眼彩

@onigori

第1話 

何かを得るためには何かを捨てなければならない。そういう言葉がある。

世界は常にトレード。対価という法則。

極めて冷酷。と言えば冷酷なのかもしれない。冷酷な世界に悲嘆し、人間は幾度も変革を望んだことだろう。しかし変わることは一度たりともなかった。冷酷な世界は冷酷なまま、生命の生死をさえも司り続ける。


「自分には…関係ないか」

 1DK。一人暮らしには少し広い部屋。弁当を口に運ぶ箸を止め、もの寂しさを感じる質素な部屋の中で男は静かにぽつりと呟く。

 テレビの音だけが響く部屋で妙に男の独り言は響いたように感じられる。

テレビでは哲学特集と銘打って悲嘆にくれた哲学や、妙に明るいポジションを煮詰めたような哲学論理回路論争が繰り広げれらている。

 物分りの悪そうな人相の男が、ドヤ顔を効かせて悲嘆論をベラベラと喋っている。

このような話に惹かれるのは、人生絶望論者か、中二病くらいだろう。他人のことは言えないが。

 -世界は常にトレード-

辟易とする内容ではあったが、男にはその言葉だけが自然にスッと耳に入り込んで来た。

「僕は何もないから…トレードできないな…。世界からも孤立か…」 

感情のない声をテレビにぶつける。

その声を知ってか知らずなのか。テレビは賑やかな論争を流し続けた。

 昼食の弁当は何時の間にか冷え切ってしまっていた。味はよくわからなかった。


 スマホの時計は13時を指している。弁当ガラを乱雑にゴミ箱へ投げ込み、高校指定の制服を羽織る。

10月上旬だというのに秋らしさを感じられず、冬の顔が覗かせている。それに備えてマフラーと厚手の上着を制服の上から更に羽織った。

「行くか」

部屋の中を見渡しすべての電源が切られていることを確認すると、鞄を持って玄関に手をかける。

「さむ…」

寒さに思わず言葉が漏れる。

玄関を開けると暖房で暖められた部屋を一気に冷ますように、冷たい風が流れ込む。その風は男の身にもまた深く刺さり、体の芯から震わせた。

「…よし」

頬をパンパンと軽く叩き、意を決して外へと足を運ぶ。自分の体に当たっていただけの冷気が、今度は体を刺々しく包み込む。

 冬シーズン並の防寒対策のおかけが、幾分から楽だ。10月上旬でこの寒さだと、先が思いやられる。

外は枯れ木が物悲しげに冷たい風に揺られ、美しく染められた紅葉で心が癒やされる。とはいかず、この頃の冷たく強い風でほとんど葉は落ち、歯がない痩せこけた木々並木道が続く。この寒さもあってか、昼だというのに街ゆく人影も少なく、静まり返っていた。たるで訪れる冬を帯びているかのように。

 男は静寂に包まれた住宅街の並木道を歩んでいく。手をポケットに押し込み、足早に目的地である私立杉並零島高校へと向かう。時折、冷たい風が髪を揺らす。その度に首を縮こませマフラーの暖房効果を頼るしかなかった。

 「…死にそう…」

途中のコンビニでおでんの垂れ幕がこれだけ魅力的になる日もないだろう。心の中で少し恨めしく思う。二車線道路を走ってゆく車は寒さを知らず、呑気な暖かさに包まれ走ってゆく。これもまた恨めしい。そう思う他なかった。

「徒歩通学…免許取れないもんなぁ」

全国共通、と言っていい程に高校生の免許取得は禁じられている。遠方の場合のみ、原付だけ免許取得が認められる。しかし、原付とて寒さはしのげない。むしろ、徒歩より寒い。教職員たちは必要ないから、というのだが必要なのだ。寒さを凌ぐ、楽をする。それはとても必要なこと。高校時代に色々と備えておけば社会人のときに困らない。

しかし、そんな屁理屈を言っても生意気だ高校生らしくしろの一辺倒なお説教が帰ってくるだけのこと。ともすれば、やはり我慢して徒歩通学である。

 あと一年。いや、数カ月。数カ月もすれば卒業。僅かなあいだの我慢。自分自身にそう言い聞かせ、寒さにこらえつつ足をさらに早めた。

もっとも、心境は教職員とて高校生と行く場所は同じ。なら車は必要ない。という生徒指導室一発確定な反論の一言二言ぐらい言いたくはなった。どうせ言えやしないが。

頭の中で持論を繰り広げ、自分で突っ込む。そんないつもの変な癖に笑いが溢れる。

「おかしいよなぁ僕って」

乾いた笑いが息を白くする。ふわふわと空へと上がっていき、そして消えていった。

 吐息の行方をぼんやりと眺め、吐息が消えると視線を落とし目の前を見た。

しかし、目の前は先程の光景とは違った。異世界に落ちたのかと錯覚するほどに

-美しい彼女は立っていた-

同じ歳くらいだろうか。そんな彼女が立っていた。大きく足を開き腰に当てて立つ仁王立ちスタイルには笑いが普段ならこみ上げてくるかもしれない。けれどもその容姿が笑いを起こさせる気を失わせた。

長い、長い金髪で端正な顔。華奢な体。英国王室のお嬢様か何かを連想させるその姿は儚いとは程遠く。光り輝いて見えた。

「こんにちは、神村崇矢君。」

こんな少女の声というのは決まって風音にかき消されるほど小さく、か弱いというものだ。そういうイメージがあった。

彼女の声は清らかなながらも、鋭く。強い志が声になったようだった。まるで矢のように体に刺さった。

 鳩が豆鉄砲を食らったかのような感覚で呆けてしまう。なんとか踏ん張り、声をひねり出す。

「き、君は…誰なんだ…?なんで僕の名前を…」

笑われてしまいそうだ。世が世なら男らしくないと折檻もいいとこだ。彼女の姿や声。彼女のすべてにやられ、自分の声のほうが風音にかき消され、か弱い声だ。森の奥で眠るお姫様と言われてしまえば、まさしくその通り。そこに臆病さがと小心者を付け足せば、今の声が完成するだろう。

「そんなことは重要じゃないわ」

僕の声と態度を気にもせず、彼女は真っすぐとこちらを見つめ声を鋭く刺してくる。声が刺さる度に鼓動が上がるのがわかる。美しさにやられ半分、なんと返していいかわからない気持ち半分。人とあまり関わってこなかった罰がここに来て現れた。

「えーっと…その…僕に何か…?」

精一杯の努力で今思っていることを言えた。少し胸を撫で下ろす。なんともならないといいが。そう心の中で願った。

美しいとはいえ、あまり人と関わりたくはない。ずっと幼い頃からの思いだ。人との関わりをさけてきたから今の人生でもある。今からそれを変えたら、それこそ人生を失ってしまう。そんな気がした。

「貴方、私達の仲間にならない?日本のために死ぬの」

……。

僕の人生が終わる音が気がするが、きっと気のせいではないだろう。

僕の願いというのはいつだって裏切られるものだ。だが人生くらいは失いたくはなかった。

僕はこれで、本当に何もなくなった。

これから人生がなくなる。 


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