第十一話 ヒルダの冒険【改訂版1】

 ヒルダは可愛い顔を”プクッ”と膨らませてと怒っていた。

 彼女に向けて誰かが悪戯したとか、意地悪したなどではない。

 彼女自身が自らに怒っていたのである。


 普段であれば神父やシスター、それに一緒に孤児院に住む仲間達の誰かが、かまってくれるはずなのだ。だが、この日は誰もが忙しそうにしていて、ヒルダはたった一人で暇を持て余していて、街を”ぶらぶら”と歩いていたのだ。




 時は少しだけさかのぼり、朝の事である。

 八月も終わりに近づき、今日、明日で夏休みも終わり学校が始まる。そして、夏休みの宿題も全てが前日までに終わらせてあり、あとの二日間を遊び倒すだけとなっていた。


 それが、いつも二つ返事で遊びや練習に付き合うエゼルバルドも何かの予定が組まれて朝からどこかへ出掛けて、既に姿が見えなかった。

 それに、孤児院の仲間達もなぜか余所余所しく、忙しいと口々にしていた。

 神父やシスターに声を掛けてみれば、教会での仕事が入っていて相手に出来ないと告げられるのであった。

 では、一番暇そうなスイールはどうかと言えば、前日から自宅にも帰らず、外出していたのである。守備隊のジムズ達は仕事をしていて当然ながら遊び相手にならない。


 くだらないと言えばくだらないのだが、他人に八つ当たりする訳にもいかず、悶々と街の中を歩いては”つまらない”と漏らしていた。


「あぁ~、つまんないの~」




 とりあえず孤児院から出て来たが、時間を持て余すだけであった。

 ”ぶらぶら”と街中を歩いてたら、いつの間にか城門に来てしまったので、城外へ出て畑に向かって歩いてみた。


 眼前には青々と風になびく緑色の絨毯が広がっている。青い空には白い雲が”プカプカ”と浮かび風にゆっくりと流されている。

 南を向けば、遥か遠くの高い山々に、夏でも冠雪を残した山頂が雲間から見え隠れしている。夏の季節にブール地方から見える、特有の景色である。


 秋は山々から穀物を目当てにする小動物が降りてくる季節になり、それを狙う肉食動物も闊歩し始める。だが、まだ季節ではないので、肉食動物を狩る者達も、今は姿を現していない。


 まだ時間はあるが、”ぶらぶら”としているだけでは暇をつぶせず、ブールの街へと戻る事にした。しかし、彼女の足には重りが付けられたかの如くなっており、なかなか足が進んで行かない。

 顔も地面を見つめ続け、がっくりと肩が落ち、全身の力が抜けきっている様であった。


 それでも足の進みは止めず、何とか街にたどり着いたのである。




 ”にゃ~~!”


 街に入ってうつむき加減に歩いていると、突如、彼女の耳に鳴き声が届いた。

 今まで落ち込んでいた気持ちが高ぶりだし、心が弾む。耳に届いた鳴き声は紛れも無く猫であろう。犬の鳴き声と間違える者は恐らくいないはずである。


 一般的に猫は、街の害獣であるネズミ類を駆逐する目的を持って、街中で放し飼いにされている。放し飼いなのだが、基本的に餌を与える人がいる訳でも、保護をしている訳でもなく、ただ居ついている、そう言っても過言ではない。


 餌を自力で取るしかない猫は、街で害獣扱いになっているネズミを捕獲して餌にし、一定数以上に増えない様に、人との共存関係が出来ているのである。


 稀に人に懐いている個体もいるが、稀と言っても良いだろう。

 そして、彼女の耳に届いた鳴き声の持ち主も、その内の一匹だと思われるのだ。


 気になって”キョロキョロ”と首を振って見渡すと、家と家の狭い路地に鳴き声の主を見つけた。


 ”にゃ~~”


 彼女に顔を向けて鳴いている、真っ白で綺麗な短毛、そして美しい毛並みを見せる、声の主が控えていた。堂々たるたたずまいは、何かを与えようとしている神の使いの様相を見せていた。

 彼女はそう思っていなかったようだが。


「綺麗……」


 神の作り出したる最高にして、最良の存在、そう感じる事も出来るだろう。

 それは、凛々しく、気高き存在にも感じた。


「ほら、こっちおいで…」


 彼女は手を伸ばして触ろうと、傍らにゆっくりと歩み寄り腰を下ろした。その瞬間、白い猫は路地を奥に向かって歩きだし、彼女から離れようと動いてしまった。


「あ、もぉ~~」


 あと一歩で手が届きそう、そんな間合いから移動してしまったのだ。

 しかし、白い猫はすぐ歩みを止め、視線を彼女に向けで再び鳴き声を立てた。


 ”にゃ~にゃ~!!”


(もしかして、わたしを呼んでるの?まさか……ね)


 白い猫は気まぐれに動き、鳴いただけかもしれないが、彼女には幸福の女神の使徒が呼んでいると見て取れたのだ。

 暇を持て余していた彼女は、絶好の暇つぶしだと、白い猫を追い掛け始める。


 彼女が一歩、足を出せば歩調に合わせて二歩、彼女が二歩足を出せば四歩と彼女の歩調に合わせて案内するように白い猫は進む。

 そして彼女が歩みを止めれば、顔を向けて早く来いとばかりに顔を向ける。


(やっぱり、呼んでる。追い掛けなくちゃ!)


 鳴き声の主に遅れるなとばかりに足を動かし続ける。

 彼女を気遣い、決して必要以上の距離に入る事無く、彼女を先導して行く。




 それから、最初に迷い込んだのは、大通りから直ぐの脇道だった。住民がよく使うため、すれ違う人が多い。特にアパートなどの住民が通り抜ける、言ってみればそこの住民のためのメインストリートであろう。

 鳴き声の主は何食わぬ顔をして、人々の間を通り抜けて行く。


 次は家々の裏手にある、裏戸から抜ける裏道だ。

 狭く作られ、上下水道の横を通り抜ける、言わば水路管理の道であろう。

 時折、下水道から立ち上るつんざく臭いが、鼻の奥に入り、むせて涙目になる。


 更に案内人は塀をよじ登り、屋根の上を進みだす。身軽な彼女は屋根に上って追い掛ける。屋根の上から”どたどた”と音が聞こえて来れば、巨大なネズミが屋根裏を駆け回っていると感じたかもしれない。


 追い駆けっこの終着点は街の城壁だった。走り回るうちに城壁へ続く道へ入り、階段をどんどん登って行った。


 どれだけ走り回っていたのであろうか?日が暮れてきて、城壁の影の中を走り回っている事に気が付いた。あまりにも時間を気にしなかった、いや、誘導されて時を忘れていたのだ。


 間もなく白い猫に手が届こうかとしたとき、彼女の目には眩しい真っ赤な光が入ってきた。彼女達は見晴らしの良い城壁の上へとたどり着いたのだ。


 白い猫を一瞬忘れ、彼女は見える光景に目を奪われた。

 地平線まで続く緑の絨毯は、赤く燃える太陽の光を浴びてオレンジ色に輝き、命の炎を生み出しているかのように煌々と燃えていると感じさせる。

 その光景を瞳に焼き付けると急に目頭が熱くなり涙が溢れ頬を伝わる。


「あれ、なんで泣いているんだろう?」


 腕で目元を”ゴシゴシ”と拭いて強引に涙を拭く。

 そして、傍らの気配を感じれば、太陽の光を浴びて赤く染まる毛並みを見せる、可愛い主が控えていた。この風景を見せたいがために、ここを案内したと自慢げに語っているかの如くであった。


 ”にゃ~!”


 可愛らしい声で彼女に最期の挨拶をすると、颯爽と城壁の向こう側へと飛び降りた。


「えっ!!」


 咄嗟に城壁から身を乗り出し声の主を探す。その声の主が、無残な最期で横たわっているかと想像していたが、視線の先には何もいなかった。

 今まで見たものは幻だったのだろうか?神の使いなのかと考えるも、彼女には答えを出す事は無かった。


 今、はっきりとしているのは、すでに夜の帳が降り始め、早く帰らなければシスターにこっぴどく怒られる事であろう。もしかしたら、痛~い拳骨が落ちてくるかもしれないと思えば、急いで帰らざるを得ない。

 そして、城壁から続く階段を急いで降り、孤児院を目指して駆け出すのであった。


(遅くなっちゃった。みんな帰ってるかな?)


 脳裏に写るのは、玄関先で腕を組み、怒った顔を見せるシスターだ。夏も終わりに近づき、太陽が姿を隠す時刻が早くなり、”暗くなるまで何処へ行ってたのか”と鬼の形相で彼女に迫って来るはずだ。


 急いで孤児院に着いた時には、辺りは真っ暗で街灯にオレンジ色の光が灯っている。周りの家々には灯りが付いて、いい匂いが彼女の鼻孔に漂って来る。

 怒られる事を覚悟の上で、下を向気ながら恐る恐る玄関を潜る。


「ただいま……」


 元気の無い声で挨拶をする。いつもならシスターの拳骨が降って来るはずだ。

 だが、玄関には誰の姿も見えず、真っ暗で灯りも付かぬ孤児院と気づき、何か起こったのかと不安になる。シスターやエゼルバルドがこの場にいれば侵入者など襲るるに足らぬはずであるが。

 急いで中に入り、廊下を駆け抜けリビングのドアに手を掛けて思い切り開け放つ。


 真っ暗な部屋に入った。いや、はずだった。そんな、彼女の目に、いきなり白く輝く光が幾つもともされ煌々と部屋を照らし出した。

 突然の光に目がくらみ、思わず目を押さえてしゃがみ込んでしまう。

 そして、何が起こったのか理解できずにいると、彼女の耳に幾つもの声が飛び込んできた。


「「「「お誕生日、おめでとう~!!」」」」


 視力が戻ってきて、涙が溢れる目を恐る恐る開けると、満面の笑みを浮かべた孤児院の皆が笑顔を向けていた。そして、一斉に拍手を打ち鳴らし、彼女の誕生日を祝いだした。


(そうだ、今日はわたしの誕生日だ)


 立ち上がり、リビングを見渡すと、今朝まで何もなかった壁に飾り付けがしてあり、テーブルにはいつもより豪華な食事が用意してあった。

 今日、皆が余所余所しかったのは、ヒルダを驚かそうとしていたのかと思うと、夕陽を見て流していた涙がまた、頬を伝っていたのである。


 さっきのかわいい鳴き声の主も、今日と言う日を知っていて、綺麗な夕日をプレゼントしてくれたのだと、心から感謝をするのであった。


 そして、誰も構ってくれない寂しさ、誰もいない恐怖、それから、今は誰もが笑顔を向けてくれる歓喜へと彼女の感情は移り変わる。だが、その中には、怒りの感情が何故か内包されているのである。


「遅かったじゃないか、どこへ行ってたのかね。皆で用意したお前の誕生会だよ」


 シスターの掛け声は、内包された怒りを消し去り、歓喜の感情がヒルダの表に出て頬を赤く紅潮させて喜んだ顔を見せる。


 そして、彼女の誕生会が始まった。




 数日前から出かけていたスイール、朝から忙しそうに動いていた神父にシスター。そして、何処か余所余所しかった孤児院の仲間達。全てががヒルダを祝っている。


 テーブルに並んだ料理を取り分けてもらい、一番に口に運ぶ。見た事の無い食材が使われているが、料理自体は表通りの人気のレストランの料理だ。

 いつも、前を通るたびに良い匂いをさせ、いつかは食べてみたいと思い、指を咥えていたのを思い出した。


「無理言って、持って帰れるようにして貰ったんだよ」


 シスターが種を明かしながら、笑みを浮かべて胸を張る。とは言え、企画や交渉は神父であり、シスターはただ料理を持って来ただけだと、神父はボソッと呟く。


 そして、スイールから一振りのナイフが手渡される。


「これから、まだまだ勉強することがあるだろう。野外で勉強する事もあるだろう。それを切り開く為の小さい力を贈る」


 刃渡り三十センチのエゼルバルドと同じナイフだ。何時だったか、スイールの目の前でエゼルバルドが振っているナイフを羨ましそうに眺めていたのを見ていたらしい。


 そして、同じ孤児院の仲間からは小さな鞄を渡される。


「これは僕たちから」


 革のベルトとそれに通せる小さな鞄の二つだ。よく見れば鞄にはベルトが通せるように作られ、ベルトは腰に固定すると丁度良さそうだった。

 それをベルトに通そうとすると仲間から”そうじゃないよ”と、説明をされる。


「それだけじゃ、駄目だよ。スイールさんのナイフもセットだから」


 鞄にベルトを通して、さらに鞄の固定具にナイフの鞘を括り付けると丁度良いバランスになった。

 みんなからの思いの籠った贈り物に感激し、泣き出しそうになる。


 そして、ベルトを腰に巻き付け、フィット具合を確認する。

 まだ、体が小さく、不釣り合いのベルトの長さに、はにかんでいた。もう少し大きくなればぴったりのサイズになるだろう。

 それまでは長いままで、肩から斜めに掛けておくと今の体格にはぴったりだった。

 ナイフの鞘には抜け防止のベルトと釦が付いていて、走り回っても抜けないだろう。


 だが、ヒルダは何かが足りないと首を傾げていた。


「はい、オレからはコレね」


 エゼルバルドは、懐から綺麗に飾られた小さなケースを取り出す。小さいと言っても片手で握りしめるには少しだけ大きめだったが。


 ヒルダは大事そうに箱を受け取ると、蓋を外して中を覗き込む。その中には派手でも地味でも無く、銀色に輝く金属に装飾が施された髪留めが入っていた。

 それを手に取り、じっくりと眺める。高級そうな作りは職人が丁寧に仕上げた技が見て取れる。


 そして、今の髪留めを外し、エゼルバルドから貰った髪留めでほどけた髪を再び纏め上げる。


 明るい茶髪と相まって、いっそう綺麗にヒルダを飾り立てる。たった一つのアクセントが、これほど魅力的にするとは誰もが思ってもいなかっただろう。


 そこにいる皆は、たくさんのプレゼントを貰い、クルクルと回っているヒルダを可愛いと見惚れてしまっていた。


「それで、エゼルは何でこれなの?」


 プレゼントの中で腑に落ちないのがエゼルバルドから贈られた髪留めだ。ヒルダとしては喜ばしい贈り物だったが、何故エゼルバルドだけが一人で用意したのか気になった。


「旅行に行く前に、ヒルダの誕生日パーティーをやろうってなってたんだ。オレも鞄の方に入れて貰他かったんだけど、ダメだって言われてさぁ。酷いだろ、仲間外れなんて。それで、いつも髪留めしてるから、それがいいかなと思って旅行中にこっそりと買っておいたんだ」


 その言葉に、孤児院の仲間達がニヤニヤと笑い顔を見せている。

 仲が悪くて仲間外れにしたのではないのだ。ヒルダはエゼルバルドの事を気に入っている。”好き”だと思っていても過言ではないだろう。それを薄々感じ取っていた孤児院の仲間が気を利かせたのである。


 納得の行かない答えに溜息を吐くが、綺麗でいつも身に付ける物だと考えるとそれ以上は何も言えず、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだのだ。

 ただ、飲み込んだ言葉の中には、エゼルバルドへの思いが入っていたのであるが……。




 誕生会もつつがなく終わり、ヒルダは皆の前で笑顔になっていた。


「みんな、ありがとう。今日一日、相手にされなくて、ちょっと落ち込んでたけど、こんな誕生会をしてもらって嬉しい!明日からも宜しくね」


 明るく締めくくり、夜はけて行くのであった。

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