君の隣に
お題:キスを躊躇う爪先
「知心?」
「んー」
いつもと変わらない日常を過ごしていたはずだった。
今日の昼過ぎから知心の様子がおかしい。
他の人に話しかけられても上の空で、反応がほとんどない。
元々ぼーっとしていることは多いが、ここまで無反応なのは初めてだ。
何もしていない時に話しかけられて、相手の方を見ないで返事も生返事というのはあまり好きではないと言っていた本人がこの状態だ。
いつもなら気軽に触れられるし躊躇うこともないのに、今日は躊躇ってしまう。
俺のことなどまるで眼中にないような知心を見ていると、緊張してきた。
ちょっとしたことで、全てが壊れてしまうんじゃないかと、そんな気がした。
「どうかした?」
「んー…別になにもないよ」
そう言って、顔を伏せる。一瞬見えた表情は、何かを恐れているように見えた。
その雰囲気はいつもと違って、焦りを感じた。
知心が知らないところに行ってしまうような気がして、怖くなった。
引き止めたい、触れたい。そう思って手を伸ばした。
けれど、伸ばした手が触れることはなかった。
触れてしまえば、今までの関係も、知心も、全て壊れてしまいそうだった。
「…そっか」
彼女に触れることのなかった手は、行き場をなくしたように少し彷徨ったあと、ゆっくりと下ろされた。
口元に軽い痛みを感じて、唇を強く噛み締めていたことに気付いた。
こういう時、俺は特別な存在に成れない。その事実が壁を作る。
自分で作った壁を破ることは案外難しい。
そこにある恐怖心になかなか打ち勝つことができない。
お互い、嫌というほど痛感してきたことだろう。
何度もこうやって後悔を重ねてきた臆病者だ。
あと一歩を踏み出すことがどうしてもできない。
そっと知心の方を見る。
顔は伏せたままだったが、唇を噛み締めて、指先が白くなるくらい力が入っていた。
泣くのを堪えているように見えた。
「知心」
触れることはできない。
付かず離れずの場所から声をかけるのがやっとだった。
知心は何も言わない。ただ、指の力は少し抜いたようだ。
拒絶はされていないととって、少し距離を詰める。触れるか触れないかの距離。
今の俺たちにはきっと、これだけで十分。
触れなくても、言葉を交わさなくても。隣にいるから。
どうか。
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