第二十話 麻薬の呪縛
「誰か儂を呼んだか?」
工房の地下室の入り口を閉め、カモフラージュを施してダニエルをヒルダが大声で呼んだ。それを聞いたダニエルがちょうどその作業が終わったと声の元へと姿を現した。だが、その見慣れぬ光景に工房の持ち主も驚いた。
「なんじゃ、これは?」
工房や住居スペースからアクセス出来るように設けられた中庭のその一部の土がどけられ、小さな四角い穴が開いていた。真っ黒な穴の奥はかすかな音から水が弱く流れているのがわかっている。
だが、どれだけの規模の穴なのかはまだ調べておらず、ダニエルがこの穴を知っているか、先ずそれを知る事が第一だと彼に話を聞こうとした。
「ダニエルさんでも知らないのか?」
工房の持ち主であるダニエルでも知らないとなれば、何のために塞がれていたかも調べなければならないだろう。穴のある場所は中庭でも端に位置する場所で、ダニエルはその周りに低い木々が植えられていたと証言するだけで掘り起こした事も無いと告げていた。
これが何の目的で作られたかはともかく、悪影響を与えてなかったとわかれば、閉じれば良いだけだと、ぽっかり空いた穴を眺めていた。
「どうしましたか?何か見つけましたか」
ダニエルだけを呼んだはずが、呼ぶ声が大きく緊急性がある様に聞こえたのか、スイールなど他の面々もこの場に集まり、七人全てがその穴を覗き込む事になった。そして、これは何なのかと皆が思案を始める。
何だかんだと意見が行き交う前に、これが何処から来て、何処に繋がっているのかを明らかにする方が思案するよりも先であるとスイールが指摘し、穴の中を灯りで照らし出す事にした。
「それじゃ、行きますよ。
生活魔法の
「スイール、どう?」
「う~ん、水が流れていだけですね。あっちの方向へ流れてますね」
スイールが水の流れる先を差したが、それはダニエルが槌を振るっていた工房の方角だった。その方角を向いた六人の目が見たのは、唯一残っている井戸の跡だった。
その井戸も爆発の影響か、建物を整理した時に壊したのか、足首程の高さになった石組みに蓋がしてあっただけだ。その井戸の中もダニエルは覗いていたが特に何もないと、それ以降は放っておいた。
「それに何か、陶器の割れた何かが落ちてますね。割れ残った形から、壺のように見えますね」
「壺?花瓶の一輪挿しみたいなやつ?」
スイールが一度、四角い穴から顔を上げ真新しい壺があると周りに告げると、そのイメージを一輪挿しと言ったエルザが壺の絵を地面に描いていた。
その大きさは直径が十五センチほどで、うっかりと手を滑らせれば四角い穴から落下する丁度良い大きさであった。それを見て口の高さを一部修正してから”この位の大きさだと思う”と答えた。
「水の流れの先は工房の井戸の方向だと、ふむふむ。そして、壺の様な容器が割れていて、この持ち主もこの穴の存在を知らなかったと。なるほどね」
「何か思いついたね、その顔は」
四角い穴の前で胡坐をかいて、ぺたりと座り込んでいるスイールにエゼルバルドが話しかける。スイールの顔は何か悪戯が成功した子供の様に、ニヤリとした不敵な笑いを浮かべていて、その表情からは想像もつかない、鋭い目をエゼルバルドに向ける。
いつもの表情に戻りながら立ち上がると、ズボンに付いた土をパンパンと払い次なる場所へと足を向ける。
「次は井戸を覗いてみましょう。そうすれば大体はわかるかと思いますよ」
ライトの魔法が灯る、細身剣を歩みゆく先に向けながら、その場から離れ井戸へ移動する。先ほどの四角い穴から井戸まではほんの数メートルしかないので、移動も一瞬であった。
そこでもスイールは持ち前の行動力を生かし、井戸にしてある蓋を取り払い、寝そべりながら井戸の中へと灯りのついた細身剣を入れ、湿気を孕む空気を感じながら中を覗く。ダニエルには何の変哲の無い井戸に見えたが、スイールには不思議な井戸としか見えなかった。
そして、見終わると井戸の蓋を閉め、腕を組み考えを纏め始める。
「こうなったら
最近はここまで長考する事が少なくなった為、何を言っても返事を返さないなどは無くなっていた。エゼルバルドが小さい頃は、この長考する事が多々あり、夕食の支度をすっぽかすスイールを良く目にしていた。その、長考後のスイールの答えは間違ったことは無く、全てを見通す神の目とエゼルバルドは思っていた。
「ほほう、なるほど」
思考時間が五分と少しとあまりにも短い思考時間に驚きを隠せないエゼルバルドを横目にスイールが口を開く。
「いやいや、やはり何かありましたね。まず、あの穴から見た水の流れは、井戸に流れ込んでいますね。湧水がにじみ出る様に石組みが作ってあり、一目では流れ込んでいたとは思えない作りなのでしょう。そして、井戸の水量を一定に保つため、排水も逆の石組みに作られているようです。これは驚きましたね」
立て板に水の如く、スラスラと口から言葉が溢れ出るスイールにエルザやダニエルは驚きを隠せない。辺境の街ブールで一緒に生活をしていたエゼルバルドやヒルダはよく見かけた光景であり、数年、一緒にいるヴルフに一年以上旅をしているアイリーンには、たまに見かけた光景でもあった。
「そこでダニエルさんへ質問ですが、この井戸水は何に使っていましたか?」
驚いていた所で自分に話を振られて頭が回らず、何を答えていいかわからずに黙るダニエル。
「ダニエルさん、意識ありますよね?この井戸水は何に使っていましたか?」
再度、スイールから話を振られて、ようやく口を開く。
「ああ、すまん。その水は工房で飲む水や打っている金属を急速に冷やす時に使うな。油でも冷やすが、井戸水でも冷やす事がある。その時は水蒸気がもうもうと上がって視界が悪くなる程だけどな」
「やはりそうですか。わかりました!!推測は正しかったようです」
スイールは無事に解決した!と、言わんばかりに声を上げ、推測の通りだと皆に告げると、見てきた事のように話しだした。
「まず、小さな穴に落ちていた壺ですが、落とすつもりは無かったのでしょう。その中に入っている液体を巻く必要があったのです。水に落とされた、液体は水の流れにより井戸に到達し、井戸の中で攪拌されます。少しだけ重いその液体は次々に来る水の流れよりも下に位置するので井戸に溜まります。そして、その液体の入った井戸水をくみ上げる事により、微量でありますが、ここで工房を使っているダニエルさんの体に入ります。飲んでもそうですが、この液体は水蒸気になった時もここに漂っていたのでしょう。それを吸い込んで体に入るのです」
井戸水を直接口に入れ、体内に取り込み、さらに呼気からも取り込む事になるなど、ダニエルも驚いたが、他の皆もすべてが驚いた。
「そして、一定の量が体に入った頃を見計らい、頭が回るギリギリの所で命令するように商談を仕掛けたのです。それにより、いつもなら頭を傾げてしまう様な仕様でもすんなりと受け入れてしまったのでしょうね」
体からそれが抜ける前に少量ずつ摂取する事により、体に蓄積する量は増え、それが全身に回る。そこで話を振るなど、あまりにも計画的だと言わざるを得ないだろうと。その後も井戸に入る液体の量を調節する事により、長い時間、一定量が体にとどまり続ける。
なんとも恐ろしい計画だった。
「今は井戸にも残っていませんし、ダニエルさんの体にも残っていません。この液体、要するに水に溶けた麻薬を使った催眠効果に期待したわけですね」
「ま、麻薬だぁ!?」
「そんなものがこの鍛冶屋街で流行ってたというのですか?」
毒性の少ない何かの薬と思っていたら、麻薬と言われた事でダニエルは動揺の色を隠せない。それはそうだろう、麻薬と言えば一度に多量を摂取すれば幻覚や幻聴、そして覚醒効果を持ち、依存性により禁断症状をもたらすと言われている。
その中でも催眠効果のみに限定されるような使われ方をしたのであれば、麻薬の効果を知り尽くしているかもしれないと思われる。
そこでエルザが一つの疑問を口にする。ダニエルが麻薬に置かされるのであれば、街全体に麻薬の蔓延があるのではないかと、疑い口にするのであったが、スイールはそれを否定する。
否定するだけの材料を持ち合わせていたからである。
「いや、流行ってはいない。そもそも、水の流れの最下流にあるのがこの場所だ。ここから後ろには何もない。川に流れ込む下水溝に繋がっているだけだ。麻薬の被害に遭ったのはダニエルさんだけ。それもこの場所にあったが為にだ」
当然ながら水は高い所から低い所へ流れる。街の中央に集められた水は周りに向かって流れ、僅かに角度を付けられ徐々に低くなる水路の最後が、ダニエルの工房であり、上流には流れる戻る事は無い。その最後の場所にだけ麻薬が撒かれれば当然、ダニエルだけが被害を被るのだ。
「あの鎧、何か設計図を持ちこまれて作ったのではないですか?」
「そうだな。あの鎧の設計はあいつらが持って来た。儂のアイデアではないな」
その言葉がダニエルが催眠効果にかかり思考が曖昧になっていた証拠でもあろう。
「それが答えです。鍛冶師は本来は誰でも良かったのですよ。たまたま、この場所に鍛冶師のダニエルさんが工房を持っていた事が理由で狙われただけです。その後にダニエルさんが凄腕の鍛冶師とわかって陣営に取り込もうと勧誘に来たのでしょうが、そこからは当てが外れた様でこの場所を火事にして終わりにした。それが顛末でしょう」
スイールが今までの推測した経緯を説明し終わる。ダニエルがまた狙われる可能性を残しているのが心残りでもあるのだが。
「麻薬と言えばアイリーン、何か思い出しませんか?」
「あれ、ウチに振るの?何かあったっけ?」
「思い出しませんか?夜中に二人で売人にあいに行ったのを」
「あ、思い出した!確かに二人で買いに行ったっけ。でもそれ、同じ麻薬?」
アイリーンが思い出したのは、夜中にトルニア王国の王都アールストで蔓延し始めた麻薬を手に入れるために、スイールと二人で夜の街へと繰り出した事であった。あの時は見知らぬ売人に胸を揉まれるなど、良い思い出が無いので心の奥に仕舞っておきたいと思っていた。
「恐らく同じと思います。水に溶けて催眠効果のある麻薬と言えば、あの葉っぱの麻薬だけですから。実はカルロ将軍に、あの麻薬の効果が何なのかを教えてもらったのです。それが幻覚作用を強くもたらした様で、それを水で薄めて弱くして催眠効果に効果を絞ったみたいですね」
そう言えば麻薬の効果を言ってなかったなとスイールは失敗したなと思った。それは、麻薬の蔓延を防いだ事で、興味を無くしていた事やエゼルバルドが大怪我を負った事も関係していた。あの時はそれだけで精いっぱいですっかり頭から消えていたのだ。
ちなみにであるが、トルニア王国の陰で蔓延し始めた麻薬の使い方は火で炙り、その煙を吸引する事で幻覚症状を楽しむものであった。
「そんな訳で、この敵は私達の敵かもしれませんね。尤も”黒ずくめの男”がいた時点で因縁があるとしか思えませんが」
麻薬もそうだが”黒の霧殺士”とは因縁がある。パトリシア姫を狙ったのもそうだし、エゼルバルド自らが打ち取ったとは言え、大怪我を負わされた相手もそうであった。特にヴルフはスイール達と合流する以前から”黒の霧殺士”と死闘を演じた事もあったと話を聞いた事もある。
「さて、忙しくなりそうですね。で、ダニエルさんはこれから協力してくれますか?」
呆然としているダニエルに現実に戻ってもらい、協力を要請するスイール達。これから”黒の霧殺士”や歪な鎧を着込んだ怪物と戦うのであれば装備の一新が必須であった。
それにはヒュドラの革を使った防具や各々の武器の強化も必要である。地下室で見た武器の質を見ればこの男に協力してもらうのが一番である事は確かであった。それに、トルニア王国へ帰る時間は無いかもしれない。
そして、現実に引き戻されたダニエルがばしばらく考えた後に答えを導き出す。
「ああ、儂に出来る事なら何でもする。儂が巻き込んだってのもあるしな。だが、肝心の場所はどうするか……」
ダニエルが工房のあった場所を見渡し、悲しい目をするのだが、彼を慕っている人がいるとヒルダは脳裏に浮かんでいた。あの人の事を。
「それなら、いい場所があるわよ」
ヒルダに連れられて来たのはダニエルの店の目の前。そう、弟子のクルトの店であった。
クルトの店に姿を現したダニエルがクルトに軽く手を上げて挨拶をすると、彼はダニエルよりも大きな体で、小さな師匠を抱きしめ、号泣して喜んだ。
「スマンな、儂は操られていたらしい。詳しい話は後にするが、少しの間こいつ等の装備を整えるから工房を貸してくれないか?」
「ええ、師匠が腕を振るうところを見せていただけるのであれば、喜んでお貸しします」
険しい顔をして弟子に頭を下げる師匠に、クルトは満面の笑みを浮かべて了承する。当然であるが、師匠の技を盗む事も目的であったが、一緒に槌を振るう事にも喜んだのだ。
それから、しばらくの間、クルトの店は客の注文を取る事も無く、スイール達の装備を整えるためにダニエルとクルトの師弟二人は工房に籠るのであった。
※やっと、麻薬が登場しました。第四章以降でしょうか?
麻薬についてはもうしばらくおつきあいください。
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