いつかまた、桜の樹の下で
榛葉
第1話プロローグ
その名前の通りの、春の暖かさを感じる君に出会ったのは今考えると必然だったのだと思う。
高校2年の春休みと同時に僕は体調を崩し、入院する事になった、母に付き添われ個室の病室へと看護婦の平川さんに案内される。僕が入院するのが決まるといつも平川さんが僕の面倒を見てくれていた。
「今回は少し長い入院になるそうですね、樹君も何かあったらすぐに呼んでね」
昔から変わらない優しい笑顔で平川さんは微笑んで、病室を出ていった。母がバッグから僕の着替えを出して棚にしまいながら話しかけてきた。
「何か他にいる物とかない?」
「大丈夫、ありがとう」
僕は首を横に振り、何もいらない事を伝える。
「欲しい物があったらちゃんと言うのよ、また夕方に来るから」
母も病室から出ていき、部屋に一人になった僕はとりあえず病院着に着替えてベッドに横になり、真っ白な天井を見上げていた。小学生の頃から入退院を繰り返してすっかり見慣れてしまった天井を眺めるのに飽きた僕は飲み物を買いに売店に向かうことにした。売店のおばさんも昔から変わらず、いつまで入院するの、とか少し会話をしてから病院のロビーの椅子に座り水を一口飲んだ。本当は炭酸とかを飲んでみたいけど、医者に禁止されてしまっているからいつも飲むのは水かお茶だった。そこでしばらく診察室に呼ばれたり、会計をしたりしている人を意味もなく眺めていると、横から聞いた事があるような声がした。
「あれ、中村君だ」
苗字を呼ばれ振り返ると、そこには高校二年間一緒のクラスだった椎名桜が立っていた。そして二年間クラスが一緒だったけど、一度も会話をした事はなかった。綺麗な長髪の黒髪に、校内でも一番可愛いと皆が認めている彼女は常にクラスの中心にいる女の子で、何回も入院して出席日数もぎりぎりで、クラスの輪に入れない僕なんかとは関わり合いがない存在だった。
「どうも」
そしてこれからも関わる必要はないので、適当に返事を返す、しかし椎名はその返事で笑顔になり、何を考えたのか僕の横に座ってきた。
「その服装って事は今入院中なんだ、どこか悪いの?」
「今日からね、ちょっとした検査入院」
隣からするいい香りと、綺麗な横顔に少し鼓動が早くなるのを感じたけど、冷静を装い返事をする。
「私のお婆ちゃんもここに入院しててそのお見舞いに来てたんだ」
「そうなんだ、じゃあ僕は病室に戻るから」
「あ、待って」
椅子から立ち上がった僕を椎名は呼び止める。
「今日は検査とかあるの?」
「いや、今日は何もないけど」
なぜそんな事を聞くのか分からなかったけど、僕の答えを聞いて椎名も立ち上がる。
「じゃあ、もう少しお話ししようよ、二年間もクラス一緒なのに君とは全然話した事なかったし」
「クラスの人気者とクラスのはみ出し者が話す必要なんてないと思うけど」
僕の返事に椎名は可愛らしく頬を膨らませて不満をアピールしてきた、そんな顔をされたら学校の男子達なら何でも言う事を聞いてしまいそうだ。そんな事を考えていると、椎名が一歩僕に近づく。
「私には必要があるので、お話をします」
人差し指を立てながら椎名は宣言した。否定を許さないその態度に僕の方が根負けしてしまった。
「わかった、ただ病室に戻るのは本当だから」
僕の後ろを椎名は笑顔で歩いている。病室に戻ると平川さんがいて、点滴を打つ用意をして僕を待っていたみたいだ。
「樹君、先生からこの点滴を打つように指示があって、って後ろの子は?」
「あぁ、僕の高校のクラスメイトです」
「初めまして、椎名桜です」
礼儀正しく椎名は平川さんにお辞儀をしながら自己紹介をする、平川さんは少し驚いた顔をしたけど、椎名が頭を上げた時にはいつもの表情に戻っていた。
「樹君が学校の友達を連れてくるなんて初めてね、それにこんな可愛い子だなんて」
おばさん臭い平川さんの言葉に椎名は頬を赤らめさせて照れていた。
「友達じゃないですよ、クラスメイトです」
後ろから感じる視線を無視して僕はベッドへと向かった。そんな僕の態度に平川さんはひとつ溜息を零した。
「椎名さん、悪いけど少し外に出ててもらえるかな、終わったらすぐに呼ぶから」
「あ、分かりました」
何も疑う事なく椎名は病室の外に出ていき、それを確認した平川さんが僕の方へと向き直る。
「彼女は何も知らないの?」
「はい、たまたま会っただけですから何も知らないですよ」
そっか、と寂しそうに呟いた平川さんはそれ以上の事は聞かずに点滴の準備をテキパキと始めた、多分平川さんは期待したんだと思う、僕が初めて学校の子を連れて来た事に、病気の事を話せるような人が出来たと思ったんだろう。でも僕はそんな事もうどうでもよかった、この世界はあまりにも不平等で、不自由で、僕の命をもてあそぶ。そんな世界で頑張って生きてる人達はあまりにも眩しすぎて、羨ましくて、現実を僕に叩きつけてくる。なら初めから関わらない方がいいと思えた、光から背中を向ければ、眩しく感じる事なんて無くなるから。
「よし、点滴終わり」
考え事をしてる間に僕の左腕には細い管が点滴袋まで繋がっていた、平川さんは捲られた僕の左腕を見て、包帯を腕に巻き始める。
「病気の事知らないなら、これ見たら彼女きっとびっくりするだろうからね」
そうだった、もう何百回と刺した注射痕は消える事なく僕の両腕に残っていた。
「すいません、ありがとうございます」
「このぐらいの気遣いはできて当然」
平川さんが病室を出るのと同時に椎名が入れ替わりで入ってくる、ちらっと僕の腕を確認してから、近くに置いてあった椅子を僕のベッドの横に持ってきて座る。
「綺麗な看護婦さんだね、君のタイプだったりする?」
「綺麗なのは認めるけど、そんな感情は抱かない」
「じゃあ、どんな人がタイプなの?」
「タイプなんて、ないよ」
つまんないの、と唇を尖らせた椎名はすぐに違う質問をしてきた、その質問はどれも他愛のない事で、普段クラスメイト達がしているような、中身のないどうでもいい質問ばかりだった。
「椎名は何で僕と話したがるの?」
質問攻めに疲れたというのもあって、とりあえず適当に質問を返しただけだったのに、そこから椎名はしばらく考え込んで口を開いた。
「君が他の人と違うからかな」
一瞬鼓動が強く跳ねた、そんな僕の変化に気づかずに椎名は言葉を続けた。
「二年間一緒だったけど、君が誰かと話してるのってほとんど見た事ないし、いつも一人だから凄いなって思って」
「凄い?」
全身の血の気が引いていく感じがした、何が凄いのか、僕には理解できなかった。
「うん、私なんて常に誰かと一緒にいるから、一人になった時は寂しくなったりするんだよね、だから君みたいに誰かと関わらなくても平気でいられるのは羨ましいなって」
椎名の笑顔は本当に悪気がなくて素直な気持ちを僕に伝えてくれたんだと思う、椎名は僕がどうして一人を選んだのかも知らないのだから、僕もここは椎名に合わせるべきなのは頭では理解していたけれど、でも止められなかった。
「一人が羨ましい?僕は一人が怖いよ、だけど一人で生きていくしかなかったから、僕は椎名が、他の皆が羨ましい、何も考えず馬鹿して笑いあって明日を迎えて、色んな未来がある皆が羨ましい」
不意に目頭が熱くなった。なんで僕は今日初めて話した椎名にこんな事を言ってしまったんだろう、椎名は何も悪くなくて、一番眩しい光に羨ましいなんて言われて、僕の心が耐えきれなかっただけだ。椎名の顔を見れずに僕は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「ごめん、今のはただの八つ当たりだ、忘れてほしい」
みっともない、今まで隠してきた本音をこんな簡単に喋ってしまった自分が、どうしようもなく、みっともなかった。ふと気づくと膝に置かれた椎名の両手が震えているように見えた。その手に涙が零れる。
「病気、治らないの?」
掠れた声は今まで聞いた言葉よりもはっきりと僕の耳に届いた、その椎名の問いかけに、答えの出ている問いに僕はすぐに返事ができなかった。それが答えと悟った椎名はまた一粒大きな涙を流す。
「私、凄く無責任な事を言っちゃったね、ごめんなさい」
頭を下げる椎名の瞳から次々と涙が零れていく、僕なんかの為に椎名が涙を流す必要なんてなくて、関わらなければそんな悲しい顔はする必要なかったのに、もう僕は椎名の顔を見る事は出来なかった、僕を見る目が同情や哀れみに変わっているのが怖かったから。
「謝らなくていい、だからもう僕に関わらないで欲しい、椎名には、関係ないことだから」
詰まりそうになる言葉を必死に口にして、ベッドに横になり椎名と反対方向を向いた、これ以上の会話はしないと意思を込めて。何分経ったかは分からないけど長い時間椎名は椅子から動こうとしなかった。17時を知らせる放送が外から聞こえてきたのを合図にするように椎名が椅子から立ち上がる。
「じゃあね」
一言告げて部屋から出て行ったのを確認して僕は体を起こした。これでいい、だからこの胸の痛みも、きっと明日には無くなっていつもの僕に戻れるはずだ。今日は眩しさにやられて足元がふらついただけ、明日からはまた背を向ければいいんだから。
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