第3話 ストレートよりチリチリが好き
年の瀬だというのにすこぶる暇だったので、久方ぶりに俺は吉川をアパートに訪ねてみたのだが、彼はコタツに置いたカップ麺から立ち上る湯気の中に合わぬ視線を結ぼうとでもしているのか、心なしか覚束ない表情でかしこまっている。
「何やってんだ?」
「あ、しんちゃん! どうしたの? ……っていうか、どっから入ったの?」
吉川は夢からさめたような顔つきで、そばに立っている俺を不思議そうに見上げる。
「サンタクロースじゃないんだから玄関に決まってんだろ。声かけたんだけど聞こえないらしくってさ、勝手に上がってきた。ところで湯気の中に何か見えるのか? カオルユーミンとかよ?」
「なんだよ、カオルユーミンて。そんなの知らないよ!」
「お前、知らねーのか。水戸黄門で、出ちゃお風呂へ入るくノ一だよ!」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ、マリちゃんだ。ずぼしだろう!」
マリちゃんとは吉川のガールフレンドであるが、半月ほど前に同窓会とかで帰省したまま帰ってこないらしい。
「ちがうよ! カップメン食べようと思うんだけどさ、この麺おかしくねぇ?」
吉川は割り箸で麺をつまんで、俺に見せる。
「おかしいって、メンにちんちんでもついてちゃ、そりゃ、おかしいけどよ」
「ばっかじゃない! またいつもの下ネタじゃん。ちがうよ、麺がストレートなんだよ」
「な~んだ、お前。知らなかったのか? もう随分前からどん兵衛ややきそばUFOの麺はストレートなんだぜ」
「えっ、全然知らなかった」
「それでよ、同じようにストレートメンにしたサッポロ一番を訴えていやがる」
即席麺の製法で特許権を侵害されたとして、「どん兵衛」などで知られる「日清食品ホールディングス」(大阪市)は2012年12月3日、「サッポロ一番」シリーズなどを販売するサンヨー食品(東京都)など2社に対して、11商品の製造・販売の差し止めと約2億7千万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
「そうなんだ。だったら食べても大丈夫なんだね。もう、お腹くうくうなんだ」
そう言うや、吉川は餓鬼のように食い始めた。
じゅるじゅる~くっちゃくっちゃ。きたない食い方だ。
「でもよ、消費者は誰もストレート麺なんて望んじゃいない」
「でも、のどごしがなめらかだよ、これ」
「まあラーメンやうどんはストレートでもいいけどよ、汁があるからな。でも、やきそばはやっぱりチリチリ麺だぜ」
と俺が言うのに、吉川は食うのに一所懸命である。じゅるじゅる、と汁を吸っちゃ、くっちゃくっちゃ、と噛んでいる。
俺は、床に落ちている髪の毛をつまみ上げて言ってやった。
「おい、吉川! お前、掃除してんのか?」
「一ヶ月くらい前にマリちゃんが……。ごめん、しんちゃん、それ捨てといて」
と壁際の屑籠を箸で差す。
箸で指図された俺は、しかし徳のある人間であるので立腹して怒鳴り散らすこともなく、素直に壁際まで這って行き、髪の毛を屑籠へ捨ててから、吉川には見えない角度で、中国は広島生まれの天才マジシャンのようにちょっとごそごそしてから声を上げた。
「おっと、なんやこれは! チリ毛ちゃうんか!」
俺の驚きの声に、一瞬、吉川の動作が停まったが、汁をじゅると一口飲んでから、
「しんちゃん、それも捨てておいてよ。っていうかチリ毛なんか、しんちゃんちでも落ちてるだろう!」と逆切れ。
確かに、落ちている。ばかりか、なんで? と首をかしげたくなるような所に載っているときもあるのだ。
「ああ、髪の毛をとかしたあとの櫛に付いていたり、飯の上に載っていたり……。いや、俺のことはどうでもいいんだ。これ、もしかしてマリちゃんのじゃないのか?」
このマリちゃんという言葉が効いたらしい。吉川は顔を赤くして、うつむいてしまった。
ちゅーことは何かい、吉川のやつマリちゃんとやりやがったな!
プラトニックとか吐かしておったのによう……。
よーし、わかった。俺を騙してた罰である。もう少し、いじめてやろう。
「これ、マリちゃんの匂いがするぞ~! おお、ワンダーパフュームじゃ!」
俺は、そのチリ毛を鼻先で匂ってやった。
「やめろよ!」
突然、吉川は立ち上がって俺をにらみつける。
「なんだ! 彼女の想い出として取っておきたいのか? 財布にでも仕舞っておくか?」
「やめろって、言ってんだろ!」
吉川は声を荒げて、いまにも飛びかかってきそうだったので、
「すまん、すまん! ほら、これも屑籠へ捨てておくから」と、俺は、壁際の屑籠へ捨ててから、
「な、ストレートよりチリチリのほうが、いいだろう?」
吉川は、何のことやら理解できないらしく眉間に皺を寄せているが、俺は構わず話し続けた。
「髪の毛は屑籠へポイで終わりだけどチリチリの毛だったらこんなにも盛り上がるんだ。たとえばさ、初めて彼女を部屋に呼んでよ、テーブルを挟んで話していてさ、彼女が時々視線を投げかける二人の間にある食卓塩の壜を見てみると、その壜の下にチリ毛が挟まっていたときのビックリ感やこれからどうしようというドキドキ感なんか、もうたまらんぞ。これが、もう二人が深い関係になっているのだったらなんて事もない、『この塩も大人になったんだ。ほらマン毛が生えている。これが砂糖ならチン毛なんだけどね』『え! どうして?』と彼女が不思議そうに訊くのに、『それはね、スペインじゃ塩は女性名詞で砂糖は男性名詞だからさ。わかったかいセニョリータ』って感じで、やり過ごせるけど、二人が無垢な関係だった時は、はあ~たまらんわい」
「あのね、しんちゃん。一人芝居はそのくらいにしてよね」
どうやら吉川は落ち着きを取り戻したようで、さりげなく言い放つ。
「うん。まあ、そういうことだ」
「どうゆうこと?」
「やっぱり、やきそばUFOとマ〇毛はチリチリのほうがいいってこと。盛り上がってるほうがね」
「って、しんちゃん、いまさらマ〇毛って伏字にしても、意味ないじゃん」
「まあな……」
「それよかしんちゃん、何しに来たの?」
冷たい視線で上から俺を押さえ込んでくる。
「何しにって言われると、ちょっとつらいけどよ、つまり安倍新政権が日本を右傾化するとか近隣諸国が言うのに、ひとこと言ってやろうと思ってよ」
「それで、なぜ、おれんちへくるわけ? おれ、近隣諸国じゃねえし」
「まあ、そうなんだけどよ、俺さ、最近っていうか随分前から自分の意見をまとめられなくってよ、だから吉川とだべりながらなら、なんとか自分の意見を言えるような気がして、ほいでまあ、来たわけ」
「ふ~ん。そうなんだ。でも、もう今日は、いいよね。いまからだったら、また長くなっちゃうから」
「うん、わかった。今日は帰るよ」と俺は立ち上がった。
「なんか、悪かったね」
「いいよ、俺が押しかけたんだからさ。あっ、そうだ! 言い忘れるところだった」
「なんだい? しんちゃん」
「お前、さっきのチリ毛拾うんじゃないぞ。あれ、俺のチン毛だからさ」
「そんなの拾わないよ!」
「お前だったら、拾って頬ずりなんかするに決まってるんだから『マリちゃ~ん』て呟きながらよ」
「そんなことしないよ、しんちゃんじゃないんだからね」
「でもよ、ほんとうはどうなんだ? 吉川お前、知ってたのか?」
「確信はもてなかったけどさ、しょうもないことしいのしんちゃんならするかもって思ったし、中国は広島生まれのマジシャンのように、ズボンの中に手を突っ込んでちょっとごそごそしていたしね。それに第一、そのチリ毛がマリちゃんのだって言うけど、ぼくのものである可能性がいちばんあるのにさ、匂いかいでるんだから、おかしくなってきてさ~」
「な~んだ。ばれていたのか」
「半信半疑ってやつさ」
「やっぱお前、いいやつだな」
「しんちゃんだって」
お互い、年末に、しんみりとなってしまって、これで新年を迎えるのもちょっと嫌だな~と思っていると、
「しんちゃん、この話、オチがないじゃん! オチがないと終われないんだろう?」と吉川が恐ろしいことを言う。
「まあな。話のオチはないけどよ、俺のチン毛があっちこっちに落ちてるってのは、どうよ。五、六本は抜けたから、それでいい」
「ふふふ。ばかじゃん!」
「ばかだよな。ははははっ」
「そうだよ、おおばかだよ。ふふふ」
しばらくの間、俺と吉川は腹を抱えて笑っていた。
ははははは。ひひひひひ。ふふふふふ。へへへへへ。ほほほほほ。
二人は笑い疲れて、
「じゃな。はばーないすしょうがつ!」と俺。
「うん。しんちゃんも!」と吉川。
(了)
おれと吉川 銀鮭 @dowa45man
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