第十五話 エルザ、冒険の終わりに

 雲一つない晴天の中、エルザ達を乗せた船はゆっくりと港に接舷して行く。半分ほどに畳まれた帆に海からの風を受けて。


 海の色に近い青い顔をしたエルザが甲板の手すりから身を乗り出しその光景を眺めている。接舷すれば十五日も過ごした船上の生活から解放される、そしてこの青い顔になった原因からも解放されると、一目散に降りようと思っているのだ。


 旅の仲間に貰った酔い止めの薬は飲み切ってしまい、残りは余り効果の無い今まで使っていた酔い止めの薬のみ。それを飲んでいるが旅の仲間に貰った酔い止めの薬程の効果が出ずに、動けるようになっただけマシといった位なのだ。

 そのおかげで船室から出ることが出来たのだが……。


 それでも今は、手すりもたれ掛かり、エルザが干物になりそうな程、天日に干されている状況であった。このまま、誰も声を掛けなかければ半日後には確実に干物が完成しそうであった。


「エルザ殿は調子悪そうだが、大丈夫で御座るか?」


 だが、干される状況も終わりが訪れる。つい数日前の大捕り物で大活躍した船旅の相棒だった、兼元が声を掛けて来たのだ。


「あ、う~ん。大丈夫って言えば大丈夫だけど、駄目って言えば、駄目ね」

「どっちで御座るか?」


 エルザの答えに苦笑し、呆れるしかなかった。


「旅の仲間から貰った、酔い止めの薬が終わっちゃってね、いつものしかないのよ」

「それはそれは」


 兼元を見れば、下船の準備をすでに終えており、船室に置きっぱなしでたまに振るしかなかった太刀を背中に担ぎ、荷物を入れた鞄を抱えている。


「それにしても、船の船尾に落下防止の網が張られているなんて知らなかったわよ」

「そうだろう。舵の所だけで御座るが」


 それは、全てを仕組んだ船長のベネットを捕まえる時の事であった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




(船長を捕まえるったって、どうやって後ろに回り込めば良いのやら)


 エルザから指示されたのは、ぐるりと回り込み死角を突いて欲しい、であった。食堂スペースの出口は右舷に開いていて、前甲板から回り込めばエルザに意識を向けているベネットから消える事が出来るだろう。

 だが、直線的に動いては人質がどうなるか不明瞭である。”そぉっ”と顔を出して、後部甲板を見ればベネットが人質に短剣ダガーを突き付けて、船尾でエルザと対峙している姿を視線に捉えた。後部甲板には姿を隠す場所も無く、一歩でも前に出てしまえば一瞬で計画は破綻するだろう。


 その時である、兼元はふと、初日に船尾から海を見下ろした光景を思い出した。航行に必要不可欠な舵を落下物から守るために、幅一メートル程の網で覆われていたと。それを利用すれば、船尾のベネットの後背へ回り込めるのではないか、と。


 それから、兼元は左舷の手すりから身を乗り出し、船の側面を覗き込んだ。


(おお、これは上手く行きそうで御座るな)


 船の側面には、船体を掃除するための足場となる出っ張りが付けられていたのだ。これは足場にするだけでなく、船体の強度を増す役目、--つまりはリブである--も、果たしていた。船内にリブを設ければ少しであるが居住性が犠牲になる。その為の苦肉の策での設計であったようだ。

 その出っ張りは申し訳程度であったが、兼元が側面を移動するには十分な足場となり、それを伝い移動するとすぐに実行に移した。


 脇差を腰の後ろに回すと、躊躇なく手すりを乗り越え側面の出っ張りへぶら下がった。足場となる出っ張りもちょうど良い場所にあり、苦労なく船尾方向へとカニ歩きで向かうのだった。


 エルザが長々とベネットと話をしてくれたおかげで落下防止の網へたどり着き、ベネットの真後ろへ回り込む事が出来た。そして、ベネットの足元で兼元が親指を立てた手をこっそりと出して合図した。

 その手を見て、ベネットの気を引いてくれると思っていたが、ここで嬉しい誤算が発生した。気を引くだけで良かったのだが、円を描いて上空を飛んでいたエルザのペットのコノハがベネットに襲い掛かったのだ。兼元自身が手すりを乗り越えて、ベネットに襲い掛かろうと足に力を入れた時であったので、コノハの牽制攻撃を待ってから飛び出す事が出来た。


 そして、ベネットが人質から、コノハから、そしてエルザからも目を離した隙を突いて、手すりを飛び越え、彼の後背から振り被った手刀を首筋へ叩き込み、彼の意識を奪い去ったのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「偶然に知ったで御座るよ。あれを知らなければ、もっと苦労したで御座ろう。あれこそが、拙者が受けた天の思し召しであろう」


 ありがたやと、空に向かって手を合わせた。


「あれから、船長は全てを吐いたで御座るか?」

「それが、殺した事は口にしたけど、他は黙秘しているそうよ」


 副船長のパールが時間を取って、船長の尋問をしているそうだ。航海中の出来事については話しているそうだが、計画段階については黙秘していると耳にした。

 副船長も人質として短剣ダガーを突き付けられ怖い思いをしていたが、船長不在となってしまった今は、責任者として気丈に振舞わなくてはならぬと、可哀そうな一面もある。


 彼女もある種の被害者ではあるが、この航海が終われば船長に抜擢されるかもしれない。そうなったら、彼女の下で船に乗るのも楽しそうだと笑みを浮かべた。


「なるほどね。黙秘しているとすれば、全容解明まで時間が掛かるで御座るか?」

「そうでも無いかもね」


 乗船客を下ろす前に、副船長以下数名が下船し、事の次第を説明する事になっている。港湾警備隊を経て、次の寄港地へ先回りし、ベネットの命令で動いている商売人を捕まえるのだと話していたのをエルザは耳にしていた。

 それで、芋づる式に捕まえられるかは、その土地の官憲隊の腕の見せ所であろう。


「捕まると良いで御座るな~」

「ええ、そうね。是非とも捕まえて欲しいわね」


 これ以降は、エルザ達の手から離れるために、祈りを捧げるしかなかった。


「あら、お二人はこちらでしたか?」


 エルザと兼元が下船の準備を終え、航海中の出来事などを話していた所に女性から声を掛けられた。それは、旦那さんを船内で殺された、ヘレン=マレット婦人であった。

 すでにかつらは身に着けておらず、金色の髪が風にはためき、煌めく陽光を眩しいくらいに反射していた。


「マレット婦人、ご機嫌はいかがでしょうか?」

「ありがとう。とても良いわ……と、とても口に出来ませんが、あなた方が主人の仇を見つけて下さったので死にたいと思う事は無くなりましたわ」

「それは良かったで御座る」


 マレット婦人は悲しい瞳をしていたが、一時の様な絶望に染まった感は見られず、これからも生きなければならぬ、と決意を奥に秘めていた。

 尤も、これからが大変であろう。船旅を終えれば、店の従業員が半分くらい捕まってしまう可能性もあり、夫婦で頑張って作り上げた商店を手放さなければならぬかもしれぬのだ。

 財を成すほどに売り上げを出していただけに、店を手放してもこの先、生きるに過不足無いだけのお金はすでに手に入れている事だろう。


「それで、これからはどうするのですか?」


 様々な可能性がエルザの脳裏に浮かんでは消えと答えを出せないまま、マレット婦人へ、これからの事を尋ねてみた。


「そうね、どうするかはまだ決めてないわ。だけど、二人で頑張ったお店にいると、悲しみに沈んでしまうかもしれない。それならば、手放してしまおうかなと考えているのよ。そして、好きな事をして見ようかなって」


 マレット夫妻の思い出の場所にいては、悲しみに押しつぶされてしまうかもしれないと手放す可能性を示唆した。今の気持ちはエルザも兼元も良くわかり、否定する事は出来ない。


「それで、その後は何をするつもりで御座るか?」

「実はね、一つ考えている事があるのよ」

「何で御座る?」

「本を書いてみようと思ってね」

「本で御座るか?」


 書籍と言えば、この世界では趣味にするほどあり触れている。紙と印刷技術が発明されてだいぶ経ち、一般庶民が手にする程に普及しているのた。その為、新聞や雑誌の他に、版画を使った挿絵を挿入したり、紙を束ねる技術もかなり進んでいる。

 そして、中には出版社へ持ち込む執筆者も増え、年間の出版書籍は研究書、専門書の他に、娯楽小説等、かなりの数が出版されている。


 中には図書館を専門に作っている街もあり、趣味として定着しているのだ。


「そう、小説を書いてみようかと思ってね。今は無理だけど、この船の出来事もいつかは書いてみたいわ。当然、主人公はエルザさんと兼元さんよ。いつか書店で見たら手を取ってみてね。それじゃ、お気をつけてね」


 まだまだ辛いのに、空元気を出して気丈に振舞うマレット婦人。二人に向け、最後の挨拶を笑顔でしていたが、心にはまだつらい気持ちが渦巻いていると思えば、二人は複雑な気持ちになる。

 ただ、語った夢が叶って欲しいと思うのは共通の思いであった。


 そんなマレット婦人に二人は手を振ると、接舷する桟橋を見下ろすのであった。


「そろそろ、接舷で御座るな」

「そうね。兼元は私にまとわりついて鬱陶しいと思ったけど……」

「そんな事を思っていたで御座るか?」


 エルザの一言にがっくりと肩を落とし、暗い表情をする兼元。今までの明るい表情は何処へ行ったかと思う程である。


「でも、事件を解決できたのはあなたのおかげだったわ。それは感謝している」

「そうで御座ろう」


 一瞬で立ち直る兼元は現金であった。一言一言に一喜一憂し、百面相の様で楽しいとエルザはふふふと薄い笑みをこぼした。


「でもね、婚約者がいる人に執着するのは如何かと思うのよね。そこは直した方が良いわよ」

「肝に銘じておくで御座る」


 あえて別れの挨拶をする事無く、話を切り上げる。

 そう、船が接舷し、タラップが降ろされたのである。


『乗船のお客様にご案内します。当船は港に接舷いたしました。下船準備が整うまで今しばらくお待ちください』


 船橋せんきょうからメガホンで乗船客に声が掛けられる。事前の説明にあった通り、港湾警備隊に説明をしてからの下船である。

 一刻も早く地に足を付けたいとエルザは思っているが、今しばらくは我慢の時である。そのエルザをあざ笑うかのように、コノハは空を飛びまわって遊んでいる。


 そしてしばらくの後、下船の許可が船橋から聞こえると、一目散にタラップへと駆け寄り桟橋から港へと駆け抜ける。

 久しぶりの大地を踏みしめ、エルザはホッと胸を撫で下ろした。


 船から降りたエルザは先程までの青い顔は何処へ行ったかと思う程に血色が良く、元気だった。きょろきょろと馬車乗り場を探すエルザの下へコノハが舞い降りる。そして……。


「さぁ、家に帰りましょう。二年ぶりくらいかしらね」




 あっと言う間に船上から姿を消したエルザを見て、あっけにとられる兼元。自らのペースを崩すまいと、ゆっくりと下船を始める。

 なんの目的もなく旅をする彼はこれからどうするかと港を見て回る。


「そのうちに何かあるだろう。美人と別れたのは残念だけど、旅の途中だからな」


 彼の旅はまだまだ続いて行くのである。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 元船長のベネットは強制的に下船させられ、激しい拷問を受け、彼の組織が全て公にされた。当然、彼の計画のすべても明らかにされ、次の寄港地に先回りした港湾警備隊により、三組の商店から多数の逮捕者を出す事になった。

 そして、過去の犯罪や、溜めていた宝飾品や貴金属が押収され、当局がオークションにかけて、かなりの儲けとなった様だ。


 そして、主犯格のベネットは縛り首で死刑となり、組織に在籍していた幹部は鉱山送りに、実行犯もそれなりの刑罰を受ける事になった。


 副船長だったパールは、年齢や勤務日数、部下からの推薦もあり、晴れて船長へと昇格する事になった。実際の辞令は年を明けてからになるそうだが、皆もうれしそうであった。その他にも協力した船員には昇格や一時金が支払われている。


 殺された二組目のピアソン夫妻の商店は、商号を変えることなく従業員の手で運営され、これまで以上の売り上げを達成する。そして、共同経営と言う特殊な経営方法を学びに各地から訪れる人が現れるのだった。


 唯一、魔の手から逃れたスターク夫妻は、今までと同じ様に商店を経営し、今までと同様の売り上げで今までと同じような生活をするのであった。




 そして、夫を亡くし、未亡人となったヘレン=マレット婦人はエルザとの話の通り、商店を売り払い、それを元手に小高い丘の一軒家を購入する。それから執筆作業を行い、数年後にベストセラーの推理小説を書き上げる。

 当然ながら、船での出来事を元にしている。


 だが、主人公は特殊な帽子を被り、小太りの助手と共に事件を解決する内容となり、エルザと兼元とは似ても似つかぬ主人公が活躍するのであった。




※旧ミニクーパーの作りが外側にリブを設ける設計になってると聞いた事があります。シティーハンターの冴羽りょう(字が出ない・・・依存文字らしい)が乗っているあの小さな車ですね。

リブロースのリブも同じ意味ですね。



※これで、エルザの冒険(シャーロックホームズの冒険から取りました)は一応の終わりでとなります。

最後はちょっと強引に話をまとめたので、厳しい目で見られるかもしれませんが。

推理物を書くのが大変だと思った十五話であります。


登場人物の説明をして、その2へと続きます。

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