SPY Rain

狩部崇介

Prologue:Christmas Eve, 2022

 2022年12月24日、深夜。一人の少女が、この世から永遠に姿を消した。

 少女の名は、桐野江美雨(きりのえ みう)。十七歳。彼女がこの世界で最期に生きた場所は、その前年に完成したばかりの、東京湾内の人工埋立地――第二十四番目の政府直轄特別管理区『天原区』と東京本土を繋ぐ国道ルートの入り口付近。彼女は、その日何の前触れもなく発生した火災に巻き込まれ、一瞬にして、その体を、心を炎に奪われた。この事件の、唯一の『被害者』として。


 何故、その日、彼女がその場所に居合わせたのか。無関係な人々は様々に憶測した。――「僕」だけが、その理由を知っていた。彼女――美雨は、「僕」と二人だけの約束を交わし、待ち合わせていたのだ。クリスマス・イブを、二人で過ごそう、と。一世紀以上も美しく輝き続けている、対岸の「東京」を二人で眺めようと約束して、あの日、あの場所に向かい、僕が数分到着が遅れた――その、ほんの数分の間に、美雨だけがこの世から独り消えていった。「僕」を、遺して。「僕」を、『第一目撃者』という運命へと縛り付けて。


 美雨と「僕」は、昨年、「天原区」の完成と共に開校した国立高校『九鉄學園』の第一期生で同級生だった。

 共に、片親。そして、親が新たな特別管理区建設プロジェクトに携わっていた関係で、第一期生としてテストケース的に入学してきた特別な生徒、という似た境遇が、僕らを簡単に結び付けた。僕らの関係が深く絡んでいくのは、自然な流れだったとも言える。僕らは、やがて互いに疑いようもないまま恋仲へと堕ちた。


「僕」が、彼女に惹かれた理由。それを一つ挙げるとするならば、それは美雨の背後に仄かに見え隠れしていた「翳り」の存在だった。今でも、あの正体を上手く言葉に言い表せないけれど、あの深く深く堕ちたら二度と戻ってこられないような深淵――その奥底に覗かせる「翳り」。「僕」は、彼女が生前、決して口にすることのなかった、彼女の秘密めいた「何か」に、強く強く惹き付けられていた。

 彼女が、僕の目の前から姿を消した後も、それは一瞬の閃光によって刻まれた影のように、僕の記憶の中に色褪せることなく留まっている。彼女の、儚さを帯びてより輝きを増していた漆黒の瞳や整った鼻筋、血色の良い少し厚めの唇、程好く引き締まった顔の輪郭――彼女の、どんな美しい姿よりも、愛らしく想えた笑顔よりも、僕の記憶の中でそれが鮮明に色付いている。


「ねえ、今年のクリスマス・イブは、一緒に過ごさない?」と、控えめながらも、どこか大人びた口調で美雨が誘ってきたのは、その年の秋の初め頃だった。初めて二人で迎えるクリスマス・イブ、と彼女は微かに頬を染めて続け、僕の答えを待った。

 僕らにとって、そのやりとりは、これまでの十七年という短い人生の中で初めて迎える時間で、この先の人生に続いていく新たな扉が一つ開くような、得体の知れない希望が沸いた出来事でもあった。

「いいね。『東京』の方にでも出かける? 渋谷とかさ」と僕が提案すると、彼女は首を横に振って曖昧に微笑んだ。そして、眺めるだけで良いかな、と囁いて優しく笑った。お父さんも遅いし、その日は二人だけで静かに過ごしたい、と彼女ははにかみながら強請った。そして、「良い場所があるのよ」と消え入りそうな声で、まるで誰にも明かしたことのない秘密を「僕」にだけ打ち明けるように細い声で添えた――。


【クリスマス・イブに起きた、女子高生怪死事件】。

 事件の翌日、一連の騒動を聞き付けたマスコミの見出しは、僕らを取り巻いたあの僅か数分の出来事をそんな表現で言い表した。何故、美雨はこの世から消えたのか。あの日、あのとき、あの場所で。TVの向こう側では、遂には専門家まで登壇し、哀れな高校生カップルの行く末を語り尽くそうとさえしていた。

「僕」は、剰りに非日常の出来事のような気がして、この数日の出来事を真正面から受け止められず、どこか別の場所から眺めているような錯覚の中で過ごした。――何故、美雨がこの世を去ることになったのか。あれは、事故だったのか。どんな答えも俄な実感さえ無く、すべてが僕の前に「謎」であり続けた。彼女が死んだ、という事実と共に。美雨が、永遠に戻ってはこない、という現実と共に。


 そして、2022年12月25日。桐野江美雨という少女を喪っても、この世界は酷にも「明日」へと一つ動いた。

 『物語』は、この延長上へと静かに続いていく。まるで、彼女の後を追っていくかのように。

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