ココノアの翼

Nicola

序章


 真ん中に穴がある。

 深く深く、それはとても深い、不毛の穴が。

 まるでそこに入り込む人も、動物も、植物も、なんでも食らう蟻地獄のような穴が。

『世界にひびが出来ているよ』

 乾燥も湿潤もない、土が露出した蟻地獄を見下ろした彼女は首を傾げる。

「世界にひびが出来ている?」

 言われたままを復唱した彼女が真上を見上げると、そこには大地があった。



 空には大地がある。

 空高く空高く、それはとても空高い、神の住まう地が。

 まるで上空にある太陽も、風も、鳥も、なんでも我が物にするかのような神の地が。

「あそこには神様が住んでいるんだ」

 神の地が作り出す影は、蟻地獄の穴に太陽が差し込むのを防いでいるようだった。

 彼女がほっそりとした指を組んで目を閉じる。

「神様、神様。このひびを直してください」

 太陽の光が遮られた、空も見上げることが出来ないそこで、彼女は祈りを捧ぐ。

 そこに神がいるなら、と。

 そして、彼女の隣に立った男は口をひくりとも動かさずにこう言った。

「――俺は知っているよ、神なんてものはいないってことを」

 大きく見開いたその目が何を見ているのかは、彼女にはまだ分からなかった。



 太陽が空の真上を通る時と、太陽が沈む時、人々は祈りを捧げる。

 指を組み、静かに目を閉じ、心の声を空へと届ける。

 彼女は周囲がそれをしていることを知っていながら、何もせず、ただただ空を見上げていた。ぱちりとした目を開き、空に浮かぶ真っ白の雲の形を目でなぞる。

 そして、周囲とは少しずれたタイミングで、彼女は指を組んで軽く俯いた。

 僅かな、ほんの僅かな祈りには胸中に浮かぶ言葉もなく。

 ただのゆったりとした瞬きを終えた彼女は指をほどいて、もう一度空を見上げた。

 夏の空は青が濃く、透き通っていて、太陽の光も何にも阻害されずまっすぐに地上へ降り注いでいる。ところどころにあるふかふかの白い雲も、太陽の光をたっぷりと浴びて自慢げに膨らんでいる。

 あの膨らんだ雲はそのうち「こんなに大きいんだぞ」と見せつけるべく雨を降らしてみせるのだろう。力強さを表したくて雷なんかも落としてみせるかもしれない。

 彼女はそんな絵本のように顔がついた雲を想像して、くつくつと笑う。

「なあ! 手伝って!」

 一人音もなく笑う彼女は、呼び声にはっとして振り返った。

 そして、首を傾げてにいっと口元を歪めた。

「ああ、うん。すぐに行く」

『ちゃんと、すぐに行くよ。ちゃんとね』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る