第十二話 マルコムの受難【改訂版1】

2019/6/15改訂


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 明るく真っ赤に燃えていた太陽が地平線の向こうに姿を隠し、その代わりに二つの月が姿を現してからすでに数時間。マルコムを乗せた馬車は大きな木陰で野営をしていた。

 依頼主がディナーを取っていたダイニングセットと調理セットは既に馬車の荷室へと仕舞い込まれ、簡易ベッドに変形した馬車内の椅子の上に寝転び、大鼾で夢の中へと飛び込んでいた。


 木陰から離れた場所に簡易的ななかまどが作られ、マルコム以外のニコラスやエゼルバルド、ヒルダ、そして御者の四人がそれを囲んで湯気が立ち上るコップを傾けていた。

 火に掛けられたやかんから怒りの如き白い湯気が”シュンシュン”と立ち上って、四人が発する負の気持ちが乗り移っているかの様だった。


「全くは誰それかまわず同じ態度を取る。大旦那様は腰が低いというのに、なんでこうなったのか」


 ニコラスがかまどの薪を鉄鋏で”ガサゴソ”といじりながら小さく呟く。主人を起こさぬ気遣いよりも、聞こえなぬ為にだろう。

 エゼルバルド達から見れば、剣の腕が立ち、料理も礼儀も、そして知識もある男がこんなところで埋もれているのは合点がいかなかった。遅くは無い、直ちに立ち去るべきだと思うが、口に出そうかと悩んでしまう。何か一つでも事件があれば秘書を辞めて立ち去るのではないかと言動からうかがえる。


「ニコラスさんはいつごろから務めているのですか?」

「私は大旦那に仕えていたのですが、五年ほど前から今の御主人に仕えるように言われました。教育は別の者が行っていたのですが、それが甘やかしすぎたのでしょうね。あまり良い御主人ではないですよ、正直言って……」


 エゼルバルドは、彼の言葉を胸に深く刻み込んだ。そして思い出すのは、周囲には尊敬出来る手本となる大人ばかりだったな、と。たまに羽目を外している姿も見ていたが。

 そして、横でかまどの火を浴びているヒルダを見れば、同じような事を考えているのではないかとの表情をしていた。もう長年の付き合いなのだから、同じ話を聞いた時にはおおよその考えは分かるようになってきた。外れる事の方が多いのだが。


「そろそろ交代で寝る事にしましょう。私が先に見張りに立ちます。その後、お二人にお任せしますよ」


 二人がこくりと頷くと、ニコラスを残して、それぞれのテントに潜り込み眠りに就いた。




 毛布に包まったエゼルバルドであるが、この日に限っては何故か寝付く事が出来なかった。隣で”スースー”と寝息を立てているヒルダが非常に憎らしく思える。

 ”すんなりと眠りやがって、オレにも図太い神経を少し寄越せ”と思い、眠りを邪魔しようかと考えたが、依頼を請け負っている最中だけに手を伸ばすのを止めた。


 だが、寝付けないのは不穏な空気を感じていると考えていた。惰眠を貪っている最中に何かが起きるのでは、と。しかも外部からの圧力では無く、エゼルバルドを含めた内部で何かが起こりそうな予感だった。


 とは思いながらも、いつの間にか緊張が解けて瞼が綴じられると、いつの間に寝入ってしまったのは、野営に慣れてしまったからだろう。




 ニコラスとエゼルバルドの見張りが無事に終わり、ヒルダへと見張りを引き継ごうとテントに首を突っ込み耳元で声を掛ける。


「お~い、時間だぞ。交代だ、起きろ~」


 他のテントや華美な馬車に寝入っている寝ている人を起こさぬ様に十分留意しながらである。ゆさゆさと肩を揺すると、目を覚まして眠そうに目をこすっていた。


「あ、おはよう。もう交代?」

「おう、おはよう。ってまだ早いか。兎に角、交代交代、時間だ」


 中途半場に起こされるのは慣れているとは言え、眠いことには変わり無い。ぼさぼさの髪を梳かし身支度をすると”もそもそ”と毛布から這い出す。だらんと下がった目尻が眠気に魅入られているとわかるくらいだ。


「これでも飲んで目を覚ませ」


 かまどに陣取ったヒルダに気付けの為と熱々の煎じ茶を渡す。


「なんかあった~?」

「いや、何もないよ。今日は静かだったよ」


 傍らに胸当てを置き煎じ茶をすすりながらキョロキョロと周囲を見渡す。ヒルダと隣にいるエゼルバルド以外、動いている動物達の気配は無く言われたとおりに静かに見える。

 あと数時間で月が沈み夜が明けるまで静かであれと願うばかりだ。


「あとは任せる。おやすみ~」


 胸当てを外し、テントへと潜り込むと毛布を被って眠りへの旅にいざなう。

 エゼルバルドの頭の横には無造作に胸当てが転がり、腕の中で自前のブロードソードが抱かれ、寝起きでも直ぐに戦闘態勢を取れるようにと準備は怠っていない。


(それじゃ、身づくろいしておかなきゃ)


 煎じ茶の入ったコップを置き、胸当てを身に着ける。一度通した髪に再びブラシを通す。そして、体の動きを邪魔せぬ様に髪留めを使い纏め上げる。


(うん、まだ大丈夫……ね?)


 頭を洗ってない事を気にしながら、円形盾ラウンドシールドを腕に通し、軽棍ライトメイスを側に置く。最低限の装備を整えて火の番をしながらコップを傾けながら、何かあったらエゼルバルドを起こせば何とかなるだろう、との楽観的な考えはいつも通りだった。


 パチパチと薪が爆ぜながらやかんを熱すると、その口から白い煙を出し、そろそろ火から下ろせと怒っていた。空になったお気に入りのコップに煎じ茶をスプーン一杯入れ、やかんから熱湯を注ぐと、えも言えぬ柑橘系の甘い香りがヒルダの鼻孔を刺激する。

 火を囲む時の楽しみだった。甘い香りを堪能しながら、蒸留酒を飲むようにちびちびと口に運ぶ。冷たくなった体が徐々に温まり始める。




 あと少しで夜明けが来るだろうと、目安の煌々と輝く星が地平線へと重なりあう時、彼女の周りで人の気配が突如として現れた。


(遠くから来た風でもない。いきなり現れたか?)


 いつでも攻撃に転じれる様にと足先に重心を動かし、そっと軽棍ライトメイスに手を添える。

 ヒルダの振るう軽棍ライトメイスが敵の顔面にでも当たれば、頭蓋骨が砕けて生命活動は終焉を迎えるだろう。また、腕などに当たれば”ぽっきり”と骨が折れ戦闘不能になる。それほどの武器を持ち得ていれば迂闊に近づく敵はいないだろう。


(さて、何が現れたか?)


 フラッと暗闇から現れたのは、敵ではなく横柄な態度を取るあまり話したくない依頼人だった。


「お嬢さん。明け方に一人ですか。こんな綺麗な人を一人にするなど見る目がありませんね」


 依頼主であり護衛の対象であり、さらにニコラスの主人であるマルコムが、まだ夜明けにもならぬ時間に起きて来たので、急にと錯覚したようだ。

 だが、それとは別に暗闇から良からぬ雰囲気を出しながら話しかけて来た事に体が反応し、思わず距離を取り軽棍ライトメイスを掴んで身構えてしまった。


 暗闇から現れたマルコムの顔はかまどからの赤い光を受け、気持ち悪くニヤケている。口は歪に引き吊り上げられ、目元を細め、嫌らしく異性を見る顔をしていた。

 先ほどの胸が焼けるような言葉といい、嫌悪感の対象としてしか、ヒルダは見れなかった。


 普段であれば、話す事すら本能的に断りを入れている相手と二人きり、全身を鳥肌が支配して行くのがわかった。


「ふふふ。どうです?私の馬車は、凄いでしょう。」


 お金など、生活さえできればそれほど必要が無いと思うヒルダは、その言葉に思わず軽棍を落としてしまった。そして、焦りながら慌てて拾いなおす。


「凄いとは何の事でしょう?馬車は走れればいいだけです。馬も一緒です」


 お金の力が絶対と信じてやまないマルコムは一蹴されたことに怒りを感じていたが、感情を押し殺し話を続ける。


「お嬢さんはあの馬車の素晴らしさがわかってない。だが、私と一緒になれば、あれだけではないのですよ。この世とも思えぬ贅沢が待っているのですよ。それがわからないとは愚かしいですね」


 もはや悪役とも思えるほどの口説きようだった。街中で過ごし、世界などどうでも良いと見る、ちょっとしたお嬢様ならそれでも口説けただろう。馬車を買い、運用できる財力。それを操る御者に、腕の立つ秘書兼護衛。馬車が凄いとは、その後ろにある財力を誇る、との意味なのだ。


 だが、お金には必要以上に興味が無く、自らの力がどれだけ他人の役に立つか、子供の頃からそれを感じて育ったヒルダには、ニコラスが話す事などどうでもよかった。

 さらに”一緒になれば”など、一番聞きたくない言葉だった。彼女には、この世の中でただ一人からしか言われたくない言葉だったのである。


「それはどうでも良いのです。それより、これからお嫁さんを迎えに行くのですよね?その途中で護衛のわたしに声を掛けるとは非常識ではありませんか?いくらなんでも、お嫁さんに失礼です」


 売り言葉に買い言葉と、ヒルダは煽ってしまった。金の力を誇示し、結婚相手を迎えに行く道中で女癖の悪さを露呈されれば、この場で依頼を放り出し帰ってしまっても良いとさえ思った。この状況を説明すればエゼルバルドも許してくれるだろうし、ワークギルドにも文句も言えよう。


「何を言うかこの女は!!よくもまぁ、この俺に盾突くとどうなっても知らんぞ」


 ”ずかずか”とヒルダに近づくと両手を伸ばして突き飛ばした。怪我を負う危険を感じていなかった為に反応しなかったヒルダ、背中から倒された。その時、軽棍ライトメイスを手放したので受け身を取る事は出来たのだが……。


「騒いでも無駄だ。お前はこれから俺に泣いて許しを請う存在となるのだからな」


 ヒルダを跨ぐように仁王立ちになり、見下ろしながら威圧を掛ける。

 力の弱い街娘程度ならそれで済んだかもしれないが、山野を駆け回り、獣達の首を取り、盗賊たちすら蹴散らす力を持つヒルダがそれで怯むはずが無い。むしろ、”この状況は使える!”と内心で喜んでいる。


「そうですか、今まで何人の街娘を同じ様にして来たのですか?わたしで何人目ですか?」

「”ぺらぺら”と良く回る口だな。何人目など知る物か、俺に逆らうやつはは皆、地を舐め許しを請うだけだ。お前もその一人にしてやるわ!!」


 マルコムの立ち位置から、ヒルダには攻撃してくれとばかりに急所がありありと見えている。


(この男、馬鹿ね。それだけじゃない、地上最大の馬鹿よ。屈しない相手に急所を見せるなんて)


 マルコムが体を屈め様とした瞬間を狙い、足を大きく振り上げた。


 ”グシャッ”と音が聞こえるかと思う程に、脛当てがめり込んだ。襲撃に備えて見張りをしているので、胸当てだけでなく、籠手や脛当てまでも身に着けているのは当然だろう。狼の牙や盗賊の剣から身を守るための防具は金属片入りだ。

 蹴られただけでも鈍痛が全身に流れるのに、金属片を埋め込んだ脛当てが男の急所にめり込んでいるのだ。たとえ潰されなくても痛さは想像を絶するだろう。


「!!……っ……うっ……!!」


 その男も例に漏れず、声に出ないうめき声を上げながら倒れ込み、ヒルダの横で脂汗を流して転がり回る。かまどの炎を浴びて苦痛の表情を赤く染めている。そして、彼の脂汗が暗がりの中で奇麗に輝きだしていた。

 その光景に、男が百人いればその数だけ胸の閉まる感情を持つであろう。


 ヒルダは”スッ”と立ち上がり腰から刃渡り三十センチのナイフを逆手で引き抜くと、も転がり回っている男の大事な場所に銀色に光る刀身を向けた。


「どうしますか?大事な場所を切り取ってあげても良いのですよ。見慣れているので簡単ですし、止血も出来ますよ」


 ”フッ”と鼻で笑いながら、苦痛の表情を浮かべる男に無慈悲にも脅しを掛ける。脅しとは言っても、それが現実に出来るのだから、恐怖どころではない。


「俺を脅すのか!ふざけるな、俺を誰がぁ、ぎゃぁーーーぁ!!」


 痛みが少し引いて、話が出来るまでに回復したマルコムの股間に向かって、ナイフを振り下ろす。”ザクッ”と刀身が地面に突き刺さり、男のズボンが切り裂かれる。当然だが、大事な所には傷一つ付けていない。

 その後、大事な場所からから生暖かい液体が流れだしズボンを濡らして行く。


 マルコムの大声に、夢の中を漂っていた三人が何事か?と目を覚まし、テントから急いで這い出してきた。ニコラスは”御主人様に危険が?”と出て来たが、二人の置かれている状況を見て察した。

 エゼルバルドも彼の後に続き見て、”可哀そうに”と憐れむ顔をしていた。


 御者はと言えば、眠り足りないのか、直ぐにテントへ引っ込み再び毛布を被った。




 いまだに苦悶とも、呆然とも、見える表情をして股間を濡らしながら涙をぼろぼろと流すマルコムに同情する者はいない。


「ヒルダよ。程々にな」


 二人の会話を途中から耳にしていたエゼルバルドは、やり過ぎない様にと声を掛ける。するとヒルダは何を思ったのか、茶化しながら訴えて来た。


「酷いんですぅ。わたしに乱暴しようとして押し倒すんです。怖かったですぅ」


 エゼルバルドを見つめ下手な演技をするヒルダに、演技をするのならもっと徹底的に嘘泣きや声を詰まらせるなどするべきだろうと厳しい一言と共に”女優失格だな”と告げた。

 ただ、諦めた表情なので本気で取り合ってはいなかったのが幸いだろう。


「まったく御主人様ときたら。こんな所に来てまで護衛の女性にまで手を出すとは……」


 マルコムの呆れる行動に頭を抱えてうなりを上げるニコラス。


「結婚を目前に控えて、少しは考えが変わってくれるかと期待した私が愚かでした。大旦那様がマルコム様の事でどれだけ苦労をしていたかご存じないでしょうね」


 ”はぁ~”と溜息を吐くニコラスの表情には諦めた感がにじみ出ていた。他人を馬鹿にし、敬う事もせず、綺麗な女性と見たら誰それ構わず襲い掛かり、金の力で有耶無耶にする。もうこの男には付いていけぬ、縁を切る機会だと達観した。


 いまだに地面を転げ回っているマルコムの顔が苦悶の表情から”さぁっ”と血の気の引いた真っ青な色に変わると泣き出した。無様な格好のまま、何をすることもできず、嗚咽を吐き出しながら。


「なんだよ、お前まで俺をそんな目で見るのか!給料やらんぞ、それでもいいのか!親父に言ってお前はクビにする!それが嫌だったら謝れ!!」


 今更クビにすると脅されても、既に決意したニコラスには暖簾に腕押しだった。金の力をちらつかせれば何とかなるとの考えを捨てられないマルコムを見限ったのだ。


「ご安心ください。貴方の秘書を辞める決意をしたところでした。貴方を送り届けたら去りますので、それまでは一応、働きますので」


 泣き面に蜂とはこの事を言うのだろう。そして、マルコムはそれ以降、泣くだけで何をする事もしなかった。


「ヒルダさんには申し訳ない事をいたしました」


 ニコラスが深々と頭を下げた。かばうべき主人はもういないが、最後の務めとばかりに誠実な対応を見せる。


「あらかじめヒルダさんには手癖が悪いと伝えておくべきでした。恋人もいらっしゃるのに配慮が足りず申し訳ない」


 エゼルバルドは”えっ”と驚く素振りを見せただけだが、ヒルダは顔が”カー”っと熱くなり真っ赤になっていた。かまどの赤い光の中では赤くなっていたのは知る者は現れなかったが……。


「え、そんなんじゃないですよ」

「そそそそ、そそ、そ、そう、ででですよ」


 ヒルダは自身の心を落ち着かせようとしていたが、動揺が激しく口に出す言葉を噛み噛みで発していた。


「そうですか?お似合いだと思いますが。そろそろ夜も開けますね。一緒の馬車に乗るのは抵抗があると思いますが、もうしばらくお付き合いください」


 さすがのエゼルバルドも”お似合い”と言われ顔を赤く染めて行く。側でもじもじとしているヒルダは顔を横に向け、彼の表情に気が付かなかったようだ。


 馬車が獣に襲われた事は多々あったが、護衛対象の手癖が悪く襲って来るなど、思いもしない出来事であった。


 まもなく、東の地平線が白く光を帯び始め、長い長い夜が明ける。

 太陽が顔を出し、空に浮かぶ白い雲を朝日が赤く染め上げる。そこには何かを悟った一人の男が地面を転げ回っていたが、何を悟ったのかは彼の胸の内で秘められるのであった。

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