第2章 いろいろとあるんだね

2-1  ご主人

 今日は木曜日、夜には、おじさん夫妻との会食会がある。

 そして、妖結晶の図に色を塗るために、お父さんの会社に通うようになってからは、3日目である。


 昨日もそうだったけれど、朝、あやかさんは、おれと一緒に車に乗って、お父さんの会社まで来てくれた。

 でも、それは、玄関のところで、絹田さんに『おはようございます』の挨拶をするところまで。

 続けて、『では、よろしくお願いします』と、絹田さんにおれを預けて、すぐに、デンさんの車で、一緒に家に帰ってしまう。


 これが、隣にいるおれから見ると、まるで、保育園に子どもを預ける、母親のような動きなんだな…。

 まあ、『受付で、なんて言い出したらいいんだろう…』と悩む必要はないんだけれど、でも、こんな、過保護にも見える同じ動きが2日も続くと、気になることも出てきてしまう。


 そうなんですよ、カウンターにいる受付嬢、たぶん、おれよりも若い感じなんだけれど、そして、おれたちのこと、いつもニコニコと優しく見ているんだけれど、でも、心の奥で、どのように見られているのだろうかと…。


「ねえねえ、社長のお嬢さまのご主人っていう人、みたことある?」

「ええ、なんか、おどおどとした、ちょっと子どもっぽい感じの人でしょう?」

「そうそう、その人。なんかね、人見知りが強いって聞いていたんだけれど、毎朝、お嬢さまが、会社に送ってきてるのよ」

「へぇ~、毎日、会社に? 『ぼく、一人だと、おんもに出られない』なんてね、ククククク…」

「フフフ、そんな感じかもね」

「完全な、お宅系お子ちゃまなのかもね」

 なんて話になっていないといいんだけれどな…。


 まあ、そんな心配は、こっちの方においといて…、と言うことで、玄関であやかさんと別れ、絹田さんにバトンが引き継がれると、社長室には寄らないで、直接作業する部屋へ引率される。

 もちろん、お手々繋いで、なんてことはないけれどね。

 そんなことしたら、絶対に、あやかさんに怒られる、と、思う。


 昨日も今日も、部屋に入ると同時に、タイミング良く、秘書課の若い女性、川上さんがお茶を持ってきてくれて、絹田さんとの二人による監視体制が確立。

 そこで、おれは、まず、おもむろにお茶をいただき、間をとって、と言うか、ちょっと大人っぽいような感じでゆったりしているように見せてから、心を落ち着けて、作業を開始する。

 だいたい、10時を少し過ぎている。


 1時間半近く、色塗りを、休みなくやる。

 で、昨日も今日も、3個目が終わった頃が11時半前後。

 この時間だと、まだ外の食堂がすいているというので、さほど時間に縛られないおれは、ここで、お昼にしてしまう。

 絹田さんたちは、お弁当らしいんだけれど、おれにあわせて、早めの昼休み。


 絹田さんに、近くでおいしい店を聞いて出かける。

 昨日はインドカレーの店で、サラダとラッシーが付いたカレースペシャルセット。

 スペシャルな、カレーのセットなんです。

 ほかのセットより高いんだけれど、マトンのキーマカレーと、ほうれん草の緑がうれしいサグチキンカレーを、ナンとライス、両方で楽しめた。


 それで、今日は、天丼や親子丼がおいしいと評判のおそば屋さん。

 ちょっと豪勢に、上天丼にした。

 大きなエビが2本入っていて、それにエビのかき揚げとシシトウの天ぷらまで。

 ご飯が足りなくなっちゃって、どうして大盛りにしなかったんだろうと、ちょびっと後悔したくらい、天ぷらの量が多かった。


 昨日、今日と、こっちに来て、初めて、自分の財布からお金を出しての食事。

 だけど、いつもなら、仮に迷ったとしても、最後には絶対に敬遠してしまうようなスペシャルなものを、二日間連続で食べた。


 このように、昨日はスペシャルカレーセット、今日は上天丼と、ものすごい決定ができたのは、実は、今、おれの財布の中が、とても、とても、暖かいから。

 なぜかというと…、まあ、何ですね…、フフフ、昨日の朝にですね、あやかさん、『お昼は、どこかで、適当に食べてね』と、補充してくれたからなんですよ。


 この財布、仙台からこっちに来るときに、何かあっても大丈夫なようにと、普段よりもかなり多く入れて持ってきた。

 で、その後、出し入れなくそのままで、何も使っていなかった。

 だって、何も使う必要がなかったから。


 だから、おれとしては、そんな補充なんて必要ないほど、充分に入っているつもりだったんだけれどね。

 でも、補充してくれるって言うの、断る理由も、必要もないので、『ありがとう』とお礼を言っておいて、あとで、こっそりと中を見てみた。

 そしたらね、結果として、その倍近くになっちゃっていたんだな…。

 財布の方もビックリしたと思うよ。

 こんなに入ったの初めてだから。


 この、持ち慣れない金額、昼を食べる程度だったら、今回のように、おれにとっては良すぎるようなものを食べて、それが毎日続いても、1ヶ月以上は充分に持ちそうな感じだ。

 例の仙台の中華の店だったら、朝昼晩と食べても…、いや、もういいや、あのボリューム満点の中華を、毎日、朝昼晩と食べ続けるのは、考えただけできつくなった。


 まあ、今、言いたかったことは、ただ、財布にそんなにお金が入っていたので、気持ちが、ちょっと、普段と違っていたと言うこと。

 昨日は、初めてだったから、心の底では、かなりの躊躇があったんだけれど、誘惑には勝てず、最後にはスペシャルなセットに決めた。

 そして、今日は、ふと気が付いて、『おれ、今、とても大事な仕事をしているんだからな』と、自己弁護も完璧に、期待に胸を膨らませ、『上天丼』を注文したということなんですよ。



 昨日は、あやかさん、帰りの時もデンさんの車に一緒に乗ってきて、絹田さんに挨拶して、やはり『お子ちゃま』のお迎えといった感じだった。

 でも、その時は、おれ、あやかさんの顔を見て、また、声を聞いて、なんだかホッとして、すごくうれしかった。

 なんせ、絹田さんと川上さんにずっと見られたまま、お絵かきしていたから。

 まあ、本質的には、やっぱり、『お子ちゃま』なのかもしれいな。


 そして、今日。

 2時頃に、おれが作業をしているところに、あやかさん、コンビニでテイクアウトしたコーヒーを持ってやって来た。

 朝、食事の時の話では、3時頃に来るはずだったんだけれど…。


「やあ、思ったよりも、早いんだね」

 と、おれが言ったら、ニッと笑って、


「ちょっと、サーちゃんとの関係でね」


 あやかさん、今日は、電車で来るということで、会社の玄関までは、ボディーガードとしてのさゆりさんと一緒。

 さゆりさん、昨日の翠川一族の情報を詳しく話すために、これから、有田さんと外で会う予定なのだが、有田さんに時間がとれて、待ち合わせ時間が1時間早まったんだとか。

 なんだかんだと、長く一緒にいたい2人のようだ。

 それに、こっちが夕食ないので、さゆりさんも、遅くなるらしい、フフフ…。


 おれとあやかさんは、今晩、おじさんたちとの会食だけれど、知らない間に、ここから、一度、お父さんのうちに行き、そこで着替えて一緒に出かけることになっていた。

 これも、朝の食事の時に、あやかさんから聞いた話。

 おれとあやかさんの着替えなどは、静川さんが届けてくれるんだそうだ。


 あやかさん、まず、絹田さんと川上さんにコーヒーを渡してから、おれの斜め前にもコーヒーのはいったカップを置いた。

「はい、コーヒー。

 予定通りに進んでいるの?」


 ちょうど疲れてきたところだったので、絹田さんに断って、休憩とする。

 絹田さん、あやかさんに頼まれ、おれの、仕事をする時間の管理。

 知らない間に4時間半を超えちゃった、と言うことがないように。


「昨日、10個やったんで、今日はそれより多くできるといいなと、思ってやってるんだけれどね…。同じくらいのペースですかねぇ」

 と絹田さんに聞いてみた。


「ええ、そうですね…。でも、たぶん、少しですが、今日の方が速いのかもしれませんね。それ、もうじき仕上がりそうですよね」


「ああ、これ?あっ、そう言えば、もう少しかも…」


「ほとんど塗れているもんね」

 と、あやかさん。


「やってる方としては、まだ、この塗っていない部分、結構、大きく感じていたんだけれど、離れて見ると、もう少しなんだね。

 うん、これ、終わってから休憩にするよ。

 あっ、絹田さんたちは、コーヒー、冷めないうちに飲んでて下さいね」

 と言って、おれはお絵かき続行。


 それから、5分もかからないうちに終わった。


「今から、休憩に入りますね」

 と、絹田さんに断って、椅子を少しずらして、コーヒーを飲みながら、あやかさんとおしゃべり開始。


「いくつ、できたの?」

 とあやかさん、まず今日の成果を聞いてきた。


「え~と、今のが午後の4つ目で、朝からだと7つ目…」


「昨日は10個できたんだよね」


「うん、だから、今日12個やっちゃうと、中くらいのは終わるんだけれどね」


「あと5個か…。昨日は、このあとは3個だったんでしょう…、微妙だね」


「そう、微妙だよね…。ただ、昨日よりは、少し早いようだから、4個はできそうだな…。限度時間、4時間半じゃなくて、今日は5時間にしてみようかな…」


「大丈夫なの?」


「たぶん…、まあ、様子を見ながらやるよ。

 今日は、この後もあるからね」


「そうだよね。 気分を悪くして、レストランでの会食で、飲み食いができなくて、ただ、お話相手だけだと、つらいだろうからね、フフフ…」


 ごちそうを前にして、飲まず食わずで、おれの最も苦手とする、初対面の人とのお話…、確かに、それは、酷すぎる。

「そうだね。たとえ、ひとつだけ残っちゃったとしても、絶対に無理はしないようにするよ」

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