幕間 スタジオの怪談


 入部してから一カ月程経ったころ、一入生の間で不思議な噂が広まっていた。


 ――スタジオにもスタジオの廊下にも人がいないのにサックスの音が聞こえる。


 どう考えても部員の誰かなので怪談の類にしては滑稽だが、怪現象に仕立て上げた方が面白いこともあってか、そんな風に囁かれていた。


 そんな噂を耳にして数日。

 一限の授業が終わり、空き授業である二限の時間を潰すためにスタジオに向かうと、その途中で同学年の軽音部員に遭遇した。


「白井お疲れ~」


 挨拶を交わし、特に生産性のない一年同士のそれらしい会話で数分が経った。


「じゃオレ授業行くわ!」


 もうどう考えても遅刻の時間なのだが、時間にルーズな奴なのか。

 こちらもスタジオに行くと返すと、変なテンションで忠告を受けた。


「スタジオ!? 悪いことは言わない……引き返した方がいい……」


 村人かとツッコみを入れ、一笑に付しスタジオに向かった。


 スタジオの廊下には誰もおらず、スタジオの中では何人かが練習していた。

 自分の鍵盤を廊下に運び出し、セッティングしていつも通り練習をし始める。

 初のバンド練習後に決まった、次の練習で新しくやる曲の音取りだ。


 音取りも煮詰まり、ひと段落ついたので、ヘッドホンを外してため息をつく。

 するとどこからともなく管楽器の音が聞こえた。


 ……廊下には誰もいないし、他の誰かの持ち物も置いてありはしない。

 スタジオ内も人は替わっていないし、何より誰も廊下を通っていない。

 どこからかと気になったが、建物自体古く音もあちこち反響しやすいため、自分の位置からでは皆目見当がつかなかった。


 誰だろうか、楽器の音で種類を判別できたら推理できたのかもしれないが、あいにくと管楽器はからきし。音色で判別できる耳はまだ備わってない。

 特に怖いとは思わなかったが、不思議な感覚に陥り、スタジオを後にした。


 §


 二限もそろそろ終わりかという時間、昼食をとって部室に向かった。

 誰もいなかったので何かゲームでもしようかと思ったが……新入生が一人でゲームしているのもよくないかと、音取り途中の曲を聞きなおすことにした。

 音取りの作業は一通り済んでいたが、意識せずに単純に聴くだけの時間は必要だ。

 すると数分もしないうちに月無先輩と秋風先輩が部室にやってきた。


「お、白井君おは~」

「あら、しろちゃんこんにちは~」


 イヤホンを外し、二人に挨拶を返した。

 月無先輩はいつものごとくTVの前、秋風先輩はソファーの向かって左側、澱みのない動きで迅速にそれぞれの持ち場についた。


「白井君なんかやろー!」

「いいですよ。何やります?」


 どれにしようかと先輩は数秒悩み、結局スマブラを選んだ。

 トラウマもあったが、そこは男として引くわけにはいかない。

 ……やってやりましょう。今日こそは一矢を報いらせていただく。


「この曲いいよねー」


 など相変わらず一方的に戦闘中に会話をしかけてくるも、慣れたものだ。

 秋風先輩の前で見せた前回の反省を活かしたのか、先輩も暴走することはない。

 ただゲームをするだけの時間は、ただ楽しい時間だった。


「おら~! フフッ、白井君いつも烈鬼脚れっききゃく喰らうよね」

「あのタイミング避けらんないですよ……はぁ……まじガノン」


 ……楽しかったが案の定マグレすら起きない。

 これ以上はさすがに凹むというところで、一旦休憩しましょうと提案した。

 修羅はまだ殴り足りないという顔をするが……もう限界なんすよマジで。


「めぐちゃんほんと楽しそう~」

「うん! 白井君そこそこ強いから楽しい!」


 弱くはないとは思っているが圧倒的実力差により素直に喜べない。

 そこそこという言葉がリアルな評価でまた凹む。


「でもたまには勝たせてあげなきゃ~」

「自分で這い上がってこそ! 一回でも負けると本気になっちゃうし!」


 ……もしかして手加減されてこれなのか。

 勝つことが事実上不可能なことを悟ったので、ゲームから会話を切り離し、例の噂について触れた。


「そういえば最近変な噂ありませんか?」


 二人とも頭に疑問符を浮かべた。


「いやなんか、スタジオ廊下で誰もいないのに楽器の音が聞こえるっていう」


 二人が顔を見合わせて首をかしげた。


「何だろ。吹先輩知ってます?」

「うぅん。何だろうね~」


 先輩方でも知らないようだ。

 自分のさっきの体験を付け足して詳しく説明した。


「え~、何それ。でも多分部員でしょきっと」

「そうね~、誰かしら~。私も午前中はあんまりスタジオ行かないから~」


 心当たりもないようで、三人で首をかしげた。

 少しの間の後、思い当たったかのように秋風先輩が口を開いた。


「あ、もしかして~。しろちゃんしろちゃん、それ、テナーサックスの音じゃなかった?」


 テナーは低音域だったか、聞き覚えを探ってみよう。

 たしかに今まで聞いたことのあるものよりは音が低くて太い気がした。

 それに少しぼわっとした音というか、そんなことをつぶやくと……。


「あ、そういうことか!」


 月無先輩もひらめいたようだ。

 答えが早く知りたくどういうことかと訊くと、月無先輩はスピーカーに自分のウォークマンを挿した。


「聞こえたのってこれじゃない?」


 するとそこから流れたのは聴いたことのないインスト楽曲……いや違う、さっき聴いたような覚えのあるインスト楽曲だった。


「あ、多分これです。こんな感じだった気がする。しかしカッコいいなこれ……」

「ってことは間違いないね」


 正体が確定したらしい。

 答えを催促するも、月無先輩達は「ねー」と顔を合わせてもったいぶった。

 そして月無先輩がおもむろに立ち上がり、こちらを指さして言った。


「謎は自分で解決してこそ! 先輩の力ばっかり借りてちゃ成長しないぞ白井君!」

「うふふ、そうだぞ~」


 ……秋風先輩のせいでなんとも気が抜ける。この件で何が成長するというのか。

 この前の二郎の件もそうだが、この二人がセットになるとどうにも調子が狂うので、適当に話を切り上げよう。


「ハァ、わかりました……。明日自分で現地調査してみます」


 すると月無先輩ははっとした表情をして言った。


「あそこに向かうって言うのかい……。悪いことはいわねぇ……」

「それさっき他の人にやられました」

「えー、嘘ー!」


 秋風先輩にゴロつきながら、月無先輩はむーとぶーたれた。


「あ! ヒントはこれ!」

「うふふ、ぬいぐるみモード~」


 意味がわからんが……あっ、なんとなく察したわ。


 §


 翌日の午前中、同じ時間に改めてスタジオ廊下に訪れると、また例の音がした。

 しっかり聴いてみると、確かに昨日部室で月無先輩が流した曲だ。

 昨日と同じで音の出所がわからないので、周辺散策をしてみることにした。


「あ、もしかしてあっちか。いつもとは逆側の」


 スタジオは大講堂の地下にあり、講堂脇の向かって右側の階段を使う。

 スタジオ廊下の入り口から対角は普段誰も開けない扉だが、その先に外界へつながる階段がもう一つあったのを思い出した。


 錆びついた分厚い扉を開けてその階段を上ると、音の近さが増した。

 そのまま上り続けると、階段の途中、半地下のフロアへ入る踊り場にでた。

 なるほど、このフロアの入り口はここだけになっているし、普段使っている方の階段からでは内部の様子も見えない。

 というかここに階層があることにすら気付いていなかった。


 ギィィと鳴る扉をあけると、森に隠れるリスのよう、小さな影がそこにいた。

 ぬいぐるみモードのヒントでもしやと思っていたが、やはり春原すのはら先輩だった。


 何故ここがバレた!

 というような大袈裟なものではなかったが、少し驚いた様子。

 それに申し訳なさを感じつつ挨拶をした。


「びっくりした……。誰も来ないと思ってたから」

「あ、すいません、練習の邪魔でしたよね」


 わざわざ誰も来ない場所を選んで練習していたのだから、それはそうだ。

 謝罪をするこちらを見て、春原先輩は背丈に見合わない大きな楽器をおろした。


「大丈夫だよ。もう終わるところだったから」


 春原先輩は嫌な顔せずそう言った。

 いつもここで練習しているのか、と訊いてみた。


「うん、そう。一人で集中出来るから」


 どうやらこのフロアは、去年問題を起こして廃部になった部のスタジオのようだ。

 軽音楽部の上の階で同じく広い廊下。一人で静かに練習できるからと、普段の階段は使わずに大講堂脇、向かって左側の階段から直接ここに来ているそうだ。

 謎が色々解けたところでふと気付いた。


「あれ、先輩いつもよりサックスでかくないですか?」


 先日の練習で見たものとは違う。

 頭の悪そうな言い方になってしまったが、気付いたことが反射的に口に出た。


「ふふ、何それ。これはテナーサックスだよ。白井君とのバンドでは使わないもの」


 言い方が功を奏したか、春原先輩はふふっと笑ってくれて、互いの緊張も少し解けたような気がした。

 春原先輩が自分と同じバンドで演奏しているのはアルトサックス、これは音域が低く一回り大きいテナーサックスで、代表バンドで使うとのこと。


「あ、インストやるんですよね!」


 言ってから気付いたが、隠しキャラを見つけたような高揚感のせいか図々しさに拍車がかかってしまった。


「誰から聞いたの? それ」


 ……しまった。

 怒ってはいないようだが、あれこれ質問されてイラついていないだろうか。

 月無先輩から聞いたことを白状すると、春原先輩は控えめな笑顔で言った。


「ふふ、何で謝るの? やっぱりめぐるちゃんか。仲良しだね」

「そ、そんなことは……はい」


 恥ずかしまぎれの自己弁解を返すも、悪い印象を与えていなかったので安心した。

 おたがい自然に笑みがこぼれた。


「この曲、めぐるちゃんもすぐに気に入ってくれてね。難しくて中々できないから、あんまり人に聞かせられなくて」

「……え、俺とんでもないことしちゃったんじゃないでしょうか」


 代表バンドの春原先輩が言うならよっぽど難しいのだろう。

 不出来な練習を見られるのは誰だって嫌なはずだ。


「だから大丈夫だよ。本当に全然大丈夫。それに白井君になら別にいいよ。同じバンドだから」


 本当に全く気にしてないようだ。……同じバンドでよかった。

 それに人見知りなようで春原先輩とは最初はあまり話せなかったが、今は普通に話すことが出来ている。

 どうやらこの件もあってか、多少は心を開いてくれたようだ。


「これからめぐるちゃんとお昼食べるから、私そろそろ行くね」


 春原先輩はそう言って、片づけを始めた。

 無言で見ているのもなんなので、こちらから話を振ってみた。


「春原先輩はよく月無先輩と昼食一緒するんですか?」

「うん、特に授業が一緒の時とかはいつも」


 そして少し間をおいて春原先輩は続けた。


「あと、私のことはスーでいいよ。めぐるちゃんもそう呼ぶから。折角だから白井君も一緒に来る?」


 おぉ、なんとも嬉しい提案だ。

 多少気恥ずかしい気もしたが、仲間と認められたような気がして嬉しくなる。

 それなら是非、と答えて二人で学食に向かった。


 §


 二限はまだ終わっていないので、学食はそこまで混み合っていない。


「月無先輩もう来てるんですか?」

「うん、すぐに見つかるよ。わかりやすいから。……ほら、あれ」


 わかりやすいとは何のことかと思ったが、確かにわかりやすい。

 ……ポツンと一人携帯ゲーム機をしている女子など他にいるわけがない。

 声をかける前にこっちに気付き、ゲームをする手をやめて手を振ってきた。


「ね、すぐ見つかったでしょ」

「はは、確かに」


 月無先輩と合流して、四人がけのテーブルに着いた。


「白井君、隠しキャラは見つけたようだね! しかも仲間にまでするとは!」

「隠しキャラ? 何のこと?」


 春原先輩が不思議そうにしたので、事情を説明した。


「新入生で噂になってたんですよ、誰もいないのに音が聞こえるって」


 するとガーンといったような顔をして……


「誰にも気付かれてないと思ってた……。ミュートもかけてたのに」


 そういえばサックスの管にタオルをつっこんでいた。

 なるほど、あれで音を抑えていたのか。ぼあっとした音の印象の正体だ。


「ま、まぁでも新入生誰もスー先輩だって気付いてないですから!」


 そうフォローを入れると月無先輩がいきなり声を上げた。


「あー、ズルい!!!」


 何事だ一体。

 春原先輩も驚いているじゃないか。


「今スー先輩って! あたしはずっと名字なのにー」


 そういうことか、しかし何でそんなこと。


「大丈夫、私が許可した」

「えーじゃぁあたしのこともめぐる先輩って呼ぶこと!」

「それはちょっと恥ずかしい……」


 名字からもじっているならまだしも、名前をそのまま呼ぶのは抵抗がある。

 ……苦手なんだよなぁ、名前呼び。親しい友人でもほとんどいないし。


「むー。じゃぁあたしは勝手にあだ名で呼ぼう」

「どんなあだ名? 面白そう」

「う~ん、白井健だから~。白い鍵盤でハッケン!」

「それはマジでイヤです!」


 じゃぁ何か考えとく、と微妙に不安なセリフを残された。

 そんな様子を見て春原先輩はふふっと笑った。

 しかし小動物的癒しというか、春原先輩の控え目な笑顔もまた月無先輩のそれとは違う魅力がある。


 月無先輩ともファーストネームで呼ばれてもかまわないくらいには仲も進展したのだろうか、それがわかったのは春原先輩のお陰だ。

 色々といい機会を与えてくれたスタジオの噂は、大切な思い出になった。





隠しトラック


 ――ディスカバリーチャンネル ~大学図書館にて~


「いいんですかねこれ」

「いいのいいの、ほんと可愛いから! 白井君も見てほら!」

「バレたらどうなるか……。俺、スー先輩と同じバンドですし」

「あたしだって代表バンドで同じよ! いいからほら、ほら見て! スーちゃん取りたい本に手が届かないの! 上の棚見上げて! 可愛い~!」

「……プッ」

「可愛いでしょ?」

「……はい」


「ほら踏み台持ってきた」

「台座めっちゃデカく見えますね」

「楽器の時もそうだよね。ほんと可愛い」

「わかる」

「お、取れたみたい。小動物観察続行」


―――数分経過


「いつまで続くんですかこれ。ずっと本読んでるとこ見てるだけじゃないすか」

「あたしの気が済むまでに決まってんじゃん。あ、来た! 一番の見どころ! 見てて見てて!」

「なんですかもう……」

「ほら、水筒飲むから!」

「……」

「めっちゃ可愛くない?」

「……はい」

「両手で水筒持つとか反則じゃない?」

「わかる」

「あれはスーちゃんじゃないと許されない仕草だよね~。しかも飲んだあとふーって一呼吸置くの!」

「月無先輩図書館でもプハーとか言いそう」

「……わかる」

「言うのか」

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