二人の成長 前編
六月下旬 大学構内 スタジオ
ライブまでのバンド練習も残すところあと一回となった。
「さて、最後の調整……」
といっても自分には未だライブの経験がない。何をすればいいかわからない部分は多いが、出来うる限りでの確認を行おう。
二限の空き時間、スタジオ廊下でいつもの通り練習していると……
「おはよ~白井、朝からいつもよく来るね。めぐるとさっきすれ違ったよ。あの子も一限いつも練習してるよね」
八代先輩がやってきた。
月無先輩は二限の語学はどうしても出なければならないらしく、簡単な会話を交わした程度ですぐに行ってしまった。
「お、スタジオ誰もいない。ちょっと着替えさせてね……覗きたい?」
「ブフッ、いや何を……」
……調子狂うなぁ。
こうやってからかわれるのも毎度のことだ。
「陸上部の更衣室とかってないんですか?」
「朝走って裏門から来るとこっちの方が近いんだよね。ほら、運動部系の関連ってあっちの離れたところじゃん。だから習慣になっちゃっててね」
しかしこの人もこの人でモテそうな容姿のため非常に対応に困る。
気を取り直して練習を再開すると、すぐに八代先輩は廊下に戻ってきた。
「着替え終わったよ。白井もスタジオの中でやれば? スピーカーで出した方が調整しやすいんじゃない?」
ジャージ姿になった八代先輩……やたらと似合う。
折角だからスタジオで二人で調整しようという先輩の提案。
気遣いとしてありがたく受け止め、機材をスタジオ内に運んだ。
「めぐるがさっき言ってたよ。ライブ前の調整手伝ってあげてくださいって」
そういうことか。
それがなくても八代先輩は手伝ってくれたのだろう。
そして、月無先輩が自分のことを心配して発言してくれたことはやはり嬉しいものがあった。
一番お世話になっている二人には本当に頭が上がらない。
「最初はわからんことだらけだからねぇ。事前に色々知っておくのは大事だよ」
「何すればいいかも全然わからないんですよね。ライブだとやっぱり練習の時と違うものですか?」
いつも通りにすればいいのか、それすらもわからない。
経験を持った人でなければわからないそれを聞けるのは僥倖だ。
「緊張もするし、周りの音の聞こえだって違うし、ライブハウスによっても違うし、練習通りに上手くいくってことは最初はないかもね。そればっかりは言われても実感しないとわからないと思う」
ある程度その内容を詳細に聞かせてもらい、実際に楽器を使っての調整に入った。
バンド練習の時よりもリズムの兼ね合いだったり、テンポの取り方だったりを意識して、ドラムと鍵盤だけで出来ることを確認していった。
いつもより音数が少ないだけにそれらが顕著に感じられ、数分程度のやりとりですら今まで以上にわかることが多かった。
「うん、いい感じじゃない? 二カ月でよくここまで合わせられるようになったね」
「本当に先輩達のおかげです。直接指導してもらえてなかったらと思うと……」
「そうだとしても、それは白井が真面目にやってるからでしょ。うちの部活は下手な奴は人権ないみたいなところあるから、上達する気が全然ない奴構わないし」
よく言われるようなことだがそんなに真面目に見えるのだろうか。
今までの学校生活で打ち込んだと言えるものがないから、今の自分は不思議なくらい熱心であるのは確かだ。
少なくともいつまでも謙遜する必要もなくなってきたのだろうという、そうした実感が湧くくらいには。
しかし実力主義とはいえ、これまでの部内の人間関係ではそこまで苛烈な印象は受けてこなかった。人権がないという言葉がピンと来なかった。
「……なんか実例あったりするんでしょうか? その、人権ないって」
あまり踏み込み過ぎる話題でもないかもしれないが、そんなような部活に見えていないのでひどく疑問に思えた。
「まぁ白井には話してもいいかな、内緒だけど」
なんかいかにもっていう含みだな……。
内緒、と前提して八代先輩は落ち着いたトーンで話し始めた。
「実際音楽熱心な人が多い部活なのは確かだし、そういう人から見たら、バンドやりたいってだけで練習もしないで迷惑かけるっていうのは邪魔なんだ。楽しむことを目的にやるのは賛成だけど、それも最低限の実力があることが前提なんだ」
いつもの快活さとは違う、部員として真面目な話をする八代先輩の言葉には相応の重みがあった。
同意できたし、正直なところ少し心当たりがあった。
「だから、入部する前に前もって言うこと多いのね。真面目に実力つける気なければ他の部の方がいいって。うちの部員が少ないのはそのせい」
「はぁ……。俺そんなこと言われた記憶ないんですが……」
「アハハ、白井はめぐるがヒビキにすぐ連絡したらしいよ。ちゃんと話聞いてくれるいい奴が来た! って。鍵盤は人少ないし、実際部としては助かったんだよ」
そういうことがあったのか。
あの一件がなかったら門前払いで入部することもなかったのかもしれない。
「それにめぐる、人を見る目は正確だからそこは安心していいよ。実際期待以上にやれてるわけだし」
「む……むず痒し」
「で、話戻すとね。要は部活を本気でやれない人は相手にしないし、したくもない人が集まってるってこと。たかが大学生の部活だけど」
緩和されたとは言っていたが、氷上先輩も似たようなことを言っていた。
自分も同期に不真面目でバンドに迷惑をかける人間がいたら辟易するだろうし、何より今精一杯やっているのも、迷惑をかけないという前提がある。
「だからまぁ白井は軽音向けだよね。色んな音楽すぐ興味もつし。他の子も、今年はダメそうなのいないからいい代だろうね」
やはり悪い代とか、ダメな人というのはいたのだろうか。
もちろんあったんだろうし、正直言えば心当たりもあるが、実例がないと実感がわかない。
「そりゃいるよ~。ダメとまでは行かないけど……このバンドにも。というか今の二年がそういう代なんだよね。めぐるみたいな一部が特別なだけで、二年と三年、あんま仲良くないよ」
今一緒のバンドの二年生、弦楽器の二人とボーカルはあまり上手くはない。最低限の練習で迷惑かけない程度にバンドへ臨んでいるような印象があった。
練習を重ねるごとにネガティブな印象はなくなっていったし、上から目線で申し訳ないが最近は熱心にやっているようにも見える。
だが尊敬できる先輩かと訊かれると少し違う。
実例に繋がってしまったことに少し罪悪感も感じた。
部内事情に踏み込み過ぎた気もした。
「うちのバンドのあのトリオはそういうタイプだから。私は仲良いけど。ある程度、で止まっちゃったタイプ。音楽はそこまで詳しくもないし、積極性がないっていうのかな。ただ部活として適度に楽しみたいって感じだったと思う」
内緒と前提したのはこういう話題に触れてしまうからか。
「八代先輩が誘った理由って、あぶれるからってことなんですか?」
触れてしまったことだ、これきりにして今回だけは思い切ろう。
それに八代先輩の本心も気になったし、それが希望であるような気もした。
「私が誘わなくても大丈夫だったとは思うけどね。一年生が頑張ってるの見たら触発されないかなって。多少はやっぱり影響受けてくれてるみたいだよ。最近頑張ってるよね、みんな」
八代先輩の言葉はとても安心するものだった。
今は良い方向に向かっていると、三年生の方がそう思ってくれている。
同じバンドの二年生に疑いをかけた罪悪感が晴れるようだった。
内緒と言いつつここまで話してくれたのは多分わざとで、部活を続ける上での教訓を示してくれたんだろう。
「もしかして俺が不真面目だったら大変なことに……」
「あはは、それはないない。白井の話は私も聞いてたから。いい子が入ってきたので誘ってあげて下さいって。最初から大丈夫だってわかってたから誘ったんだよ」
……どれだけ感謝させればいいんだあの人は。
偶然のめぐり合わせに感謝することは多かったが、運以上に月無先輩の見えない助力がある。
「それだけ気に入られてるってことなんだから、自信持ちなさい」
「は、はい……」
師弟関係としては非常に良好……だと思う。
月無先輩の要望に応えられてはいると思うし、自分が新たに質問すると喜んで教えてくれたり、主にゲーム音楽ではあれど音楽の魅力自体を教えてくれもする。
そこで感じる達成感や安堵が本当に好きだし、それがあればこそ続けていられる。
「それにしても……。筒抜けというか、月無先輩結構拡散されてるんですね」
まぁ別に嫌じゃないし助かってることもあるんだけど……。
八代先輩然り、自分のことは結構知られてしまっている気がする。
「筒抜けっちゃそうかもだけど……。私とめぐるはまぁ、家も近いからよく会うし、同じバンドだった時期も長かったからね。でも信用してる人にしか、めぐるからはあんま話さないんじゃないかな。他の人もそうじゃない?」
「はぁ……そういえばすごくお世話になったって言ってましたね。」
「去年の初めのバンドと夏は一緒だったからね。世話、ちゃんと出来てたのかな、でもその分仲はいいよ」
自分も世話になっているし、月無先輩の八代先輩への気持ちはよくわかる。
本当に信頼しているのはわかるし、姉妹のような印象さえ受ける。
秋風先輩や春原先輩ともすごく仲がいいし、月無先輩は人間関係を築くのが上手そうな人だが、八代先輩とはそれ以上の間柄なのかもしれない。
「だから多分一番私がめぐると話すけど、あの子不用意なことは言わないから。最近までは自分のことだってあんまり話さなかったんだから」
「え、そうなんですか。意外っちゃ意外……」
「よく喋るには喋るんだけどね。音楽だって聴かせればすぐ好きになってくれるし、やりたいって言ってくれるけど、あんま自分からは言わないんだよね」
あぁ、そういうことか……八代先輩にすら話せてなかったのか。
確かにゲーム音楽を知っているかもわからない人にはし辛いんだろう。
「ん? なんか納得したような感じだけど」
しまった……迂闊にも少し態度に出てしまった。
人をよく見てくれていて勘の鋭い八代先輩が相手だということを忘れていた。
「あ、いえ。そうなんだなと」
しかし八代先輩になら言ってもいいのではないだろうか。
秋風先輩も知っているし、部室に来る人は気付いているフシもあるし、引っ掛かることと言えば自分の口から言っていいものなのか、その一点だった。
「ま、色々あるんだろうけどね」
運がよかったか、訝るようなこともされなかった。
月無先輩のみぞ知ること、言わない理由には色々と事情があるのかもしれない。
「あれ、もうすぐ昼休みじゃん。混む前に学食行かないと」
気付けば時間は結構経っていた。
練習に関しては確認したかったことはかなり確かめられた。
一人でやるより何倍も効率がよかっただろう。
そこで得た安心感からか、時間の経過を完全に失念していた。
「白井は昼どうするの? めぐるも一緒に食べるから私席取りに行くけど、一緒に食べる? 鍵盤同士で聞いた方がいいこともあるだろうし」
おぉ、ありがてぇ……。
それならば、とありがたくその提案に乗る。
実際月無先輩に訊きたいことは結構あったので助かることこの上ない。
「オッケー、じゃぁちゃちゃっと片づけて学食行こう」
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