第十六話 一足遅かったスラム街
エゼルバルドとヒルダが”上質の睡眠亭”に帰って来た時には、太陽が地の向こうに顔を隠し夜の帳が降りていた。宿の入り口を潜ると酒場を兼ねた食堂から、鼻孔をくすぐるいい匂いが漂って来る。この日のおすすめメニューは猪肉のシチューと立て看板にチョークで書かれており、酸味のある匂いが腹の虫を活発にさせる。
その匂いに誘われ食堂に目を向けると、シチューに舌鼓を打つ良く知る四人がそこにいた。
「美味しそうな物、食べてるね~」
その四人が座る横のテーブルに腰を下ろしながらエゼルバルドが話しかける。
「なんじゃ、エゼルか。もっと早く帰って来るかと待っていたんだがな」
「少し情報を仕入れて来たから遅くなったんだよ」
”それに色々とあったからね”と呟き、テーブルの上に買ってきた荷物を置きながらヴルフの問に答える。旨そうにシチューを口に運ぶごとにいい匂いがエゼルバルドの食欲を
そこへウェイトレスが通りかかり、エゼルバルドヒルダはお勧めのシチューと飲み物、ソーセージ類を注文する。
「情報を得てきた割には、ヒルダも何時もと違う格好だけど、何かあったのかい?」
シチューと格闘中のヴルフを無視し、スイールが口を挟む。この場所でもヒルダの格好は目立っている。酒が入れば声を掛けられるに相違ないと、こちらのグループに入っている事をアピールする。
「今日だけで三回かしら?参ったわ。おかげでこれよ」
空色の服に点々と赤い斑点模様が付着している場所を指し、泣きそうな顔をして落ち込む。赤い点々は当然、血の色だが、それを見ればどんな事があったか想像できた。そんなときは相手に同情するしかない。
「これをアイリーンに渡してくれるかい?」
スイールを介して、その隣に座ってシチューを頬張るアイリーンに矢筒を渡してもらう。
リスの様に頬に肉をパンパン詰めてからから矢がいっぱい詰まった矢筒を受け取る。それを見たアイリーンは明日にでも買いに行こうかと思っていた矢が手に入った事に喜ぶが、裏があるのだろうとジロリとエゼルバルドを睨むのであった。
「人探しをしたいから、明日、アイリーンはオレ達を手伝って貰いたいんだけど」
矢筒を渡して来るから、何か頼み事かと思ったら案の定、使われる側だとスプーンを噛みながら溜息を吐く。遠くを眺める眼力は一番だと自負しているし、身軽な体で屋根に上るのも容易い。偵察任務に向く力を求められるのは悪く無いが、乗り気がしないのだ。
「して、誰を探すのじゃ?」
「鍛冶師だよ」
「鍛冶師~?鍛冶師を探すのにアイリーンは必要か?ワシ等で十分だろう」
「そうそう」
シチューの皿が空になったヴルフが残ったパンを千切りながら口を挟む。エゼルバルドの人探しに必要なのは、鍛冶の腕を見定める事が出来るヴルフが当たれば良いだろうと、アイリーン共々反対をする。それに加え、アイリーンは動くのが億劫でベッドで寝ていたいと思っていた。
鍛冶屋を一軒一軒回り、加工できる鍛冶師を探すのであればヴルフで事足りる。しかし、エゼルバルドは、手に入れた情報を皆に話し始め、何故アイリーンが必要なのかを説明する。
「今日は鍛冶屋を回ってきたんだよ、それで遅くなったのもあるんだけどね。そこでとある鍛冶師の腕であれば、あの素材を加工できるだろうとお墨付きも貰ったんだ」
「そこまで知っているなら、その鍛冶師の下へ向かえば良いだけだろ、何か難しいのか?」
「ヴルフは最後まで話を聞きなさい。本題はここからだろう、続きを頼む」
話の腰を折るヴルフに、スイールがヴルフに注意を促す言葉を挟み、話の続きを催促する。
「その鍛冶師はスラム街に入ったと情報を貰ったんだ。そんな場所じゃアイリーンの力を借りるしかないだろう。見つかったらアイリーンにお礼をしないといけないけどね」
シチューの残りをパンですくいながら、口に運び入れているアイリーンの目が”お礼を出す”と聞き、輝きだす。目の先にいるエゼルバルドには期待していないが、同じくテーブルについているヒルダであれば、美味しい食べ物を探し出したり、際どい服を売っている店を見つけたりしているかもしれないと期待に胸が膨らむ。
それに、報酬もかなり貰っているだろうから、少しくらい出してもらっても構わないだろうと脳裏で計算したのだ。
実は、スラム街に向かうと聞いて断ろうと一度は思った。だが、条件の良い報酬に付け加え、エゼルバルドとヒルダが一緒に向かうのであれば、多少危険な場所でもなんとかなると考えた末に答えを出した。
「よし、その話乗った!!地の果てだろうが、海の底だろうが見つけて見せる。大船に乗った気でウチに任せな」
”ドン”と胸を叩きながら声を上げると、食堂のにいる人達の注目を一身に浴びる。正気に戻ってキョロキョロと見渡すと、向けられた視線が痛くて耐えきれなかった様で、その後は小さくなり、チビチビとお酒のグラスを傾けるのであった。
「それじゃ、明日はお願いね」
「ウチに任せとき!」
アイリーンとの話が纏まった、その時、エゼルバルドとヒルダの前に待望の今日のおすすめメニューのシチューと、その他の料理が運ばれてきた。これを食べて明日に備えようと、二人はテーブルに揃った料理に舌鼓を打つのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まだ人々が寝静まり、布団をかぶっている薄暗い未明、日が顔を出すまで後一時間となった。
スラム街の入り口に、暗闇に溶け込むような黒い外套と足音を立てにくいブーツを履き、腰には黒い鞘に収まったショートソードをぶら下げている男が立っていた。
(まずは情報収集でしょうか)
最小まで火を絞ったランタンを片手に持ち、路上で疲れ果てて寝ている者達の中から利発そうな者を探す。とは言え、スラム街で寝転がっている者達の中に、切れ者がいるとは思えなかった。
スラム街で家も持たず路上で寝ている者達を、軽蔑の目で見ながら街の中へ入っていく。日の空けぬ薄暗い朝にもかかわらず、起き抜けのまだシャキッとしない瞳で、男をスラム街に不必要な異物として駆除しようかとした動きを見せる者もたまにいるが、目に入った途端に相手との実力差を察知したのか、見て見ぬふりをして丸まってしまっている。
このままではらちが明かないと、壁にもたれて座り込んでいる一人の暗い顔の男を見つけ、肩を踏みつけながら訪ねる。暗い顔の男は、黒ずくめの男が目の前に立ったのはわかったが、それが何を意味するのかは、やる気の無さから全く予測、いや、考える事を止めていた。
「ここに鍛冶師は来なかったか?」
強引なその方法に暗い顔の男は弱々しい声で”知らん!”と反抗的な態度を取るだけに終わる。それから肩を幾らブーツの底で痛めつけようとも、満足する答えは帰ってこなかった。
”チッ”と舌打ちをして暗い顔の男の腹を蹴り、その場を後にする。
時間を無駄にしたと思いながらも、その後もスラムを歩き続け、石畳の敷かれた広場へ到着する。当然ながら広場にも、やる気の無さそう死んだ目をして、ボロボロの服を羽織っただけの人が多数見える。風呂にも入らず髪はボサボサとなり、爪は伸び放題で歯で噛み千切って短く揃え、体からはツーンと酸っぱい匂いが鼻を刺激する。
その中でも、まだボロボロにならずにしっかりとした服を着込み、酒瓶を持った髭面の小さな男が見えた。筋骨隆々の体から見える二の腕や太腿には躍動感がまだあふれていた。この場に流れ着いてから、まだそれ程経っていないとしか見えなかった。
「ダニエル、【ダニエル=アンカーマン】だな。お前を迎えに来た」
黒ずくめの男は、筋骨隆々でがっしりと筋肉着いた二の腕が見える男に向かって、名前を告げた。低い声だがしっかりと聞こえ、そして威圧を与える声でだ。ダニエル=アンカーマンと呼ばれた男の左右に座る者達は、黒ずくめの男が発した声に恐怖を感じ、すでに捨てた自尊心を奮い立たせる事も無く、股間から温かいものを流れ出していた。
「そんな男は知らん。他を当たれ」
その男は、声を発して黒ずくめの男に
「ハンマーを振るうと出来る”たこ”を持つ男が何故スラム街にいるんだ?剣を握っていた”たこ”でもないだろう。それにまだカチカチじゃないか」
硬くなった手の平を見られ、”ハンマーだこ”さえも一目で知られてしまった。顔も見た事の無いこの男が何故、知っているのかと疑問に思うが、黒ずくめの男が目の前にいるのだ、不思議ではない。
人を虐殺する研究をする者達に、これ以上協力するもんかと身を隠したのに、それすら無駄になってしまった。交渉に来た黒ずくめの男とは違うが、明らかに同じ組織に所属していると一目で理解できる。
しかし、この男に抗い逃げ出す事は出来るのか?と、頭を回そうとするが、それよりも早く、体を衝撃が襲った。
「グフォッ!」
「考えている事などお見通しだ。如何に逃げようかと、足りない頭で考えていた位な。それも終わりだ、ゆっくり寝ているといい」
意識を手放す前に、黒ずくめの男から出された言葉を聞きながら、深い闇へと落ちて行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アイリーン、準備はいいか?」
朝食を食べ終わり、ブロードソードを腰に差し、両手剣を背中に背負って外套を羽織ったエゼルバルドが一階の受付前で声を掛けて来た。その隣には同じような格好で
「いいわよ。貰った矢筒もちょうどいいみたい」
部屋から出て来たアイリーンも同じように外套を羽織り、腰には沢山の矢が入った矢筒を備え、右腰にショートソード、そして左手に自慢の弓を持っている。
当然だが、三人とも腰ベルトに、護身用や解体用のナイフを装備しており、フル装備であった。
「それじゃ、行こうか」
「「おーー!!」」
気合十分の三人は、”上質の睡眠亭”を出て、ノルエガの北東部にある、少し危険な匂いのするスラム街へと向かうのであった。
宿を出て数十分後には、乗合馬車を乗り継いでスラム街の入り口へと立っていた。
そこはかとなく暗い街並みは、やる気のない人々にうってつけの場所となっていた。道路の両脇にある家々の壁にもたれ掛かってはうつむいて地面を眺め、眠っている様にも見える。一部は、スラム街から這い出してやろうと息巻いている少年少女の姿も見える。
暗く下を向いている大人よりも、元気に走り回っている少年少女に聞いて回った方が、鍛冶師にたどり着けるのではないかと三人は話をしたのだ。
「一応、オレが先頭でアイリーンが次、最後はヒルダに任せる。今日は鍛冶師のダニエルを探す。二か月以内にここに来たはずだから、着ている服は汚れているだろうが、ボロボロって事は無いはずだ。何か気になる事があったら遠慮なく言ってくれ」
エゼルバルドが二人に指示をして顔を見ると、頷きを返してきてホッとする。少しばかりアイリーンには嫌な思いをさせてしまうかと考えると胸が痛くなるが、お礼は何が良いかと考えながら、フードを深く被り、スラム街の中へと足を進める。
酸っぱい匂いに顔を歪めながら足を進る。嫌な匂いは鼻に入れば気持ちの良いものではなく、胃をムカムカとさせる。
情報を持っていそうな人を探そうと目を向けるが、目利きのアイリーンの目にもなかなか映らないとなれば、考えを改めなければと考え出す。
それでも、フードを被った三人が揃って歩く姿はスラム街でも珍しく、チラチラと何処かから覗き見る視線を感じる。その視線に目を向けるのだが、すぐに消え去り、何処から見ているのかわからず情報を得るまで行かない。
酸っぱくムカムカする匂いが充満する道を練り歩く事一時間、スラム街の中心と思われる広場に出た。
そこへ三人が姿を現した途端、広場の周りに陣取っていた人々が一斉に動き出し、何処かへ移動しようとする姿が見えた。それは何かから逃れる様な動きであり、ある一つの脅威を感じているのだと思った。
それでも、全ての人が同時に逃げ出す事は出来ず、病気で寝込んでいたり、足に怪我を負っていたりする人々は、その場へと座ったまま動けずじまいであった。
どうしたものかと辺りを見渡す三人は、それぞれ一人を捕まえ、話を聞く事にした。その際は暴力は禁止、有効な情報にはお金か食べ物をあげる事を伝えた。
「それじゃ、よろしく」
エゼルバルドが二人に声を掛けると、三人は一斉に広場に残る人々へ駆け出し、逃げ出そうとする人を捕まえて、広場の真ん中へ丁寧に連れて来るのであった。
それぞれ、寝てた男、逃げようとして遅れた男、そして怪我をして歩きにくい男と三者三様であったが、体や服を洗っていない為に体臭はキツク、三人は顔を歪めていた。
「申し訳ないけど、急いでいるんだ。有効な情報を教えてくれたら少しばかりだけど報酬を渡す。まずは迷惑料だ、受け取ってくれ」
エゼルバルドは懐から銀貨を三枚取り出し、一枚づつ、男達の手に握らせる。
それを見た一人の男が銀貨を見て驚いた様に声を出した。
「アンタら、今朝方の奴の仲間じゃないのか?」
エゼルバルド達は”今朝方”と聞き、互いに顔を見合わせる。その時間はまだ宿で寝ていたか、待機しているはずだし、スラム街に来るのも初めてだ。
それに今朝方の出来事とは、いったい何の事かと不思議に思うのだ。
「”今朝方”とは何だ?オレ達はその時間はまだ寝ていて、ここに来るのは初めてだぞ。それに仲間ってのも何なんだ?」
男達も顔を見合わせ、不思議そうな顔をしている。幾らスラム街に住んでいるとは言え、物を恵んでくれるのであれば、それ相応の情報を話すのだ。だが、暴力に訴えるのであればスラム街全てで敵を排除すると元締めから言われてる事を男達は話した。
丁寧にとは言え、捕まえられたのは不本意だったが、迷惑料としてお金も貰っている。暴力に訴えない相手を無下にできる訳が無かった。
「今朝方、アンタらみたいな恰好をした奴が、オレ達の仲間、それも新入りを
攫って行かれるのを防ごうとしたのは褒められるのだが、それで怪我をしたのは実力不足であると、残念ながら言わざるを得ない。だが、その勇気に免じて、それを言うのは止めるのだが、エゼルバルド達が来るこのタイミングで人を攫うとはタイミングが良すぎると思わざるを得なかった。
「怪我はともかくだ。なんて名前の奴が攫われたがわかるか?」
捕まえて来た男達へ問い掛けたその時だった。
「お前達、その三人を放せ!!」
突然の声にエゼルバルド達が振り向くと、数人の少年少女が棒切れを持って睨んでいた。まるでこのスラム街は自分達が守るんだと、正義の味方をしている様にである。
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