第2話


――そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

ヨハネの福音書8章32節


第2章・快楽の奴隷、反抗の美学


クスリ……クスリさえあれば、この絶望感、うめき声が出るほどの虚無感から抜け出せるのに。クスリが無い。クスリが。自分を解放と快楽へと導いてくれる唯一の手段。この狂った現実から逃避させてくれる唯一の方法。それが、クスリ。

絶望、絶望、ただ絶望。希望がどうのという奴には今すぐに僕のこの抱えている圧倒的な闇を、そいつの心の中に擦りこませてやりたい。そうすると、きっと誰でも押し黙るだろう。

部屋中をひっくり返してクスリを探す。なんなら世界中をひっくり返してでも欲しいぐらいだ。安定剤でも睡眠薬でも一錠でもあれば少しはマシになるかも。ゴミ箱を必死の形相で漁る。――処方箋 瀬上良太様 と書かれた白い処方箋の袋が見つかる。すぐさまぶっ裂いて、中身を確認する。中からシートが大量に出てくる。銀色のシート。ハルシオンだ。耐性が付きすぎていて1錠ぐらいじゃ何も効かないかもしれないが、1錠でも飲めば今の0・1ミリぐらいはマシなるんじゃないか。

しかし全て空だ。他のシートも念入りに確認するが全て空。

コンビに行って2,300円で酒でも買うか。いや、その金さえも既に無い。

なんだ。どうしようもないじゃないか。完全に詰んだ。

この現実から逃れるためには……死?いや、シラフで死ぬ勇気なんて無い。

友達にかたっぱしから電話をかけてみるが、誰も僕のコールを取らない。メールの返事も無い。時計を観ると深夜3時15分。当然と言えば当然の時間だ。

時間が経つのが遅い。遅すぎる。窓から外を見ると真っ暗な夜。所々に、光。しかし僕の心はまっくらだ。闇、深淵、お先まっくら。

「……クスリが無い」

と悲痛な声を出してみるが、そんなことをしても意味は無い。気は休まらないし誰も聞いちゃいない。

マザー・テレサが「人間の最大の病は孤独だ」と言っていたが、とても分かる。俺にも救いの手を差し伸べてくれよマザー。だが、マザーは日本にいない。

生命を維持する分にはなんとか問題無いが、虚無という名の化け物に、いつも僕の心は喰われてしまい、心が空っぽだ。空心状態とでも言おうか。死んだほうがマシという気持ちにさせてくれるが、やはり死ぬのは怖い。

クスリが、無い。クスリが。声を押し殺し、声にならないかすれた打ちひしがれた声で叫ぶ。どうしよう、どうしよう。ダメだ。独りだ。

悲劇を気取って自分に同情する余裕さえ無い。頭を抱え、うずくまり、ただ虚無という化け物、孤独という病魔が過ぎ去るのをひたすら待つしかない。

今は『刻一刻と時は刻まれる』というのはせめてもの救いかもしれない。

僕にはこの全ての人間が持って産まれた不治の病魔を克服する術はクスリによって現実世界から遠ざかるか、あるいは誰かとバカ騒ぎをするか、それとも女性に寄り添う以外に解決策を知らない。僕は人の何倍も孤独や虚無という存在に敏感だった。

どうして僕はこんなにもロクでもない人間なんだろう。

眠れない夜、深々と椅子に座りながら、だらんと、手足を垂らし、意味もなくパソコンのモニターを死んだ魚のような目で見つめながら、ただひたすら時が過ぎるのを待つ。

人生とはこの、いつから育ってきたのか、確実に膨らんでいく憂鬱、虚無感と孤独を埋めるための戦いなのではないだろうか。それが人生?一体生きている意味ってなんだ?どうせ死んだら終わりじゃないか。死んだらそれまで。

僕は苦しむために生きているのか?人生はあまりにも辛い。あまりにも孤独。まるで苦しむために生きているようだ。人はお互い、一生分かり合えることはないだろう。

 例えドッペルゲンガーが現れようと、それは自分と全く同じ形をした他人だ。

ということはこの世界には70億人いれば70億人の孤独があるということだろうか。恐ろしい。身の毛もよだつ出来事だ。これが人生?何故?

――何故、僕はここにいて、どうして生きている?

ここにいる意味は在るのか?何故産まれた?僕は偶然に産まれたのなら偶然に死んでいく。偶然の世界に意味など微塵も無い。意味が無いのなら何故生きる?それは死ぬのが怖いからだ。死ぬのが怖いから生きているのか?しかし、いずれ死ぬじゃないか。ならば、ひたすら楽をして気持ちの良いことを求めて生きよう。どうせ死んだら偉い人も悪い人もみんな一緒、墓の中。僕の浅はかな人生哲学だ。尽くす。快楽の限りを。そして反抗する。このつまらない意味の無い無慈悲な世界に。それが僕の使命。ここにいる意味は在るのか?何故産まれた?偶然だろう?

僕は偶然に産まれたのなら偶然に死んでいく。偶然の世界に意味など微塵も無い。意味が無いのなら何故生きる?それは死ぬのが怖いからだ。死ぬのが怖いから生きているのか?しかし、いずれ死ぬじゃないか。ならば、ひたすら楽をして気持ちの良いことを求めて生きよう。どうせ死んだら偉い人も悪い人もみんな一緒、墓の中。僕の浅はかな人生哲学だ。尽くす。快楽の限りを。そして反抗する。

このつまらない、意味の無い、無慈悲な世界に。それが僕の使命。


8歳

「なんでこんなことしたん!」

母の財布から毎日1000円足らずを抜き出して、庭のブロック塀の下に隠していた。母の怒鳴り声は鳴りやまない。

「なんでこんなことしたか聞いてんの!なんで一言も口きけへんの!」

母の怒鳴り声は続く。

なんで?何故だろう。分からない。ただ悪いことがしたかった?スリル?お金はいっぱいあったほうがいいから?バレなきゃ何をしてもいいと思っていた?

理由はたくさんあるかもしれないが、分からないし考える気も無いし、何も言う気はない。ただ僕には罪の意識なんてものがその時全く無かった気がする。

 バレなきゃ何をやっても一緒だという思いがあった。


10歳

「なんでこんなことしたん?」

スーパーの薄暗い別室に店員と僕を含む子供3人と先生と母がいた。

戸惑いと驚きと疑問と不安がごっちゃになったような顔で母が聴いてきた。その顔を見ると少し胸が痛んだ。

なんで?万引きはスリルがあって楽しいからだ。そしてタダで食べたいものが手に入るからだ。他にはなんだろう。分からない。とにかくスリルがあって楽しくて、バレなきゃいくらでも好きなお菓子が食べられる。僕の欲の全てを満たしてくれるからしたのだと思う。それに、なんだか寂しさが埋まる気がする。

 僕は昔から悪いことをしてバレた時に、口を貝のように閉ざす癖があった。

事が過ぎるまで一言も喋らないのだ。一言も喋らない僕に苛立って母の声が大きくなっていくのがいつものことだった。

 一言も喋らないというのから思い出すことがある。僕は全くねだらない子供だった。「あれ買って」なんて言ったことが無いかもしれない。

少しさかのぼって7歳ぐらいの頃に、食卓に並べられた料理の中で父のメニューに明太子があった。僕はその明太子が非常に美味しそうに見えた。しかし僕は

「それちょうだい」とは絶対に言わない。何がなんでも「それちょうだい」なんておねだりをしないと決めていた。何故だろう?昔から、おねだりをするのが嫌だった。子供っぽいから?断られたくないから?そうだ。たぶん断られたくないからかもしれない。そして子供らしい振る舞いをあまりしたくなかった。

今思い出せる範囲で、あの時の思いとしては「あの食べ物は大人が食べるような物だから子供がねだると滑稽に思われるかもしれない」という思いが強かったような気がする。

だから僕は明太子をジィっと見て訴える。「それが欲しいんだ」と。

父は呑気に明太子を箸でつつき、小さく切って、ひょいと口に運ぶ。気付け。気付けと念を入れていると父が明太子を睨みつけている僕に気が付いた。

「これ欲しいの?」と父は聞く。しかし僕は首を横に振る。

「欲しいの?」と聞かれて「うん」と頷くのが嫌だった。それは恥ずかしいからだろうか。子供らしいのが嫌だからだろうか。おそらくその両方だろう。

父が強引に明太子を僕の皿に入れてくれたら良い。そうしたら僕は気兼ねなく明太子を食べることが出来る。しかし、首を横に振った僕を見て父はまた呑気に食べ始めた。僕はひたすら明太子を睨みつけて訴える。これだけ睨んでいるんだから食べたいってことに気付け。そして「欲しい」と言えないことに気付いて強引に皿に入れてくれと思った。父はまた聞く。

「欲しいんでしょ?」しかし僕は頑なに首を横に振る。

なんてことがしばらく続いて、結局父は最後の一切れを自分の口の中に放り込んでしまった。失望と落胆の中、僕は泣き始める。「なんだ結局欲しかったんじゃないか。どうしてほしいんだよ」と、父と母はこんな僕に戸惑い、呆れ果てていた。

どうして万引きをしたのか。僕にもその理由が良く分からない。良く分からないから聞かないで欲しい。でも謝りはしない。僕は親に何かをしてほしかった。でも何かは分からない。ただ、もう怒られるのは嫌だから万引きはしなくなった。


十二歳

9歳ぐらいの時に父と母は離婚した。12歳の頃、劣悪な家庭環境だったかもしれない。兄も母も義理の親父も僕も、みんながみんな、どんどん不仲になっていった。この頃から兄とは全く会話をしなくなった。学校から帰ってくると、家の中には誰もいない。僕は鍵っ子だった。しかしその誰もいない、ということは険悪な雰囲気の無い家に安堵した。そして友達と遊びに行く。

帰るのが嫌だった。無言の食卓。家のことと仕事の両立は難しいのだろう。母はヒステリックになっていた。僕は家に居たくなかった。家に居る時は部屋に閉じこもり、インターネット、ゲーム、映画という架空の世界に入り浸っていた。リアルはとにかく陰鬱だった。

学校の担任の女の先生が怖かった。生徒が間違ったことをした時は怒鳴る。とても怖いが良識のある先生だった。一度怒りだすと怖くてみんな震えていた。

僕はある時何かが吹っ切れた。その先生が何かの理由でみんなの前で怒鳴っている時に一言。

「うるせぇ」

シィンとなる教室。血の気が引いていくクラスメイトの中、僕だけは高揚感があった。何故それをしたのか。ただ大人達の思い通りになりたくなかった。思い通りにさせはしない。僕には従うか、反抗するか、選ぶ自由がある。

僕はその時初めて権力に対して反旗をひるがえしたのだ。といえばかなり大袈裟だが。しかし僕にとってはそれほどの革命的なことだ。それからというもの、事あるごとに反発の声をあげていた。大抵のことは一度やってみると恐れはなくなる。

『反抗する』というのは僕にとって最高に恰好良いことのように思えた。以降、

『反抗する』というのは僕の人生における一種の美学となる。


十四歳

「世界は何処から来たの?」

この一節から始まる当時大ベストセラーとなった、哲学入門書と呼ばれている『ソフィーの世界』という小説を読み、哲学という学問の虜となった。

そしてもう一つ僕を虜とさせるものがあった。それはロックだ。このジャンルの音楽は僕のハートを鷲掴(わしづか)みにした。その中でもパンクロックが好きだった。パンクロックとは七十年代のロックの一つで、理不尽な社会の問題点を突いた反体制の歌詞が特徴の音楽である。社会に反発するという姿勢に酔いしれていく。強い者が美酒を飲み、弱い者が泥水をすする。そんな社会に反発をする。理不尽で、つまらなく、意味の無い、無慈悲な世界に対する反発。嗚呼、権力に対して反抗するというのはなんて恰好良いのだろうか。ちっぽけな自分が何者かにでもなった気分になる。それは僕にとっては正義でもある。理不尽に苦しめられる一般市民が権力を行使して圧制を虐げる権力者に対しての戦いだ。歴史というのはその戦いの繰り返しだ。

とはいっても学生運動のように何か革命的な運動をしたりするわけでもない。僕にそんな気力は無いし、人のために何かをするわけが無い。ただそういう精神をもって、自分の目の前に現れる、少しでも理不尽と感じる権力に反抗するだけである。目の前の敵を殴り飛ばす。そしてパンクロックの音楽をガンガン聴く。それが僕のちっぽけな、浅はかな反抗。


十七歳

「自分の居場所はここじゃない」

高校がわずか半年で留年が決定したので自主退学をし、バイトをしながら自分探しの旅のブームに乗っ取り、僕も自分の道なるものを探すことにした。自分探しの旅。しかしそれはただ単にたくさんの面倒臭いことから逃れるための言い訳に過ぎなかった。

朝早く学校に行き、授業を受け、宿題をし、テスト勉強をするのに苦痛を感じていただけだ。何故こんなことをしなければいけないのだろう。学校を卒業して、就職をして、サラリーマンとして生きていく、そういう平々凡々とした生き方を想像しただけでたまらなく嫌になる。虫唾が走る。敷かれたレールに何も疑問も思わずに、ただ「はい、そうですか」と歩んでいくような生き方、僕には耐えられない。

僕は他の奴らとは違う何者かになりたい。人生は確かに意味が無い。しかし、この世に産まれた限りは何かで有名になりたい。特別になりたい。何かを極めたい。何かで名を残したい。足跡を残したい。脚光を浴びたい。自分の存在を認められたい。自分が脚光を浴びるならこの孤独や虚無から抜け出せると思った。しかし何をしても続かない。僕にとって、何をしたいのかは問題ではなかった。ただ、何かで有名になりたかったのだ。認められたい。

回転寿司でバイトをしながら、ボクシングジムに通い続けた。

「プロボクサーになって世界チャンピオンになろう」

本気でそう思っていた。毎日一生懸命練習した。死ぬほど縄跳びを飛び、走り、サンドバッグを殴り続けた。

ある日、中学の時の同級生とスパーリングをすることになった。初のスパーリングだった。僕は自信があった。今まで誰よりも練習してきたのだから。しかし、パンチが僕の顔面を捕らえた時、一瞬衝撃のあまり訳が分からなくなった。

続けざまに何発か喰らい、そのままダウンしてしまった。とても屈辱的だった。

その日を境に少しずつジムから遠のいていくことになる。バイトも辛くなってきた。何が辛いかというと、人間関係だ。怒られるのが怖かった。出来ないやつと思われるのが怖かった。「ここはどうしたらいいんですか?」と聴くのだけでも怖かった。

とにかく色んなことが怖かった。そしてそのうちバックレることになる。僕の初めてのバックレ経験で、これから何十というバイトをバックレていくことになる。

その後、何かをきっかけに家出をし、ホストの寮へ入りこむが、酒が飲めない僕は毎日飲めない酒を浴びるほど飲まされ途中から嫌になってくる。当時の彼女の説得もあり、家へ帰宅。新聞配達をするようになる。大学に行くことを目指し、家庭教師を雇ってもらい勉強をするが、母に怒鳴られたことをきっかけにまた家出。

わずかな金持っていざ東京へ上京。などとヒップホップなノリで言ってみたが、思い出しても本当に恥ずかしいことばかりである。

知り合いの家にしばらく泊り、バイトを探すが「飯を食いにいこう」と言われ、外に出て歩く。途中で大きな橋を歩いていると前方から母と義理の親父が。騙された。

義経でも二人の弁慶を倒せるだろうか。などと意味不明なことを考えて現実逃避をする。そしてまた帰宅。

「このままでいいのか」「何をしても駄目だ」という劣等感と焦りと葛藤で、僕は常に苦しみ悩んだ。

「僕はきっと、他のみんなと違う何者かのはずなのに」


一八歳

映画や漫画や音楽のドラッグ・カルチャーの影響で、ドラッグは反社会的でクールで格好良いと思った。それにドラッグをやることによって、さまざまな幻覚世界に行き、酒では到底味わえないほどの快楽があるとインターネットや危ない雑誌や知人を通して知った。当時流行っていた危険ドラッグの元祖であるマジックマッシュルームに手を出す。他にも睡眠薬等でもトべると聞き、鬱と不眠を口実に(本当鬱不眠だったのだが)精神科へ通うようになる。

それを境に多種多様なドラッグに手を出すようになっていく。

常に反社会的な生き方を目指していた。そう生きるべきだと。社会のはぐれ者として生きるのが自分にとって最高にイカした生き方だと。それが僕だと。僕は、前へならえはしない。社会の歯車にはならない。

しかしこのままでいいのだろうか。何かしないと。自分の居場所を探さないと。自分の希望を。自分の人生を。ネットの広告費で稼ごうと友達とチャットや掲示板を主体としたサイトを立ち上げるが、それも断念。友達と服屋を経営しようと志を立てるがそれも断念。断念、断念、また断念。一体僕は何をやっているんだろう。

いったいぜんたい僕という男はなんなんだろう。


十九歳

京橋に住んでいた親父の家に移住し、そこで新聞配達をしながら通信制の高校へ通うことにした。当時そこには兄も住んでいた。兄との仲は少し離れていたおかげか幾分かマシになっていた。たまに危険ドラッグの影響でマンションから飛び降りようとし、兄と親父の二人がかりで止められて救急車を呼ばれたりしたこともあった。

飲めない酒を飲み、酔いつぶれて、ドラッグをしながら若い娘を引っかけて、セックス・ドラッグ・ロックンロールと歌い、叫びつつ人生の暇を潰す。

しかし、果たして僕はこのままでいいのだろうか。いいわけがない。いいわけが。

約二年半、類型二十万部目ほどの新聞をポストに無造作に入れた後、感じた。

「自分の居場所はここじゃない」


二十一歳

何か技術を得て就職したいというのを口実に、神戸のコンピューターの専門学校へ入学することにした。しかし本当のところは、一人暮らしをしたかっただけである。親から離れてもっともっと好き放題したかったのだ。だが就職したいという思いは本当にあった。親に学費と生活費の全てを出してもらうという親不孝さながら、初めはまともに専門学校へ通学するが、ビジュアル的にも、考え方も趣味趣向もあまりにも他の生徒と違う僕は、学校に馴染めなかった。最初のほうは頑張って真面目に取り組み、成績も優秀なほうだったが、理系が苦手なうえに中卒以下のレベルの僕は徐々に遅れを取り始める。半年後程には自分がいかにプログラマーに向いていないのかということを思い始める。

そして最初の伝説のハッカーになりたいという情熱も消えていくことになる。


二十二歳

専門学生一年の頃は情報処理(IT)の学科にいたが、ある時にある有名な監督のダークでグロテスクかつハイオクリティでずば抜けたセンスを持つプロモーションビデオと出会い、衝撃が走り、映像作家となることを志す。そのため二年生の頃にCG学科に編入することになる。主に3DCGを制作することをメインとしているのにも関わらず、僕はビデオカメラで撮った映像を編集した芸術気取りの気味悪い作品ばかり課題の時に提出していた。もちろん評価に値しない。ただ、ある一人の先生とある一人の成績が最も優秀な学生、そして学校以外の友人は認めてくれていた。幾つかのコンテストに応募をし、受賞もした。『アート色の強い映像作品八作品』というコンテストでそのうちの一作品として受賞し、六本木の麻布十番のカフェで上映されたりもした。他にはブロードTVだかなんだかのテレビの7秒間のオープニング映像に使っていただいたこともある。僕の唯一の輝かしい実績である。

しかし、映像作品の課題を大勢の生徒と先生の前で発表した時、

「アースティック気取り。商業ではとても使えない。自己泥酔している作品」などと先生たちから酷くバッシングを受けた。打たれ弱い僕は酷く落ち込み、次第に情熱は消えていく。そして僕が夢を諦めたことにより、当時付き合っていた、夢を追っている僕を応援してくれていた彼女とも別れることになる。

自分の作品が世に出ないと生きている意味が無い。僕は僕の存在を精一杯この世界に証明したいのだ。認められないと。認められないと。そうでないと僕は消えてしまう。僕は無になる。焦燥感が押し寄せる。感じた。

「自分の居場所はここじゃない。」

専門学校を自主退学し、神戸の三ノ宮でバイトをしながら暮らすようになる。何をやっても続かずバイトを転々とし、有名になるためにという名誉を欲する思いで何かに挑戦してはすぐに挫折する。そして挫折をして、思い出す。

働かず、楽をして、快楽を得ることが自分の一番の生き方じゃないか。快楽主義。それこそがこのクソッタレの世界での僕の生き様だ。

そのうち、違法な商売に手を出しはじめる。楽をして快楽を得るとなるとやはり最終的にグレーな仕事、違法な仕事へと手を染めるところに先は行き着く。タバコを吸って、若い女性をひっかけて、飲めない酒を飲んで酔っ払い、ドラッグでラリって喧嘩をして、違法な仕事をして社会に、人に迷惑をかけて生きる。そして人の迷惑を顧みずパンクロックを爆音で聴く。それが格好良いと思っていた。最高にイカしていると。そしてそれはこの世界に対してのちっぽけな反抗でもある。

しかし、快楽の限りを尽くせば尽くすほど、えもいわれぬ絶望的な気持ちが僕の心を支配していく。虚無という化け物はいつも僕がシラフになるのを狙っている。

女と遊んでいるときはいい、酒を飲んでいるときはいい、ドラッグでラリっている時はいい。しかしいざ一人になると、いざ、酔いが覚めると、いざシラフに戻ると、いざ現実に戻ると、得体の知れない底知れぬ不安、恐れ、巨大な絶望感が僕の背後から押し寄せてくる。憂鬱などんよりとした真っ暗な何かに支配される。『それ』はただひたすら無情であり冷酷であり残酷だ。この世に悪魔がいるとするならば、まさにそれこそが悪魔。僕の背後にはいつも地獄があった。決して振り返ることは出来ない。いつも僕の心を廃墟にして砂漠化をする。そしていつか、殺される。泣いても叫んでもその状況は変わらない。

だから僕はそんな現実から逃避するように快楽を求める。僕は奥歯をガタガタさせながらドラッグを乱用し、爆音で音楽を聴き、友達とバカ笑いをしてやり過ごした。しかしそのうちに、快楽を味わっている最中にもその空虚感は押し寄せてくるようになる。女性とイチャついているその後ろに虚無という化け物が僕の肩を叩いてくる。その虚無を感じたくないがために、僕は後ろを振り返らずに、気付かないフリをして一心不乱に快楽に耽る。馬鹿騒ぎをして、その空虚感を無かったかのように振舞う。気づかないフリをひたすら決め込む。それしかなす術が無い。

しかし快楽の限りを尽くせば尽くすほど、現実に戻ったときに押し寄せてくる『それ』は激しさを増す。

僕にとって現実とは無味乾燥も良いとこ、まるで何も無い空白だった。味のしないガムをひたすら噛み続けるような苦痛だ。そんな現実が嫌で、今自分がいる場所から逃げるように全く別の自分のことを誰も知らない新しい地へといつも旅立った。

だが、それはただの現実逃避だ。現実逃避だということに僕は気付いていなかったのかもしれない。気付いていたのかもしれない。分からない。とにかく無我夢中だ。そして今回もたまらなく嫌になり、誰もいない地へと旅立った。僕はいつも自分の居場所を探していた。自分の居場所が見つかりさえすればきっとこの虚しさも無くなるはずだと思っていた。虚無という化け物も手を引くはずだと。


二三歳

「自分の居場所はここじゃない」

友達からキャッチの仕事(女性に声をかけて水商売や風俗を紹介する仕事)を紹介してもらい、そこの寮に移り住んだ。ゴキブリが我がもの顔でうろつき、トイレは和式を無理矢理改造した、改造しなかったほうが明らかに良かった様な悲惨極まりない洋式トイレ。たまにトイレの水が溢れかえり、汚物がトイレから這い上がってくるという壮絶な状況となる。隣の部屋からは外人がバカ騒ぎする。夜中に良く誰かが喧嘩をして警察沙汰となるような環境だ。僕は酔っ払い、みんなを笑かせるために半裸で近くのスーパーへ行ったりする。

そうしてしばらくミナミの歓楽街でキャッチをしながら暮らす日々を過ごす。驚くほど悲惨な寮で、完全歩合制のため最初のうちは微々たる給料で生活する日々だ。

 一日一〇〇円マックとスーパーの試食品で生活するような悲惨なライフスタイル。タバコもシケモクを吸う日々。たまに飲み会で上司に無理矢理飲まされる酒。

 泥酔している僕を見世物にする。「脱げ」と言われ全裸になる僕を上司たちはバカ笑いし、そんな僕をある者は哀れみ、ある者は蔑む。僕はピエロになるのが得意だった。ドジで心が弱い僕はすぐに笑われる。笑かすのは好きだったが、笑われるのは嫌だった。笑われる度に僕の心はナイフで刺されていた。

自分がドジをしたり、弱いのを見せて笑われる前に笑わせる。自分の心を守るための生きる術だ。

先輩にはこき使われる。殴り合いの喧嘩をし、馬鹿騒ぎをして嫌なことを忘れようとする。バカにされ、けなされ、バカにし、けなす日々。道徳の欠けらもない言動を繰り返す日常。まさに社会のアウトロー。社会の底辺。

キャッチを取り締まる刑事の目を盗んでは、女性に声を掛けて携帯番号を教えてもらう。刑事が来たらすぐに逃げる。そして嘘八百並べて女性に店を紹介する。もしくは仲良くなり、恋心を持たせて、店で働かせる。金さえ入るのならどんな手を使ってでも女性を風俗で働かせる。初めのうちはそれでも刺激があり、そこそこ楽しい。そしてアウトローで社会から外れている自分がイカしていると思っていた。

しかし、しばらくするとまた虚しさが押し寄せてくる。虚無という化け物が僕を見つけたのだ。そして傷付けあう人間関係にも疲れてくる。

騙して、騙されて、罵って、罵される。

見下して、見下されて、傷ついて、傷つける。

僕たちは殺しあって生きている。他者を蹴落として生きている。

僕は元々繊細で傷つきやすく、強がっているように見せてとても臆病なのだから無理をして、痛みに鈍感で強く振る舞う姿は痛々しいことこのうえなかった。


二四歳

「自分の居場所はここじゃない」

悪友の栄光(しげみつ)の車で夜逃げするかのごとく、寮から布団と色々な雑貨類を盗み、その時付き合っていた彼女の家へ転がりこむ。鬼のようにコールが響く携帯を着信拒否し、責任逃れで笑いながら何事もなかったかのように振る舞う。何のことは無い。変わらずにいつもの僕だ。

当時付き合っていた悪友の栄光(しげみつ)と頻繁につるむようになる。

ちなみに、栄光は僕が更生して、大阪に戻って来て神学校へ入学し、神学生の三年の時に薬物依存症でティーンチャレンジ(僕が後々入ることになる更生施設)に入り、僕がインターンの時代に栄光は生徒だった。

当時僕の対人関係は彼女も友達もほぼ一年以内に破局していたが、唯一続いていた友達は栄光と、共に犯罪を起こした共犯者の友達と、不倫をしていた女性だった。 

今も続いているのは栄光だけで栄光とは二十二歳ぐらいからの付き合いだ。かれこれ八年間付き合っている。ちなみに栄光はクリスチャンだったのだが、教会から離れてヤク中になっていた。僕は宗教を信じる人間を寒気がするほど嫌っていたので「神なんかいるわけねーだろ。いいか、宇宙というのはだな、人間は猿から進化して……」とたまに栄光と論争をしていた。クリスチャンが世界一嫌いなのに、何故クリスチャンの栄光とだけ関係が切れなかったのかも謎だった。

ちなみに、どうして僕が人間関係において、すぐに破局をしていたのか?その理由は今から語る、一つの一日を通しての出来事を話せば十分だろう。

ある日、同棲していた彼女に「仕事を捜す」といつものように嘘を吐き、いつものように栄光の家に遊びにいった。駅で栄光と遭遇し、栄光は原付きで寄るところがあるとのことで、栄光から鍵を借り、僕はそのまま先に栄光宅に行った。仕事を捜すのに金髪だと雇ってもらえないと思い、黒染めをしようと考え、栄光の家の風呂場を勝手に借りて黒染めをしていると、当時、栄光と同棲をしていた彼女が帰ってきて、風呂場にいる僕を見て軽く悲鳴をあげ、栄光に電話越しに

「風呂場で勝手に黒染めしている人誰なの」

と怒っていたが、気にせずに黒染めを続け、風呂場から出て下卑た笑みを浮かべながら彼女に謝る。

その後、栄光宅にてドラッグでラリっていたが、中々栄光が帰ってこない。すると栄光から電話がかかってきて

「人と衝突事故を起こして警察にいるから帰るのが遅くなる」

とのことだった。馬鹿じゃないのか、あいつと思った。しばらくして栄光が帰ってきて、家の中でいつものようにドラッグパーティをする。栄光の彼女が大切にしていたタオルを勝手に僕に使われて、黒染めした後に髪の毛をそのタオルで拭いたから真っ黒になって台無しになったと怒っていたが気にせずにラリっていた。

夜中に食べ物が欲しかったのでコンビニに行くと言い、そのままコンビニに行った。しかし、一向に僕が戻ってこないから栄光はどうしたんだろう?と思ったけど、、面倒くさいからそのまま寝た。彼は彼で酷いのだ。類は友を呼ぶ。

朝、携帯の着信音で栄光は目を覚ました。電話に出るとマンションの管理会社からで

「昨日の夜中に、部屋の住人から、誰かがインターホンを押して栄光の部屋は何処ですか?と訪ねてくる人がいて困っているという苦情がたくさん来ました。そういう悪戯をされると困ります。出ていってもらいますよ」

と怒られたらしい。栄光はまさかと思い、焦って下に降りていくと、マンションのホールにあるソファーにて、ドラッグでラリったまま泥のように眠っている僕がいたらしい。僕を起こして、

「おい、何してんねん」

と栄光が僕に言うと、僕は

「お前の部屋の番号何処かわからんようなってんからしょうがないやろ」

と言ったらしい。らしいというのはこのことを僕はあまり覚えていない。

どうだろうか。こんな僕とお友達になりたいだろうか?こんな僕を愛してもらえるだろうか?愛しますだって?いや、無理だ。言うの思うのも簡単。体験してみて初めて気付くのだ。「こいつは無理だ、救いようのないクズだ」と。

いや、話を聞いただけでみんな「無理だ」と思ったかもしれない。

そんな僕だが、『楽して金を得る方法』が完全に閉ざされてしまい、仕方なく仕事を捜し始めた。捜し始めたといっても、栄光と遊んでいるだけで全く探す気力は0である。しているフリだ。しかし、そのうちとうとう金が尽きてしまい、彼女に

「どうするの。明日の食事代も無いよ」と責められる。 

どうするもこうするも、どうしても駄目だ。典型的なダメ人間。働く気も無く、お金も無く、希望も無く、全てが面倒臭くなった。彼女と一緒に派遣の仕事に登録し、しばらくすると仕事が決まった。朝早く置き、彼女に作ってもらった具無しカレーを持ち、その時は仕事に行こうと決めて外に出た。しかし行きの電車賃が二百円足らないことに気付く。僕の全財産を持ってしても電車賃が足りない現実。僕はその時に。吹っ切れた。後輩であり、一番の悪友であるにまず電話を掛ける。

「あ、りょーさんすか?クスリ無いっすよ」と笑いながら彼は言った。

「いや、ちゃうねん。俺決めた。悪いことするんやったら徹底的にしようや。一緒に強盗せえへん?でっかく悪いことして一旗あげようぜ」

僕には酷く根拠の無い自信があった。自分の立てた計画は完璧だと。悪いことは子供の頃から上手にやってきたじゃないかと。ひょっとしたらこの道のプロになれるかもしれない。映画のようなカッコいいマフィアのボスのようになれるかもしれない。

そういった恥ずかしい妄想をしていた。この強盗計画も楽をして金と名誉欲を得ていくというところから来ていた。

浅はかな計画を立て、共に強盗をしたが、ドラッグでラリっていたので、二件目で被害者に取り押さえられてすぐにお縄になることになった。何処かで聴いた言葉が僕の脳裏によぎった。

「何をやってもダメな奴は何をやってもダメ」

留置所にぶち込まれる。ド田舎にある愛知県の留置所まで、母と義理の親父は車で何時間もかけて、何度となく面会に来てくれた。彼女も何度か来てくれたがしばらくして音信不通となった。留置所と拘置所に半年ほどいた。ベテランのおじさん達には

「強盗とか強姦とか強が付いてたら執行猶予は無理やぞ。諦めや」

と言われ、刑務所での暮らし方の基礎から裏技まで色々と教えてくれた。しかし、裁判で奇跡的に執行猶予がつき、またシャバに戻る。

その後、しばらく兄に紹介してもらったコンビニでバイトをするが、ドラッグでラリったまま仕事を何度かして、奇行を繰り返し、最後は何を思ったのか商品棚にあるドリンク剤を一気飲みし、やむなくクビになった。兄とそのコンビニのオーナーはそれから関係が悪くなってしまった。僕のせいだ。僕のせいにも関わらず、兄に怒られた時に僕は

「誰も仕事を紹介してくれなんて頼んでない。殺すぞ!」

と兄に噛み付いた。救いようのないというか救いたくないほどの最低さである。

その後、薬物依存症のために精神病院に入院することになった。

人生が急降下していく。どこまでも堕ちていく。しかしそれもまた一興、などと思う。むしろ僕はそれを楽しんでいた。そして、そんな堕ちぶれていく自分に酔いしれていたりもした。あるミュージシャンが「ダメならダメなほうが良い世界もあるんだ」と言っていたが、僕はそれを目指していた。目指すも何も自然にそうなっていったのだが。

隔離病棟。初めにここに来た人は必ず一人部屋(独居房)にぶち込まれる。そこはトイレとベッド以外、何も無い四畳ほどの真っ白な部屋。無味乾燥。天井も壁もドアも冷たく白い鉄で出来た部屋。この部屋には自分が着ている衣類以外には何も持ち込めなく、内側から鍵がかかっている。部屋から出してもらえるのは週三日のシャワーの時間のみ。最初はここに三日ほど入れられて、様子を見てから共同部屋であるテレビも本もタバコも吸える大広間へと移ることが出来る。

この1人部屋の独居房に入る時、身体検査をされるのだが、狡猾で意地汚い僕はパンツの中までは調べないだろうと読み、パンツの中にタバコとライターと危険ドラッグを忍びこませた。だが、タバコと危険ドラッグの匂いが部屋に充満してしまい、わずか三十分ほどでバレてしまった。看護士の方が部屋に入ってきて、布団を剥がし、そこにあったタバコとライターと危険ドラッグを没収された時のバツの悪さは酷かった。先生は「こんなことは初めてだ」と憤る。その罰として、この一人部屋に二週間も入れられる羽目になる。

是非試しに鍵がかかった、ベッドとトイレ以外は何も無い真っ白な部屋で一日過ごしてみてほしい。特に現代人は四六時中何かをしている傾向にあると思う。何も無い部屋で何も出来ない、そして閉じ込められているという閉鎖的空間というのは想像を絶するほど精神的に苦痛を感じる拷問だ。この仕打ちは発狂寸前にまで追いつめられる。僕はこの見事なまでに何も無い部屋で何もすることが出来ない部屋に閉じ込められているのを思い返してみて、ふと分かったことがある。

シラフに戻ったときに押し寄せてくる空虚感、絶望的な虚しさはまさにこの部屋にいるときと同じだ。絶対的な無味乾燥。味の無いガムをひたすら噛み続ける。いや、まるで砂を食べているかのような感覚。

すなわち、意味が無い、何も無い、ただ苦痛なだけの感覚、生きている意味が無い。最終的にはみんな同じ『死』が待ち受けているという絶望。死があるからこそ意味が無い。どんな人生でも最後に死が待ち受けているのなら、死んだ後に何も無いなら、何をしようが同じじゃないか。結局最後が死んで無と還るのだから。この何十年という短い一生は夢幻。司馬遼太郎の徳川家康の小説の最後の締めくくりもこの世は夢、幻だということだった。何をしても同じと分かっているのに、僕はこの世で有名になって脚光を浴びたいと思っている。その事に意味が無いのを分かっていながらそれを望んでいた。それは名誉欲に突き動かされているからである。

生命は死ぬために生きている。人生のゴールは「死」すなわち、滅び。生きるとはなんと儚い、なんと虚しい、なんと愚かでなんと滑稽で、そしてなんと絶望的なのだろう。そう思っていた。思っているにも関わらず有名になりたいという欲。

無意味と分かっていながら抑えきれぬ欲が出てくる。そしてその欲は「何をやってもダメ」な奴には叶わぬ夢。叶わぬと分かっていながら欲に突き動かされる。

無意味→欲→その欲は叶わないと理解してる。

という矛盾と葛藤の中で僕は苦しんだ。精神病院では僕を含め、目が死んでいる仲間達とともに

「俺たちは狂ってなんかいない。外のやつらが狂っているのだ」

と慰めあう日々を過ごす。なるほど、確かに。全ての基準は自分なのだからそうだろう。

母と義理の親父は精神病院にも何度となく足を運んでくれた。しかしその時僕は感謝の『k』の字すら無かった。


二十四歳後半

「自分の居場所は一体どこなのだろう」

精神病院から出ると、しばらく親に隔離されることになった。隔離されてまた隔離。いつになれば自由になれるのだろう。そもそも自由ってなんだっけ?僕は自由と呼べるような日があったのだろうか。いつも何かに怯え、何かに拘束されていると感じる。実家でしばらくオトナシクする日々となる。お金も何もかもが親に管理されることになった。なんとか親の目を盗んでドラッグを買っては現実逃避を繰り返す。しかしお金は親から貰うしかないので、ドラッグを買うための口実を色々と造るが、母親の財布の紐は固い。絶望的なシラフの時間が多くなった。お金が無いからクスリも買えない。遊びにもいけない。女性とも会えない。余計に悲惨な現実と向き合うことになる。

この時の僕の唯一の楽しみは、親から貰う小遣いをせせこましく貯めたお金で、薬局に売っている処方薬の中からモルヒネの成分が入っている風邪クスリや咳止めクスリを買い、一気飲みすること。そして病院でもらえるキつい咳止めの処方薬(モルヒネの成分が入っていて気持ち良くなる)を得るために医者を欺いてそのクスリを手に入れる。そして三日に一回溜め込んだ睡眠薬を飲むことだ。更に、その当時の東京にいた大学生の彼女にお金を貰い、東京まで遊びにいくこと。

なんと情けない、落ちぶれた恥ずかしい日々だろうか。しかし、これもまた一興。何度も言うが、僕にとって落ちぶれるということはある種の美意識である。

僕はニヒリズム(ニヒリズムあるいは虚無(きょむ)主義(しゅぎ)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場…Wikipedia参照)

というのを気取っていたナルシストである。このニヒリズムの考えがある以上、人生には意味が無いから何をしたって無駄だという態度で生きるのが僕の生き様である。そういう生き方をするのを『弱さのニヒリズム』という。どうでもいいが。そんなことは凄くどうでもいい。

睡眠薬も管理されているので、夜にいつもその日の分だけ親から処方される。

睡眠薬も僕にとって現実逃避のために、決して切っても切れない大事なパートナーなのだ。

睡眠薬を十錠ぐらい一気に飲むとそれなりにトベる。僕が求めるのは理性を飛ばすことと、快楽を得ること。

僕は毎日二~三〇錠の睡眠薬を飲んでいた。本来、不眠症なので睡眠薬は必要なのだが、一錠で十分なのだ。しかし、おびただしいほどに飲む。それは酔っぱらう感覚、昂揚感が欲しかったからだ。だが睡眠薬はその日だけしか母親から処方してもらえない。なので、僕は飲んだふりをして自分の部屋に隠し、いつも三日分溜め込んでいた。

二日目の夜が耐えられないほどに疼く。おそらく人生の中で最もこの空虚感押し寄せる無味乾燥の現実と向き合っていた時間だったと思う。胸の中が疼く。ニコチンが切れた時のあの感覚、分かるだろうか。その体の疼きを心に変えたような感覚である。心が何かを欲している。虚無の化け物に喰われてしまった心の空っぽを埋めることが出来る何かを。胸がかゆい。かゆい。何か快楽を得られるものを体が欲している。どうしようもない胸の疼きを感じる。しかし、そのどうしようもない胸の疼きは例えその時にクスリで紛らわしたとしても、どうしようもないのだ。理性をトばして気付かないようにしているだけなのだ。

僕は自分に居場所が無いといつも感じていた。

何処へいってもよそ者の感覚がある。何かこう、自分とは違う。自分はここにいるべき人間ではないと。パズルのピースが欠けていて、そのパズルのピースが見つからないようなすっきりしない感覚だ。何処へいっても虚しい。

だからそんな現実から逃れるために、ドラッグをして別の世界へと行く。しかしその世界はまがい物で、現実はこの居場所の無い砂を噛んでいるような味気の無い、不快感が募るだけの虚しい世界。

夜、不眠症の僕はこの空虚感あふれる絶望的現実と真正面からにらめっこをする。化け物は僕に囁(ささや)いてくる。

「お前どうするんだ?」   「なんでまだ生きてんの?」

「お前一体何をしている?」 「どうして生きてる?」

「生きている意味は無いぞ?」 「人生はすでに終わっているぞ?」

「いや、始まってもない。始まりもしない」

「ほら、また夢が叶わなかっただろ?」 「ほら、また同じことの繰り返し」

「ほら、どうしようもない自分がそこにいるだけ」 「いつまで意味無く苦しむ?」

ゲラゲラ、ゲラゲラと奴は酷く乾いた音で笑う。


そのとおり、そのとおりだ。否定が出来ない事実だ。


「じゃあ、どうするんだ?」


耳を塞ぎたくなる。

ドラッグのやり過ぎで夢遊病の様に過ごし、ガリガリにやせ細り、唐突に吐き気を覚える。精神的にも絶望の淵にいたが、社会的地位も絶望の淵にいた。

前科一犯、精神病院入院歴あり、薬物依存、薬物によって引き起こした鬱、不眠症、パニック障害etc…

昔セックスピストルズというバンドの『No Future』という曲を何千回とリピートして聴いていたがまさにその通りの人生である。

『未来は無い』


僕は何にも縛られたくなかった。誰よりも自由に生きたかった。そして欲の限りを尽くし、快楽を貪っていた。すると気付いたのは欲の虜になっている自分だ。誰よりも自由に生きていたと思っていたが、その反面、欲望の奴隷となり、誰よりも不自由となっていた。快楽主義の成れの果ては圧倒的な絶望だった。

「で、どうするの?」と奴は訊いてくる。分かり切った答えを促すかのように。

そう、やることは一つ。死ぬしかないだろ。死ぬしか。

だから、僕は自殺をすることにした。

何度かドラッグでラリって、衝動的な自殺未遂をして病院に運ばれたことはある。

大量のきつい睡眠薬を飲んだこともあったが、あれも「俺は自殺をするほど辛いんだ」というアピールであり、本当に死ぬ気ではなかった。だからこれ以上飲んだら死ぬんじゃないかの一歩手前でやめていた。

その都度、とても恥ずかしい思いをして、散々たる迷惑をかけた。

しかし今回は本気だ。本気で死ぬ。七月いっぱいでクビを吊って死ぬ。ロープも用意して、死に場所も決めて確実に死ぬ。僕は死ぬ。絶対に死ぬ。何度も思ったことだが、次は必ず成し遂げる。

そうは思っていても実は心の奥底では死ぬのが怖かったのだ。死にたいけど死にたくない。でも死ぬしかない。死んだように生きるのなら潔く死んだほうがいい。だが本当にそれでいいのだろうか?死ぬと何かとり返しのつかない事態になる気がする。それに死んだらおしまいだ。有名になることなく、認められることなく、死んでいくということは、歴史にも残らない。子孫もいない。この世から完全に抹消されるのと同じだ。みんなから忘れられて、僕なんて存在はやがて無かったことになる。

誰かに止めてほしかった。いや、本当のところは死にたくなんか無い。しかし誰に止められて誰に助けてもらっても、この僕は変わることは出来ない。現に今までそうだったのだから。

僕は変わることは出来ない。一生地面に這いつくばり、泥沼の泥をすする。そういう星の下に産まれてきたのだ。じゃあ、やはり死ぬしか。どうやら僕は快楽と幸せを、反抗と自由を履き違えていたようだ。快楽の行き着く先は、絶望的な虚無。反抗の行き着く先は、不自由。気付いた時には、もう遅い。死ぬしかない。

何よりも、この心にドッシリと乗っている重い何かはクスリや快楽で誤魔化すことは出来ても、決して取れることは無い。どうしてもこの重い何かは取れないんだ。

それに心の空っぽは満たすことが出来ない。

虚無の化け物が僕の心から何もかも奪い尽くし、その後、虚無の排泄物である

『憂鬱』で心が満たされる。おそらくそれが心にドッシリと乗っかっている思い何かだ。

「もう駄目だろう?」と囁く声が鳴り止まない。

昔のブログにこう書かれていた。

「そういえばもういくつ寝るとお正月ですね。

僕は喉が狭くて弱いので歳をとると、餅食って死ぬと思います。

僕は死にたいと思ったことが何度もある。

でもなんかこう、神様みたいな人が「死ぬな」

と言って止めている気がいつもするんです。」


僕にはいつもこの意識があった。絶対的な何かが僕が死ぬのをいつも止めようとしている。僕は固く決意をしていた。俺は死ぬんだと心の中で繰り返しつぶやいた。

それはまるで『絶対的な何か』に訴えているかのようだった。

「助けて!」と。プライドが邪魔をして本音は言えなかったが、本当は

「俺は死ぬんだ」とは「助けて!」の意味であり、助けを請うていたのだ。

そんな中、久しぶりに親父から連絡があった。親父は僕が小学校二年生の頃に離婚している。たまに会っていた。親父はこの僕が情けない引きこもり生活をしている二年ほど前にクリスチャンとなり、クリスチャンの女性と再婚している。親父はこんな僕を見かねて、飯でも食べに来いと家に呼んでくれた。

親父と呼ぶには日本一ふさわしくない親父かもしれない。息子は親父の背中を観て育つと言うが、この親父の背中はあまり見たことがない。「小さい背中だ」ということだけは知っている。しかし一度、大きな親父の背中を見たことがある。

話は遡って8歳。母親の財布から1000円を盗んでは隠していたのがバレた時。

母にこっぴどく激しく叱られ、僕はわんわん泣いていた。

「何処に隠したの!」

と怒鳴られても僕は決して隠し場所を吐かなかった。その時に親父が二階から降りてきて僕にこう言った。

「良太、ちょっと一緒に自転車でドライブしよう」

「悪いことをしたんやからちゃんと叱らないとあかんよ!隠し場所、聞かなあかんよ!」

とマシンガンのごとく怒鳴る母を尻目に、親父は

「うんうん、分かっているよ」

と後ずさり気味に言いつつ、家に出て、自転車の後ろに乗っけてもらい、地元の夜の住宅街をドライブした。

今でもあの時の体に心地よく当たる春の風と、いつもより大きく見える親父の背中を思い出す。僕はあの時、親父のぬくもりと優しさ、愛を感じた。

今でもあの、秋に入ってほどなくした時期の夜の涼しい風と、見慣れない夜の住宅街、父の背中のぬくもりを感じることが出来る。

ドライブが終わった後に、僕は親父から何も言われていないのに、お金の隠し場所を教えた。

親父の背中を見たのはその時ぐらいだ。頼りないが、暖かく優しい背中だった。

 親父はほとんど僕と兄を放任していた。。母が兄と僕を育てくれたので、母が悪者にならないように、そう付け足しておく。

そんな親父が夕ご飯中に一つのパンフレットを渡してきた。

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