ペリカン

韮崎旭

ペリカン

 私は静かな夜の湖畔でこれを書いていた。ガス室の喧騒がまるで嘘のように、すべては市のような平穏に包まれていた。そして死んだ白鳥のように、月はあたりの落葉広葉樹林を照らした。私には片付けるべきものがあり、

「白菜」「電信」「候補地」「ヘマトクリット値」

 などの走り書きが至る所に散在していた。信仰はとうにすたれて久しく、そうしてみじめさを忘れたまま、ドライブインで伸びたラーメンをすすっているのだろう。自動販売機の賞味期限は、誰にも知られることがないし、文法の出会いは喜劇的な結末をたどった。そうして懐かしむ。「我々もまた白骨だった」。

 侵襲的な陽光を遮り、感情語を可能な限り排除する。世l草生に浮かぶ無数の惨殺は、うたかたのようにはかなく、淡く、そして夢見る瞳を持つ。それからうんざりした様子でバスを降りると、近年のもの知らずの悪化を思い知らされたのが、「記念病院前」のバス停留所で、私はこれほどまでに、糖尿病が社会問題化していることを初めて知った。新聞をもう何か月も読んでいなかったために、すっかり異邦人のようになっていた。

 

 圏内の多幸感や麻痺、知らされない毒草の現世。触れることを恐れるほどそれらは硬質な輝きをもち、私はフライパンで生卵を加熱した。どこからか聞こえる音がない、死んだような湖畔で、この安息を乱さぬよう、途切れさせぬよう、私自身の過誤なきよう、陶酔に似た冷たさに浸り、眺める先には空白と無が、凱旋する。

知らぬまま、時に怠りまた忘れ、沈んでゆくのは誰もいない場所。

 せめてその地で描け、鮮烈を、それからまたは宗教画にも似た憧れを。フクロウとホトトギスも、ここでは沈黙する。うるさいのは、私だけ。

 より一層の清澄をたたえた湖に魚影はなく。破棄と荒涼の涯の充足が時を占める。

知らせることは病むことだ。聞かず着飾り、見知らぬ名前を手に入れる。踊る足どりに一貫性はなく、書き損じの手紙ばかりが積み重なり、望んだ失格であることを常に自覚する羽目になる。

「ユディト」「絢爛」「此岸の瘴気」「アラスカ州」

 といった走り書きもまた、どこかしらには隠れているように、私の名前を教えてほしかったのだろう。

 たたずむ鳥は剥製だ。死体の苑(その)でえる安寧に、医者の助言を犬に食わせたことを改めてよい判断だったなどと考える。この虚無的な休暇に、果たして狂気を無理に手放す櫃夜があろうか? それは私の皮膚のようなもの、私になじんで離れないもの、私を構成し、私を判別するもの。

 放置された観劇の合間に、ガラスの目は優美にほほ笑む。その目の在り方を得たいと願う私は、誰とも知れぬ白骨(教材用の標本として購入)に親し気な問いかけをする。

「重油に沈んだ生活は、明瞭な墓場であるか?」


 帰ることはない。

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ペリカン 韮崎旭 @nakaimaizumi

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