第2話 恋に焦がれて憧れて
「あっ。先輩だ」
先輩と会えない退屈な授業中、教壇に立つ教師の話を横耳に窓の外、グラウンドに立つ先輩を見つけた。
瞬間、シャーペンを持つ左手が無気力に横たわり、その代わり先輩を映し出す自分の眼に集中力が注がれる。
今日の二年生の体育は五十メートル走のようで、スタート地点に生徒達が二列にズラーッと並んでいた。先輩の出番はまだ少し先のようで、近くの他の二年生と何かを話している様子だった。
その光景に胸にモヤモヤとした感情が生まれ、それが伝播し左手に握っているシャーペンがクルクルと回りだす。多分今の私は心底面白くないといった顔をしていることだろう。
しばらく先輩の一挙手一投足に全神経を注いでいると、やがて先輩の走る番がやってきた。スタートラインに立つ体操服姿の先輩は、それだけで輝いているようで画になっている。
少しだけ屈伸をした先輩は前の生徒がゴールしたことを確認すると、クラウチングスタートの構えを取る。
そして五十メートル先の計測役の教師が、上げていた手を勢いよく振り下ろしたと同時。先輩がおもいっきり地面を蹴った。
速い。綺麗なフォームももちろんだが、後ろにまとめたたなびく髪が美しく、隣のグループで先にスタートしていたはずの生徒を勢いよく追い抜かしていった。
1、2、3、4……私も先輩のタイムを心の中で数えていく。全く意味はないのだが、先輩を追う瞳と共に頭が自然と時間を刻んでしまう。
5、6……そして7秒を数える少し前に、先輩はゴールラインを踏み越えた。タイムは6.7秒ぐらいだろうか。間違いなくこの女子校の中で、上位のランクに位置するに違いない。
今こそ先輩は部活に入っていないが、先輩は中学生の頃から運動神経が良かった。
中学校時代、先輩と私は同じテニス部で、私は何度も彼女が表彰台に立っている姿を見てきた。
けれど先輩は二年生の終わりに部活をやめてしまった。私と一緒に。
嫌な思い出が蘇りそうになる頭を、いけないいけないと横に振ってなんとかおさえこむ。
けれど気がつけば、軽く痛むほどに私はシャーペンを握りしめて、全身は何かに怯えるように小刻みに震えていた。
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休み時間。ピコンッ♪という軽薄な音が自分のスクールバッグの中から聞こえてきたので、読書に熱中していた頭を上げてスクールバックから携帯を取り出した。
基本的に私の携帯には家族か先輩からしか連絡が来ないが、今回は先輩からのようだった。家族からの連絡より百倍嬉しい。
パスコードロックである先輩の誕生日を入力する。パスワードを入力する度に先輩を思い出せるというこの仕組みに自分で自分を褒めながら、LINEを開いた。
『今日十一時三十分。A校舎二階女子トイレ前にて待つ』
「何故果たし状っぽく……」
相変わらずユーモアが好きだなと時計を見ると、時計の針は十一時二十八分を指していた。
というか十一時三十分って次の授業が始まる時間……!!
つまりサボタージュするぞということなんだろうか。いや、きっとそうなんだろう。中学の時も何度かこういうことをした覚えがある。
当然当時先生たちには叱られたが、私にとってはそんなことより先輩といられる時間のほうが大切なのだ。
時計の針が二十九分を指す。それと同時に私は勢いよく立ち上がり、戸惑うクラスメイト達をよそに先輩指定の場所へと駆けだした。
「二分遅刻!!」
授業が始まり、静けさに満ちた校舎で、先輩は待ち合わせ場所に着いた私に向かってビシィッと指を指しながらそう言ってきた。
「いやいや、あんな急な連絡で間に合うわけないですよ……むしろこれだけ早く来たことを褒めて欲しいぐらいです」
「確かに!!じゃあ……偉い偉い!」
聞き分けの良い先輩が私の頭を撫でてくれる。先輩の手の感触になんだか頭がふわふわとして……じゃなくて!!
「それで……こんなところに呼び出して何の用ですか?」
「何の用って……中学の時もやったじゃん!!忘れちゃったの?」
「そりゃ覚えてますよ。息抜きでしょう?ずっとあんな窮屈な授業受けてたら馬鹿になっちゃうからーとかなんとか」
「そうそう!せいかーい!!」
「私が聞いてるのはサボって何するんですか?ってことですよ。屋上でタイタニックごっこしたり、体育館で即興演劇してみたりとかはもうごめんですよ……うっ……」
軽い黒歴史が蘇る。他には先輩の友達が寝ているという保健室のベッドに窓から忍び込んだり(これは先輩だけ)、跳び箱十段に挑戦した(結局飛べずに跳び箱におもいっきり突っ込んだ)りと、馬鹿なことを繰り返しやっていた。
「ノンノン。そんな品のないこと私はもうやらないよ!!」
「その品のないこと勧めてきてたのは全部先輩でしたけどね」
「…………」
あっ。スルーされた。
「私は愛しの後輩ちゃんがいないこの一年間にキチンと落ち着いて遊べる場所を作っておいたんだよ!」
デケデケデケ~とクイズの答え発表の音楽を口ずさみながら、先輩が謎の踊りを披露する。
「その場所とは…………ここっ!!」
謎の踊りをやめ再びビシィッと先輩が指を指した方向を見てみると、そこには『生徒会室』と上に書かれている扉があった。
「……先輩いつの間に生徒会に入られたんですか?」
「違う違う!結構な頻度で鍵空いてたから私が暇なとき無断で使わせて貰ってるだけだよ!」
「それは最低ですね!」
「いやいやいや!最初は無断だったんだけど途中からはちゃんと許可貰ったんだよ?」
私が「本当ですか?」と疑問をぶつける前に、先輩が生徒会室と書かれたドアを開ける。先輩がそのまま軽い足取りで中に入っていったので、私も先輩の後に続いた。
「えらく豪華ですね……」
私のイメージしていた、長机が四方に並んで一番前にホワイトボードが置かれているような生徒会室ではなく、中央にはガラス張りの机とそれを挟むように如何にも高そうなソファが設置されていた。
そして更に一番奥を見てみると、生徒会長の席であろうこれまた高級感の滲み出る机と椅子が置かれている。これでは生徒会室というより応接室や校長室といった感じだ。
「現生徒会長がお金持ちでね~。好き勝手に部屋を改造してるんだよ。まぁそのおかげでこんな風にくつろげるんだけど……さっ!!」
そう言うと先輩は勢いよくソファに飛び込んだ。
「んーー!!最高!!!」
ソファに頭をこすりつけご機嫌そうな先輩は、今度は私のほうを見て私もやってみろと言わんばかりに向かい側のソファをちょいちょいっと指差した。
「………………」
正直この年になってソファに飛び込むというのはかなりの気恥ずかしさがあるけれど、自分の中で好奇心と羞恥心が戦った結果、好奇心が勝ってしまった。
「うわっぷ」
加減が分からず結構な勢いでソファに飛びこんでしまい、身体に強い衝撃が走る。けれど低反発仕様なのかあまり身体が跳ねることはなく、ゆっくりと心地よさと共に身体がソファに沈んでいく。
気持ちいい。とてつもなく気持ちがいい。私的値段診断でこのソファはおよそ百万円。先輩が顔を埋めたくなるのも分かる。
結局私もたまらず顔をソファに埋めてしまう。そして我慢ならずグリグリと顔をうずめようとしたら、意地の悪い笑みを浮かべた先輩と目が合った。
「……なにニヤニヤしてるんですか」
「べっつに~!かわいいなぁって思ってただけだよ~?」
「な!か、かわいい……!」
「うんうん。いつもそんな感じなら可愛げがあるってもんよ!」
「………………ん?つまりいつもは可愛げがないと?」
そう尋ねると、先輩の目が水泳大会を始めてしまう。なんて分かりやすい……
「いやいやそういう訳じゃ…………え、何……後輩ちゃん?目が怖いよ?なんで無言で近付いてくるの……?」
「いつも愛想が悪くて口も悪くて可愛げ無くてすいませんね!!!」
そう言って私は怯える先輩に向かって襲いかかった。
「いや、そこまで……ひゃっ!ちょっ!後輩ちゃんっ!!くすぐりはダメだって……あひぁッ!あひゃひゃっ!……ダ、ダメ!私本当に……くすぐられるのダメだから……!!!」
勿論知っててやっている。先輩は昔からくすぐられるのに弱い。逃げないようくすぐったさに暴れる先輩に覆い被さるようにしながら、更にくすぐる。
すると暴れる先輩の手がぺしんっと胸に当たる。最初はたまたまかと思ってたけど、再びまたぺしんぺしんっと先輩の手が私の胸に何度もビンタをかましてくる。
「わ、ざ、と、でしょーー!!!!」
「あひゃひゃひゃ!!ごめ、ごめんなさい!!あ、あまりにもユサユサ揺れてたからつい……!!」
「もーー許しませんから!!!」
今度はそんなことも考えられないくらい、なんなら意識を失うまでくすぐってやろうかと先輩の腰に手をかける。
しかしその瞬間、背後にある扉がバンッ!と大袈裟な音を立てて開いた。
「ひゃあっ!!」
音にビックリしてしまった私は我ながら情けない声を上げながら、覆い被さっていた先輩にダイブしてしまう。
「ぐえっ」
そして今度は先輩が潰れたカエルのような声を上げて、ぐったりと私の下敷きとなってしまった。
「ふむ……邪魔をしてしまったようだな」
後ろから扉を開けた主であろう女性の声が聞こえてくる。落ち着いた、そして威厳を感じさせる声だった。
その声に反応してか、一瞬私の重みにぐったりとしていた先輩だったが(弁明しておくが私はそんなに重くない……!はず……)、ひょこっと私の肩から顔を出して入り口の方を確認する。先輩の顔がとても近い。あと滅茶苦茶いい匂い。
しかし先輩はそんなこと気にしていないのか、今度は私の脇の下から自分の手を出して入り口に向けて手を振った。
「はろー!せいとかいちょー!!」
「はろー不良娘。しかしよもやこの生徒会室に後輩を連れ込んで、淫猥な遊びをする趣味があるとは知らなかったぞ」
いやいやいや。と思ったが、確かにくすぐってたせいで先輩の服は乱れてしまっているし、なんなら息づかいもお互い荒くなってしまっているので、第三者から見れば淫らなことをしていたように見えるかもしれない。
「違います違います!ちょっと愛しの後輩ちゃんとじゃれてただけですよ」
「ぬなぁっ!?」
先輩の言葉に変な声が出てしまった。
どうしてこの人はそういうことをさらりと言ってしまうんだろう。冗談と分かっていても嬉しくてニヤニヤしてしまいそうで、けれど本当はそう思われていないという虚しさもあって、そんな私の気持ちも知らずに。
我ながら面倒くさい女だなと自分に心底落胆していると、今度は苦しそうな先輩の声が聞こえてきた。
「ところで後輩ちゃん……そろそろ退いてくれると有り難いかなーって……」
「はっ……!すっ!すいませんっ!!」
離れていく先輩との密着感と匂いを惜しみながらソファに手をついて起き上がる。
自分の制服に残った先輩の匂いは後でゆっくり堪能しよう。
「ふぅ……」
お腹をさすりながら先輩もソファから起き上がる。そんなに私重かったですか……
私も起き上がったあと先輩の隣に座り、生徒会長だという人もおそらく定位置だろう一番奥の一際豪華な椅子に座った。
「それで、生徒会長様もサボり?」
「無論。その通りだ」
「ええ……?」
あまりの快活な反応に戸惑いを隠せない。
「えーっと……それは流石に色々とマズいのでは?」
恐る恐る手を上げて質問してみる。しかし生徒会長様はなんの罪の意識もないようで「大丈夫だ!何故なら私は生徒会長だからな!!」と無茶苦茶な理論で返されてしまった。
「生徒会長は頭も良くて運動神経も抜群だからねー。休んだところで全然大丈夫なんだよ」
「それは貴様もだろう不良娘」
「いやいやいや、私とは全然違いますって」
先輩が何か諦めたようにぷらぷらと力無く腕を振った。先輩の苦笑に少し悲しみが混じっているような気がするのは気のせいだろうか。
本当に気のせいだったのか、先輩は一瞬で表情を変え今度は机を軽くバンッと叩いた。
「なによりお金!!ご実家が超お金持ちの会長とごく一般家庭の私じゃまるで違うじゃないですか!!」
「あれは親の金だ。私はそんなもの自分の価値だと思ってないさ。現に私は自力で金を稼いでる。この生徒会室にある物も、全て私の金で買ったものだ」
一体何をすればここまで豪華絢爛な生徒会室を作れるほどのお金が貯まるのだろうと甚だ疑問だが、あまり深くは突っ込まないでおく。
「はぁー……格差社会はんたーい!!」
「なんだ。そんなに金が欲しいなら今度私のところでアルバイトでもしてみるか?それなりの時給だぞ?」
「え!?!?行きます行きます!!」
「先輩切り替え早すぎですよ……生徒会長はご自身で何か事業をやられているということですか?」
「そんな大層なものではないさ。ただの趣味の延長だ。……そういえばまだ名前を聞いてなかったな」
「あっ、そうでした。私
「そうか、私は
いま奴隷って言いかけなかったかこの人……
「はい。ありがとうございます」
流石になんとも言えないので社交辞令で返しておく。先輩に誘われたら間違いなく行ってしまうだろうけれど……
と、そこで再び生徒会室に扉が開いた。
「ごめんごめん!ちょっと抜け出すのに手間取っちゃった」
突然凄いキャピキャピキラキラした人が現れた。化粧はバッチリネイルもバッチリ、制服なんて確実に校則違反レベルに改造してある。少し大きな動きをしたらすぐにスカートの下が見えてしまいそうだ。俗にいう白ギャルというやつだろうか……
「問題ない。中々楽しい時間を過ごしていたよ」
「そうなの?あっ!美月ちゃんいるじゃん!!」
白ギャルさんの言葉に心臓がドクンッと跳ねた。美月。『
「おお!はろはろ陽菜ちゃん!!」
先輩が上げた腕の指を小刻みに動かしながら、陽菜という女性に手を振り返す。
「あれ……?そっちの子は初めてだね!私は
「し、白壁 椋一年生です。よろしくお願いします」
先程不意打ち気味に先輩の名前を聞いたことで、かなり動揺してしまっていた私はそれ以上言葉が出てこない。
いつからだっただろう。私と先輩が名前を呼び合わなくなったのは。先輩と後輩ちゃんという、どこか溝のある呼び名に変わってしまったのは。分かっている。こうなってしまったのは私のせいだ。思い返せばもう二年近く彼女を美月先輩と呼んでいない。
「ふむ。それでは陽菜も来たことだし、私たちはここらで失礼する。まだ時間もあるし先程の続きをゆっくりしてくれ」
「さっきの続き?」
事情の知らない柳瀬先輩が頭上にはてなマークを浮かべる。
「後で話してやる。それと不破、耳を貸せ」
「えっ……なんですか突然……」
先輩が渋い顔をしながらも生徒会長の言うことに従って、手招きする生徒会長のほうへ歩いていく。すると吸い込まれるようにして、生徒会長の腕が先輩の肩を抱くと、あちらを向いて何か内緒話を始めてしまった。
「ねぇねぇ。ええっと……椋ちゃん……でいいんだよね?」
「あっ……えっと、はい」
するとこちらはこちらで柳瀬先輩に捕まってしまう。というかなんでこの人私の名前知ってるんだろう……
しかしそんな疑問は一瞬で吹き飛んでしまうようなことを、彼女が口にした。
「実はねー私と薫、付き合ってるんだ」
「っ!?」
「やっぱり驚いた?」
何を突然!?とは思ったが言葉は出ず、ただコクコクと頷く。
「もう三年生で高校生活も終わりでしょ?だから勇気出して私から告白したら、オーケー貰っちゃって。おもわず涙出ちゃったよ」
そう言う柳瀬先輩の顔はその時のことを思いだしているのかとても嬉しそうで、私はただ羨ましかった。
「心から……祝福します。……でも、どうして私にそんな話を……?」
私がそう尋ねると、柳瀬先輩はふふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「さっき美月ちゃんの隣にいる姿と、名前を聞いてすぐ分かったよ。美月ちゃんが話すときに出てくる子だーって」
先輩が……私の話を……?
「美月ちゃんがここに来るようになって半年ぐらいになるけど、来たら大体椋ちゃんのこと喋ってたよ」
「ええっ!?」
あまりの衝撃に少し大きな声を出してしまう。すると柳瀬先輩に無言でしーっとジェスチャーされてしまう。なのでできるだけ声を押し殺して聞いてみる。
「ぐっ、具体的には……なにを!?」
「それは秘密。でも悪いことじゃないよ」
「な、なんという生殺し……」
どうやら肝心なところは教えてくれないらしい。でも悪いことじゃないなら……良いことなんだろうか。
「まぁつまり何が言いたいかっていうと、きっと椋ちゃんが思ってるより、美月ちゃんと椋ちゃんの距離は遠くないよってこと」
「そう……ですかね……」
柳瀬先輩が教えてくれた情報に、考えなきゃいけないことが多すぎて私の頭は既にパンク寸前だった。
チラッと先輩の方を見てみると、どうやらあちらも話が終わったらしく、先輩は最後に何故か生徒会長から軽く腹パンをもらった後、こちらに戻ってきた。
「それじゃあ白壁。そこの不良娘と仲良くな」
「美月ちゃん椋ちゃん、ばいばーい」
そう言って私の心をかき乱した嵐のような先輩達が、生徒会室を出て行った。
彼女たちが去っていった扉をなんとも言えない気持ちで数秒間見つめた後先輩を見ると、生徒会長に何を言われたのか彼女もげっそりとしていた。
そして私たちは数秒間見つめ合ったのち、先輩のほうから口を開いた。
「とりあえず……ソファに転ぼっか……」
そうして私たちはどっと疲れた身体をふかふかのソファに投げ出し、二人して眠りについた。
色々考えるのはこの眠りが醒めてからでも、きっと遅くはないから。
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