第十六話 川辺お手製温泉【改訂版2】

2019/6/15改訂


 宿場町を出てから、何日歩いて来たのだろうか?

 降りしきる冷たい雨が体温を奪って行く。歩き続ける事だけが、体温を保ち続ける事が出来ている。

 その行軍とも言える足の歩みと冷たい雨が心のゆとりを奪い続けていた。


 ゆとりを奪った事象だが、今回は多数起こったのだ。

 まず歩く彼らの横を馬車が駆け抜けるが、これは仕方のない事だ


 数日雨が続き街道には所々でまちまちな大きさの水溜まりが出来上がった。

 歩く旅人の横を猛スピードで駆け抜け、その水溜まりをから水飛沫を盛大に舞い上がらせる、馬車乗りの風上にも置けない御者がいたのだ。

 それを追い掛けようにも、人の足で追いつけるはずも無く、泥で汚れた外套だけが虚しさを物語った。


 さらに騎馬の集団、少なくとも十五頭程が彼らを追い抜かす時に泥水を跳ね飛ばし容赦なく汚して行った。

 さすがのスイール達もそれらに辟易し、馬車や馬が通り抜ける度に街道から外れて通り過ぎるのを待つ事が多々あった。


 だが、それらも、間もなく終わりを告げるのだ。

 先程通った、小高い丘に上った時に、次の目的地を遠目に見る事が出来たのだ。それは河に面した村【ベルヘン】。次の目的地だ。


 ベルヘンは本来は小さな村で特徴など持っていなかった。だが、この村から河を渡り、今は同盟となったスフミ王国まで直線で二百キロと近く、トルニア王国内部へ侵攻できぬ様にと防壁が構築されたのだ。


 人口も一万人程度が防壁の内外に住むが、その数と同等の兵士が駐在している。また、騎馬や馬車馬なども多く、人より馬の数が勝っている。そこを人々は”馬が人を支配する村”と比喩されることもしばしばある。


 そして、その比喩を決定的にしていたのが、特徴のなかった村に出来上がった戦馬生産地だろう。高原の気候と広大な草原を利用しての戦馬は各地に送られ、さらにこの地に戦馬を配置することにより、牽制をしていたのだ。

 今はスフミ王国が同盟国となったので、その性格は薄れて来たのであるが。


 ただ、問題も無い訳ではない。住民と兵士の間で時折、衝突が起こるのだ。住民側はよそ者だと嫌い、兵士側は誰が守っているのかと嫌っているのが理由だ。


 村に近づくにつれ、先ほどまで降り続いていた冷たい雨が止み始める。日頃の行いが良かったためと思いがちだ。だが、道中に晴れが続いた方がどんなに良い行いをしていたのかと逆に思うだろう。


 雨に濡れて撥水効果が落ちてきた外套が水を吸い、肩に重く圧し掛かって来る。

 だが、間もなくそれも終わるかと思うと、それすら楽しく思えてくるのが不思議だった。


「おぉ、間もなくベルヘンの村に到着だな。だけど、今日は村に泊まらないからな!」


 ヴルフが突然、予想だにしなかった事を口にした。あと三十分も歩けば村の入り口にたどり着き、宿を探して浴びるまで酒を飲む。それがヴルフの楽しみだとばかり思っていたが、それをすることなく、素通りするのかと首を傾げた。三人の頭の中ではヴルフが可笑しくなったのでは無いかと、良からぬ考えがめぐり回っていた。


「村を素通りして先を急ぐって事?」

「いや、村には行くぞ。ただ、行かないだけだぞ」


 それこそ、何を言っているのかと思うのだ。

 そして、とにかく説明をしてくれと三人はヴルフに詰め寄った。詰め寄られたヴルフが指し示しながら、溜息を吐いて口を開いた。


「村の手前、河に湯気が上がってるだろ。あそこが今日の目的地だ」


 言われて目を凝らすと、川岸の数か所から”うっすら”ではあるが湯気が立ち上っている場所が三人の目に入って来た。その側には整地された広場に緑色の芝生が青々と生い茂っていた。


「あれは、温泉が湧き出てるんだ」


 温泉が湧き出ている?もしそうなら、なぜ有名にならないのか、それこそが疑問であるとスイール達は思ったに違いない。

 それはヴルフの話を聞いて納得するのである。


「河の中に沸いてるんだ。自ら湯舟を作り上げるなんて面倒な事、貴族はしないだろう」


 温泉地に保養に向かうのは貴族が圧倒的に多い。一般市民も向かう事も出来るが、地元を一か月も二か月も空にするなど、ほとんどいないはずだ。

 面倒だと興味を持たない貴族の間に広まっていないのだ、知名度が低いのは当然の帰結であった。


「そこで活躍するのが、この前買ったショベルだ。河を掘って岩を積み上げ湯舟にするんだ。冷えた体にちょうどいいぞ。それにヒルダ、お前そろそろ体を洗いたいと思ってただろ」


 突然の温泉宣言にヒルダは言うまでもないが、スイールもエゼルバルドもそれに同意する。村に入れば公衆浴場はあるだろうが、自分達専用の風呂に入れるなど贅沢極まりない。


「早くしないと日が暮れちまう。急いで準備するぞ」

「「おーー!」」


 ヴルフの掛け声に、エゼルバルドとヒルダの返事がこだました。今までの疲れも何のその、あんなに重かった足に羽が生えたかのように軽く地面を蹴飛ばし始める、その甘美な言葉の元へと。




 川辺到着してみると、すでに何組かの野営客がテントを張り終えて、夕食の支度に勤しんでいた。

 スイール達も寝床を優先的に確保に回る。とは言え、村が整備している場所はかなりの広さがあり、春先のまだ肌寒い季節では有り余るほどに空いていた。

 テントとテントの間は優に五十メートルは開いているだろうか。普通の声で話しても隣には聞こえない。


 テントの場所を確保して、ヴルフがショベルを持って一番に河原へと足を運んで行った。温泉が湧いているのは河原の水に入った辺りにあり、それが何か所もある。

 雨で増水しているとは言え、その水さえ流れ込まなければ温かい温泉へと早変わりするのだ。しかも湧水が多ければ澄んだお湯になるのは間違いないだろう。


「ヴルフには頑張って湯舟を作って貰うとして、私たちはテントを建ててしまいましょう」


 スイール達はかまどのある一区画を借り受け、そこを野営で利用することにした。かまどはその区画に設置済みであり、その横にテントを建てれば設営は終わる。


 かまどにくべる薪はテントエリアの外にある森で拝借をしてくれは十分集まるだろうと、スイールを残してエゼルバルドとヒルダが森に入り、あっという間に両手に抱えきれない小枝を集めて来た。残念ながら、肝心の薪は手に入らなかったが。


 設営が終わり、河原へと向かうと、一生懸命ヴルフが働いて湯舟を作っていた。

 そこへ三人が顔を出すと、汗を拭って手を止める。


「そっちはもう終わったか?湯舟はまだだ、もう少し掛かるぞ」


 おおよその区切りは既に出来上がっていた、増水により積み上げられた石組が崩れ、再構築するだけでも重労働であった。その証拠に、上半身裸になって汗を噴き出しながらの作業は辛そうだった。

 それに加え、ドワーフの血が騒ぐのか、無駄に凝った仕掛けを作り出していた。


 湯舟となる囲みは石を積み上げているだけだが、湯温調節の為に河の水を引き込む仕掛けとして水量調節用の板がはめ込まれ、流れを調節出来るようにしたのだ。

 湯舟は深さ六十センチほどの深さにされており、腰掛部を作ったり、入るための階段も作られていた。寝転ぶための浅床部もできていて、ここで一晩過ごしてしまうのではないかと疑ってしまうほどの作りだ。

 尤も、ヴルフが作り上げた部分はその一部分で、殆どは修復で間に合わせたのであるが。


 湯舟を作っていたヴルフは、その最中さなかであっても湯の温度を適正にしておく事にも手を抜かなかった。少し熱めの湯温度を保ち、そして、湯舟は完成した。


「出来た。出来上がったぞ!」


 ヴルフの額や体から流れ出る汗が夕日に照らされ光っていた。彼の顔は一仕事終えた満足感で笑顔を作り出していた。

 そして、太陽が地平線に隠れ始め、松明や魔法の光が湯舟を照らすと、気持ち良さそうな湯舟にその光が写り込み、穏やかな気持ちにさせてくれたるのだ


「すごい凝った作りになりましたね。広々してますし。四人では広すぎるんじゃないですか?」

「なぁ~に、手を広げれば、これでもれば狭いくらいだろう」


 ヴルフは腕を組み、作り上げた湯舟を自慢する。

 湯舟は足を延ばしたり、腕を大きく広げたりすれば狭く感じるかもしれないが、今日は四人では入れれば良いとこの大きさにしたのである。


「早く入って体を温めよう」


 ヴルフは湯舟に入りたくてしょうがない様子だった。だが、その前にと、バックパックから”ゴソゴソ”と酒の瓶と金属のコップを取り出した。

 しかも、いつも飲んでいる安酒よりもアルコール度数の高い琥珀色に輝く蒸留酒だった。


「ガラスのコップがあると贅沢なんだがなぁ~」


 戦闘になればどんな丁寧に仕舞っても割ってしまう公算が強く、ガラスのコップは持ち歩いていなかった。その為に金属、それも銀のコップを使っているのだ。

 呟きも最後まで口から発する事無く、身に着けた服を脱ぎ出し、自らが作った浴槽へと向かった。とは言え、最低限の物だけは残してである。

 ヴルフの姿を見てスイール達三人も、湯舟に入ろうと準備を始める。


「さぁ、一番だ~!」


 ヴルフが体に湯を掛けてから、一番に湯舟に飛び込む。鍛え抜かれ、筋骨隆々の体が宙を舞った。棒状武器ポールウェポンを扱うために鍛えた腕は、ほれぼれするほどの筋肉が付いている。

 ただ、彼の左腕に見える、昔受けた矢傷だけが戦争の悲惨さを物語っている。

 ”バシャーン”、とお湯を高く上げ、彼の体が湯に沈んで行く。


「う~、染み込むな~」


 体の隅々まで温泉が行き渡る。疲れた筋肉をほぐす丁度良い湯の温度に鼻孔をくすぐる若干の硫黄臭。全てが体を撫でまわし彼を癒して行く。

 そして、両の手で脹脛ふくらはぎを下から上へと擦り上げると、温まった血液がだんだんと上半身へ戻って行くのが感じられる。

 これが、ヴルフが待ち望んだ温泉であった。


「「行っくよ~」」


 ハモッた声はエゼルバルドとヒルダだ。最低限の身を隠す物だけを纏い、ヴルフを真似て湯舟に勢い良く飛び込んだ。二人同時に飛び込めば水しぶきも多くなるのは必然で、湯舟でゆったりしていたヴルフを大きな波が襲った。頭までお湯を被り、鼻や口、それに耳にまで入ってむせ返ってしまう。


「こら!加減ってもんを知らないのか!!」


 子供じみた行為をした二人に怒りを向けるが、ヴルフの真似をされたのだと思うと、それ以上強く言えず、自らの行為を反省するのであった。

 そこで怒りを収めたのは、お酒の瓶をまだ明けていなかったのもあったのだ。


 そんな二人に顔を向けると、頭までお湯を被って笑っていた。やはり、まだまだ子供だなと彼は思った。


 湯舟が落ち着いた所で、ヴルフは手を伸ばして酒瓶を手に取り、コルクを引き抜いた。

 匂ってくるのは、強めのアルコールに乗った鼻を刺激するピートの香り。少し色付いた便に入るのは、琥珀色に色付いた綺麗な液体だ。

 それを、銀のコップに指二本の量を注ぎ込む。


 ”トクトクトク……”


 雨が上がり、風も吹かない静かな夜に、心地良い音色で琥珀色のそれは銀のコップで一つの世界を形成していた。琥珀色がコップの銀色をいっそう美しく輝かせる。

 その姿は、まるで芸術だった。


「私にも頂けますか?」


 いつも間にか横に入っていたスイールが、コップをそっと差し出した。スイールのコップにも、同じ様に心地良い音色と共に注ぎ込まれた。

 スイールには指一本ほどの量を注ぎ、そして同量の冷たい水を銀色のコップに注ぎ入れる。少し薄まった琥珀色だが、それもまた見事で、夜空を写していた。


「では、乾杯」

「乾杯!」


 二人が銀のコップを軽く合わせると、金属特有の甲高い音を立てた。

 大人だけの時間を二人で作り出す。

 チビチビとコップを傾け喉を潤す。

 ”肴が無かったな”と額を叩くヴルフに同意するスイール。

 だが、温泉に浸かり、お酒を飲む。こんな贅沢は次は何処で出来るのかと、楽しむのであった。


 夜空にはまだ幾つもの雲が浮かんでいるが、雲間から”チラホラ”と輝く星々が見え隠れする。まだ多くの雲が浮かんでるのが非常に残念だった。


「それにしても贅沢な時間ですね。星が見えたら、もっと贅沢なんでしょうがね」

「雨が上がっただけでも御の字だ。それだけで十分と思うさ」


 余裕を見せる大人の会話が湯舟から聞こえてくるのであった。




 湯舟に浸かって十分ほどした頃、流れ入る水の量を調節して湯の温度を下げた。熱湯に浸かり一機に温まるのは初めだけで、これからは温泉を長時間楽しむためと下げたのだ。

 湯舟に冷たい水を一気に流し込む。火照った体に冷たい河の水を流し込むと、体に纏わり着き熱を奪って行く。だが奪われ過ぎては体が冷えてしまうのでそうならない絶妙な温度を保つのだ。


「熱い温泉もいいけど、ぬるめの温泉も長い時間は入れてこれはいいですね」

「だろう。どっちも楽しめる。それが、この自作の温泉の醍醐味ってやつよ」


 その説明をするヴルフは高笑いをしていた。




 一時間ほど経った頃、温い温泉を堪能した四人が、もう十分だと湯舟から出だした。温まった血液が体中を巡って温め、数日の雨で凍えそうだった体に活力を取り戻す。


 体の隅々にまで温泉の効能が行き渡った。肌はきめ細かくなり、肌は水を弾き、水玉を形成さえる。また、モチモチで弾力のある肌になり、槍でも跳ね返せそうだ。

 それは少し言い過ぎであるが。


 特に、ヒルダの肌は桃色に上気し、女性特有の色っぽさを醸し出していた。

 鍛えられた上腕の筋肉とその色っぽさが相まって、強さとしなやかさを両立している。これは鍛えたヒルダにしか現れぬだろう。

 もし、他の男性がいたのなら、その魅力に卒倒する事、間違い無いだろう。


「あぁ、堪能したわ~。温泉いいわね~」

「毎日は面倒だけど、週に一回は入ってもいいかもな」

「お酒があれば贅沢できる、こんな温泉はいつ来てもいいですね」

「気に入ってくれて連れてきたコッチとしても鼻が高いわ」


 それぞれ感想を漏らし、総じて満足しているのがわかる。


 当初の世界を見て回りたいと、漠然な目標だったが、ここへ来て様々な目標が出て来た。

 見たことの無い食材、不思議な食感の料理、溜息の出る風景。それに加えて、疲れを癒す”温泉”が加わり、”何のための旅なのか?”と目的を間違いそうになってくる。


 それも旅の醍醐味だとスイールが返してきたが、この先どうなってしまうのかとエゼルバルドは一抹の不安を募らせたりしたのであるが……。

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