第六話 エルザ、船長をぶん殴る

「これは無いで御座るよ……」


 二つのベッドにそれぞれ、血のにじんだ毛布。その一つに見慣れぬ剣が深々と突き刺さった光景は、盗賊達を一刀の下に首を刎ねた事もある兼元でさえも衝撃的であった。何かの悪事に身を染め、つたない実力で向かってくる敵を打ち倒すでもなく、寝ている無抵抗の者を悪意を持って惨殺した行いに、胸を締め付ける程の怒りと恐怖を感じるのであった。


 救いだったのは毛布から覗く顔に、殺された自覚がなく安らかな表情を浮かべていた事であろう。痛みを感じ目を覚ましていたとしたら、恨みがましい表情を持っていた事は確かであろう。


 兼元はその二つの亡骸に手を合わせて冥福を祈るのであった。


「兼元、どうしたの……うっ!!」


 しばらくの間、手を合わせて冥福を祈っていると、遅れて来たエルザが兼元の後ろへと姿を現し、暗闇にうっすらと写る惨憺たる光景に驚き、後ずさった。

 何かを切り裂く様な音が聞こえ、嫌な予感を浮かべていたが、それよりも最悪な事象となっていたとは想像以上であった。

 兼元も怒りに身を震わせていたが、エルザも当然ながらこの行為に怒りを露にして行く。


灯火ライト!!」


 月明りでうっすらと浮かび上がっていた二つの赤く血が滲んだ毛布を、エルザが杖の先端に掛けた光が白く浮き上がらせて行く。それぞれ十か所以上の刺し痕と血の滲みが、そして、男性の死体には凶器の剣が突き刺され、鮮血にまみれていた。乾く前の鮮血は鮮やかな鮮血を浮かび上がらせ、猟奇的な殺人の凄惨さを知らしめていた。


「エルザ殿。船長に知らせて来て欲しいで御座るが」

「ええ、ちょっと行って来る」


 魔法の光が付いた杖を握りしめ、エルザは甲板にある船長室へと向かうと、月明かりのみで照らされた船室に兼元がひっそりとたたずむ。

 兼元自身が船長室へ向かう事を躊躇ったのは、一度疑惑を持たれた自分を信用されないと考えたからだ。全ての荷物や船室をひっくり返したように、隅から隅まで調べられ、逆恨みから何もない真夜中に安眠を妨害したとなれば話を聞かれないだろう。

 それならば、この斬殺現場を保全するために兼元が残る方が良いのだ。


「それにしても暗いで御座るな、灯火ライト


 手ごろな発光媒体が見つからなかったのか、キセルを取り出し魔法を掛けた。光源を確保して最初に目にまるのは、やはり夫妻を斬殺する凶器の突き刺さったままの剣であろう。刀身の半分ほどまで赤く染まり、人に刺さったまま直立する剣の不気味さはこれまで生きた中でも目を背けるほどだ。

 剣に導かれるように視線を下に動かせば、じんわりと赤い血液が染み込んだ毛布と色の抜けた人の顔、そして、違和感を感じる頭髪だ。兼元がメモに記した二組目が目の前に横たわっている。正体を見極めなければと使命感を感じると、殺された男の頭髪に手を触れて行く。そして、するっとかつらが兼元の手に納まると、本来の姿が写し出された。


「同じで御座ったか。しかし、同じような格好をした者を何故襲うので御座るか」


 二つの殺人を思い出して共通事項とはかつらを身に付けて変装し、身なりが立派でお金持ちの二つだけだ。お金持ちとは兼元の予想であるが、第一層に泊まれるならそれなりに財力がある事は確かであろう。


 ただ、疑問もある。殺害方法が二組で違うのだ。


 最初は外傷が認められなかったのでおそらく毒殺であろうと兼元は考えた。あの夜に声を掛けられた偽者の船員から何かの薬と言われて毒を貰ったのであろう。知らぬ人から薬を提示されれば疑うであろうが、船員からであれば信用してしまうのも道理だ。でなければ、自らで毒を飲むなどありえないだろう。

 それに折角の船旅で、長年連れ添った妻の横で命を絶つなど考えられない。それに財力もあれば生きているのが楽しいはずだ。まぁ、苦しいときもあっただろうが。


 二回目の殺人、目の前にある死体は剣で滅多刺しにされ、兼元も目を覆うほどだ。

 だが、何故、最初と二回目の殺害方法が違うのだろうか?毒殺できるならば自らの手を赤く染める事も無かったはずだ……。


 それなのに、である。


「これは拙者もわからんで御座るな」


 異なる殺害方法を用いられ、混乱気味の兼元が頭を抱え唸っていると部屋の外からドカドカと慌ただしい靴音が聞こえて来た。エルザが船長を連れて戻ってきたのだと感じ、思考を中断して顔を向ける。やはりと言うか、予定通りと言うか、寝間着姿に制服を羽織り、ボサボサの頭をした船長がエルザと数人の船員と共にその場に姿を現した。


「あ、船長殿」

「き、貴様ぁ!!また殺したというのか!」


 兼元の顔を見るなり、すごい剣幕で襟元を締め上げ今にも殺してしまいそうな勢いであった。締め上げられ徐々に青い顔になりつつあり、船長の手をパンパンと軽く叩いて止める様にと伝えるが、怒りに我を忘れているために、締め付けをさらにきつくして行く。

 船長の後を付いて来た船員もまさか船長がここまでするとは思ってもいなかった様で、一様に右往左往するばかりであった。


「船長、彼は違います。手をお放し下さい」


 兼元の耳にうっすらと綺麗な声が聞こえて来るが、船長の耳には届いておらず力を緩める事は無かった。


「仕方ありませんね」


 そう呟きが聞こえると、”ゴツン”と船室に鈍い音が響きわたり、兼元が船長に覆いかぶさるように倒れ込んで行った。


 それは、エルザが一言漏らしたと同時に杖頭を怒り狂っている船長の足裏に叩き込んだのだ。その為にバランスを崩し船長は仰向けに倒れると同時に、窒息寸前だった兼元の襟元から手が離れ船長の上にのしかかる様に倒れ込んだのだ。

 船長の後頭部を強打しても良かったのだが、それだと船長を殺めかねず、さすがにそれは、と躊躇したのは秘密である。


「ゴホッ、ゲホッ。た、助かった……」

「重いわ、貴様退かんか!!」


 身長は兼元が低いが、様々な訓練を積んでいて体重のある兼元が圧し掛かられていれば、強引に押しのけられずに無様な格好を船長は晒していた。


「それに、貴様の様な男に圧し掛かられる趣味はないわ。早く退かんか!」

「これは失礼をした」


 息を整え終わった兼元が船長の上から退くと、埃を払いながら船長は立ち上がり、船室に目を向ける。剣は自己防衛の訓練で扱うが、こんな凄惨な惨殺現場を見る機会など無い船長を始めとした船員は、船室の光景に目を奪われ、言葉を発せずにたたずむのみであった。


「ですから、船長。彼はこのような事をしてはいませんよ」

「あ、あぁ、そうだったな。思わず奴がいたので手を出してしまった様だ。すまん」


 兼元へ軽く頭を下げる船長に、この状況を見てしまった後では仕方ないかと諦める兼元だった。そして、エルザが船長を正常な思考の持ち主へと戻してくれたことに感謝の目を向ける。


「ゴホッ、ゴホッ。船長の言い分はわかりますが、拙者はどちらの件も無関係であると申します。この場は船員に任せて船長室で話をさせて頂いて宜しいで御座ろうか?」

「そうだな」

「それに、これだけの騒ぎで顔を出さぬ乗船客も可笑しいと思わぬか?」

「確かに、これだけ騒ぎを起こせば一人くらいは目を覚ますだろう」

「それも含めて、で御座るよ」


 こくりと船長が頷くと、二人の船員にこの場の処置を任せて、船長室へと戻って行くのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「さて、何から話してくれるのか?」


 船長室にエルザと兼元を連れて戻り、葉巻に火を付けて煙を口に含んでゆく。起き抜けに酷い惨殺現場を見せられ、今だにバクバクと鼓動を撃ち続ける体のりきみを葉巻で緩めて行く。

 船の操船技術で言えば一日の長があるだろうが、人の生き死にで一喜一憂してしまう事から見ても、冷静な判断が出来ぬの確実であろう。特に、乗船客からもたらされた、”異国の服を着る男”の情報を信じてしまったために、何が本当であるか船長自らがどう考えてよいかわからなくなってしまっていた。


「それでは失礼させてもらって……」


 エルザは船長の側の椅子へ腰を下ろして小さな声で話し始めた。


「まずは、これを見て欲しい」


 カバンから取り出した一枚のメモを”スッ”と机の上に置く。それは兼元が夕食時にエルザへと渡した、違和感を持った乗船客の特徴を記したメモであった。三組の男女ペアと一人の男の特徴が記されているが、特筆すべきは殺された二組の特徴にそっくり、いや、全く同じであった。

 兼元が違和感を持った四組の中からすでに二組が殺されてしまったのだ。偶然で片付けてよいのだろうかと、船長へ問い詰める。


「このメモの通りであれば、偶然で済ますわけには行かないな」

「ちなみにこの違和感って何かわかりますか、船長」


 そう言えばと、壁際のファイルを取り出して開くと、”ペラペラ”とページをめくり出した。エルザも兼元も取り出したファイルが気になり”チラリ”と覗き見れば、エルザの名前や兼元の名前なども見られ、それから乗船客名簿であると直ぐに知ることが出来た。

 そう、船長は乗船客名簿からヒントを得ようとしたのである。


「この四組、終着地で降りる事になっているな。それに、三組は夫妻。最後の一人は一人で乗っているな」


 さすがは船長であった。乗船客の特徴を瞬時に覚えてしまい、乗船客と氏名をすぐに紐付けた。


「さすがで御座る。乗船客を覚えてしまうとは感服しました。ですが、四組とは?」

「三組の夫婦と一人の男の事だな。ここからは誰にも話さいで欲しい。で、一組目が【ジェイク=マレット】氏だ」

「マレット婦人とは私は少し話をしましたが、旦那さんのお名前はジェイクさんだったのですね」


 乗船客名簿をパラパラとめくりながら、殺された対象の名前を告げる。セカンドネームは偶然にもエルザが話をしたので知っていたが、旦那のファーストネームは始めて知ったのだ。


「二組目は【フランク=ピアソン】氏と【グエンダ=ピアソン】婦人だな。夫婦そろって殺されるとは悲しい事だ。そして、三組目は【トニー=スターク】氏と【ジュディ=スターク】婦人だ。この時間ではまだ、ぐっすりと眠っている事であろう」


 エルザも兼元もフムフムと頷きながらメモに氏名を書き記してゆく。行き先は同じだが名前がバラバラであると新事実が出て来た事に二人は手ごたえを感じ始めた。


「最期に【マードック】氏だな。セカンドネームは書いていない」

「これは夫婦で御座らんみたいだが……」

「このメモにも、書いてあるだろうが」

「ああ、そうで御座った」


 殺された対象が夫妻だったので、最後に記した一人が対象である事をすっかりと忘れていたのだ。間抜けさに、穴があったら入りたいと思う兼元であるが、ぐっと我慢して話を進める。


「それから、殺された三人に共通する事柄で御座るが……」

「ん、他に何かあるか?」

「かつらを身に着けていたで御座る」

「やはりそうか」

「何だ、それは?」


 エルザから兼元に違和感の正体を教えて貰い、一人目はエルザとその目で確認し、二人目と三人目は兼元が先ほど頭髪に手を伸ばして自毛を確認をしていた。

 エルザは納得していたようであったが、船長は初めて聞く事柄に驚きの表情を見せていた。


「船長、宜しいですか?このメモにある様に兼元が違和感を覚えた相手です。乗船客は私達を含めて三十人近くが乗っていますが、違和感を覚えた相手だけが殺されています。恐らくですが、全てかつらを身に着けて瞬間的に誰とわからない様に変装をしているのです」

「たしかにな」

「このメモの者達だけが殺されたのは偶然でしょうか?」

「金持ちを狙うのならB一〇一の乗客を狙うのが一番だろう、貴族でかなりの宝石を持ち込んでいたから。乗船各名簿で見ると殺された三人は商売人であると自己申告の職業覧に記載されている」


 甲板に姿を現さない乗船客の中でB一〇一の乗船客が貴族であると新たな事実が生まれた。商売人を狙うよりも貴族を殺して、身に着けている装飾品を奪って闇ルートで売り捌けば、すぐに大金をせしめることが出来よう。二人の追っている真犯人は貴族を狙っていないとわかると、別に何かが関係していると思わざるをえなくなった。


「そこで、もう一組の夫婦と殺された三人に、共通する事柄があるのではないかと考えます。もしかしたら、顔見知りであるのかもしれないと。推測ですけどね」


 エルザは大胆な推理を展開する。兼元が当初甲板で見つけた光景にはその三組は一緒に話などせずに三者三様で過ごしていたと記憶していた。


「他人を装ってこの船に乗ったで御座るか?」

「ええ、かつらを身に着け変装していれば、”ぱっ”とは知り合いとわからないでしょうから。特に後ろ姿からはね」


 乗船客名簿からも読み取れない新事実が出てくれば、真犯人の意図もわかるかもしれない。そうあって欲しいと願う三人である。


「最期にもう二つほど」

「まだ何か?」


 エルザがメモ用紙を鞄に仕舞いながら締めの話に入る。


「ええ、一つ目は真犯人に心当たりがあります」

「真犯人を知っているというのか?」

「ええ、その話はあとでするとして、もう一つは、スターク夫婦とマレット婦人を殺されたピアソン氏に面通しをさせて欲しいのです」


 真犯人に心当たりがあると言われれば無下にも出来ない。だが、死体に面通しするにはきついのではないかと船長は考える。だが、この殺人犯を捕まえるにも必要かもしれないと考えを纏める。


「それであれば、エルザさん。あなたが説明し、同意を得られれば、との条件を出します」

「ありがとうございます」


 エルザは船長にお礼を言うと、兼元を混ぜて何故、真犯人に心当たりがあるのかを説明しつつ、それに繋がる次の一手とその他に行う事柄の打ち合わせをして行くのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る