今夜は絶対SEXしたい

エノコモモ

今夜は絶対SEXしたい


「ヘルガよ…。わたくし、今夜は絶対にまぐわいなるものを致したいのです…」


主人の言葉に使用人は一瞬首を傾げ、そしてすぐに合点がいったかのように頷いた。


「まぐわいって…ああ、セックスのことですか」

「そうとも言います」


アンナはその神妙な顔を縦に振った。

さてここは魔族の国、その王の城である。

美しい中庭にはふたりの人影。


「エドヴァルド様、まだ手を出してこないんですか?」


魔族の国だけあって、そう聞きながら新しい紅茶を淹れるヘルガは人間ではない。

褐色の肌に頭からは羊の角、メイド服の長いスカートに隠れて見えないが、歩く度に足元からは蹄の音が聞こえる。


「ええ。全くと言って良いほどありませんわ」


そして、それを受け取る王妃アンナは外見に目立った形質はなかった。

強いて言うならば深い群青の髪と同色の瞳が少しだけ特徴的な、正真正銘の人間である。

彼女はむっと頬を膨らませて、自身の旦那様であるエドヴァルドについて不満を口にした。


「わたくし子供ではないのです!夫婦の褥の行き着く先にセックスというものがあることをちゃんと知っているのですよ!ですが陛下と来たら来る日も来る日も手を繋いで寝るだけ!」

「はぁ。そりゃまたずいぶん可愛い話ですね」

「まあ確かにこの上ない至福の時間ではあるのですが…」


アンナがぽっと頬を赤らめる。

さて。

こう言えばまあ素敵な恋愛結婚なのねと囃し立てられそうな話なのだが、そもそも彼らの結婚は愛から始まったものではない。

それどころか謀略と血にまみれたものであった。

魔族の国とアンナの出身である人間の国は長きに渡り戦争をしていた。

エドヴァルドの代で決着がつき、人間の国が投降する形で和平協定を結ぶ運びとなったのだ。

その際に友好の証として差し出されたのは人間の国の第1王女であったアンナ。

和平と言えども実質敗戦国の姫が相応の待遇を受けられるはずもなく、行く先は良くて最下層の妾か奴隷。

相手は魔族である。

引き渡しの場で見せしめにと八つ裂きにされても可笑しくはなかったのだ。


『異国の地からの嫁入りに最大限の感謝と待遇を。こちらこそ宜しく頼む』


しかしながら自己紹介を終えたアンナを前に、王は誰もが予想だにしていなかった行動に出た。

躊躇なく地面に膝をつき頭を垂れ、彼女の手を取ったのである。


「あの恩寵に一体どれだけ救われたことか。あれが無ければわたくしの生活は全く違ったものになっていたでしょう」


彼の行為でその場の空気はがらりと変わった。

エドヴァルドはそれまでアンナのことを「生け贄となった娘」としか認識していなかった魔族に、「君主の妻である」と周知したのだ。

奴隷でも妾でもない、アンナを正式な王妃にすると公で認めた瞬間であった。


「身に余る光栄でした。その言葉通り、わたくしに地位と役割を与え、なに不自由ない生活ができるよう取り計らってくださいます」

「良い話ですねえ」

「ですが!ですがですよ、嫁いで既に半年が経ちました…。いい加減に手を繋ぐ以上のなにかがあっても可笑しくはないのでは。いやむしろなにもないことの方が可笑しいのでは」


幸せそうな表情から一転、アンナはぎりぎりと歯軋りをこぼす。


「あの日からわたくしは立場も心もあの方の妻。是非ともエドヴァルド様のお役に立ちたいのです」

「もう役に立ってるじゃないですか」


ヘルガの目から見ても新王妃は甲斐甲斐しく働いている。

遠征や視察にも熱心に参加し、知らない魔族と顔を合わせる際には相手の生態や言語を勉強することを欠かさない。

人間の彼女を疎ましく思う者は多いが、その横言にも負けるこなくひとつひとつの仕事を懸命にこなしている。

今も彼女の手元には魔族に関する知識が詰まった分厚い本。

だからヘルガの言うことも最もであったものの、アンナは渋い表情のまま口を開いた。


「…言葉を変えましょう。わたくしがエドヴァルド様に好意から来る劣情を催しているからこそ、この欲望をあの方に叩きつけたいのです」

「わぉ正直」

「だって妻!妻ですよ!ならば妻にしかできないことをしたいと願うのは当然のことではありませんか!?」


アンナがため息をつく。

エドヴァルドは魔族の中でも竜の血を強く受け継ぐ王である。

大きな体躯に身体中の鱗、人で言えばこめかみの上部分から生えた角、獣じみた瞳。

人間からすればいわゆる化け物と呼ばれる見た目ではあるものの、あの日から彼に夢中な彼女には関係ないのだ。


「これをあの方に伝えられたら苦労はないのですけれど、エドヴァルド様を目の前にするといかんせんときめきで言葉が出なくなってしまって…」

「そうだなあ、うーん…」


ヘルガは視線を宙をさ迷わせて、やがて主人に落とした。


「私が直接言って差し上げましょっか?王妃様が欲求不満で堪らないからさっさと突っ込めって仰ってますよって」

「そ、そんな明け透けに…!」


死ぬほどそのまんまである。

そして具体的な理由と問題点を述べた上で何をすれば良いのか示した明確で分かりやすい一言である。

アンナはヘルガの手を取り、勢い良く頷いた。


「是非とも宜しくお願い致しますわ!!」






「アンナ様が欲求不満で堪らないからさっさと突っ込めって言ってたんですけど」


さて、妻の不満を一言一句違わずに伝えられたエドヴァルドは、盛大に茶を吹き出した。


「はっ、ごほっハァ!?」


この従者は腕も立ち頭も回り、何より人間に近い容姿であるという理由でアンナの付き人に選んだのだが。

いかんせん率直すぎる物言いが玉にキズである。


「ヘルガ。わ、我はアンナがここ最近困っていることがないか聞いたのだが」

「いやでもアンナ様が全くその通りに言ってほしいって仰ってたんですよお」

「は…?」


衝撃的な事実に震えながら、しかし思わず端が上がり牙が覗きそうになる口元を抑える。

正直に言えば、彼は嬉しかったのだ。




『エドヴァルド様。人間の花嫁が来ますよ』


部下の魔族に起こされて、王は瞼を開けた。

嘲笑と侮蔑を含んだ声。

もちろん彼らの君主に対するものではない、分不相応な嫁入りをしに来た人間の娘に対してである。

(可哀想に)

同情はしながらもエドヴァルドは冷めた気持ちで見ていた。

今回の嫁入りは人間の国が保身の為に打ってきた一手。

こちらが望んだ事案ではなく、押し付けられたと言っても過言ではなかった。

特にエドヴァルドにとってはいい迷惑で、正式な妻とするつもりは更々無かったのだ。


『アンナと申します』


成人しているとは聞いていたが、人間の王女様はエドヴァルドの目にはずいぶん小さく幼く映った。

それもそのはず、魔族と人間はまるで違う。

容姿や肉体の大きさに留まらず、その文化から暮らしまで到底理解が及ばぬ異種族なのだ。

それゆえに人間側がこちらのことを野蛮人やら鬼畜生やらと称しているのは彼も知っていたことで。

事実、短気な種族や欲望に忠実な者は決して少なくはなく、夫となるエドヴァルドでさえ彼女が人を憎む誰かに暗殺されようとも致し方ないと思っていた。

本来ならば同族に大切にされ、幸せな結婚ができた筈の王女様。

それが何の不幸か、この時代に生まれたばかりに全ての罪を一身に背負わされ国の為と称し売り飛ばされようとしている。

こんな結婚は嫌だと泣いて叫んで拒否してもおかしくはなかったのだ。


『お初にお目にかかります。エドヴァルド様』


だがしかし彼女は美しい所作で丁寧なお辞儀をした後に、凛と口を開いた。


『人間であるわたくしには至らぬ点が多々あるかと存じます。ですが必ずや魔族王の妻のひとりとして相応しい者になります故、どうぞ宜しくお願い致します』


初めは何も知らない阿呆なのかと疑ったのだ。

何故ならそう語るアンナの瞳には媚びも諦念も悲哀もなかったからである。

だが彼女が従者や付き人の類いを自国から一切連れてこなかったという事実がそれを否定した。

そんなことは通常有り得ない。

こちらから特に制限を設けた事実はなく、仮にも一国の王女、彼女が望まずとも多数の従者は付けられた筈だ。

特にアンナの場合、敵ばかりの魔族の国で味方になり得る存在はその彼らしかいないのだから。


(…そうか。この娘が拒否したのか)


彼女の顔を見てエドヴァルドは察した。

王女でさえ身が危うい中、下の者を連れて来ればどうなるかは分かりきっている。

使用人であっても誰1人として民を死地へ巻き込むまいと、文字通り彼女はひとりきりで地獄へ嫁ぎに来たのだ。

その瞳に宿るのは最期まで己の使命を全うせんと輝く真摯な光。

国を背負って立つ誇り高い王女の姿。

ああ。

一体どうして、これが惚れずにいられようか。

あの日あの時あの瞬間、その高潔な人柄に敬意を表して、そして生涯に渡る愛を誓って、魔族の王は小さな人間の王女様に跪いたのだ。




しかしながら非常に非常に困ったことに、何でも「過ぎる」というものは厄介なもので。


「そ、そもそも…できるのか…!?」

「ああ、そういう問題もありますよねえ」


さて、下世話な話に戻ろう。

エドヴァルドがアンナに手を出さないのには理由がある。

抜き差しならぬ理由が。

いやそれこそ、その抜き差しができるのか否かという重大な問題が。

だってアンナは小さすぎる。

いくら成人しているからと言っても相手は竜の魔族である。

ちょっと無茶すぎやしないかと言うのが彼の言い分であった。


「だが確かにアンナ以外に妻を娶る予定はない…その内に世継ぎの問題も出てくるだろう。ならば、国のためにも一刻も早く房事は行うに越したことはない…」

「いや直系じゃなくても王位は継げるんでそんなに無理にしなくて良いですよ」


表向きの理由を真剣に語っていると、ヘルガにさくっと否定された。

魔族の国は実力主義、そういう形式的なことにはあまり拘らないのである。

無理に世継ぎを生む必要はない、つまりは嫌々セックスをすることもない。

だからヘルガの言うことも最もであったものの、エドヴァルドは真剣な表情のまま口を開いた。


「…言い方を変えよう。我がしたいだけだ」

「わぉ正直」


アンナへの想いに嘘はない。

相も変わらずどのような苦境の中でも努力を惜しまない小さな王妃様に彼は惚れっぱなしである。

大切にしたいのも本心で、だがしかし悲しいことに同時に彼も生き物だった。

だってアンナは愛らし過ぎる。

昨日だって、エドヴァルドの大きな手のひらに頬を寄せて幸せそうに微笑む彼女に込み上げるなにかを必死で我慢していたのだ。

それでも彼女に負担をかけまいと、清純無垢な妻を穢すのは憚られると、一生懸命堪えてきたのだ。

だがしかしアンナからOKが出た今何を迷うことがあるのか。

彼の欲は言っていた。

今夜は絶対セックスしたい、と。






「アンナ」

「エドヴァルド様」


夫婦の寝室という名の絶対不可侵の領域で、ふたりは向かい合っていた。

ばちりと視線が合うと、互いの面持ちに緊張が走る。


「何と言えば良いのか…。その、ヘルガから聞いたぞ。すまなかった」

「とんでもございません!自儘な妻をどうかお許しください…。もちろんエドヴァルド様がお嫌でなければの話にはなりますが」

「嫌なことなどあるわけがない!」

「なんと…!」


その漢らしい宣言に、アンナは感涙の涙をぐっとこらえて口元を抑えた。

続いてエドヴァルドを鋭い視線で見据え、寝間着の上衣を勢いよく脱ぎ捨てる。


「ありがたきお言葉!さあどうぞお願い致します!!」


ふたりの間にカーン!と激しくゴングが鳴った。

(な、何か違う…)

こんなにも可愛らしいはずの妻の姿に一瞬、試合前の厳つい格闘家が重なったことはそっと心の内に仕舞う。

気を取り直し、エドヴァルドは彼女のそのさらりとした髪に手をかけた。


「ん…」


ゆっくり数回唇を重ねて、その小さな口を大きな舌で抉じ開ける。

それでも控えめで緩慢な動きが、牙でアンナを傷つけまいと細心の注意を払うエドヴァルドの優しさを物語っていた。

彼女から苦しそうな息が漏れたことを察し口を離す。


「はっ…」

「……っ」


目の前には頬を上気させた愛しい互いの顔。

ああなんと幸せな行為であるのかと、ふたりの頭は例えようのない幸福感でいっぱいになった。

今までエドヴァルドがアンナの額や手の甲にキスすることはあっても、口に、さらにここまで深く繋がることはなかった。

初めての接吻である。

接吻、キス、口付け。

大事なことなのでもう一度言うが、彼らが今行った行為はそれ以上でもそれ以下でもない、単なる接吻である。


「…エドヴァルド様」


酸欠のせいかふうふう息をしながら、アンナが彼の手のひらに顔を寄せる。

そしてとっても嬉しそうに、頬を真っ赤に染めて言ったのだ。


「ふふ。これがセックスというものなのですね」

「ああ。そう、」


(……ん?)

その純粋な笑顔に思わず肯定しかけて、エドヴァルドが我に返った。

ついでに次の段階に行くために触れようと伸ばしていた指先も止まった。


「これで名実ともにわたくしはあなたの妻ですね」

「ん!?」


さて。

人間の国ではアンナのような王女達は潔癖なまでに純潔であることが求められる。

大切に大切に深窓に囲われ外部の男性や俗物から切り離され、それこそ赤ん坊はキャベツ畑から生まれてくるのだと教えられるのだ。

もちろん結婚しても何も知らないままは困るので、婚約が決まった後に房中術を教える指南役、アンナの場合は乳母であったがその役目を担う者はちゃんと居た。

だがしかし乳母はそれどころではなかった。

実の娘のようにいたく可愛がり大切に育て上げたこの純真な王女様が、得体の知れぬ蛮族に嫁に行く。

それが人間であるならばいざ知らず、相手は全く違う種族。

一体どんな酷い仕打ちがこの娘を襲うのか、それを想像しただけで乳母は胸が締め付けられる想いだった。

これが共寝だと言われながら食べられてしまうかもしれない、ひたすらに性欲の捌け口とされる奴隷のような暮らしが待っているかもしれない。

女性としての幸せを知らぬまま死ぬ可能性もある彼女に、人間同士の愛ある営みを語ることは憚られたのだ。

こんな筈ではなかった、そう啜り泣くアンナの姿を思えば教えないことの方が幸せであると彼女は判断してしまった。


「あ、アンナ…?」


そのことがまさか今、こんなにも魔族の王を追い詰めることになるだなんて予想だにせずに。

今のアンナはさすがにキャベツ畑のくだりは信じてはいないが、おしべとめしべの話は半端な知識しか持ち合わせていなかった。


「ふわふわして温かい気持ちになって突っ込まれて、セックスとは小耳に挟んだ通りでしたわ」

「えっいや、ちが、突っ込むのは舌ではなく口でもなく、」

「初めては痛いものであると聞いたこともありました…確かに呼吸ができず苦しくはありましたが、ちっとも痛くありませんでした!」

「いやだからこれには続きがあってだな、」


初めて「セックスなるもの」をした喜びでアンナはそれどころではない。

一生懸命否定しようとする旦那様を、手を合わせ振り返った。


「これはきっと…エドヴァルド様がお上手だからなのでしょうね!」


アンナの瞳は溢れんばかりの尊敬の念できらきらと輝いている。

ああ一体どうして、この笑顔を前に否定の言葉など並べられるだろうか。

だからエドヴァルドは後先考えず、この先1ヶ月は頭を抱えることになる一言を咄嗟に口にしてしまうのだ。


「ああ、我にかかれば容易いことだ」


非常に非常に困ったことに、とんでもなく不幸だった筈のこの結婚は、厄介なほどの幸福に溢れているのである。


「ふふ。致すとお慕いする気持ちが高まると言う噂は本当ですね」

「ああ全く…。苦しいくらいだ」


大きさも形も色も違う手をきゅうと握り合って、今日も今日とてふたりは仲良く眠りにつく。

今夜もやっぱり、セックスはできない。

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