幕間 至福の時間
注:なんとこの話はストーリー進行にほぼ全く影響しません。
時は白井がめぐると八代とゲームセンターに向かうのと同じくする。
ライブハウスの一階ロビー。
休憩所でもあり、そこにはテーブルを囲む三人の姿があった。
「悪いわね、スー。呼び出しちゃって。なっちゃんも」
春原と夏井を呼び出した冬川。
と言っても後輩二人が悪いことをしたわけではない。
「わ……私に用事と仰られてましたが……!」
明らかに緊張する夏井。
悪い予感ではないし、冬川が生粋の善人であるとはわかっていても、緊張するものはする。
「ふふ、緊張しなくていいよなっちゃん」
春原がフォローを入れると、冬川が口を開く。
「リハ見てて思ったからってだけだから、本当に緊張しないでね」
そうして冬川の口から穏やかに語られたのは、本当にただのアドバイス。
リハーサル演奏を見て気付いたことを指摘しただけだった。
「なるほど……! 確かにそうだったかもです!」
夏井もそれに納得できたようで、感謝の意を示す。
春原も気付かなかったことが含まれていて、二人にとって非常にためになるアドバイスだった。
「フフッ、本番頑張ってね。期待してるから」
そんな冬川の言葉が夏井はとても嬉しかった。
緊張も解けたのか元気よく感謝の意を示した。
「カナ先輩、これからどうしますか? 時間結構ありますよね」
春原が予定について口を開いた。
現地にいた他のメンバーはそれぞれ別行動をとっている。
地下の控室にいためぐる達も既にゲーセンへ向かってしまった。
「あ、ごめんね二人とも。時間奪っちゃったわね」
「いえ! そんなことないです!」
とはいえライブ開始まですることも特にない。
アドバイスも演奏に関してというより、ステージ上での振舞いについてだったので楽器で確認するものでもない。
「三人でどこか行きます?」
そして春原が三人で行動することを提案。
「じゃぁそうしましょうか。どこか行きたいところある?」
当ても特にないので、とりあえず外に出ることに。
ちなみに、いつもクールな冬川さん、実は可愛いもの大好き。
春原&夏井のちびっ子二人と行動を共にできることに、内心すごく喜んでいた。
適当に街をぽつぽつ歩く三人。
170cm近くある冬川と、150cm程度の二人、並んで歩くとアンバランスな身長差が強調される。
「ラーメン屋さんいっぱいありますね! あそこにも!」
無邪気にはしゃぐ夏井。
精神年齢が低いというより、反応が大袈裟で何にでも興味を持つだけなのだが、結局そう見える。
年相応の考え方は持っていても、自分の言動はあまり顧みないので子供っぽいことを気にも留めていない。
「今度来たら好きなところ寄ろう」
その姿に微笑む春原。
普段は先輩にも同輩にもマスコット的扱いをされている彼女は、自分程ではなくとも小さい夏井を妹のように可愛がっている。
中身は結構大人なので、子供扱いの対象が夏井に移ればなんて少し思っている。
「どこか寄りますか? カナ先輩」
春原が提案するまで冬川は一言も喋っていない。
それもそのはず、冬川は夏井と春原のやりとりを見て悦に浸っていた。
正直なところ抱きしめたいくらいだが、自分のイメージからそれはできないと思っていたりもする。
めぐるに関しても同じで、冬川は可愛い後輩のことが好きで好きでしょうがなく、自然に愛情表現を形にできる秋風のことを羨ましく思っていたりもする。
冬川は冬川なりに苦労しているのだ。
「え、あぁ、私はどこでもいいわよ」
見ているだけで満足だったので、連れ出した割には何も考えていない。
しかし三年生として行き先を決定する義務を感じる。
少しばかり考えるも中々出てこない、それでも期待も裏切れないと、生来の強い責任感が意味もなくハードルを上げた。
「スーと夏井ちゃんは行きたいところある?」
後輩の意見を尊重する
「あ、クレープ食べに行きませんか?」
春原がそう提案した。
駅を超えた先に老舗のクレープ屋があり、軽音部員にも人気のスポットだ。
「クレープですか!? 行きたいです!」
夏井もそれに食いついた。
パタつく尻尾が見えるかのような喜びようである。
「そうね、じゃぁ行きましょうか」
心の中で春原に礼を言いつつ、その案を採用した。
実際三人の中で一番喜んでいるのは冬川で、クレープよりもそれを食べる二人を見れることに、内心ものすごく期待していた。
向かう途中、どんな味にしようか等と皮算用する夏井に、冬川は愛おしそうに目を向けた。
その視線に気付いた春原が、冬川に話かけた。
「可愛いですよね、なっちゃん」
「そ、そうね。本当に」
悦っている時に話かけられると少し焦ってしまう冬川さん、すぐさまいつものクールさを取り戻そうとする。
隠すつもりがあるというより、気恥ずかしいようである。
「スー先輩と冬川先輩は何食べますか!?」
夏井が勢いよく二人に質問する。
好奇心がとどまることを知らない質問魔、すでにそう認知されている夏井ではあるが、実は冬川はこれが可愛くてしょうがない。
前日部会で夏井のしょうもない質問に答えたのも、そんな理由で無碍に出来なかったからである。
「私のはなっちゃんが選んでいいよ。交換こしよ」
「いいんですか!? やったぁ!」
冬川に電撃が走った。
この目の前にいるちびっ子二人の食べさせ合いが見られるという衝撃、冬川にとっては想像するだけで悶死しそうなほど。
ちなみに、冬川の可愛いもの好きは親しい同学年なら知っている。
何でもないようにクールに振舞おうとすることも知っていて、周りはそれを楽しんでいたりもする。
しかし当の本人は後輩にはバレていないと思っている。
残酷なようだがそれが冬川が周りから愛される要因にもなっているのだ。
春原は冬川のそれに気付いており、少しこの状況を楽しんでいる。
わざと冬川がこうなるよう夏井を誘導しているのだ。
クレープ屋につき、早速夏井がメニューに一喜一憂する。
「わぁ! いっぱいありますね! 野菜のもあります!」
冬川はスマホを取り出し、小さな二人がカウンターで背伸びする様を連写する。
こうして軽音の後輩たちの写真をよく撮っていて、部活の思い出を残すためと言い張っているのだ。
「スー先輩は何が好きですか? ……あ! 昨日はすいませんでした……どんぐり……」
「……なっちゃんたまに急に話変わるよね」
前日部会での一幕を思い出し、夏井がいきなり謝り始める。
思い出し笑いをこらえて冬川の写真を取る手がブレまくる。
「冬川先輩は何食べますか!? やっぱりヘルシーなのですか!? ……お腹痛いんですか?」
「……何でもないわ、大丈夫」
声も震える。
三人でクレープを買い、店の外にあるベンチで並んで座った。
駅から離れた場所なので人通りは多くはないが、往来の目線を攫うほどには可愛らしい光景だった。
冬川は食べればいいのか写真を撮ればいいのか、欲求のジレンマに悩まされた。
「スー、ちょっと持っててもらっていい?」
「いいですよ」
結局写真欲が勝る。
「両手に持ってると食いしん坊みたいですね!」
再び撮る手がブレまくる。
そしてまた並んで座ってクレープを食べる。
冬川にとってこれほど幸せな時間はそうない。
「スー先輩食べるの早いです~」
「急がなくていいのよ。あ、ほらついてるわよ口の周り」
ポケットティッシュを取り出し、拭いてあげる。最早保護者である。
食べ終わり、まだ時間もあるということで街の散策を始めた。
冬川と春原からしてみればライブや飲み会の度に来る駅だし、外部スタジオを使う時もここなので慣れたものだが、夏井はまだ数回目。
夏井を散歩させるかのように三人で歩いた。
「結構人多くなってきましたね」
「そうね、そろそろライブハウス戻りましょうか」
時間も程々に経過し、戻ることに。
人ごみを避けるために行きと帰りで道を替えると、再び夏井は色んなものに興味を示した。上を見たり横を見たり、少し危なっかしい。
「いつか何かにぶつかりそうですね」
「そうね……なっちゃん、危ないわよ」
「あ、すいません!」
前を歩かせるのも後ろについてこさせるのも心配と、三人横並びになって歩く。
そしてぼそっと春原が冬川に提案する。
「手つないであげたらどうですか? 危ないですし」
「……そ、そうね」
冬川、春原の意図にここでやっと気付く。
しかし言いだせない。意外と意気地がなかったりする。
「なっちゃん、カナ先輩の手握ってて。離れないように」
策士春原、ここで助け舟を出す。
「あ、ありがとうございます!」
そうして夏井と冬川の二人手をつなぐ。
最早幼児と母である。
冬川はクールさを保てる限界ギリギリ、有頂天なほど内心喜んでいる。
春原を見て、無言で感謝を伝えると春原は親指をグッと立てた。
そして春原に何かしらの考えが生まれたか、冬川のあいた方の手を取った。
両手にちびっ子、冬川は一生このままでいたいと思うくらい幸せだった。
春原にしても、実際はからかっていたりするのではなく、大好きな先輩が喜ぶ姿を見たいからそうしたのであった。
超恥ずかしい上に注目を浴びまくりだったが、気にしていない夏井と、愉悦でそれどころではない冬川、全て計算通りの春原と三人並んでライブハウスに向かった。
「コンビニ寄りますか? 冬川先輩!」
「そうね、ちょっと寄ろうかしら」
ライブハウスから一番近いコンビニ。
看板を指差して夏井が提案した。
すると、コンビニから出てくる数人の影。
「あ、巴さんとトリオ」
巴と清水寺トリオにバッタリ会う。
そして巴が手をつなぐ三人を見るなり、指差して笑い始めた。
「アハハハ何それ可愛い~! 逆ロズウェル事件じゃん~!」
一人爆笑する巴と、見てはいけないものを見た気になって必死に笑いをこらえる清水寺トリオ。そして赤面する冬川。
「お疲れ様です! 今クレープ食べに行ってたんです!」
冬川の様子に気付かず手を握ったままブンブンする夏井。
恥ずかしさは増長していくが両手は塞がっていて顔は覆えない。
策士春原はわざと手を離さない。
「何かもう拷問だね。ウチなら耐えきれないわ」
「気の触れた仲でもあれはキツいな」
「……気が触れてるのは藍だけだよ」
清水寺トリオも同情を隠しきれない。
清田は言葉が上手く使えない。
「よかったね~。でもそろそろ奏が限界だから離してあげよっか~」
「あ! すいません冬川先輩!」
「い、いいのよ、大丈夫」
夏井はやっと手を離した。
そして何故か離そうとしない春原に、一同が目をやる。
「……お母さん」
さすがに清水寺トリオもこらえられなくなると、春原も満足したのか手を離した。
「とも、ちょっとこっち来なさい」
笑い過ぎてエヅきそうになる巴を引っ張って冬川がその場を離れた。
「どうしたの奏ママ~」
「はぁ……。あんまり言いふらさないでよね」
冬川にしては嫌というわけではないが、恥ずかしい。
「わかってるよ~。クールキャラだもんね~」
「そういうことじゃないけど……。三年生が緩すぎてもよくないから……」
ともすれば言い訳だが、冬川は冬川なりに三年生としての振舞いを考えている。
部のブレーキ役であるという自負もあり、他の部員が割と自由にやっている分、自制しなければいけないとさえ思っている。
巴にしても、冬川を尊重しているし、二人は高校時代から切っても切れない仲。
言葉にする必要が本来ないくらいには信頼し合っている。
二人が後輩のところへ戻ると、何やらきゃあきゃあとはしゃいでいる。
「どうしたの? みんな」
冬川が尋ねると、一同ニヤニヤ。
そして春原が無言でおもむろに、スマホの画面を巴と冬川に見せる。
「え~何~? ……アハハハ、可愛い~! ベストショットじゃんこれ~」
画面に映っていたもの。
それは夏井の口を拭いてあげる冬川の写真。
春原は抜け目なくいつの間にやら撮っていた。
「カナさんほんと素敵な笑顔してますよこれ!」
清田に同調して水木と小寺もうんうんと頷く。
写真に写った冬川の表情、それはいつものクールなものとは打って変わって、愛情に満ち溢れたものだった。
「スーってちゃっかりしてるよね~。私にも送ってそれ~」
春原は無言で親指をグッと立てた。
冬川は恥ずかしいことこの上ないので何も返せず無言でいる。
モデルのような見た目をしているのに撮られるのは苦手。
しかしそれを見て喜ぶ後輩たちの姿を見れば、それも悪くないと思った。
「お、来た来た~。いい写真だね~これ。奏にも送るね」
「……あなた代表バンドのグループに送ったら本当に怒るわよ」
「あ……はい、すいません」
しかし巴の目論見は阻止される。
さすがの巴もガチトーンの冬川には敵わないのであった。
ライブ前の軽音部員の営み、その一幕。
全てが全て平和に過ぎるわけではないが、それぞれがこうして部活動生活を謳歌している。
隠しトラック
――呼び笛 ~ライブハウス控室にて~
「スー先輩~……。冬川先輩、怒ってませんでしたかね?」
「うん、大丈夫だよ。いつもだから」
「……そうなんですか?」
「ふふ、そのうちわかるよ」
「あ! ちょっと運指確認しなきゃです!」
「そうだね、ライブ始まる前にやっておこうか」
「……あ~、私達の楽器埋まっちゃってますぅ。わかりやすいところに置いておけばよかったなぁ」
「直前に皆自分の楽器どんどんおいてっちゃうからね。いいよ、本番前に掘り起こせば。ちょっと待ってね……はい」
「あ! リコーダー! 私の分も用意してくれてたんですか!?」
「うん、控室いつも皆の楽器で埋まるから本番前はこっち。小回り重視」
「ありがとうございます!」
――数分後
「ちょっと音出してやってみる?」
「あ、はい、じゃぁ曲流しますね!」
「リコーダーの音抑え目にね。あと……来るけど気にしないでね」
「……何がですか?」
――数分後
「ね、来たでしょ」
「……はい。来ましたね……冬川先輩」
「私が本番前リコーダーで確認してると写真撮りに来るの」
「何で聞こえるんでしょう……」
「わからないけどいっつも来る」
「スー先輩ってわざとやってるとこありますよね」
「……カナ先輩が可愛くて」
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