彼女の夢に終止符を。
鴉羽 都雨
『1/夢想』
今日は前回から三日目だ。
ベルとお喋りをしていた私は、ガチャリというドアの開けられる音がしたので、そちらに目を向ける。モジャモジャ頭で背の高いおとこのひと。先生だ! 先生は三日に一度やってくる。今日がその日だ。
先生は優しいし、お外の話をしてくれるから、私とベルは先生が来るのをいつも心待ちにしてる。
「先生!」
私が弾ませた声でそう言うと、先生はにっこりと微笑んだ。私は先生のその笑顔が好きだ。柔らかくて、優しくて、暖かい気持ちになれる。
「今日は早いね。前来た時は寝ていたのに」
確かに前先生が来た時は、私はまだ寝ていた。だって前の日の夜にベルとおしゃべりしてたら止まらなくなって、寝るのが遅くなってしまったから。
けど、今日は先生に早起きえらいねって褒めてもらいたくて、早めに寝たのだ。
「私だって大人なんだよ。早起きぐらいできるよ!」
大人ぶって胸を張る私に、先生は偉いねって言いながら私の頭を優しく撫でてくれた。先生の手の感触はとても落ち着く。
ふと隣を見ると、ベルが羨ましそうに私を見ていた。ベルも頭を撫でて欲しいのだろうか?
しかし先生はベルのその様子に気づかなかったようで、私の頭を撫で終わると、その手を元の位置に戻した。ベルは落胆した表情を見せた。
「ところで、調子はどうだい?」
先生はそう話を切り出した。先生は私たちに会うと、毎回この質問をしてくる。
「変わりないよ。ね、ベル」
「うん。いつも通りだよ。エデ、先生」
私とベルはいつもと同じように返答した。
先生はその返事を聞いて、一瞬だけ表情を曇らせたが、それも本当に一瞬のことで、すぐに笑顔に戻った。もしかしたら私の見間違えだったのかもしれない。
「そうかい。それは良かった。最近、二人はどんなことをしているのかな?」
「んっと。本を読んだり、おしゃべりしたり……。そういえばこの間、ベルと『先生は本当にお医者さんなのか』ってことについて話したよ」
隣のベルが、ふふっと楽しそうに笑った。
先生はその言葉の意味がわからないみたいで、不思議そうに私を見た。
「え?」
「だって本に出て来るお医者さん達は、先生とは違うんだもの」
「先生は白衣着てないし」
ベルの言う通りだ。でもそれだけじゃない。
「聴診器も持ってないし」
「メガネもかけてないもんね」
「ぜーんぜん、お医者さんっぽくないよ。それにお医者さんらしいことなんにもしてないじゃない」
ベルは同意するように、私の言葉に何度も頷いてからこう言った。
「ただ私たちとおしゃべりするだけ」
「先生とおしゃべりするのは楽しいけどね。でも、お喋りしかしないってなんか変だよ」
先生はあはははと笑った。ベルは不満そうに、笑ってないで答えたよと言った。私は、変な先生と呟いた。
「まあ私みたいな、ただ患者さんとおしゃべりするだけのお医者さんもいるんだよ。それに君たちは身体が弱いからね。大丈夫かどうか毎回確認しているんだよ」
身体が弱い。先生もママも私たちがそうだと言う。
でもあまり実感がない。お薬とかも飲まないし、別にどこも悪くないと思う。
先生はふと腕につけてる時計を見た。なんだかちょっとわざとらしい仕草だった。
「ああ、もうこんな時間だ。私はそろそろおいとまするよ」
おいとまってなんだろう。先生はたまに難しい言葉を使う。
それにしてももう帰ってしまうのか……。もっとゆっくりすればいいのに。寂しい。でも先生はきっと忙しいのだ。
本人が言ってたわけじゃないからわからないけど、もしかしたらものすごい名医さんなのかもしれない。
先生とおしゃべりしてるだけでとっても安心できるし、名医さんだとしても不思議ではない。先生とおしゃべりしてるだけで、病気なんか治ってしまいそうだ。
「もう行っちゃうの」
ベルは寂しそうにぽつりと呟いた。
「つまんないの」
私もできるだけ寂しさが伝わるようにそう言った。
先生はちょっと困ったみたいな顔をした。私は先生を困らせてしまったのだ。なんだか申し訳ない気持ちになる。
先生は立ち上がって部屋を出ようとした。
けど、私は一つ聞きたいことがあったから、ねえ。と先生を呼び止めた。
「何だい?」
「今日はお外はどんな感じだったの? 晴れてた? 雨が降っていた?」
先生は私たちから目をそらして言った。先生はたまに私たちと目を合わせてくれないことがある。どうしてだろう。
「よく、晴れていたよ」
「そっかあ……。晴れているってどんな感じなんだろう」
あたり一面明るくて、天井がなくて、どこまでも続く青い『空』。私にはわからない。見たことがないから。
この部屋は明るいけれど、その『明るさ』とは違うのだと言う。天井がないとういうのも私のちっぽけで、貧弱な想像力では思い描けない。
私は上を見た。そこには気持ち悪いくらい白い天井があるだけだった。
「私にもわからないよ」
ベルも天井を見た。彼女なりの『空』を思い描こうとしているのかもしれない。
「エデ……」
先生は辛そうに私の名前を呟いた。
「……でも、それがどんなものか確かめるのは、無理なんだよね。私たち、お外に出たら死んじゃうんだもん。だけど私は、お外ってやつがどうしても見てみたいんだ」
ベルは俯いてそうだねと言った。
先生は暗い表情で部屋を出て行ってしまった。
先生、私たちのこと嫌いになってしまったのだろうか。それだけは嫌だな。と思った。
先生は私たちがお外の話をすると、口数が減ってしまう。先生はお外の話をするのが嫌なのかもしれない。
でも私はついお外の話ばかりしてしまう。
「……ねえ、ベル」
「なあに?」
私はベルの目を見て言った。私とおんなじまん丸な黒い目。吸い込まれてしまいそうな、大きな目。
「もし病気とかになって、もう直ぐ死ぬって言うのが分かったら、一緒にお外に出ようよ」
「……」
「死ぬ前に一度、空を見よう。花の匂いを嗅ごう。風を身体全面で受けて、それから、死のう」
私はベルの手を握った。温かくも冷たくもない不思議な手を。ベルは優しげな眼差しで私を見る。
「『死ぬ』っていうのが私にはよくわからない。本とかで読むけど、よくわからないじゃない? でも死んだら、真っ暗闇の中で永遠の時を過ごさなくちゃいけないって言うのはわかるの」
ベルは黙って私の話を聞いてくれている。
「そんなところに閉じ込められたら、もうずっとそこからは出られない。だから死ぬ前に、お外に出るの。お外に出たら死んじゃうけど、でも死ぬ前なんだから数分後か数秒後か、それだけの違いだから、それだったら最後にお外に行きたいなって。一瞬だけでも外を知ってから死にたいなって。そう思ったの。美しい『花』や、透き通った『空』。涼しい『風』……。そんな中で死ねたなら、とても素敵だと思うの」
「エデは、死ぬのが怖い?」
ベルの無邪気な問いかけ。
『死ぬ』
真っ暗闇の中で永遠に過ごす。きっとそこでは本も読めないし、先生やママ、大切な人とも会えない。お外にもない。何もない場所……。
「怖い。怖いよ。だからせめて死ぬ前に、安らかな気持ちになりたいんだよ……」
「そう……。でも、どうして急に?」
ベルの言うことももっともだ。
「どうしてだろう……。私にも、わからないや。多分、お外のこと考えたからかな。私たちがお外に出られるのはいつなんだろうって……。そうしたら死ぬ直前しかないのかな……。そう思ったの」
お外の世界を知らないまま死んでいくなんて、あんまりだ。
「そっかあ。そうだね。お外はどんなところなんだろう」
ベルは夢見るように何もないところを見つめた。
それから私たちは、お外について夢を語り合った。『空』はきっとコップの中の水よりも透き通っている。『空』に浮かぶ『雲』はきっと綿菓子の味。『花』の匂いはきっとパンケーキよりも甘い。『風』はきっと……。
そんな風に過ごす時間は宝石箱に詰めて大切に保管しておきたいぐらい、大切なものだった。
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