日常の彩り 前編

 六月上旬 大学構内 スタジオ廊下

  

 入学から二カ月もたつと大学生活にもかなり慣れてきた。

 先日行われた二回目のバンド練習もつつがなく進み、順風満帆といったところだろうか。


 バンド初心者への八代先輩達の気遣いもあってか、ライブで行う選曲も過度に難しいものはなく、着実にクリアしていく感覚で部活動の日々を過ごす。

 無論それは月無先輩の指導によるものが大きいが、努力が報われる感覚も確かに感じていた。


 スタジオ廊下での個人練習もほぼ日課となっている。

 ライブが近くになるにつれそこで会う面子も増え、部内の知り合いも増えた。

 スタジオに訪れる同じ一年生や先輩方と会話することが多くなると、自分がこの部の一員であるという実感が強くなる。

 それは入学当時に期待していた以上に楽しいもので、自分は気付けば部活人間になっていた。


 楽器を回収しにきたり練習しにきたり、行きかう部員の波が途切れたころ。

 練習もひと段落と自分の楽器を片づけ、スタジオ内の機材置き場に運ぶ。


「ふぃ~……。お、白井じゃん」

「あ、八代先輩お疲れ様です」


 ……ん? なんか服濡れてる。何事だろう。


「何って、雨だよ雨。ここに来る途中いきなりドサーっと降り始めるもんだからさ」


 いきなりの豪雨らしい。

 スタジオのガラス張りの窓から外を見ると、まさにバケツをひっくり返したかのような大雨がまだら模様を作っていた。


「私着替えるからちょっと廊下出てもらっててもいい? ……見たいなら見ててもいいけど」

「いやすぐに出ます!」


 慌てて廊下に出た。

 世話になっているしいい人なんだけど、いつも調子を狂わされるというか……こうして何かとからかわれる。

 八代先輩は陸上もやっているらしく代謝がよく、ドラムを叩くと汗をかくということでいつも着替えを持参している。


 待つ間に廊下から外に出てみると、本当に土砂降りだった。

 とてもじゃないが移動できるような状況ではない。

 とはいえもう楽器は片づけたし、もう一度セッティングするのも面倒だし……さて、どうしたものか。


「白井ー? もういいよー」


 豪雨の前に立ち尽くしていても意味がない。

 お呼びもかかったし、とりあえずスタジオに戻るか。


「いやーまいったね。雨弱まるまで練習していくけど、白井はどうする?」

「……さっき丁度機材片づけちゃったんですよね」

「なんか本当にタイミング悪かったね。天気予報見ておけばよかったなー」


 とはいえやることもないので楽器を再び出そうか出すまいか、無駄な思考を再び巡らせる。


「よっしゃ、じゃぁ曲決めよう。あと一曲決まってないし」


 それは名案。

 ライブのセットリストはあと一曲決まっていなかったし、丁度いいかもしれない。

 八代先輩の練習の時間を奪ってしまったかもしれないが、いいタイミングだ。


「あ、この曲知ってます。いいですよねこれ。アゲ曲に丁度良さそう」

「お、知ってるならこの曲にする? そんなに難しくもないし」


 曲を色々聴かせてもらい、あれこれ意見を出してみた。

 まだまだ知識も浅い自分の意見は大した内容ではなかったが、これまで決まっていた曲の方向性等と照らし合わせ、候補の曲に見当がついた。


「うん、やっぱじゃぁこの曲が丁度いいかな。二、三年だけで決めるのもなんだし、一年の意見聞けてよかったよ。あとでなっちゃんにも聞いておくよ」


 なっちゃん……あぁ、同じくこのバンドにお世話になっている一年生、夏井のことだ。ソプラノサックスだっけあのサックス。

 しかしこうして新入生にも気配りしてくれるあたり、自分の軽音生活が上手くいっているのは、先輩達の配慮あってこそだろう。


 時間もある程度過ぎ、スタジオ内から外の様子をふと見る。

 先程までの豪雨はすでに収まっていた。


「あ、雨止みましたね」

「ほんとだ。よし、じゃぁ丁度いいからそろそろドラム練習始めようかな。白井どっか行こうとしてたんじゃないの?」


 実際どこに行こうかという当てもなかったが……。


「いつも通り部室でのんびりかなーと」

「部室ね。めぐるに会いに?」

「まぁそんなところ……。じゃないです! 決して!」


 そういう気がゼロと言えば嘘になるが、弁解にならない言い訳をした。

 焦ってしまったのが裏目に出た気もするが、八代先輩はニヤニヤしながら冗談冗談と流してくれた。


「曲も決まったし雨降ってて丁度よかったかもね。あとでまたバンド全体に連絡するから。じゃぁ部室行ってら~。……めぐるに会いにね」


 なんかボソッと聞こえた気もするが、敢えて反応することはしないでおこう。

 挨拶を返してスタジオを後にした。


 §


 部室に着くと……今日は誰もいない。

 八代先輩のいじりのせいか少し期待はずれな気もしたが、本来のんびりするために来たはずなのでまぁいいだろう。

 そういえばよくやるもの以外にも色んなゲームタイトルがあるが、部室には何があるのだろうか、ちょっと物色してみよう。


 TV台の横にある小さな棚はゲームソフト保管所になっている。

 ゲーム機の種類によらずパーティーゲームの類がやはり多いが、中にはFFやDQを始め、先日話題になった空の軌跡などのRPGも沢山あった。

 人が集まるはずの部室でRPGというのも違和感を感じるが、月無先輩だろう。


「お、アトリエシリーズもある」


 PS3のアトリエシリーズがあった。

 ロロナ、トトリ、メルルと、アーランド三部作が揃っている。

 このシリーズはかなり好きで、キャラが可愛いのもそうだが、何より曲がいい。


「ロロナはゲーム自体の出来がアレだからリメイク版じゃないとアレだし……トトリはチュートリアル長いし……」


 そしてメルルのアトリエを起動した。

 古いゲームではないし、割と最近プレイしたものなので懐かしいとは違ったが、久々にのんびりRPGをやるにはうってつけのタイトルだ。

 メルルは曲も一番お気に入りだったりする。


 しばらく一人静かにそれに没頭した。


 §


 廊下からドタドタと走る音が聞こえ、部室のドアが勢いよく開けられた。


「ひゃー、雨だよ雨!  あ、白井君お疲れ! ちょっとそこのタオルとって!」


 雨に降られた人を出迎えるのも本日二度目、嵐のように登場した月無先輩が指差す先にあるタオルを差し出した。

 ゲームに集中していて気付いていなかったが、外を見ると再び大雨になっていた。


「ありがとー。助かったー。いやぁまいったまいった」


 先程の八代先輩と同じようなことを言うので、自然と笑いがこぼれた。


「むー、笑いごとじゃないよー。ふー……。あ、メルルやってる!」


 タオルで濡れた所を拭きながら、TV画面内に気付く。


「あ、さっき見つけたもので。今終わりますね」

「え、いいのに! あたし見てるのも好きだから」


 人がいるのにRPGをやるのは何か違う、そう返して電源を切った。


「気にしなくていいのに~」

「まぁ丁度死に戻りしたとこだったので」


 そして月無先輩がタオルを使い終わり、ふーと息をつきながらソファーに座る。


「ってかなんでタオルなんてあるんですかこの部室」


 前々から気になっていたがタオルだけじゃない。

 毛布や枕、日用品の類も揃っていて、誰か住むつもりなのかとツッコみたくなるような充実ぶりだ。


「あー、泊まったりは出来ないんだけどね。深夜連終わってそのまま寝に来る人もいるからそのため。大丈夫だよ、ちゃんと洗濯してるから!」


 なるほど、大学の部活ならそういうこともあるか。よく見ると寝袋もある。

 自分はまだ体験したことはないが、近場の音楽スタジオを借りて徹夜で練習することもライブ直前などにはしばしばあるそうで、そこから帰宅を挟まず学校に直接来る人がそういった部室の使い方をするとのこと。

 家が遠い人や楽器が重荷な人はよくそうするようだ。


「でも不思議なんだよね……」


 ……何? 先輩がいつもの如く意味深に切り出した。


「あたしも洗濯してるけど、大抵いつの間にか誰かがやってるのよ……」


 何その怪談の成り損ない……。

 しかしよく来るメンバー、秋風先輩や春原先輩ではないらしい。


「氷上さんとかだったらめっちゃ面白いよね。

 『ふん、あいつらまた好き勝手に使って。仕方ない、俺がやっておこう』

 みたいな!」


 あ~……。想像してみたら笑いが込み上げてくるが、恐れ多くて肯定は出来ない。

 そんな他愛のない話をしつつ、穏やかに時間がすぎていった。

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