夢の先で待つ君へ
@SH_in_nico
第1話 発端
正暦2023年5月24日 文化省1階応接室
ひどく狭い部屋に怒号が飛び交う。まるで内容ではなく声の大きさにこそ意味を見出しているような怒声の連続に耳が痛くなる。
応接室とは名ばかりの隔離部屋に20人は詰め込まれているだろうか。まるで裁判所の被告席と原告席のようにあちら側とこちら側で分かたれているが、裁判所と異なるのは誰も正しさの判断など行わないというところだ。
「繰り返しの回答となり恐縮ではございますが、私共といたしましては法律に則って適切に施策を実行して参ります」
「一体なんど言えば分かってもらえるんだよ。奴らは、あいつらは俺らとは違う生き物なんだよ。そもそもほかの国じゃあ魔法使いそのものが処罰の対象になってる国も多い。
なのになんでこの国は今更、あぁもう本当に今更法律なんか作って保護しようとしているんだ」
「具体的にどの国のことを仰られているのかは分かりませんが、我が国では歴史的経緯も踏まえながら魔導技術の保護に努めて参りました。
これまでの制度ではその保護の内容について曖昧な部分が多いため、今回の魔導振興基本法により明確にしていこうという趣旨でございます」
「だからその保護自体が最初から必要無いとさっきから何度も言ってるだろう」
このやり取りを何度繰り返しただろう。見ているだけの者からすれば退屈そのものだが、矢面に立たされている者からすればもっと内心穏やかではないだろう。
何しろ相手が飽きてくれるまでひたすら同じ回答を繰り返さなければならないのだからたまらない。
2年前までは藤堂も同じ席に座っていたが、途中から自分の頭が上と下で別の生き物のような感覚になってくるのだ。デモ隊と警官隊がぶつかるのを建物の上から眺めている感じと言えばよいだろうか。実際に自分に言葉を投げかけられていてもどこか切り離された感覚になるのだ。
いや、そうならざるを得ないのだろう。まともに心に受けていればとてもじゃないが正気ではいられないものだ。
「もういい。あんた達とは話してても無駄だ。今度はもっと上の人間に出てもらうからな」
遂に飽きたようだ。この席からでは見えないが、対応している者たちが安堵しているのが容易に想像できる。きっと頭の中では1万回ほどガッツポーズをしているだろう。あとはその安堵感をあからさまにせず、自分たちの説明が下手で申し訳ないというような顔をしていればよいのだ。
団体が部屋を出て、そして建物の外に出たタイミングを見計らって対応者一同が顔を見合わせる。いつもそうだが、彼らの中には一種の戦友のような感覚が芽生えている。かつて同様に対応していた藤堂もそうだった。
「あぁ、おつかれさん」
魂の底から出たような、そんな言葉を吐き出して年配の男が部屋を出て行く。年齢は50代中頃だろうか、おそらくはノンキャリの課長補佐だ。おそらく法令担当が国会業務やら何やらで対応できなくなり代わりに出席したというところか。この手の対応ではよくある話だ。
「お、藤堂さんじゃないですか。今回もいたんですね」
対応の疲れを見せない笑顔で色黒で大柄な男が話しかけてくる。彼は藤堂の後任に当たる後藤田正臣というキャリアの役人で、見た目と年齢からはあまり馴染まない堅苦しい名前のおかげもあってすぐに人に覚えてもらえることを自慢していた。
「お疲れさま。今日の人達はなかなか粘り強かったね」
「そうなんですよ。いつもなら定型的に質問して答えてで終わるはずなんですけどねぇ。よっぽど法律が頭にきてたんじゃないですか?」
半裁封筒手という半分に切った封筒に想定問答をそそくさと収めながら吉田は答えた。大雑把に見えるがとても細かく資料が用意されている。この手の適当に回答して早く終わらせたくなるような対応にも万全の準備をもって挑むのが後藤田の性格をよく表している。
二人は名ばかりの応接室を出て、薄暗い廊下を歩きながら7階にある後藤田の執務室へと向かう。
藤堂の執務室はこの建物ではないので、本来はこちらに用は無いのだが、元上司から相談事があると連絡を受けていたので陳情ついでに立ち寄ることにしていた。
「それにしても藤堂さんも大変ですね。せっかく陳情業務から解放されたと思ったら毎回の呼び出しでしょ?いちいち呼びだすんじゃねえよって思ってますよね?」
「まぁね。でも僕は後ろで聞いてるだけだから」
「なんで毎回呼び出されてるんですか?もう籍は外務省なんですよね?」
「そうなんだけど、情報収集の一環なのかな。上としても色々と国民の反応を知っておきたいんじゃないのかな」
「官邸からいちいちこっちに来るのも面倒くさいですよね」
藤堂はこの三月まで文化省総合文化政策局政策課魔導文化振興室調査第一係というところに配属されていたが、四月から外務省大臣官房総務課外交調査室に出向している。
外務省といっても藤堂が勤務する庁舎は本省とは別であり、総理大臣官邸5階に特別に設けられた執務室に二十人ほどが詰め込まれていた。
「官邸ってどんな感じなんですか? ていうか、わざわざ官邸に部屋作って何やってるんですか?」
「うーん、セキュリティはここよりも厳しいかな。静脈認証とかパスワードとかあるし。業務内容は色々としか言いようがないかもしれない。『あれ調べて』とか『これの背景どうなってんの?』とか」
「今年度に新しくできた部署ですよね?どんな人達が来てるんですか?」
「そこも色々だね。さすがに文化省は僕だけなんだけど、防衛省や警察庁の人たちもいるよ」
「何やら怪しい空気を感じますねぇ」
後藤田は笑いながら執務室の入口に手をかけた。
「そこの打ち合わせスペースで待っててください。高山さんすぐに呼んできますから」
藤堂がこの執務室に入るのは初めてだったが、どこの役所もあまり変わらない。部屋の奥側に管理職の席があり、その前に川の字で部下の机が並んでいるのだ。この執務室は大部屋になるのでこのフロア内に100人はいるだろうか。ところどころにパーティションが立てられているので、そこが部署ごとの区切りになっているのだろう。
後藤田は自分の席に先ほどの陳情用の資料を置いて窓際に座っている男に声をかけている。どこの席も同じだが、机の横にうず高く資料が積まれている。
この時代になっても電子化するよりも早いものとは案外存在するもので、急な電話の問い合わせに備えて資料を積み上げているのだ。この方がいちいちパソコンからファイルを開くよりも目的の資料を見つけやすく、書類の山には積み上げた本人しか分からないルールで項目が並んでいるのだ。
少し懐かしい雰囲気を感じ取りながら藤堂は案内された打ち合わせスペースの椅子に腰かけた。打ち合わせスペースとは言っても、大部屋の端の方をパーティションで無理やり区切って机と椅子を並べただけの簡易なものだ。
「久しぶりだねえ。少し痩せたかな?」
ハキハキとした活舌の良い話し方で、小柄な男が打ち合わせスペースに入ってきた。
彼は高山徹といい、藤堂が文化省に入省して最初に配属された部署で管理系の課長補佐をしていた男だった。新人の藤堂にも優しく接し、省内の部署やそれぞれが担当している仕事についてよく教えてくれた。
「少しですけどね。むしろ前よりも外に行くことがなくて太るかもって思ってたんですけど」
「ははっ、そりゃあんな所で働いてたら気疲れなんてもんじゃないだろう。忙しくてもメシはちゃんと食っとけよ」
高山が出始めた腹をさすりながら気さくに笑うと椅子に腰かけた。
藤堂が魔導文化振興室に配属されていた頃は日本各地の大学や研究機関が行う遺跡調査に同行していた。
ほとんど本省にいることはなく、2週間以上も席を空けることも珍しくはなかった。稀に本省に戻ることがあっても陳情で駆り出されていることが多く、気が向いて席の周りを見回すといつの間にか見たこともない顔が並んでおり――そういや人事異動のメール来てたっけと思い出すこともしばしばだった。
「高山さんからの呼び出しなんて珍しいですね。今の僕の仕事に関係してることですか?」
日常会話が続き、一向に高山が本題を切り出そうとしないため、藤堂がしびれを切らして話を振ることになってしまった。高山が本題に入りたくなさそうにしているのは明らかであり、それは昔から変わらない野球の話題が続くことから藤堂には推察できた。
「いやあ、忙しいところ呼んじゃって本当に申し訳ないね。まずはこの書類を見てみてよ」
「なんですかこれ? 何かの報告書ですか?」
元は白い紙だったのだろうが、見るからに古めかしく茶色に変色しており端も所々が破れていた。
「うちの省に附属研究所があるのは知ってると思う。そこに出してる補助金の調査をやってたんだ。あ、いや、調査といっても何か怪しいことをやってたからという訳じゃなくて、通常どおり毎年度やる調査なんだけどね」
「その調査をしてたらこのボロい報告書が出てきたってことですか」
「そうなんだよ。いや、正確には見つけたのは俺達じゃなくて向こうの研究助手さ。そいつがクソ真面目でさ、補助金の調査が来るっていうんで全部の目録を作ろうとしたらしいんだ」
ただ研究所とは言っても国内最大級の魔導に関する研究所であり、関東の僻地に広大な土地と多くの研究施設を抱えていた。当然そこに保管されている文書も膨大な数となり、研究所それ自体の文書保管庫に加えて研究部門ごとにも大規模な保管庫が用意されていた。
保管庫の中には近年の研究に基づく論文はもとより厳重に警備された中で保管される古い魔導書も含まれており、藤堂の現在の勤め先である総理大臣官邸よりもよほど侵入が難しいのはないかと言われるほどの警備が敷かれている。
その保管庫の蔵書目録を作ろうというのだから、その研究助手はよっぽどヒマか変人の類だろうと藤堂は考えた。何しろ目録が整備されている蔵書だけでも全体の3割程度しかなく、残りはただ棚に並べられているだけというものがほとんどだ。その3割もほとんどは近年の文書保管制度ができてから保管され始めた研究論文か、いわゆる禁書――つまりは明確に保管場所を明らかにしておかないと危険な文書に分類されるものだ。
「よくそんな大それたこと考える人がいますね。日本人全員から10円ずつ募金してもらえば億万長者だって本気で考えて実行するようなもんじゃないですか」
「まあまあ、そういうところもないとこの時代に魔導研究に打ち込もうなんて人にはなれないのさ。その変わった助手が実際に目録を作り始めて4カ月ほど経った日にこれを見つけたんだ。ホントに偶然」
どれほどの時間が経っただろうか。これほど読むことに集中したのは藤堂の人生で数えても片手で足りるくらいだろう。じわりと汗をかいているかもしれない。それほど藤堂にとってこの文書の内容は衝撃的なものであり、同時に興奮を覚えるものでもあった。
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