特別な時間 前編
7月上旬 大学構内 大講堂地下 スタジオ廊下
初ライブが終わって、そして打ち上げの飲み会が終わってから少し経った。
中間考査などでやっと大学生らしい忙しさに身を追われてはいるが、正直なところ部活が最優先になっていたので、学業に勤しんでいるわけでもない。
単位を落とさなければいい程度の心意気なら対して苦でもない。……親には悪いが。
7月末にバンド決めの部会があるまで、部のことでは特にやることがない。
とはいえ練習する日課をやめたわけではないし、むしろこのバンド活動がない期間にどれだけレベルアップできるかが
少し燃え尽きた気がして日が空いたが、そう思って昼休み前にスタジオ廊下にやってきた。
「お、白井君おはよ~」
廊下で月無先輩が練習していた。
代表バンドはまだ本番とも言えるライブが残っている。
こういう姿を見ると、やはり自分もサボっているわけにはいかない。
「お疲れ様です。一週間後ですね」
「うん、楽しみ!」
色々と話したかったが、今練習の邪魔をするのはよくない。
スタジオからベースの音が聞こえてきたので、そちらを覗いてみた。
「
……同学年の月無先輩からもそう認識されているのか。
なんだろう、苦労人ぽさを感じる。
「白井君は練習?」
「あ、はい。何もしないのもって思って。でも邪魔しちゃ悪いですよね」
廊下は月無先輩がいるし、鍵盤を二台並べると窮屈だ。
「別に邪魔ってことはないよ? あたしはもう切り上げるし」
早朝からずっとやっていたそう。
ほとんど毎日こうしているのは改めてすごい。
「白井君、お昼食べた?」
「いえ、まだです」
「よかった! じゃぁお昼食べに行こうよ!」
練習しに来たのだが……むしろ僥倖。
ライブの反省なり色々聞きたいこともある。
「よし、じゃぁ~、とりあえず食堂行ってみよっか」
そうして二人で食堂へ向かうと、あるものを見かけた。
「あ、Earth,wind&fireだ」
……は? 何故いきなり伝説クラスの大物グループの名前を。
「ほら、土橋先輩と吹先輩とヒビキさん」
「……あ~」
土橋、秋風、不知火で土、風、火ね。
食堂の一角に三人で何やら話している。
「あの三人が集まってるってことは、代表バンドのことかな。夏バンのこととかもあるし、大事な話してるんだと思う」
ホーンパートをまとめる秋風先輩と、一番冷静にバンドを見れる土橋先輩、そしてバンドマスターの部長、たまに三人でこうして会議をしているそうだ。
月無先輩達は二年生、冬川先輩は巴先輩の世話、氷上先輩はとにかく忙しいとのことで、この三人と。
「聞き耳立てるようで悪いし、場所代えよっか」
結局食堂はやめて移動することに。
何か思いついたように、たまには学外に食べに行こうと連れ出された。
二人きりで食事に行くのは初めてなので少し緊張する。
「どこにしようか~」
駅の近くをぶらつきながら先輩は店を探す。
正直言うと、どこに腰を下ろすかよりもライブの感想など色々と話がしたい。
「あの、めぐる先輩」
「ん~?」
気の抜けた返事が返ってきた。
「この前のライブなんですけど……」
「ん~、まぁいいからいいから!」
なんとはぐらかされる。どうでもいいことなのか……。いや月無先輩に限ってそんなことはないはず。
しかし結構歩いているし、もうそんなに店も多くない場所だ。
「よし、ここにしよう!」
そういって案内されたのは、駅はずれの喫茶店。
「ここね~、たまに来るんだ。落ち着きたい時」
そうしてその喫茶店に入った。
店の雰囲気もよく、耳障りな喧騒もない。
テーブルにつくと、月無先輩は早速とメニューを開いた。
「あたしのオススメはね~、これ!」
話をしたい気持ちが勝ってメニューを吟味する気にもなれなかったので、言われるがままにそれを頼む。
「で、そうそう。ライブとかだよね」
「はい。てっきり忘れ去られてるかと……」
少しかまってちゃんのようだが、ライブが終わってまともに話す時間がなかった。
本当にそうかと思うようなところもあった。
「フフッ、そんなことないよ。ヤッシー先輩のバンド、本当にいいバンドだったから。水差すのも悪いかなって」
気を遣ってくれていたのか。
そうと思えば悪いようなことをした。
「だからね。ちょっと落ち着くまで待ってたんだ。話したいこといっぱいあるし!」
気に留めていてくれたことが本当に嬉しい。
それがゲーム音楽仲間としてだろうと、パートの後輩としてだろうと。
「あ、ありがとうございます。それで……正直どうでしたか?」
色んな先輩に褒められたし、次のバンドも最高としか言えない機会を得た。
それでも月無先輩から見たら、演奏に関してなど思うところは違うはず。
「そうだな~。演奏的な部分を言えば~……。あ、辛口がいい?」
辛さ選択できるのか……しかし率直な意見を聞きたい。
次を思えば、それは知っておくべきことだ。
「じゃぁ辛口で。反省点は多分、山ほどあるので」
「ふふー、いい度胸だね」
ニヤりと不敵な笑み……少し怖い。
「バンド全体で見れば本当によかったよ。春バンドであそこまでって、中々ないんじゃないかな」
おぉ、嬉しい。
でもこれは全体の話。鍵盤個人のことじゃない。
「鍵盤で言えばね~。リズム甘いとこ多いし、走るとこもあったし、ちょくちょく和音飛ばしたり押し間違えたりしてるし、早いフレーズはキッチリ噛み合ってないし、周りの音聴けてないこともあったし~、音量バランスもよくない曲があったかな」
ぐ……わかっていたが結構厳しい。
でも図星がほとんどだし、自分で気付けなかったことも多い。
元から言ってくれるつもりだったのか、続けて具体的に教えてくれた。
しっかりと見ていてくれた証左である言葉の全てが、手厳しい以上に嬉しかった。
「……でも無限にダメ出し見つかりそう」
「フフッそりゃ最初はそうだよ。でもね、初めてのライブとしてはほぼ満点だよ」
「……マジ?」
「うん、だから言ったでしょ? 心配してないって」
改めて、月無先輩にそう言われると実感した。
努力の甲斐、少し安い言葉のようだけどそれが確かなものになった。
「……でもね、ここまで真面目にやってきた姿見てなかったら、あそこまでライブでちゃんと弾けてなかったら、こんなことも言わなかったと思う」
やってきたからこそのダメ出し、ということなのか。
スタートラインに立つという点は多分クリアできたんだろう。
それに、意外と厳しいという話は聞いていた。具体的に指摘してくれること自体が、認めてもらえている証拠なのかもしれない。
「だから、自信なさそうにしちゃダメだよ! 次はカナ先輩と巴さんのバンドなんだから、堂々としてなきゃカッコつかないよ!」
そうだ、主観と客観の差にいつまでも不安がってちゃいけない。
不安がってちゃいけないんだけど……
「……めっちゃプレッシャーなんですよね」
「そうだね~。ほぼ今の代表バンドだもんね」
……それは割と笑い事じゃない。ベースと鍵盤入れ替えただけ。
しかもベースの正景先輩もめっちゃ上手いし。
「だから、少なくとも堂々としてなきゃね! 夏合宿、投票一位目指すんだから!」
あのメンバーとなれば、それは当然視野に入る。
現時点でのネックは100%自分だが、どこまで持っていけるか。
それを考えれば、自信をつけるというのはやはり第一目標だ。
「でもそこに誘われたってだけで自信持っていいと思うんだけどな~」
普通そうなんだろうと思う。
けど正直……同じパートのあなたが次元違いすぎるからなんですよ。
薄々思っていたが、この人そういうとこ無自覚な気がする。
「ま、根性出して頑張ろうね! あたしも今の代表バンド終わったらもっと集中して教えるから!」
月無先輩だって一位を目指すだろうに、損得勘定なしにこう言ってくれる。
まるで頭があがらない。どれほどこの人に助けられているかわからないほどだ。
「なんか本当に、ここまでよくしてもらえて……。何も返せないのが……」
恩返ししたいだなんて思うのはまだ早いのかもしれないが、もらったものが多すぎて申し訳なさすらある。
「……そんなことないよ。あたしだって、いっぱいもらってるよ」
いつものごとく、何に気なしに言った言葉だろう。
それでも鼓動が早くなった。
「はは、なんだか照れくさいけどさ。この前のライブ、ソロ回しあったでしょ?」
メンバー紹介の時だ。
それぞれが余すことなく見せつけたそれは、本当に最高のソロの連続だった。
「あそこまで上手くいくなんてさ、自分でも思わなかったの」
技術の粋、それを全パートに見せつけられた。
それでも、月無先輩がズバ抜けていた。補正やそんなものを抜きにして。
「正直言って博打だったんだ~。もっと抑えて、ミスらないようにしようと思ってたの。でもね、直前の白井君見たら、何でもできちゃうって気がして。土壇場で限界突破! みたいな感じ!」
……まさか、そのおかげと言いたいのだろうか。
それがなくても最高だったに違いないし、それは月無先輩の実力のはずだ。
「白井君に会わなかったら、白井君の頑張るところ見てなかったら、あんなに上手くいかなかったよ。……フフッ、本当の本番は来週だけどね!」
言葉が出ない。呆気にとられて頷くことすらできない。
「だから、何か返すとかなんてないんだよ。合同ライブの前に、あたしだって君のおかげで成長できたってわかって、本当に感謝してるんだ」
何か言葉を返さないと、そう思っても思考がまとまらない。
「だ、だからね! なんかこういうこと改めて言うのも恥ずかしいからさ! 場所変えたかったのも、そのせいだったり……」
雑念めいた発想だけど、確かにそう。こんな場面、他の人に見られたくはない。
「な、なんか言ってよ~……」
「あ、はい……。そこまで言ってもらえるとは思ってなくて」
……直視できない。
月無先輩も同じようで、もじもじと顔をこっちに向けたり逸らしたりしている。
気恥かしさが最高潮、そんな状況。他の客がほとんどいないのだけが救いだ。
「……ゲーム音楽仲間で同じパートだから、それだけで目をかけてもらってるんだと思ってました」
間を持たせようとして、自意識過剰な本音が漏れた。
「あ、いやすいません、失礼でした。ここまで良くしてもらってるのに」
疑うようなマネだったかもしれない。
慌てて訂正した。
「……そんなわけないでしょ。白井君、自分のこと低く見すぎ」
そんなわけない、そう言って欲しかった気持ちがあったかもしれない。
「そりゃぁ、その二つだって大きな理由だよ? でも全然頑張らないような人だったら、絶対こうは思わないよ。鍵盤だって教えない。一緒にゲームだってしない」
……再び言葉を失ってしまう。
「それにさ、ゲーム音楽のことだってさ。きっかけくれたのは白井君だよ」
「あ、あぁ状態異常……」
「……そ、それは置いといて。でもそれがなかったら吹先輩やヤッシー先輩に知ってもらえることもなかったんだよ」
確かにそれはそうかもしれないけど……。
「本当に特別に、これ以上ない幸せに感じるくらい、ゲーム音楽好きだからさ。感謝してないわけないんだよ、本当に」
結構深く聞き出してしまった気がする。よく喋る性格につけこんだようで少し罪悪感も感じる。
でも、幸せに思ってくれているなら、これ以上の役得は有り得ないし、穏やかな微笑みが免罪符のようにも思えた。
何か返したかったが、浮かぶ言葉は歯が浮くようなものだけだった。
「……だからさ、絶対ちゃんと見ててね。合同ライブ。あたし、多分今までで一番いい演奏できると思うから!」
こういう時は月無先輩の明るさに本当に助けられる。
言葉が続かなくてもこうして繋いでくれるから、余計な考えを払うのに苦労しない。
「はい、必ず……。最前列で見てます!」
「うむ! 師匠の生き様をとくと見るのだ!」
月無先輩にしても多分同じだろう、恥ずかし紛れのようなところもある。
それでも、この天真爛漫な笑顔を前にしては、余計なものは綺麗に吹っ飛ばされてしまう。
「それにしても……めぐる先輩って結構恥ずかしいこと言えちゃいますよね」
「む~、あたしだって恥ずかしくてしょうがなかったんだから! こ、ここまで言うつもりなかったんだし! 師匠からかうなんて悪い弟子だな!」
いつものように冗談を言って、いつものようにぶー垂れて、いつもの調子に戻る。
余計なことはいらない、こうしたやりとりが自分にとって一番大切なものなのだ。
喫茶店で過ごした時間は、すごく特別な時間だった。
しかし特別すぎるというか、刺激が強いというか、いつもの日常に戻るタイミングを探してしまうほど、自分の深層に迫るものだった。
「よし、じゃぁ部室に行ってゲームしよう! 最近してなかったし!」
「え、練習はいいんですか?」
「本番前こそ、いつも通り過ごしてリラックスしておくのが重要なのだよ!」
そうなのかもしれないが、ゲームしたいだけな気もする。
……まぁいいか。
少し特別な時間を過ごしたあとは、普段に戻るきっかけが欲しいところでもあった。
「今日の前半は真面目な話ばっかりだったからね~」
「いや前半って。もうゲーム三昧する流れじゃん……」
「ふふ~、存分に遊ぶよ~。後半に続く!!」
「……なんの話してるんですか」
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