名無しの短編集

妖狐ねる

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電子魚

 「電子魚デンシミ」という生き物をご存じだろうか。ここ20年ほどの間に発生し、飛躍的な進化を遂げた厄介な生物だ。

 「生物」と書いたが、厳密には生物であるかどうかも定かではない。こいつらは「肉体」と呼べるものを持たず、電子データとして存在する。言うなれば「電脳生命体」とでも呼ぶべき代物だ。コンピュータウイルスに似ているが、明確な意志を持って“生きている”。AIとも異なる独特の思考ルーチンは、明らかに生物のそれと一致するものである。


 デンシミの存在が初めて確認されたのは1996年の6月。アメリカのとある大学でコンピュータ上に記録されていた論文のデータが不自然に欠落しているのが発見され、早急に原因の究明が行われた。その結果、コンピュータの内部に正体不明のデータが巣食っていることが判明したのだ。

 彼らはこれを「texteater」と名付け研究対象としたのだが、すぐに困った事態が発生する。texteaterとして保管されていたデータが跡形もなく消えていたのだ。のちの研究で、奴らは「捕獲されると自らのデータを食して消える」という性質を持つことがわかったが、この時はそれを知る由もなかった。


 そういうわけで、デンシミを見つけた際は捕獲せず、巣食っているデータごと提出するよう呼びかけられた。その甲斐あって奴らに関する情報が集まり、大まかな生態も掴めた。それは以下のようなものである。


・電脳世界に生息し、そこにあるテキストデータを食す。

・捕獲されて“食糧”から隔離されると、自らを食して消滅する。

・自然発生はせず、インターネットをはじめとする通信によって接続された領域内を行き来する。

・“卵”を産んで繁殖するが、その段階では極めて小さな容量しか持たず、発見は困難。また、卵の状態でも電脳世界を移動する性質を持つ。


 これだけならコンピュータウイルスと相違ないのだが、デンシミの恐ろしいところはその“嗜好”にある。デンシミは、テキストデータの中でも特に「重要な部分」を好んで食べる傾向がある。巣食ったものが論文であれば本論や結論、物語であればクライマックスや結末など、なぜか人間の基準で「重要な部分」を頻繁に食う。この理由についてはいまだにはっきりとはわかっていないが、何らかの手段で「文章の重要性」を理解していると推測されている。


 そして、デンシミについての研究が進むうちに重大な事実が判明した。膨大な数のデンシミの卵がインターネットを介して世界中に散らばり、それらが2000年1月1日0時に一斉に孵化するようセットされているというのである。

 もし孵化すれば、世界中のコンピュータから重要なデータが消失し、大パニックになることが予測されたため、当時世界各国から専門家が集められ、対策会議が行われた。その結果、デンシミの存在については公にせず、「2000年に入った途端にコンピュータのプログラムによる不具合が発生する」という形で広められた。いわゆる「2000年問題」である。

 対策の甲斐あって、2000年までにほとんどのデンシミの卵を取り除くことに成功し、大事には至らなかった。


 ところが、最近になってこのデンシミが再び増加してきているという。主な生息域は電子書籍だ。

 きっかけは「購入した電子書籍から後半部分のデータが抜け落ちている」という報告である。当初は書籍データを管理しているサーバーの不具合であると考えられていたが、やがて90年代に騒がれたtexteaterとの関連性が指摘され、同一の存在であることが確認された。


 日本でも看過できないほどの被害が見受けられたため、16年9月、政府はtexteaterについての情報を公表した。インターネットの普及した現代では瞬く間に情報が共有され、某巨大ネット掲示板で考案された「電子魚」という呼称で広まった。言うまでもなく、本を食べるとされる「紙魚」と「電子」を掛け合わせた名前である。


 現在、ネット上では「デンシミの対策」と称して様々な記事が出回っているが、その中には誤った情報や憶測を含むものが多い。正しくはこうである。


・テキストデータに不自然な欠落を発見したら、















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