第十一話 狂気の研究者

 三メートル四方の小さな部屋の中、一人の男はその隅で身を小さくして怯えていた。木目の壁は艶消しの無色の塗料が塗られており、木目そのままの綺麗な色を映し出している。その綺麗な色もその男には無用で、この場からいかに逃げるかを考えていた。

 部屋の三方向は窓が設けられて太陽の光を存分に部屋の中に注がれている。その窓からは遠くエルムベルムの街が見渡せ、いつでも逃げる事が出来ると思っていたが、窓を開けいざここから逃げだそうと眼下を望めば、この男では怪我をする、高所にその部屋はあった。この男はこんな高所から飛び降りて、命を懸けるほど暗愚ではなかった。


「囚われた気分はどうですかな?」


 正面のドアが開き左目に眼帯をしている男が入ってくる。見たところ四十代と見られるが、短髪でぼさぼさ、羽織っている白衣は赤い血や何かのくすんだ色の液体で汚れ、白く見える場所は少ない。ドアノブを動かした反対の手はその白衣のポケットに突っこんだままだ。


「最悪に決まっておろう。お前は何者だ、吾をどうするつもりだ?」


 目の前の男に向かって叫ぶ。小さな部屋だ、一足飛びに襲い掛かり首を絞めてしまおうかと思ったが、開いているドアの向こうに不気味な男が控えて、それを躊躇ためらう。


「おや、オーギュスト伯爵なら御存知かと思ったのですが、買い被ってしまいましたか。私は【ブルーノ=シュタインマイヤー】、Dr.ブルーノと皆から呼ばれております」


 オーギュストは脳の片隅にあった記憶を引っ張り出し、目の前の男の情報を頭の中で整理する。


「なるほど、Dr.ブルーノ。狂気のマッド研究者サイエンティストか。それが吾に何の用だ。お金ならないぞ」

「お金?そんなものは必要ありません。ただ、貴男の体にご協力いただきたいだけです。後、数刻もすれば首を縦に振るでしょうけどね」


 ブルーノの顔が何かに取り憑かれたかの様に顔を歪め笑う。不気味な笑いはオーギュスト伯爵の心を締め付け、その奥に人ではない何かを見た気がした。


「間もなく客人が屋敷を訪れます。その窓から客人たちの成れの果てをご覧くださいませ。キヒヒヒ……」


 ”ギギギ”と鈍い音を出しながらドアが閉められ、静寂が再び部屋を支配する。ブルーノに言われた窓の下を見ると広い敷地に歪な建物。それに、大きいだけの部屋を見通せる天窓が付いている。そこから何を見れば良いのかと、不安になりながらも指示に従うだけであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 不気味な男に通されたそこは、広い中庭に通されたと思っても過不足の無い部屋であった。奥までは五十メートル、横は三十メートルはあるだだっ広い部屋で床はレンガが敷き詰められ、天井も中央の半分以上が透き通るガラスの天窓が支配している。天窓の向こうには屋敷の本拠と言うべき場所の最上階が見て取れる。


 不気味な部屋を見渡せば壁のあちらこちらに派手な傷と無数の血痕付いている。派手な戦闘がここで展開されたのだろうが、壊れていない建物は頑丈なのだろう。。


「お客人よ、よく参られた。歓迎いたしますぞ」


 この広い部屋の対極にあるドアが開き、一人の男がこの場へ姿を現した。


「このお屋敷のご主人、ブルーノ様ですぞ」


 側にいた燕尾服の男が告げ、ブルーノの元へ歩いて向かう。その前に”お客人はその場に留まり下さい”と動く事を拒否されていた。


「オーギュスト伯爵を返して貰いに来た。大人しく渡せばよし、そうでなければ力づくでも渡してもらうぞ」


 カスパルとハンスが前に出て、部屋の向こうにいるブルーノへ大声で叫ぶ。


「守備隊の隊長が出てくるとはご苦労な事で。だが、”はい、そうですか”と渡せる訳が無かろう。私の従者に勝ったら考えてやってもいいぞ」


 ブルーノは自らの従者に自信を持っているようで、声が弾んでいる。そして、燕尾服の男に何か耳打ちをすると、ブルーノの少し離れた場所のドアが開き、二体の得体の知れない怪物が現れた。


 スイールも見た事も聞いた事も無いと驚きの顔を見せている。

 頭から体にかけては犬系の獣人、腕は人、そして跳躍力が自慢の鹿系の足がついている。歪なそれは怪物と呼ぶにふさわしい姿かたちをしていた。それでいて知能がある様でブルーノや燕尾服の男の事を聞いて理解し、命令を待っていた。


「これは私が心血を注いで作った実験体、壱號と弐號だ。君達は彼らにひれ伏す事になるだろう。今のうちに謝る事だな。そうすれば命だけは取らないで置こう」


 にやけたブルーノは勝利宣言を早々と告げる。それに激発され、それぞれが剣を抜き構える。その中でも弓を構えたアイリーンは先手必勝と二本の矢を番え怪物に向かって撃ち込んだ。それぞれが怪物を捉え、頭を正確に打ち抜いて……。


「えっ?」


 頭を打ち抜くはずだった……。矢は正確な軌道を描き、頭を射ぬき戦闘を早々と終わりにしたはずだったが、その矢は怪物に当たる事無くその後ろの壁を貫いただけであった。


「外れた?アイリーンの矢が」


 怪物達はそれぞれが自らに向かって来る矢を察知しそれを躱したのだ。さらにその場から三メートル程横に飛び退いていた。アイリーンの矢を躱した事も驚いたが、飛び退いた距離にも驚きを隠せない。


「見たか、私の作品の力を。降参するなら今の内だぞ。尤も、今の攻撃のお返しをしなければならんだろうな。行け!実験体、壱號、弐號!奴等を殺せ!」


 怪物がこちらを向き、人の腕に装備した鉤爪が太陽の光を反射しキラリと光る。そして、各腕二本の鉤爪が襲い掛かる。


 怪物は一直線に向かい鉤爪を上から振るう。そのスピードは人の速度を上回り、瞬間的には獅子の速度をも超えているだろう。その鉤爪はすれ違いざまに人の肉をえぐる。

 前面に立っていたカスパルとハンスの腕は二本の傷を付けられ血が吹き出している。


 スピードこそ追いつけるか追い付けないかの瀬戸際だが、速度を得るために体重が軽かった事が幸いした。二人の傷は見た目よりも浅かった。


 そして、そのスピードのまま離れ三十メートル程距離を取った。


「うむ、あまり頭は良くないみたいだな。エゼル、耳を貸せ」


 今の動きを見ただけでヴルフは対策を考えた様だ。一回こっきりの作戦だが、エゼルバルドは有効な手段と見られ、それに乗る事にした。


「何を相談しているのだ。逃げる算段でもしているのか?」

「そこで見ておれ。お前の怪物をこの場で始末してやる」


 傷を受けたカスパルとハンスを下がらせ、ヴルフとエゼルバルドが前に出る。そして、棒状武器ポールウェポンと両手剣を不思議な形で構える。


「何をしても実験体、壱號、弐號に敵う訳が無い。もう一度だ、壱號、弐號。あいつらを殺すのだ」


 その命令に再度、人の速度を超えて走り出す。そして、その鉤爪がスピードを乗せて振り下ろされる。


「!!なに?」


 二人の側を通り過ぎたところで怪物は床に顔面を打ち付け、ゴロゴロと転がった。それを見たブルーノが声を上げたのだ。


「お前達、何をした?」

「なに、簡単な事だ。あの怪物が人以上の速度で迫ってくる。そこに質量のある尖った何かがあれば自ら刺さってくれるって訳だ。スピードは脅威だが、直線的にしか動けないのであれば脅威でも何でもないさ」


 化け物の傍らに歩み寄り、無理に刺さっていた棒状武器をヴルフが引き抜く。その傷から血が吹き出し、胸を掻きむしりながらその怪物は命を散らした。

 エゼルバルドの両手剣はいざ知らず、ヴルフの棒状武器は先端には人を殺傷せぬように多少だが丸みを帯びている形状である。そこへ人以上の突進力で突っ込めば、殺傷力が無くとも体に突き刺さる。その実験体と呼んだ怪物が速度を重視して鎧などを付けていない事を逆手に取ったとも言えよう。


「あの怪物は自ら考える力が無い様だな。幼児並みの考えでは使えないぞ」

「グヌヌヌ、おのれぇ!!」


 エゼルバルドも突き刺さった両手剣を引き抜き、もがき苦しむその怪物に止めと首を刎ねた。


「私を本気で怒らせたな。もういい、お前たちはその姿を留めぬほどの肉塊にしてやる。実験体伍號を出せ!」

「あ、あれを出すのですか?まだ早すぎます」

「今使わんで、何時、使うと言うのだ?言いから出せ!」



 ブルーノは強引に燕尾服の男へと命令を下すと、先程、怪物二匹が出て来たドアをあけ放ち、そこから鉄の檻を引っ張り出してきた。その中には体を屈ませた人の様な姿を確認できた。

 そして檻の鍵が外されると、ゆっくり檻の中から人の様な何かが出て来た。


「人なのか?」


 その姿を見たスイールは先ほどの怪物を見たのように驚く。人でもない、亜人でもない、そして、獣でもない、人に似た何かだと。


「ははは、実験体伍號を甘く見ない事だな。先ほどの壱號、弐號と違うぞ。お前たちを確実に殺す。残念ながらな!!」


 ブルーノの高笑いと共に人に似た怪物は檻の中にあった棍棒を軽々と担ぎ上げる。

 人に似た怪物は立ち上がると二・五メートルほどの身長がある。だが、見た目は不格好で足は短く上体を支え駆け回れるようにがっしりした肉付きをしている。胴体は長くそこに生える腕は地面に手が届くほどに長く、腕も太い。頭は通常の成人男性並みであるが。

 その異様さは格好だけでなく。部位ごとの肌の色が異なり、接着してあるのか、縫い合わされているのか、つなぎ合わせている様に見える。特に目立つのはその頭だ。顔面と頭皮は皮膚の色が違い、明らかに違う皮膚を合わせてある。当然ながら頭髪は無く、無毛であった。

 その手の巨大な棍棒を軽々と担いでおり、尋常ならざる力を見せつけられた。


「たまには運動させてやろう。実験体伍號、奴等を殺せ」


 命令された怪物は”グオー”と一言発すると、のっしのっしと緩い動きで棍棒片手に向かって来る。


「近づかれると厄介ですね。今のうちに攻撃しましょう。アイリーンもエゼルもお願いしますよ。ヒルダはいつでも防御魔法を出せるように」

「「「わかった(わ)」」」


 スイールの声で一斉に動き出す。まず、アイリーンの矢がその怪物を捉える。正確に放った矢は怪物の眉間に吸い込まれるように矢が突き刺さる……。


”ガキン”


 アイリーンの放った矢は逸れる事なく眉間に撃ち当たったはずだが、硬質な金属が打ち合う音と共に跳ね返され地面へと落ちる。


「そんな矢が効くと思っているのか?実験体伍號は弱点に鋼を埋め込んである。ちょっとやそっとじゃ死なんわい」


 弱点を強化していると自らが言うのはどうかと思うが、それならば別の場所へ撃つまでと、もう一本、矢を番えて打ち出す。そして、今度は少し違う場所を正確に射抜いた。


「ぎゃぁーー!!」

「眉間は駄目だったけど、目の玉には鋼の板は仕込めないものね」


 アイリーンの放った二本目は寸分たがわず怪物の右目を貫いた。怪物の目に突き刺さり目から矢が生えているのだ。それに一瞬だけ遅れ、潰された事実を認識した怪物はそれを振り払う様に暴れだした。棍棒をふりまわし、まるで子供が親に駄々をこねている様なそんな感覚を覚えた。


「なんだ、あれは?子供が癇癪を起しているみたいじゃないか?」


 腕の傷を手当てしながらカスパルが呟いた。あの大きな図体なのに、動きが子供そのものだったのだ。体と精神のバランスが取れていない?体も歪なら、精神も歪だった。


「エゼル、畳みかけます」

「わかった!」


 スイールとエゼルバルドの込めていた魔力を使い、あの怪物へ魔法を撃ち出す。


「「風の刀ウィンドカッター!!」」


 二人の魔法は交差し、十字に怪物に迫る。十分な魔力を込めた十字の風の刀は暴れている怪物の左腕の肉を切り裂き、骨を砕き二の腕から先を千切り吹き飛ばした。その断面からは血が滴り落ちていても、怪物は止まる事無く暴れまくる。

 こうなればもう、手が付けられない。


 子供が癇癪を起して親に当たる、もしくは持っていた玩具を八つ当たりの様に壊す、それが現実の物となって襲い掛かる。そう、怪物の進む先はここに侵入したエゼルバルド達ではなく、この怪物を作り出したブルーノの元へである。


「ガァァァ!!」


 訳の分からない言葉を吐き、全力で足を進める。巨体は地を揺らし、空気を震わせ、ブルーノへ迫る。


「実験体伍號、何をしている!こっちじゃない、あっちが敵だ!」


 ブルーノは向かって来る怪物に命令をする事しかできず、その場で声を上げるだけだ。聞く耳を持たない怪物は生みの親に向かいその右手を振るう。

 真上から振り下ろされた棍棒はブルーノを簡単に屠った。身長百七十センチの男の倍以上の高さから振り下ろされた巨大な棍棒は一撃で人を挽肉ミンチに変えてしまった。頭を砕かれ、脳漿をまき散らし、背骨がひしゃげ、そして内臓が飛び出す。無事であったのは棍棒から逸れた両腕のみであろう。

 怪物はそれでも飽き足らず、何度も何度もその肉塊を棍棒で打ちのめしていた。それは血や臓物が弾ける光景を見慣れている者達でも目を背ける程であった。


 やがて怪物は棍棒を振るう回数が少なくなり、叩き付ける力も弱くなる。その後、石の床に倒れ動かくなった。腕から滴る血液が怪物の側で池になり、動けなくなる体から失われてしまったのだろう。


「終わったみたいですね」


 スイールがぼそっと呟く。皆も一様それに頷き、哀れな怪物と肉塊となったを見つめるだけであった。


「オーギュスト伯爵を探します。あの男が何か知っているはずだ」


 カスパルとハンスは怪物の向こうで力なく座り込んでいる男へ向かって歩き出した。それに続くようにエゼルバルド達も続く。


「オーギュスト伯爵は何処か教えてもらおう」


 放心状態の男に尋ねるが何も返ってこない。むしろ、小声で何かを念仏のように口から漏らしている。


(あぁ、旦那様、旦那様。あぁ、旦那様、旦那様。今までお仕えして、これからどうすれば良いのでしょうか……)


 不気味に独り言を言うこの男を放って、屋敷を調べる事にした。先ほどの広い部屋の奥のドアを開くと左右に長い廊下があり、少し左に上へ上る階段と真正面に怪しげなドアが見える。

 念のためドアを開いて確かめるが、そこには誰も見えなかった。そのドアの中を見たスイールは何かあると部屋を調べる事にした。一人では調べるのに時間がかかるとヒルダも一緒に調べる事にした。


 その他の五人は屋敷の中を調べるべく、手分けして探す事にした。

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