある時は悲しそうに、ある時は自暴自棄に、そして、怒りの矛先を見つけられず無為に時を過ごしていった。
『僕の病気は幼児症と言うらしい。二、三年立つと高熱を出して死んじゃうらしい』
恐らく、発症して直ぐに病名を知ったのだろう。そうでなければこの日記は書けないはずだ。そして、次にはあまりにも可哀そうな言葉が掛かれていた。
『父ちゃんも母ちゃんも、僕を”いらない子”だと言って、孤児院に置いてかれた』
これが事実であれば少年は親の愛情を受けていたが、ある時を境に手の平を返されたように親の愛情から遠ざけられ、最後には家を追い出されてていたのだろう。
それから三年ほど経過し、所々穴もあるが、日記も二冊目となった時である。悲しみが見て取れる文字から歓喜の文字が所々に見られるようになった。
『直ぐに死ぬかと思っていたけど、いまだに迎えは来ない。もしかしたら僕の病気が治ったのか?いや、成長していないから治ってはないだろう。けれども、すぐに熱が出るとは考えにくいかもしれない』
少年はいつ死んでもおかしくないと思って、自暴自棄になっていた時期があったのだろう。
だが、一向に高熱も発せず成長もしない自分を見て、少しだけ生きる希望を見出したのだろう。
その後、成長しない少年に恐れをなしたのか、孤児院からも追い出される事になった。
『僕は何処へ行ってもいらない子、なのだ』
そこからは恨みつらみの言葉がつらつらと数ページに渡って書かれていた。一日ではなく、数日、もしかした何か月もの間、書き続けていたのかもしれない。
さすがの魔術師も、その恨みつらみの言葉を目にしたときは吐き気をもよおしかけた程だった。
そこから、日記は書かれなくなり、次はそれから十年も経ってときであった。
「それにしても、こんなに日記を残しておくんですかねぇ……」
成長過程にあった子供が、こんなにも日記を大事にしているとは思えなかったのだ。もしかしたら後から記載された、いや、ねつ造された日記なのかもしれないと勘繰ったほどである。
だが、一冊目と十冊目の背表紙や紙の黄ばみ具合を比べれば、明らかに年数が違うとはっきり見て取れた。
日記がねつ造されたとは考えにくいだろうと考え、さらに読み進めるのであった。
『何だ、あの官吏は。金儲けの事を考えているだけじゃないか!それにあのだらしなさ。言いつけてやろうかと直接言いに行ったら、何を考えたのか、金貨をくれやがった。くくく、これは使える』
子供の容姿をしてた為に、官吏の館に入ってもお咎めを受けなかったらしい。それに乗じて官吏を脅す事を考えたのだろう。
そこで、少年の脳裏に残っていた恨みつらみが滲みだし、間違った感情を与えてしまったのだろう。
少年の恨みを晴らす対象が自分親や孤児院から、この町に変わり、滅茶苦茶にしてやろうと思い立ったのだ。
そして、計画を練り、官吏を脅し、いかにお金を巻き上げるかを画策していったのだろう。
「う~ん、愛情を注ぐ親がいれば変わっていたのかもしれませんね。それに比べれば
ふと、昔を思いだして感傷に浸る。
すぐに我に返り、日記の続きを読み進める。
『官吏を見張っていたら、街から見素晴らしい恰好の女を連れ出している一団がいる事を知った。官吏はそいつらとグルになって、儲けていたらしい。だから、簡単に金貨を僕に渡してきたのだろう。それならば、そいつらを裏から支配して、沢山設ける方が良いかもしれないな』
あの少年が見つけた時にはこっそりとだが、少女達が何処かへと売られて行ったのだ。しかも、町の運営を任されている官吏が音頭を取っていたとなれば大問題だろう。
それを脅しの材料として、官吏を脅し売人を管理下に入れ儲けを町にプールさせた。
こっそりと続けていれば、噂にもなる事もなく魔術師に依頼が回ってくる事も無かったのだろう。そこに欲をかいて、孤児院を潰し少女達を
魔術師は少年の日記を途中まで読むと、それを閉じて大きく溜息を吐いた。日記に集中して気が付かなかったが、すでに昼食の時間は終わりを迎えていて、数人がまばらに席について昼食を口に運んでいるだけだった。
「マスター、長居して申し訳ない」
「まぁ、騒がれるよりはいいけどね。熱心に見てたから声かけちゃ悪いと思ってね」
昼食時に長居されるのは売り上げが落ちてしまい、歓迎すべき事では無いが、ほぼ毎日顔を出すお得意さんを無下にするわけにはいかなかった。
「仕事が終わったので、明日にはこの町を離れますので、食べに来るのは今日が最後かもしれません」
「そうか、せっかくのお得意さんだったのによ~。まぁ、いいか。元気でやれよ」
「ええ、マスターもお元気で」
魔術師はそのまま支払いを済ませ、”ちょこん”と頭を下げて挨拶をすると、宿へと戻って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
前日早くにベッドに入った魔術師は、翌朝、日が昇る前に目を覚ました。普段と変わらぬ時間に起きた事で久しぶりに散歩をして見ようと着替えてカウンダー横を通って、宿の出口に向かおうとした。
「よおぉ!宿は延長するかい?」
突如、声を掛けられ足を止めて振り返る。ニタニタと笑みを浮かべながら手もみをする姿は商売人の鑑と見えた。
「いえ。仕事も終わりましたから後でチェックアウトします」
「ちぇっ!アンタとの話は結構楽しかったんだけどなぁ」
「金蔓が出て行くとわかって、舌打ちですか?そんなんじゃ、お客さんは減っちゃいますよ」
”確かに違いないね”と女将さんが返してくる。その顔には笑顔が浮かんでおり、金蔓などこれっぽちも思っていないと顔に書いてあるようだった。
そして、ひらひらと手を振って朝の散歩に出かけると一言告げると、宿から町の中心方向へと歩いて行く。
「さて、帰りは、っと。意外と時間が早いですね」
辺りが明るくなってきたとは言え、まだ日の出前だ。ノルエガ行きの馬車の時刻を確認すれば、一度、宿に帰りチェックアウトをしても十分間に合うと思われた。
そして、すぐさま踵を返し宿へと戻って行った。
宿の自室へと戻り、着替えがほどんとのバックパックを担ぐとチェックアウトを申し出る。
「本当に残念だよ~」
「仕事が終わりましたからね。昨日も言いましたけど、生活しやすくなる筈ですから、もう少しだけ辛抱してくださいね」
「わかったわかった。期待しないで待ってるさ」
笑顔を見せながら部屋の鍵を返すと、頭を下げて宿を後にした。
途中、朝食と昼食を購入し、馬車乗り場へと急ぐ。
太陽は既に顔を出しており、間もなく馬車の第一便が出発する時間になっていた。
ちなみに魔術師が乗る馬車はもう少し後になってからだ。
「ふぅ、間に合いましたね」
ノルエガまでの運賃を支払い、馬車へと入って行く。さすがにバックパックは嵩張るので屋根上の荷物置き場へとすでに乗せてある。
いつもなら、馬車の後部スペースに乗せるのだが、この日はすでに満杯だったために天井上に乗せるしかなかった。
いったい何を積んでいるのかと、馬車に乗る顔ぶれをみて、”ああっ!”と納得してしまった。貴族の格好をした紳士とそのお付きが、魔術師の対面に座っていたのだ。
貴族など自分の馬車を使ってはと思うが、貧乏な貴族は仕方なしに乗合馬車を使うのだろう。
それとは別に、ここはルカンヌ共和国だ。貴族制度の無い民主主義の国で、貴族がその権力を振るえないただ一つの国だ。
貧乏な貴族とは別に自前の馬車を使わないもう一つの理由がある事を思い出した。
(それにしても、今回は残念でしたね)
(ああ、まさか取引できないとは思わなかった)
(官吏の館が封鎖されていたのは痛手でしたね)
(全くだ!)
目の前の貴族がヒソヒソ話が耳に入って来たのだ。その取引が出来なかった原因が、目の前にいる魔術師自信が原因とは言う事も出来ず、鞄から件のノートを取り出し、もう一度目を通そうとノートを開いた。
それと同時に朝食用に買ったサンドイッチを広げる。そして、ノートに目を通し始めてすぐに馬車が動き出し、ノルエガへの短い旅路が始まった。
『官吏の顔を見たか?あの顔を。間もなく出向も終わり家族に会えると喜んでいたが、任期ギリギリで僕に殺される時の表情を。絶望を孕み、命乞いをしてくるあの顔を。そんな事知った事ではない。僕は親にも捨てられ、町からも疎まられ、行く場所も無かった。一人で生きて来た』
あの少年の性根は既に行き付くところまで行ってしまったのだろうと思うしかなかった。町を裏から動かし、用済みとなれば自らの手を汚してまで始末を行う。
自らの手で行うのは、何故なのか書いていないが、何か理由があるのあろう。罪滅ぼしなのか、それとも、自らの手で恨みを晴らす為なのか、今はそれすら知る由もない。
「おや?これは……」
日記の最後に隠されたように紙が挟んであった。今までの日記と違い、一枚の紙に殴り書きされて読みにくかったのだ。
『これを見ている時に、僕は死んでるだろう。僕が貰った報酬は墓場に隠してある。自分の墓にね。さすがに孤児院を潰したのはやり過ぎだったかもしれない。その再建費用にでも役立ててくれると嬉し……』
最後まで書かれずに文章が終わっていた。
魔術師があの部屋に入る少し前に書かれたのだろう。
「最後まで迷惑ばかりですか……」
日記を書いたノートを全て読んだのだが、あの少年の名前は終いまでわからず終いだった。墓を見付けようにも手掛かりすら残っていないのである。
「これは依頼主に任せましょう」
最後の一枚を抜き取り、それ以外のノートを鞄に仕舞い込んだ。
快適な馬車の旅は魔術師だけでなく、同乗している貴族たちにもその恩恵を与える。”うつらうつら”と船をこぎ始めた乗客はいつの間にか瞼を閉じ眠りに就いた。
ノルエガの街に到着したのは太陽が地平線に掛かる寸前だった。
滑り込むように城壁を潜り抜け街へと入る。馬車馬の足音が”パカパカ”と心地良く響いてくる。
六日間出掛けていただけだが、懐かしく感じる街並み。
停車場に到着すると、一度馬のいななきが聞こえてからドアが開かれる。
機嫌の悪い紳士とその側付きが真っ先に飛び降り後部の荷物スペースを強引に開けなっている。それを横目に見ながら魔術師はゆっくりとステップを踏みしめなが馬車を降り、馬車上に載せてあったバックパックを下ろす。
ギャアギャアと喚き散らす紳士の男を横目に魔術師は石畳の感触を懐かしく感じながら宿へと足を向ける。
城壁に太陽が隠れ暗闇に包まれ始める街中、店仕舞いをして家路を急ぐ人々の姿が見え始めた。そして、家々に明かりが灯り始める。
懐に入れた手掛かりと共に依頼の報告をしなければと思うが、すでに帰ってしまっただろうと諦めた。
いろいろと考えていると借りている宿の前へと到着していた。
「あ!スイール。おかえりなさい」
「予定通りだったっけ?」
宿の入り口を潜って併設されている酒場へと顔を向けると同時に声を掛けられた。
四人でテーブルを囲み、すでに夕食を口に頬張っている最中だった。
「はい、ただいま。日程は予定通りだけど、依頼は予定通りではありませんでしたよ。ほら」
テーブルに近づき外套を脱ぎながら、ぶら下げる物が無くなった左の腰を前に出す。
「気を付けるよ」
それから、あの町がどうなったかであるが……。
まず、不正を行っていた官吏が交代させられ、二十年以上に及んだ異常な町の運営がようやく正常に戻った。
裏の支配者として君臨していた少年が隠した財産も無事に見つかり、孤児院も無事に再開された。いや、建物自体も新しくされたので再建と現した方が適切かもしれない。
そして、町中にあふれていた少年達は孤児院で保護され、少女達と共にあの辛かった生活から抜け出せたと喜んだという。
少女達を売りさばいていた官吏、商売人、そして軍服の男等は厳しい取り調べを受け、それに関わった人々が芋づる式に捕まり、不正に蓄財した財産を没収され町の運営に回された。
町の人々は税率が下げられ生活が楽になったと、少し後に喜びの声が届くことになった。
「貴方のした事は許されませんが、最後に人を救ったとだけ報告させていただきます。残された財産でね」
街の郊外に積み上げられたノートに火を付けて、燃え上がる炎に向かって呟くのであった。
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