第116話 忘れて、忘れたくて、忘れない
「あなたは、あの屋上から被害者を突き落としたのよね?」
不敵な笑みを
「人間が落下してきたとき、居合わせた人々は反射でどこから落ちてきたのかを探すわ。そして視線を持ち上げたら窓が全開の部屋を見つけ、しかもそこが被害者の部屋だと判明すれば、誰だってそこから転落したと思い込む……その心理を利用したのね?」
完全に手の内を暴くような尋問。あまりに確信に満ちた言葉たちは、その矛先に限らず周囲にいる私たちも痺れさせる。江ちゃんがこの場にいないのはラッキーと言える。
「調べたら、今日この辺りは風が穏やかだった。なるべく被害者の部屋の真上から突き落とせば、上手く部屋の真下に着地させ、犯行を偽造できるのは容易に想像できるわ」
一歩、一歩と歩み寄りながら、だんだん言葉が鋭利になっていく。
「さて、伺いましょうか。あなたは事件発生当時の12時頃、最上階で何をしていたの?」
それは、数分前に判明した証言の確認だ。
ワゴンを押して転ぶところを目撃されている。今となっては、それすらも目撃証言を誘発するための罠にしか見えない。
さっきまでなら、恐らく何かしら仕事をこじつけて理由をでっち上げていただろう。
しかしここまで追い詰められた小松さんは、恐怖に染め上げられた瞳で美咲さんを見つめ———
「———あの時間、私は必死に市川くんを運んでた。あの世行きの台車に乗せて、ね」
※※※
電話の向こうで、小松さんの声が掠れていくのを感じる。隣で一緒に聞いている茜は真剣な表情で虚空を見つめている。
『……彼とは、高校の時に親しかったって言ったよね。そこには阿部くんと、そして―――ユリもいた』
嗚咽混じりの声で、過去の話が始まる。その登場人物には、聞き馴染みのない名前があった。
『ユリ、とはまた初耳の名前ですが』
『……
『……そして、私の幼馴染でもあったわ』
飯間刑事の問いかけに、小松さんに代わって阿部さんが、そして小松さんが付け加える形で答える。
どうやら小松さんと阿部さん、そして市川さんには「ユリ」という友人のことで特別な背景が秘められているようだ。
『私たち4人は、週末はほぼ毎週集まって遊んでいたわ。青春を謳歌してる、そう確信してたの。―――あの子が、事故に遭うまでは』
電話越しのザッピング混じりの声でも、彼女の声が怒りに満ちているのが分かった。誰もが、黙って傾聴するしかできずにいる。
『私と阿部くんは私情で遊びに行けず、市川くんと友里が2人で遠出してたときだったわ。元から仲良かったとはいえ、女の子と2人きりで外出できて浮かれてたみたいね』
つまるところ、その事故は市川さんに原因があるようだ。すでに亡くなっているというのに、彼への殺意が未だ滲み出ている。
『事故となれば、当時の私も彼を責めることはしなかった。ただ私は彼女のことを引きずってしまい、他人と距離を置くようにしたの』
『……そして心の霧が晴れることなく、8年間の曇天の中で今日、市川さんと
『ええ……最初は気まずい反面、どこか嬉しかったの。こちらが一方的に逃げ出したというのに、変わらず接してくれたんだから』
内容は肯定的なのに、相変わらず声色が黒一色から変わらない。黒に何を塗っても変わらない、ということか。
『でも話してるとき、明らかに違和感があった……阿部くん、あなたにね』
『……』
『あなたはやけに私から離れようとした。おかしいと思っていたら、市川くんの口からとんでもない言葉が聞こえてきた』
一呼吸置いて、
『———3人で遊んでた頃は楽しかったね』
『さ、3人……』
『あの言葉を聞いた途端、周囲の音が聞こえなくなった。暫くして、その真意を確かめたくなって、気付けばこっそり仕事を抜け出して彼の部屋の前にいた』
その時には既にワゴンを運んでいたはず。もしそのときに殺す気がなかったなら、シンプルに「ルームサービス」の恰好を偽装するための道具として持っていったのか。
『そして名乗って部屋に入れてもらい、あの言葉について問い詰めたわ。そしたら彼は、窓の外を見つめながら答えたの……!』
怒気が強くなる。感情が昂り、言霊に重なっている。
『——友里のことは忘れるようにした。じゃなきゃ、お互い持たないだろうから、ってね!』
『そんな自分勝手な発言ある!?私の気持ちを一方的に推し量ったような、そんな……』
『思わずワゴンに乗せてた食器で頭を殴りつけたわ!窓を僅かに開きながら倒れた彼を見つつ、まだ息があることが分かった瞬間、殺意を決心した……』
『最初はそのまま外に放り捨てようと思い、窓のロックを壊した。でも壊したところで、これじゃ一番最初に疑われるのは私だと考え、やり方を変えたの。それは、阿部くんに罪を
『……あとはあなたが言った通り、屋上から彼を落とし、最上階で私のことを目撃されれば、事件当時に606号室周辺にいなかったアリバイを成立させれる。そう思ってたけど……甘かったのね……』
間髪入れずに経緯を語る彼女は、最後は美咲さんへの敗北宣言で幕を下ろした。
『……あの子に、なんて顔して会えばいいのかしら。昨日も楽しく話してたのに……』
『楽しく話してた……って、友里さんはご存命なんですね?』
『ええ。目覚めたのは少し前だけど。でも
感傷に浸るような声で、淡々と告げる。長い長い眠りから覚めたと思えば、立てないなんて、果たして当人の胸に去来した恐怖はどれほどなのか。
『阿部くんたち、知らなかったでしょ?』
『……知らないわけ、ないだろ』
『え……』
冷笑を含めた問いかけに、阿部さんは暗い声で返事した。予想外の返事だったのか、小松さんが間抜けな声を漏らす。
『お前はいつからこのホテルで働いてる?』
『……この前、友理が目覚めてからよ。病院の近くを職場にすれば、仕事の後に寄ることができるし』
『つまり、1ヶ月前からなのか』
『な、何が言いたいの?』
『———俺と市川は、毎年このホテルに来てたんだ』
相変わらず落ち着いた声だ。まるで、小松さんを窘めるような、そんな温かい声。
『友里の見舞いに来てたんだよ。市川は、この8年間、一度もアイツのことを忘れたことはない』
『で、でも!それなら、どうしてあんなこと……』
『友里が目覚めた次の日、俺たちは彼女に会いに行った。事情をお互いに把握したところで、彼女に言われたんだ……』
※※※
「———私のことは、忘れて」
「な、何言ってんだよ!俺らは……」
「私が事故に遭ったのは、私のせい。妙に生真面目で優しい市川くんなら、自分の責任だって勘違いするでしょ?」
「勘違いもなにも、俺のせいで!」
「———だったら!何ができるの!?もう私の失われた8年は戻ってこないのよ!?」
「そ、それは……」
「……無かったことにしたいの。この虚無の8年間も、あの引き金となった事故のことも」
「友里……」
「本当にごめんなさい。でも、1人にさせて」
「……分かった」
「市川……」
「———でもこれだけは伝えておく。きっと近いうち、小松も来るだろう」
「ゆ、友紀恵が……」
「彼女には、そんなこと言うなよ。アイツは、誰よりもお前の帰りを待ち望み、お前と話したくて仕方ないはずだから———」
※※※
『病室を出た市川は、覚悟を決めた顔をして言ったんだ。「友里が俺を忘れるなら、俺も彼女を忘れる。俺に一方的に覚えられてるのは、友里も嫌だろうからな」って……』
『い、市川、くん……』
ドサッ、と崩れ落ちる音がした。きっと、小松さんだろうか。
『私……そんなことも知らずに……』
———部屋で市川さんが小松さんに言った「お互い」というのは、市川さんと友里さんのことを指していたのか。それを、小松さんは自分のことだと誤解し、殺意を炸裂させた。
『確かに市川の言い方も悪かったかもしれない。けど、アイツはアイツなりに正しさを全うしてたことも、認めてほしい』
啜り泣く声が、ノイズのようにスマホから流れ出す。まるで、濁った殺意が染み出しているかのように。
今は現場にいない私たちだが、もし現場にいたとしても、この複雑な感情が飛び交う場面で口を挟む余地はないだろう。
『———自分勝手にもほどがある』
美咲さん以外には。
『へ……?』
「ね、姉さん……?」
小松さんの頓狂な声と、茜の懸念するような声が重なる。
『今のご友人との一件もそうだけど、あまりに周囲が見えてなさすぎ。忘れたの?あなたは市川さんを殺害しようとして、同時に栗田さんを殺害しかけたのよ?』
忘れた、という表現は不適切だろう。正しくは『気付けてすらいない』。悪意を持って指摘してるのは透けて見えるが。
『もし潰れた車の中に栗田さんやその家族がいたら?いえ、それ以前に、もし被害者が歩行者目掛けて落下したら?そしたらあなた、私怨の殺害だけじゃなく、無差別殺人にもなるのよ?』
『そ、それは……』
『この言い方は良くないけれど、被害者が彼1人だったのは不幸中の幸いよ。そして、そのことに気付いてすらいないあなたを私は赦さない』
至ってクールな調子の声。しかし、誰もがその言葉から憤怒を感じとる。その指摘の鋭さは、鋭利な凶器とも同然で。
『あなたの行動は偽善だった。それも———錆びついて、腐り切った善よ』
その言葉を最後に、通話は途切れた。美咲さんは、私たちにここまで伝えたかったらしい。
加害者や被害者たちの境遇は、限りなく私たちに近い。だからこそ、美咲さんは最後に鋭利な一言を残した。そしてその怒気は、被害者の男性にも向けられてるだろう。それを言葉に表さなかったのは、きっと死者へ向けるべきなのは哀悼の意だけだと判断したから。
そして、その全てに私は同意見だった。大切なものを失ったのは紛れもなく事故の被害者である友里という女性。だからこそ、彼女がもう何も失わないよう最善を尽くすべきだった。
失ったものは、もう戻らないのだから。
「……」
目の前、茜が神妙な面持ちで俯いている。
もはや、何が正しくて何が間違っているのか、分からないのだろう。
でも、混乱してるところ悪いが、私にはすべきことがある。
「———きっと今頃、美咲さんは水西さんとお話をしています。そして、同じ話を今から茜にします」
少し声のトーンを落とし、こちらも真剣な表情で茜に向き合う。彼女も、こちらの視線に気付いて目を合わせてくる。
「最初、あなたたちは事件が発生したとき、何をしてたんですか?」
「……ホテルの被害者の部屋に向かったわ。6階には水西さんだけ言って、私はフロント前で不審者が降りてこないか見張ってた」
「なぜ、現場の目撃者を自由にしたんです?」
「っ……」
切迫して問いただすと、茜は声を詰まらせた。
「私たちが事件に気付けたのは、あの場にいた誰かが遺体の写真をSNSに投稿したからです。そんなことをする輩も救いようがありませんが、この時代では十分にあり得ます」
そして、そんな写真を拡散するのがマズいのは言うまでもない。それは倫理的にだけでなく、警察や探偵部が捜査する上でも迷惑になる。
「駆けつけた美咲さんがすぐ対応してくれたからすぐ収まりましたが……その点については、しっかり反省して下さい」
「……ええ、ごめんなさい。視野が狭かったわ」
きっと経験値が少ないのだろう。素直に失態を認め、小さく
…………。
……………………………。
……き、気まずい。
気まず過ぎる静寂を打ち破ろうとして、私は明るい声をあげる。
「に、にしても、驚きましたよ。名古屋で茜が探偵部をしてるなんて」
「え、ええ、そうね……」
「……どうかしました?まだ何か気になることでも?」
眉間の皺が消える気配がない。しかも、表情には翳りが支配し続ける。
思わず尋ねてしまったが、その視線がこちらに向いた瞬間、その質問をしてしまったことを後悔する。
「———あなたに再会したとき、私は『近況について』しか興味なかった」
——それは、私が容疑者たちに言った言葉の引用。
時間を経て旧友が再会したとき、その内容は殆どが『当時の思い出話』になる。
しかし、どうやら茜はその昔話に行きつかなかったという。
「それは本当に、あの過去を思い出したくなかったから?それとも……私は、あなたを、友達とは思ってないの……?」
——— 初めて、茜の本心が見えた気がする。彼女があの日、心を閉ざしてから、初めて。
だから、私も本心を伝えないと。
「私は———あなたを友達とは思えない」
「そう……よね。6年のブランクがあるし……」
「いえ——」
彼女のネガティブな発言を遮り———抱きつく。
同じくらいの背丈の少女を両腕で抱擁し、顔を左肩に乗せる。
「———あなたは、家族です」
「———ぁ」
「友達なんて小さい枠には収まらない。血の繋がりがないだけの、家族です」
「こ……」
「あの日、あなたを救えなくて、ごめんなさい」
「こう……」
「あの日、私は幼馴染を……友人を失った。だけど今日、家族に再会した。それだけです」
背中に、両腕の感触がした。とても優しい、しかし気持ちの籠った強い抱擁が、心に刻まれる。
「わ、私も……この6年間、何度も何度も家族のことを忘れようとした。でも、あなたを、みーちゃんを、忘れたことなんて無かった……忘れられ、なかった……!」
「……私たちを忘れなくて、正解でしたか?」
「……正解だと、思わせてくれる?」
「———任せてよ」
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