第八話 元気でな!

 フライの件がキャップの名案で見事に、しかも双方の感情を傷つけることなく収まったことで、俺はキャップの残した気になる示唆をスルーしてしまった。そのつけが、とんでもなく大きな形で跳ね返ってくるとは思わなかったよ。

 俺は、訓練所のメンバーが突然欠けるってことを何も想定してなかったんだ。それも、決して新入りなんかじゃないやつが……な。


◇ ◇ ◇


 訓練所に辿り着いた者にとって、ここでの生活に慣れることは決して難しくない。スケジュールはゆったり組まれているし、体力的にハードな訓練ではないからな。母星とは異なる環境で日常生活を送れれば、訓練はもう終わりみたいなものなんだ。

 慣れることを最初から放棄しているやつはすぐギブアップして母星に逃げ帰るから、新参者ノービスはどんどん入れ替わる。それは俺らも最初から折り込み済みなんだが、馴化したはずの古参メンバーが突如白旗を上げて脱落ドロップアウトするってのはがっつり堪える。その日、俺は猛烈に落ち込んでいたんだ。


 食堂で、皿に残った真っ赤な肉汁相手にぶつぶつ愚痴をこぼしていたら、ウォルフが挨拶がわりに突っ込みを入れてきた。


「よう、ブラム。どうした? えれえ冴えない顔だな」

「しゃあないだろ。ゴズが母星に帰るってよ」

「えええっ?」


 俺の情報は、ウォルフにとっても晴天の霹靂へきれきだったんだろう。よろけるようにして向かいの椅子に落下。どすん!


「どういう……ことだ?」

「どうもこうもない。もう耐えられないんだとさ」

「何に、だ?」


 俺は両手で丸を作り、それを頭上に掲げた。


「こいつがないことに」


 そう。この訓練所には最初から太陽がない。そんなのは訓練生全員が最初からいやっていうほど認識してるはずなんだが……。


 太陽がゴマ粒ほどにしか見えないところに位置する小惑星を掘削し、その地下深くに熱源を持ち込んで作られているのがこの施設なんだ。物理環境っていうのはフリーゼ以上に無慈悲さ。弱い太陽光でもいいから見たいとうかつに地表に出れば、許しを乞う間も無く凍結してあの世行きだ。訓練所に入ったが最後、ここを退所して母星に戻らない限りは太陽を拝めないんだよ。

 訓練生は、人工光があれば太陽なしでも耐えられると判断したからこそここに来る。だが耐えられるという事前予測がひどく外れ、太陽が恋しくなったストレスで精神的に参ってしまうやつは少なくない。もっともそういう連中はほとんどが根性なしで、着任前か最初の訓練ですぐにユーターンさ。試練を乗り切ったベテランが、太陽恋しさで脱落するなんざとても信じられん。


「ううー」


 歯をむき出してうなったウォルフが、納得行かないというようにテーブルに爪を立てて引っ掻いた。


 ぎぎぃ。


「なあ、ブラム。あいつは俺らよりも古い二期生だろ? 最古参もいいとこじゃないか。ここまで踏ん張ったのに、今さらリタイアだあ?」

「ああ。俺もどうにも解せんのだが、さっさと離職手続きしちまったんだ」

「むぅ」

「赤ら顔のどこまでも血色のいいやつが、ここしばらくまるで蝋のような顔色だったからな。訓練も休んでたし、相当悩んでたんだろ」

「そんな繊細なやつには見えなかったけどなあ」


 ウォルフが何度も首を捻った。気持ちはよくわかる。苦楽を共にしてきた仲間の離脱は、ちゃらちゃらした新入りが尻尾巻いて逃げるのとはわけが違うんだ。離脱の理由が納得できないと、俺たちは見捨てられてしまったような気分になるんだよ。


「太陽がないってのはきっと言い訳だろ。辞める時すら本音が出てこないっていうのは……どうにもしんどいよな」


 俺の愚痴に、ウォルフが頷いた。


 労多くして功少なし、か。訓練中も訓練終了後に入植しても、結局俺たちが手にできるものは多くないんだろう。そこをすっぱり割り切れないと、ここにはいられない。俺たち……いや、少なくとも俺は納得しているつもりだが、納得していると口に出したことはない。俺だけでなく誰もがそうだ。だからこそ、今回のゴズのようなことが起こる。

 もう居られない、もうダメだという脱落の意思は明確に示されても、それがなぜかは説明されないんだ。本部も理由は追求しないだろう。プライベートに関わるからという理由だけではなく、それを聞き出したところで誰も何もしてやれないからだ。


 二人揃ってテーブルの上に視線を放り出していたら、通りかかったキャップが俺らをからかった。


「おいおい、いつもは賑やかな君らが黙ってお見合いか? 同性婚は禁じてないが、ネタにされるぞ?」


 いつもはまぜっ返すんだが、ゴズ絡みだったので真面目に切り返した。


「キャップ。俺らはどうしても解せんのです」

「ああ、ゴズのことか」


 心配りが細やかなキャップにしては珍しく、ひどく乾いた口調だった。ウォルフもそれに気付いたんだろう。さっと顔を上げて訊いた。


「あいつはもう発ったんすか?」

「ワンフィフティの便で離任したよ。もう向こうに着いてるころだ」

「そうか……」


 ふうっとでかい溜息をついたキャップが、空席にどすんと腰を落とし込むなり唐突に話し始めた。


「君らはよく知っていると思うが、訓練所は刑務所でも軍事教練所でもない。あくまでも共同生活施設であって、ルール違反に対する罰則があっても強制適用できないんだ」

「まさかとは思うんですが、あいつが何かやらかしたんですか?」


 きっぱりと肯定される。


「そう。タオの時は説教で済ませたが、ゴズのは故意犯だ。そうはいかん」

「げ……」


 あまりに意外。ゴズは、キャップに負けず劣らず温和でおっとり。要領が悪くて、スローモーだった。そういうやつが、人の目を盗んで何か悪いことをしでかすようにはとても思えないんだが。絶句していた俺たちに向かって、キャップが唐突に変な話を切り出した。


「君らはバベルの塔の話を知ってるだろ?」

「ええ。神に近づこうとして高い塔を立てた人間は、神にその思い上がりを塔ごと打ち砕かれ、散り散りに追い払われた」

「ばっちりだ、ウォルフ。じゃあ、もしその件で神がいなかったら塔はどうなる?」


 うーむ……。

 俺らが推論を口に出す前に、遮るようにしてキャップが続きを述べた。


「塔を高くするほど天国に近付けると考えたやつは、何もかも天辺に持って行こうとする。どれだけ塔が高くなっても天国に届かないことに絶望したやつは、何もかも放棄して塔を離れる。真逆のアクションが並立するんだ。当然、激しい衝突と混乱が生じる」

「そうか。誰かが全体を統括しないと、倒れないように作り続けることができないの

か」

「そう。あの塔の話は、原因と結果の記述が逆なんだよ。統括できる神がいないから、天辺ばかりでかくなったんだ。神に罰せられて打ち壊されたんじゃなく、神がいなかったから壊れたのさ」


 うーん、そういう解釈もあるのか。でも、なんでそんな話を? 俺たちの変顔を見比べていたキャップは、塔の話をさっと規則の話に結びつけた。


「法令とか規則ってのもそんなもんでね。従うべき神が誰にでも見えれば、それはきちんと遵守される。だが、神なんかいないのに塔……すなわち理想とか規範とかだけを高くしようってのは愚かしいことさ。かえって混乱を生む」


 俺もウォルフも揃って立ち上がってしまった。


「なるほどっ!」

「そうかあ」

「だろ? じゃあ神がいないなら、塔を倒さないようにするにはどうすればいい?」


 キャップは、発言しようとした俺を遮ってウォルフに答えを言わせた。


「塔なんか作らなきゃいいんじゃないすか?」

「当たり。だが、すでに塔はある。そういうわけにいかんだろ?」

「うーん……」


 俺に目を移したキャップが、解答を披露する。


「塔がどうしても必要なら、そいつを高くし過ぎなければいい。ここが規則違反に鷹揚なのはそのためさ。無闇に塔をせり上げようとする神気取りのエリートは要らないが、危ないからこれ以上積むのを止めろという愚者はどうしても要るんだよ。俺の役回りはそんなもんだ」


 なるほどなあ。俺には権限がないとキャップが言い続けているのは、そのためか。


「だがゴズの違反は、俺の注意や警告で済まされる問題じゃなくてね」

「キャップが直接引導を渡したんですか?」

「俺の所長っていうポジションは、単なるガイド役だ。レコメンドはするが、それ以上はできない」

「てか、あいつ何をやらかしたんすか?」


 ウォルフがダイレクトに切り込んだ。


「飲酒だ」


 キャップの予想外の回答に、俺もウォルフも言葉を失った。


「そ……んなこと、絶対に不可能でしょ!」

「信じられねえ」

「訓練所に必要なものは、事務局で厳選して送ってくる。それらをどう使うかも訓練だからな。当然その中に酒類は含まれていない」

「密輸すか?」

「無理だよ。ここは、領空、亜空間含めて民間船の航行が許可されていない」

「ですよねえ。ゴズは、どっから酒を持ち込んだんすか?」


 キャップが、どうにも情けない表情のまま苦笑いした。


「ゴズには胃が四つある」


 思わずウォルフと顔を見合わせた。ばかげた話だが、俺たちの場合は必ずしもそうじゃないんだよな。


「その四つのうちの一つで酵母を飼っていてな。糖化原料があれば体内醸造できるんだよ」

「うおう!」


 興奮したウォルフが獣化しそうになったので、慌てて肩を押さえつけた。


「落ち着け!」

「あ、すまん。じゃあ、あの赤ら顔は……」

「そう。常時ほろ酔い気分だったということだな」


 俺をぴっと指差したキャップが、短く結論をまとめた。


「糖化しやすい穀類だけだと、発酵が早く進み過ぎて飲酒がすぐにばれる。あいつは野菜をがばがば食うことで発酵の速度を調整していたのさ」

「キャップは最初から気付いてたんですか?」

「もちろんだ。最初にあいつと組んだバトゥから、すぐ苦情が来たんだよ。酒臭いってね」


 そうか。あの強烈な口臭。確かに発酵臭だ。フライがゴズに誘引アトラクトされたのもそのせいか!


「だが体内発酵なら、ゴズが意図してやってるのか不可抗力なのかの区別がつかん。経過を見るしかなかったんだ」

「うむむ」


 二人して頭を抱えてしまった。俺たちを見比べたキャップが、皿の上に残っていたニンジンの切れ端をひょいと指差した。


「ちょっと前に所内の野菜工場が故障して、今でもまだ稼働してないだろ?」

「ああ、野菜は冷凍加工品ばかりになってますね」


 あっ! まさか!


「キャップ。工場は故障したんじゃなく、停止させたんですか?」

「そう」


 真顔になったキャップが、苦い真実を暴いていく。


「ゴズのケースと同じさ。植物工場の稼働停止が故障か故意なのかは、ゴズには分からんだろ?」


 そうか……。


「冷凍物の野菜でも発酵を調節出来ると見くびったゴズだが、加工品はかさがない。胃内の急激なアルコール発酵にブレーキをかけられず、血中アルコール濃度が危険値を超えた。急性アル中寸前になったんだ」

「それで真っ青……ってか、真っ白になってたのか」

「ここは重力が小さいから、生理活性物質の作用が強く出る。風紀や依存への悪影響以前に、アルコールの身体への直接影響が深刻だから飲酒を禁じてるんだ。警告をつらっと聞き流すからこういうことになる」

「じゃあ」


 俺の前置きのあとを、キャップが丁寧に埋めた。


「ゴズに飲酒事実がない以上、俺はあいつに内規違反だとは言えないのさ。俺は神なんかじゃないし、神になりたくもないからな。それなら、発酵が暴走する恐怖を現実として体感してもらうしかないだろ?」

「ええ」

「現実を是認するか、否定するか。示されている選択肢は、他の退去者と同じだよ」


 フライとゴズのトラブルの時にゴズにも対策を講ずると言ってたのは、こういうことだったのか。もしゴズが懲りて自制すれば、キャップは最後まで何も言わなかっただろう。でもゴズは、酒がないことにどうしても耐えられなかったんだろうな。


 ゆっくり立ち上がったキャップが、俺らに背中を向けて寂しそうに笑った。


「まあ、ゴズにとっては酒こそが太陽だ。宵のうちから堂々と飲めるところの方がずっと幸せだろう。それに比べりゃ、外観による差別なんざ大したこっちゃないよ」


◇ ◇ ◇


 さっきのバベルの塔の話は、ひどく示唆的だった。


 ゴズの飲酒はあくまでもゴズ自身の問題であって、本来俺たち個々には影響しないはず。だが、禁じられているアルコール摂取を堂々とやらかすやつがいれば、それに対する不満が凝集して対極に神を作ってしまいかねない。キャップの懸念は、まさにそこにあったんだろう。


 訓練所という塔に神を登場させない。それによって崩壊を防ぐ。キャップの対応は、控えめながら実に的確だった。当のゴズは酔っ払いたいだけで、神になるつもりも神に罰されるつもりもなかっただろうに。なんて皮肉なこった。

 それでも。ゴズと大差ない単細胞の俺たちは、訓練所にいる間も入植した後も塔のどこかで神を探すか神を呪い続けるんだろう。どえらくばかばかしいことだと思うが。


 腕組みして考え込んでいたら、ウォルフが俺の前に置かれていたワイングラスを見咎めた。


「ブラム。おまえも酒を飲んでるんじゃないだろな」

「あほ。ここじゃ、手に入らんて」

「じゃあ、それはなんだ? トマトジュースには見えんぞ」

「スッポンの生き血だよ。精がつく」

「げ」


 俺は、惜別の情を込めて高々とグラスを掲げた。


「ゴズ! 元気でな《ブレスユー》!」



【第八話 元気でな! 了】

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